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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7292] Re: ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/27(Sun) 15:29
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    >  ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。

    これはその坂東捕虜収容所の、ドイツ人捕虜たちのの作ったという、展覧会のポスターです。


    [No.7291] ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/26(Sat) 21:50
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      きょう(と云うのは8月29日のことだが)、国立歴史民俗博物館で「印籠展」と云うのを観た。そのついでと云ったら「ドイツと日本を結ぶもの展」に対してタイヘン申し訳ないが、成り行きからそんな具合になってしまった。

     それというのが、同じ館内ではあるが、「印籠展」の方が、「ドイツ展」より同館の入り口に近いところでやっていたからだ。ところで、

     ドイツというのは、日本にとって敵か味方かとなると、これはチョット難しい。たしかに第一次世界大戦の時は敵方だったが、第2次では同盟国だった。

     で、第一次で戦勝国になった日本は、ドイツ兵を日本国内の複数の捕虜収容所へ入れた。捕虜との関係は大体において友好的で、ドイツ人捕虜は、近隣の市民ともおおいに交流した。

     この「ドイツ展」で、あっしは、話には聞いていたが、実際には一度も見たことのない捕虜の作った音楽会のプログラムなどを実見することが出来た。彼らの中には入隊前、様々な職業についていたものが居り、そのおかげで近隣の市民は、彼らから種々の技術をじかに教わることが出来た。いわゆる技術移転である。多数のデータの中に、彼らの作った種々様々な印刷物が残されている。それが、当時は

     ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。

     九州は久留米の収容所でのコンサートでは、なんと捕虜がワグナーの「パルジファル」を演奏したそうである。

     それから先日は、メロウの某会議室で、紀元2600年の話題で盛り上がっていたようだが、この時はその奉祝歌というものを作るということになり、各国に作曲を依頼したらしい。すべての国がそれを引き受けたわけではないが、ドイツは「皇紀二千六百年祝典曲」というのを送り届けてくれた。この作曲を手掛けたのが、かの有名なリヒャルト・シュトラウスであった。

     館内のヴィデオでこの曲を流し、花電車を何台も走らせてくれたので、あっしは一時、まるで、メロウ倶楽部の「昭和の部屋」にでも、いるような錯覚に陥った。

                                    (つづく)


    [No.7290] 印籠展〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/25(Fri) 13:23
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    そもそも印籠と云う言葉がいけない。印籠ではない。薬籠である。館のパンフレットでものっけから「印籠は常備薬を入れ腰から提げて持ち歩くための」と明記してある。なぜ印籠かと云えば、もともと中国ではこれはクスリでなく、印鑑や印肉を入れる容器であったためである。だが、

     ポルトガル人が来航した頃には、薬籠★でなく、すでに印籠になっていた。(日葡辞書)

     構造は、一般に三段から五段になっていた。各々の容器をしっかりまとめるために緒締と云ものがあるが、これを腰に提げるには別に根付というのがあり、印籠とともに、これも職人たちが競って芸術性の高いものを作り上げていった。

     外国でもこの印籠、根付の人気は高く、かなりのものが海外に流れたが、のちに買い戻されたものも相当数ある。モチーフも、花籠であるとか、動植物、昆虫、山水のような風景、はては古代中国の逸話に材を取ったものなど、その種類はまさに百花繚乱の感があった。

     また、技術面でも、蒔絵、螺鈿、象嵌、彫漆と、これも千変万化の様相を呈していた。材質についても、あっしなぞトーシロは、その辺の木に漆をぬったものだろうと早合点してしまいがちだが、木ばかりではなく、何と皮だの竹だの、へえ、金属、動物の牙や角、陶器なんてものまでが印籠つくりに使われたのである。また、

     沖縄などでは、堆錦という手法があり、説明によれば、漆に顔料を混ぜ、槌で叩き、薄く伸ばしたものを表面に貼り付けて作るものがあるという。

     形状も一様ではなく、人間の顏のように角ばったもの、丸みを帯びたもの、ケイタイそっくりの薄型のもの、大きくてずっしりと重量感のある、弱腰の侍では、何かのはずみに腰が抜けてしまいそうなのまであった。

     また普通は無銘だが、中には名人上手の作なのか、有銘のものもあった。芝山細工などは、象嵌、蒔絵の特色を最大限に生かしたその華美な様子から、海外の富裕層にも大人気で、かなりの量が輸出されたというから、昨今のマンガもさることながら、こうした芸術品もじゃんじゃん作って、カイガイの富裕層の、がま口のふたを開かせてみてはどうか?

     あっしは、光圀公の印籠を仔細に眺めたことはないが、表も裏もただの紋章だけではないだろうか。

     あっしがこの展示で、一番気に入ったのは、表裏を合わせて、ひとつのストーリーを構成しているもの。例えば、昔から犬猿の仲などと云うが、その逆を取って、イヌとサルが、仲良く首引きをしている図を、ただ表だけに描くのではなく、表にイヌ、裏にサルを描いて、印籠をひっくり返して楽しめる仕掛けのものを会場で見たが、これには参った。

     これを見ての感想だが、いまの世では、真のユーモアが失われつつあるが、江戸人のユーモア感覚にも、見習うべきところが意外と多いのではないか、と思ったことだ。


     桃山時代から印籠を腰に下げる習慣はあったらしいが、一般人にはまだとても手の届かない存在だった。

     一般人が買えるようになった頃には、専門店ではデザイン帳のようなものを置くところも増えたようだ。もっとも、隣の旦那と同じものをぶら下げたのでは、サマにならないが。(^O^)

     見るからに高そーな印籠では、とても無理だが、宝くじでも当たったら、印籠は後にして、根付でもぼちぼち集めてみたいような気もする。     (おわり)

     ★ あっしの若い頃、漢文で「時価薬籠中の物」などという言い回しがあった。いまは英語文化の時代で、こうしたものは次第に忘れられていく。薬籠と云えば、日に数十錠の薬を飲む人では三段や五段の薬籠では、間に合わぬのではないかと、いらぬ心配をする、あっしである。たしか、百円ショップに、一週間分の曜日を書いた、樹脂製の薬籠(印籠?)があったような。

       写真は、薬籠展のパンフレットです。


    [No.7289] 印籠展の記 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/24(Thu) 09:57
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    印籠と云えばたしか、前にもここでやったことがあるぞと、思いつつ観覧をした。歴博の館長は良く変わるので、現在の館長はたぶん、前回の展示をご存じないのかも知れない。

     こういう、日本的で、贅沢品の装身具の展示は、たしか、正月にやったはずだ。和服を着ることの多い時期でもあるし、日本的な感じを強調するにも、正月が一番だと、あっしも思う。

     かと言って、べつに時期が悪いと云っているわけではない。人それぞれの考えもあろう。

     こういう展示は、毎年やる和宮様のひな人形の展示と同じ、第3展示室と云うところでやる。ここはスペースとしては、決して大きいとは云えないが、品物がだいたい細々したものなので、ここで十分なのだろう。

     印籠と云えばひとはすぐ、水戸黄門の葵の紋章の入ったものを連想すると思う。しかし、テレビではうんざりするほど、毎回見せられるが、黄門さまの印籠など、下々の者など、滅多に見たり、携帯など、とても出来るようなものではなく、特別の品だ。


     もちろん印籠は、最盛期には武士、町民なぞも競って腰に下げたはずなので、根付とともに、じつに多種多様のものが作られた。ところで、

     この展示の会期は8月30日までで、もうあれから一か月近くもたつので、ボケ老人のあっしとしては、次第に記憶も薄れがちだが、少しくその感想をつづってみたい。(つづく)


    [No.7288] 玉三郎の政岡 投稿者:たか華  投稿日:2015/09/23(Wed) 13:46
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    今月、歌舞伎公演「秀山祭」9月公演の夜の部の、通し狂言「伽羅先代萩」(メイボクセンダイハギ)を観に行った。
    これは伊達騒動を扱った狂言。

    友人が吉右衛門のファンクラブに入会しているのでお席は8番目の真ん中。

    私は玉三郎のファン・・・演技は勿論素晴らしいが舞が何と言って良いやら!素晴らしい・素敵・うっとり・・・
    「政岡」を演じられる役者は、今は玉三郎しかいないかも・・・?
    玉三郎は勿論だが、「鶴千代」と政岡の子「千松」 の子役の演技も素晴らしかった。

    2幕「竹の間」では乳人政岡を追い出しにかかるが,沖の井の計らいもあり追い出されず済む。
    政岡のやりきれなさと若君鶴千代を守ろうとする必死さが観てる者に迫ってくる。

    3幕「御殿」では政岡自ら御前の用意をしますが、お腹が空いている鶴千代と千松が
    必死に空腹を抑えて、遊ぶ姿。 
    政岡はそれを見て悲しみを抑えて御前を作る姿。
    見せ場だ! 涙が溢れてきた。

    空腹を抑える鶴千代のお見舞いと評して毒入りのお菓子を持ってきて勧める栄御前。
    思わず手を伸ばす鶴千代を制しようとするが、咎められて引き下がる政岡。
    その時に千松が飛び出し、毒見をするためにお菓子を食べた。 
    毒が回って苦しむ千松。 悪事発覚を恐れた八汐は懐剣を突き立てジワジワとなぶり殺しにする。
    それを見ながらも涙をこらえ必死に鶴千代を抱える政岡。 私は涙ポロポロ・・・

    その政岡の態度を見た栄御前は鶴千代・千松が取り替え子であると思い込んで
    政岡に弾正一味の連判の巻物を預ける
    帰ったあと、涙が溢れ「ようやった! 武士の子じゃ!」と褒め、強く千松の遺体を抱きしめる。
    その時、八汐はまだ政岡を信じられず襲いかかるが政岡は反撃して千松の敵を討ったが、
    爭っている時に持っていた巻物を落とし、巻物は鼠がくわえて去る。

    その鼠が吉右衛門扮する「二木壇正」
    見得の見せ場だ。 代々伝授された雲の上を歩く姿はさすがだった。
    一本角の見得、鷺見得など見ごたえのある場面だ。
    でも〜少しヨタヨタしていたようで苦笑してしまった。
    もう、お年なのかな〜?  まだまだこれからも頑張ってもらえねば・・・

    吉右衛門、菊之助、染五郎、梅玉、松緑、歌六、多々と豪華メンバーだったが
    6幕に亘る公演は4時間あり、 さすがに見ごたえのある公演だった。

    でも〜疲れたぁ〜!!! 
         私も、もう年だった〜 


    [No.7285] 今日もまたまた歩いて 投稿者:あや  投稿日:2015/09/20(Sun) 17:29
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    昨日の午前中は家にいられたので、手芸をやったり、たまった資料の整理などをした。
    午後は役所からの資料が届いたので、それらを配送するためにあて名書きなどをした。
    幹事会で渡そうかと思っていた議事録をついでに配付しようと印刷、あて名書きをした。

    夜は一丁目の秋祭りの招待へ会長はじめ、6名の役員たちと出かけた。
    呑んで、食べて、最後の花火が終わったのは20時30分になっていたか。
    二丁目の役員、運営委員などに誘われて、呑みどころへ行った。楽しかったのはよかっ
    たが遅くなってしまった。

    今日は20日、午前中は区の保健課からのお知らせを14名の保活推進員に届けること
    にした。それに加えて、広報部員7名に議事録、次回編集会議の知らせなども届けて
    しうおうと用意した。

    会館へ寄って、コピーをしたりホチキス止めをしたりして、出発をしたのは10時5分
    だったか。坂を上がり二丁目の外れへ向かい2名に配り、サザンというマンション何棟
    かあるうちの2名へ配った。ここは階段を上がったり下りたりする。
    坂を下りて四丁目へ向かい、そこで5名。その横に広がる三丁目は5名。更に坂を
    下り、上りと一丁目の5名へ。最後は二丁目へ戻り2名へ配った。

    この一丁目から、二丁目の一軒へ行くのに、時間を計ってみたら6分はかかったか。
    このようにして次へ移るのに時間がかかるのだ。会館まで行かず、わが家へ戻ったのは
    11時20分だった。

    出発時間は10時5分、その時の歩数計は1510歩だったか、家に戻ったのは
    11時20分で歩数計は10520歩となっていた。
    1時間15分くらいで、山坂を9000歩も歩いたことに我ながら驚いてもいる。
    休まずに荒い息を吐いての早足だったつもりである。

    午後はたまには買い物しないとと、不足品を買うためにスーパーへ出かけた。
    バスを乗ることで、余り歩かないので、歩数計は11500歩くらいだったか。

    昨夜の呑み疲れ、寝不足などものともせずに、山坂を歩いてこれてよかったとは
    思っているが、こんなことでいいのかと、わが体を心配しているところでもある。


    [No.7284] 良平さんを偲ぶ 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/18(Fri) 16:48
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    今年のニュースでやはり、印象に残るのは柳原良平さん他界のニュースです。さんらく亭さんのように、特に知り合いというわけではありませんが、あっしらの年代では、みんな例外なく『知り合い』と云っていいのではないでしょうか。

     この時代のサントリ―宣伝部の人脈をみると、コピー関係では良平さんと机を並べたという開高健あり、『洋酒天国』の2代目編集長の山口瞳あり、イラスト関係では、柳原良平、さくらクレパスや主婦の友で活躍した、キャリア豊富の坂根進あり、といった具合で鉄壁の布陣といっていい。

     さいきん、良平さんの「アンクルトリス交遊録」を読んで大発見をした。実はあっしは7月にミニミニイベントをやったのだが、その時旅に出ようコーナーに、客船に造詣の深い良平さんの「「客船史」を散歩する」「船図鑑」「船旅の絵本」などを陳列し、すぐ隣に、特に深い考えもなく、野間恒さんの「豪華客船の文化史」を置いた。

     ところが後で知ったことだが、「交遊録」の舟キチ仲間という章に、この野間さんが出て来たのである。しかもさらに読み進むと、この人がまだ学生のころからの知り合いだそうである。

     あっしが、二人の著書を並べたのには、やはり浅からぬ縁があったから、自然とそうなったのかも知れない。ただ、

     この「交遊録」、地元の図書館に頼んだら、当市のすべての図書館になく、かなり離れたF市から取り寄せてくれたのだが、裏表紙に『汚れあり』と書いてあるだけあって、どうもばばっちい。内容に紋題はないのだが、これだけは、どうも頂けない。(-_-;)


     今回、「交遊録」で知ったことは、あのアンクルを指して良平さんがしきりに、二頭身半と云うことだった。ミスユニバース日本代表で、世界大会で見事3位に入賞した、伊藤絹子の、スタイルがいいというので、八頭身と云う言葉が当時大流行したのを思い出した。その逆を行ったわけで、漫画だけによけい可笑しい。さて、

     この間、東京のN町へ行き、さる骨董屋を覗いたら、あるはあるは。良平さん絡みのもろもろが、入口の付近に、いろいろあるではないか。

     何がってあーた、良平さの絵の付いたコースターから、マグカップ、戦士コップ、ビアマグもあったような。さらに上の方を見ると、おおおっ、あっしが端本で持っていて、ミニミニで展示した「洋酒マメ天国」が、36冊揃いでデ〜ン、ただし、お値段が2万円だと☆。これじゃあ、ビンボー人のあっしでは、チョット手が出ない。一応、拝むだけで素通りしました。(おわり)

     ☆ 木製函付きになると、4万円近くにもなるらしい。(@_@;)


    [No.7283] Re: 忘れ路の北イタリア〜4 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/15(Tue) 10:45
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    >  このマークは、ヴェネツィアだけでなく、フェッラーラの書店で、買い物をした時のレシートにも、付いていた。

      これがそのフェッラーラのフェルトリネッリ★書店でもらったレシートの裏面。小さいが三菱のマークが。これはおそらく、三菱製紙だと思う。


    ★思えばこの書店も、販売だけでなく、出版も手掛けているが、相当の老舗である。


    [No.7282] 忘れ路の北イタリア〜4 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/15(Tue) 10:38
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    画像サイズ: 218×490 (61kB)
       この稿を終えるに当たって、もう一つ付け加えたい。それは日本企業の進出である。カイガイでは、どこへ行っても、日本企業の看板が目につき、非常に心強く、その都度励まされる。


     だいたい、車の会社のものがおおい。トヨタや、ニッサン、ホンダ、スズキなど、どんな僻地にも看板があり、驚かされる。

      国別でも、ドイツやフランスだけでなく、ギリシャやクロアチアなどで、ひょっくり、看板にぶつかったりすると、特別嬉しさがこみあげて来る。

     車ばかりでなく、時計屋やカメラ屋、プリンタのエプソン、それから自転車メーカーのものも、あったように思う。


     お恥ずかしいはなしだが、オランダでは、旅券を紛失し、急きょ自分の写真が必要になった。このとき、驚いたのは、オランダのD駅だったかの、構内にも、日本と同じような簡易撮影スタンドのようなものがあった。器械の説明に、英語、日本語がなかったので苦労したが、後で調べてみると、この機械のメーカーが埼玉県の企業だった。

     今回の旅では、また変わった発見をした。その場では気付かなかったが、ヴェネツィアの、マルコポーロ空港の構内でミネラルウォーターの小瓶を買った。後で、裏をひっくり返すと、そこに懐かしい三菱のマークが。

     このマークは、ヴェネツィアだけでなく、フェッラーラの書店で、買い物をした時のレシートにも、付いていた。

     クレモナでは、さらに驚くようなことが待ち構えていた。駅の近くで、珍しく自販機コーナーを発見。それも、日本で見るように、3〜4台が一か所にまとめて置いてあった。仔細に眺めると、どっかで聞いたような表にMIKADOと書かれた、キャラメルの箱のようなものがあった。

     「ミカド」と云えば、英国かなんかのオペラの名前だったっけ。とにかく、それをゲットして持ち帰った。

     これは大分たってから、ふたたび眺めまわすと、表にちいさくglicoのロゴを発見。裏には、これも非常に小さいが、例のバンザイマークがついている。

     う〜ん、してみると、イタリア人『万歳』が好きなのか。あっしはあまりこの手のものを
    買ったり食べたりしないので、知らなかったが、これは日本国内で「ポッキー」という
    名で売られているお菓子だった。

     いろいと考えるまでもなく、これを作っているのは、多分グリコとイタリアの某菓子製造会社との合弁企業にちがいない、という結論にたどり着いた。どうも、お疲れさま。

                                   (おわり)


    [No.7281] Re: 忘れ路の北イタリア〜3 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/14(Mon) 11:02
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    画像サイズ: 420×308 (80kB)
    >  この切手は、1973年の発行なので、その後もう、40年以上も生き延びていることになる。(^^♪なお、切手の印刷面は、サン・マルコ広場が水面下に沈んだ様子を表し、右上には「ヴェネツィアを救おう」の文字が。

     と書きながらあとで、どこにもその文字のないことに気づいた。申しわけありませんが、該当写真を再掲させて頂きます。<m(__)m>ついでに若干説明を加えると、前方に見える2本の柱の上の像は、向かって左側が、この広場の名前となった聖マルコをかたどったライオンの像で、右側はテオドロ聖人の像である。

      ということは、正面が大運河ということになるが、それでいいのだろうか。(^^♪

     なお、ふつうサンマルコ広場と云っているのは、大聖堂のある広いスペースで、その手前というか、運河に近いところも小広場になっているのはご存じのない方も、多いのではないか。

     つまり、このところはL字型になっているわけである。また、これらの柱は、運河から船で着くと、早く大聖堂を見たい一心から、観光客の中には、意外と見落としている方も多いかも知れない。

     さて物知りウィッキーさんによると、中世には、2本の柱の間に死刑執行台があったそうで、縁起が悪いので、地元民はゼッタイ、この間を通らないのだとか。

     あっしなぞ、もう何度もこの間を通っているので、首の皮も今ではだいぶ厚くなっているのかも知れない。(^O^)

     カイガイ旅行の際、こうした歴史というか、文化的な背景を知ることは、面白くて、ためになると、あっしなぞは、ひそかに思っている。


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