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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7345] Re: :習志野ドイツフェアへ行く 投稿者:まるこ  投稿日:2015/10/24(Sat) 20:29
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    紋次郎さん、今日は、薩摩藩に、ついて講義きいてきました。ポシェットさんも、興味津々な話でした。そうですよ。鹿児島には、こんな苗字で、薩摩の方だと、わかります。


    [No.7344] Re: :習志野ドイツフェアへ行く 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/24(Sat) 20:09
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    まるこさん、レスありがとうございます。

    > 紋次郎さん、鮫島とから、伊知地とか、いう苗字は、鹿児島出身の方が、ほとんどです。

    伊地知、鮫島というのは鹿児島ですか。鹿児島には三字名前は多いようですね。伊地知のほかにも、入来院とか、二階堂とか、あったように思います。


    [No.7343] :習志野ドイツフェアへ行く 投稿者:   投稿日:2015/10/24(Sat) 14:15
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    紋次郎さん、鮫島とから、伊知地とか、いう苗字は、鹿児島出身の方が、ほとんどです。


    [No.7342] Re: 習志野ドイツフェアへ行く〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/24(Sat) 10:14
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    画像サイズ: 297×410 (67kB)
    発作の起きた方々も、今度の写真をみれば、どんなに激しい発作も、たちどころに止まること必至である。これは、千葉県は船橋市にある『千葉県日独協会』のちらしであった。この会は日独友好を旗印とし、大戦時の独逸人捕虜などの調査研究、ドイツ語の普及など、そのほか、さまざまな活動を行っている。

     あっしも、入会や、ドイツ語の学習を強く勧められたが、なにせこの歳ではと、尻込みするあっしに、われわれも学習者にも、年配のものが多いという説明を受けた。

     船橋、津田沼のご近所の方、ぜひ入会して、日独の友好にご活躍下さい。協会に成り代わって、お願い申し上げます。

     ドイツはいま、移民問題や、VWの不祥事に揺れ動いていますが、腐っても鯛であります。世界に冠たるドイチュラントとの友好は、今後とも欠かすことが出来ないと、あっしは愚考する次第であります。中途半端ではありますが、

     以上をもちまして、習志野ドイツフェア瞥見記を終わります。(完)

     (つけたり)

     なぜ、習志野市の話に船橋市が出てくるか。習志野というのは当時、現在の習志野市、船橋市、八千代市にまたがる広大な地域だったからです。


    [No.7341] Re: 習志野ドイツフェアへ行く〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/24(Sat) 09:44
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    画像サイズ: 327×450 (85kB)
    モリシアビルのステージの脇、写真パネルの陰に隠れて、細長い机が二つほど出ていて、そこに年配のひとが二、三人いた。何だろうと近寄ると、机上に、こんなパンフレットが置いてあった。

     いきなりこんなものを出されれば、ドイツ語アレルギーのものは、途端に烈しい発作を起こすかもしれない。あっしとて、御同様である。


    [No.7340] Re: 習志野ドイツフェアへ行く〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/24(Sat) 09:19
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    画像サイズ: 322×430 (62kB)
    上述したように、この捕虜収容所には(当時は俘虜と云ったが)、各方面の専門家が蝟集し、いわば多士済々の状況であった。

     その一例として、例えばこの絵、千葉の稲毛海岸の漁師の娘と云うことだが、実に上手に描いてある。顔は100年前にしては、すこしモダンな感じもするが、服装など、風俗資料としても立派だと思う。

     一見版画のようにも見えるが、謄写版かも知れない。当時は版画などの道具も手に入りにくかっただろうから。

     収容所の宿舎は、今から見れば、バラックのようなものだったが、意外なことに、東屋(かれらはLaubeと呼んでいた)とか、酒保などもあったという。


    [No.7339] 体験記ありがとうございます 投稿者:GRUE  投稿日:2015/10/23(Fri) 23:37
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    乃木農さん、みなさん、こんばんは、

    当倶楽部の「喫茶室」(会員限定会議室)No50876でも書いたように、このたび情報通信端末としてタブレットとモバイルルーターを購入し、悪戦苦闘しつつもその機能を楽しんでいます。

    感想が遅くて申し訳ありません。

    種々の社会貢献活動でお忙しい中、貴重な経験を丁寧に又具体的に書いて下さって、
    感謝致します。

    この問題は時期にピッタリの話題ですから、関心をお持ちの方も多く、大変お役
    に立つことと推察しています。 最初の乃木農さんと同じく、やってみたいが、
    どう足を踏み出していいか迷っておられる方に、最適なご案内になっていると
    思います。

    上で書きましたが、初めてお聞きするボランタィア活動のことも、新鮮に感じま
    し。えらいですねえ。なかなかできるものではありません。

    そちらのお話しも、時々書いて下さると、励みになります。よろしくお願い申し
    上げます。(来月の期間限定会議室のテーマは「ボランティア」の予定です。)


    [No.7338] Re: 習志野ドイツフェアへ行く〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/23(Fri) 21:47
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    画像サイズ: 510×382 (69kB)
    当時、習志野俘虜収容所にいたハンス・ミリエスは、捕虜だけで男声合唱団や、交響楽団を作り、しばしば同所で演奏会を催した。

     ドイツの音楽学校を出た同氏は、第一次大戦で応召し、中国の青島(チンタオ)で日本軍の捕虜になった。その後上海交響楽団の指揮者兼コンマスをやったこともある。

     ミリエスは習志野にいた間に、作曲も手掛けたが、その頃の資料は長らく所在不明になっていた。ところが、およそ80年後の平成13年、偶然子孫の家で、ミリエス作曲の楽譜が見つかった。

    「閉じておくれ 僕の目を」と云う曲☆で、これは伊地知元子編曲で、鮫島由美子さんが、習志野文化ホールのステージで歌った。これをNHKが取り上げ、全国放送したことから、全国で感動の渦が巻き起こった。

     写真。真ん中の台の上に立っているのがその、ハンス・ミリエスである。演奏者の服装はまちまちだが、中には水兵服を着ているものもある。ところで

     当時、この収容所内には、ヴァイオリンやギターを作る工房まであったという。これも、驚くべきことの一つである。(つづく)

    ☆10月17日「モリシア」センターコートで行われた、ドイツ音楽の調べでは、プログラムによると「第九」やドイツ民謡「別れ」などとともに、ミリエスのこの曲も演奏された模様である。


    [No.7337] 習志野ドイツフェアへ行く〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/10/22(Thu) 23:00
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    画像サイズ: 307×410 (64kB)
     ドイツ人捕虜関係の展示は、自分で見つけました。それはステージのあるモリシア広場の前のモリシアビルの中でした。ここにもやはり、ステージがあり、そこで第九の合唱などがありました。その脇に、第一次大戦時の習志野俘虜収容所の、詳しい様子が、数十枚の写真パネルで展示されていました。

     よくもこんな古い写真が残っていたと、ビックリです。この収容所のドイツ軍兵士の数にも驚きます。説明板によれば、およそ1000人いたという話です。1000人もいれば、いろいろな技能を持った人たちが大勢いたとしても、べつにフシギではありません。

     で、捕虜の中に、ソーセージを作る技術を持った、職人がいることに目を付けた日本の農商務省によって、カール・ヤーン他の兵士が、日本人に作り方を伝授し、さらに同省が講習会などを通じて、普及に努めたので、それが次第に日本全国に広まったとあります。

    それが、今からちょうど100年も前のことだと聞くとまた、ビックリです。

     それで、習志野市では同市を「日本ソーセージ発祥の地」と決め、声高らかに宣言したのであります。

    当市ではさらに、広場の屋台で販売しているソーセージが、当時のレシピで作ったなどと宣伝し、屋台の幟旗にも、でかでかと書く紋だから、これが売れに売れて、本場のソーセージに負けず劣らず、ついに完売したということです。

     
     あっしは専ら、ドイツの屋台のものしか、食べませんでしたが…。(^^♪

     「習志野ソーセージ」の屋台は、習志野青年会議所が取り仕切っていたようです。

     なお、こうした日本国内の収容所には、捕虜を虐待したところもあったでしょうが、同収容所の所長の西郷寅太郎は、西郷隆盛の嫡子で、この人は独逸に留学経験があったので捕虜のことを、非常によく理解していたといいます。


    [No.7336] やさしいおじさま 投稿者:あや  投稿日:2015/10/22(Thu) 18:21
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    連合自治会の広報を作らなければならないので、今日は時間を空けておいた。
    家で今夜の保健活動員会の会議のための資料をパソコンに打ち込んだりした。
    11時30分ころか自治会館へ行き、昨日ソフトに入れた広報の修正をした。
    13時ころに一応終わった。

    そのあと家でやることもあったが、昨日で会った知合いの女性が、区が発行した
    「ウォーキングマップ」が欲しいと言ったので、「持っているからあげます」
    と言った。いつでもいいと言われたが、時間が少しあるので届けることにした。

    町は違うが、隣りと近かったので会館の帰りに出かけた。一昨年文化祭のお茶部
    会を手伝ってくださったのだ。そんなことで、そのころ届けものをしたことがあ
    る。それだけのことで、家がどこだったか住所を頼りに行くしかなかった。

    わが町の突きあたりを右に曲がって、更に右に曲がったら、2624番地となっ
    ていた。その先へ行くと2628番地とかになっていたので、道を渡ってみたら
    区が違っていた。こんな細い路地で区が違うなんて住んでいる人は大変だろうな
    と思ったりした。

    人家も少なく、人はまったく歩いていない、そんな地域なのだ。うろうろと何度
    も行ったり来たりしてしまった。そこへおじいさまが通りかかったので幸いとば
    かりにお聞きしたら、
    「すぐそこが家だ、おいで」と言う。
    「申し訳ないので探します」と言っても、
    「大丈夫だよ、地図もあるから」と言ってくださった。ドアを開けて、
    「おーい、地図があっただろう。・・・・・」出てきた奥さんと話しながら、
    「かまわない、入れ、入れ」と玄関に入れてくださった。いろいろ地図を調べて
    くれたりして、なんとかわかった。一緒に行ってくれそうになったので、私は断
    り家を出た。

    なんと反対側に下ると、すぐ以前曲ったところの運輸会社が出てきた。そこから
    斜めに入ってすぐだったのだ。最初に突きあたって左に曲ればよかったのに、右
    に曲ったばかりにおかしなことになったのだ。

    ノックすると一度お会いしたことのあるご主人が出ていらした。ご主人はもちろ
    ん私の顔など覚えていない。私だって他で出会ったらわからないだろう。奥さま
    は留守だったので、置いて来たがそれはそれは柔和な顔を持った方なのだ。一昨
    年は庭で餅を搗いていらしたが、持って行くようにとくださったのだ。

    10歩も歩いただろうか、オートバイに乗ったおじいさまがやって来て、
    「わかったの」とにこにこの顔で言う声と共にバイクを止めた。声がなければわ
    からなかった。
    「わかりました。ありがとうございました。お出かけですか」と言うと、
    「いやぁ、わからなかったら困ると思って来て見たんだ。よかった」と言ってく
    ださった。なんとも驚きであった。歩いて来たのでは間にあわないと思ったのだ
    ろうか。この優しさはなんだろうと感激してしまった。
    「ありがとうございます。心配おかけしてすみません」と言ったりしたが帰って
    行かれた。

    私は家に戻り、おせんべいを一袋、私が作った手芸用品を持ち、再度その方の家
    に向った。奥さまと共に玄関へ出てきてくださったが、私が並べた物ににこやか
    な眼差しで、
    「こんなことしちゃだめだよ。当たり前のことをしただけだから」と。
    「こんなに親切にしていただいてうれしかったです。このようなことはなかなか
    できません」など言うと、奥さまは、
    「当り前のことをしただけですよ」とおっしゃってくださった。
    「どこに住んでいらっしゃるの」と聞かれたが、
    「隣りの竹山です」と答えただけに留まった。

    なんとも気持がよく、うれしかった。道々心がふわふわと弾んでいた。私の足も
    弾んでちょっと小幅なかけ足で下ったり、上ったりして家に戻って来た。

                            2015-10-21


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