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  • [No.7802] Re: スタイルズ荘の怪死事件 投稿者:男爵  投稿日:2017/02/18(Sat) 15:17
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    夏子さん、こんにちは。

    > > 女流推理小説作家アガサ・クリスティの作品を読むと
    > > いつも、どうしてこうなるのという印象だった。
    > >
    > > 作者の勝手な筋書き、意外な結末という印象だった。(読者には事前に知らされていない犯罪者の過去とか秘密とか)(つまりアンフェア)

    > まったく同感です(^o^)/ それゆえに好きではありません。
    > 最初に読んだアガサ作品は「アクロイド殺害事件」でした。あまりにアンフェアで、
    > 詐欺にあったようで、以来、面白いと思って読んだことはないような・・・
    > と言うより、ほとんど読んでいないかもしれません。

    私だけかと思ったら、夏子さんもそうでしたか。
     安心しました。 (^^)

    「アクロイド殺害事件」は江戸川乱歩たちが感心して、そうかこういう書き方もあるのかと勉強になったみたいです。
    横溝正史もその影響を受けた作品を書いていますね。
     「アクロイド殺害事件」はプロ受けのする作品?

    > > 日本の山村美紗もなかなか健闘していたのだと思う。
    > >
    > > アガサ・クリスティのアンフェアな書き方に対して、山村美紗も同様な印象だが


    > 山村美紗原作ドラマ、あんまり好きでないのは、男爵さんのおっしゃるように、
    > アガサの作品と似ているということだったような気もします。本は読んだことなし。
    >
    > でも、娘さんの山村紅葉さんは、なかなか好感のもてるお人柄のように思います。
    > お母さん原作のドラマでは、必ずと言うほど脇役で出演されてますね。これも七光り?

    あれは母親の山村美紗が、原作をテレビドラマ化するときの条件に提案したようです。

    山村紅葉は大学を出て国家公務員になったのに
    母親の願いで女優の道へ。

    山村紅葉が出ているとなんとなく安心しますね。

    大村崑の出ている葬儀屋シリーズも見ていて楽しいものでした。
      赤い霊柩車シリーズ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9C%8A%E6%9F%A9%E8%BB%8A%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA


    ところで
    この書き込みは、超 古〜いパソコンからです。
    キーボードが壊れて、夏子さんの書き込みから得た知識で
    外付けキーボードを使っての書き込みでした。


    [No.7801] Re: スタイルズ荘の怪死事件 投稿者:夏子  投稿日:2017/02/18(Sat) 14:38
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    男爵さん、こんにちは。

    > 1920年に発表されたアガサ・クリスティの最初の長編推理小説
    > 名探偵エルキュール・ポアロの初登場の作品です。
    >     ポアロは、第一次世界大戦でベルギーからイギリスに亡命した難民だった。
    >  
    > もちろん相棒のヘイスティングズも活躍する。

    男爵さんは、アガサ・クリスティのファンでいらっしゃるのかと読み始めました(^^ゞ
    私はファンではありません。

    > 女流推理小説作家アガサ・クリスティの作品を読むと
    > いつも、どうしてこうなるのという印象だった。
    >
    > 作者の勝手な筋書き、意外な結末という印象だった。(読者には事前に知らされていない犯罪者の過去とか秘密とか)(つまりアンフェア)

    まったく同感です(^o^)/ それゆえに好きではありません。
    最初に読んだアガサ作品は「アクロイド殺害事件」でした。あまりにアンフェアで、
    詐欺にあったようで、以来、面白いと思って読んだことはないような・・・
    と言うより、ほとんど読んでいないかもしれません。

    映画やテレビドラマを見ているので、読んだ気がしているだけかも。

    > 日本の山村美紗もなかなか健闘していたのだと思う。
    >
    > アガサ・クリスティのアンフェアな書き方に対して、山村美紗も同様な印象だが
    > まだトリックとか、犯人当てのときの説明が合理的な面がある。

    推理小説をよくお読みなんですね。夫が好きで、図書館から夫のために推理小説ばかり
    借りてきたので、私もよく読んでいました。

    山村美紗原作ドラマ、あんまり好きでないのは、男爵さんのおっしゃるように、
    アガサの作品と似ているということだったような気もします。本は読んだことなし。

    でも、娘さんの山村紅葉さんは、なかなか好感のもてるお人柄のように思います。
    お母さん原作のドラマでは、必ずと言うほど脇役で出演されてますね。これも七光り?
    夏子


    [No.7800] スタイルズ荘の怪死事件 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/17(Fri) 19:32
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    『スタイルズ荘の怪死事件』(原題:The Mysterious Affair at Styles)
    https://www.amazon.co.jp/dp/406148608X/ref=olp_product_details?_encoding=UTF8&me=


    1920年に発表されたアガサ・クリスティの最初の長編推理小説
    名探偵エルキュール・ポアロの初登場の作品です。
      ポアロは、第一次世界大戦でベルギーからイギリスに亡命した難民だった。
     
    もちろん相棒のヘイスティングズも活躍する。

    なんと
    作者のポアロシリーズ最後の作品
    『カーテン』(ポアロ最後の事件)の舞台もスタイルズ荘である。
      とうぜん持ち主は第一作のときと変わっている。


    作者はポアロを書くのがだんだん困難になって
    登場させなくなった。 
     (あのシャーロックホームズもやはり作者が扱いにくくなり書きたがらなくなったのと似ている)

    あまり特徴のある探偵を書くと、作品の構成において制約がありすぎて、自由に書けなくなるのだろう。

    『カーテン』(ポアロ最後の事件)は作者の死ぬ前に書かれていて
    いよいよ最後に発表するつもりだったという。
     その作品の印税は彼女を支えてくれた夫や最愛の娘にプレゼントするつもりだった。

    女流推理小説作家アガサ・クリスティの作品を読むと
    いつも、どうしてこうなるのという印象だった。

    作者の勝手な筋書き、意外な結末という印象だった。(読者には事前に知らされていない犯罪者の過去とか秘密とか)(つまりアンフェア)

    でも、しようがないのだろう。

    そんな中で
    『オリエント急行の殺人』(1934年)と『そして誰もいなくなった』(1939年)だけは
    あっぱれという作品だと思う。

    こうしてみると
    日本の山村美紗もなかなか健闘していたのだと思う。

    アガサ・クリスティのアンフェアな書き方に対して、山村美紗も同様な印象だが
    まだトリックとか、犯人当てのときの説明が合理的な面がある。

    山村美紗を見直した。 というとアガサ・クリスティのファンから叱られそうだが。


    [No.7799] 三四郎を読む 投稿者:KANCHAN  投稿日:2017/02/14(Tue) 17:26
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     夏目漱石の「三四郎」は、明治41年(1908年)に朝日新聞に連載された。主人公たる小川三四郎が、熊本の高等学校を卒業して、東京帝大に入るために汽車で上京するところから物語は始まる。私は作品の中に日露戦争がどう扱われているのか興味があったのであるが、車中である老人が、戦争未亡人と思われる女性に「自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。一体戦争は何のためにするのかわからない。大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿げたものはない」と言わせているのみで、人道主義とか、国家主義とか言った言葉は出てこない。まあ、当時の日本人は純朴?であったのかもしれない。

     ただ面白いのは、車中で偶然会った広田先生という御仁が「いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。富士山よりほかに自慢するものがない」と言って、三四郎が「日本はこれから段々発展するでしょう」と言うと、一言「亡びるね」と言わせている。

     その後の日本にどういう選択があったかについて、いろいろなことが言われているが、結果は漱石が言ったとおりになってしまった。

     社会から一歩引いた文人の感想で、これをもって漱石が偉いというのは必ずしも当たらないと思うが、ただ、私はちょっと吃驚したものだ。

     そもそも私が漱石を読み始めたのは、100年前の日本の文化・文明の様子が今と比較して面白いから、いうことだけである。

     しかし、「吾輩は猫である」にもすごいことが書いてあった。未来学を奉じる登場人物の一人が「今や個性発展の時代であり、その結果みんな神経衰弱を起こしている。人と人とはお互い肩ひじを張りあわねば済まない。夫婦についていうと、夫の思い通りになる妻は妻じゃない人形だ。賢夫人になればなるほど個性はすごいほど発達する。発達すればするほど夫と衝突する。ここにおいて夫婦雑居はお互いの損だということになる。やがて、天下の夫婦はきっとわかれる」という。文明開化40年で漱石はこんな議論していた。

     なにか心当たりがないわけではない。しかし、漱石の描く女性は結構魅力的だ。「草枕」の出戻りの「志保田の娘さん」は謎の女性で、風呂場の湯煙の中に全裸で立ち、「三四郎」の美禰子はヘリオトロープの香を漂わせて三四郎にもたれかかりながら「ストレイ・シープ(迷子)」とささやく。

    (写真は秋の三四郎池    2017.2.11)


    [No.7798] お茶の会・新年会 投稿者:あや  投稿日:2017/02/11(Sat) 18:22
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     お茶の会の新年会とお初釜が障害者施設で行われた。11月の文化祭の手伝いをしたことで、時間があったら参加してほしいとの要請で向かったのだ。最近は会員として席を置いていないで、文化祭の手伝い位しかしていないのだ。

     夫の入退院のことが重なり、みなさんにお土産もない。そんなことで、早めに着いた駅の菓子店で小袋のコーヒーゼリー買った。人数も定かでなく15個にした。100円のものだった。

     11時30分から始まったがすばらしいお弁当だった。青山御膳・六歌仙と書かれて、裏には、宮内庁御用達の店 青山と書かれていた。
     弁当の容器もすてきで大きく、中は6個に仕切られ、それぞれ器が入って料理が並んでいた。
     帰って来てパソコンで調べたら単価は3240−と出た。会費は通常の1500円でよかった。聞かずにいたが、会からの負担があったのかどうか。その他にスープを紙コップに作ってくれ、温かいお茶が用意された。

     先生の挨拶の後、自己紹介をし、先生が持ってきてくださった物5個を福引き形式にして、皆で引き合ったが私は外れた。お初釜の折りに当たった人からお点前をやることになったのだ。
     50代くらいか、グループホームに住んでいる、Kさん喜んでくれて、私にべったりの状態だった。隣へ座り、
    「今度○○○へ遊びに来て どこかへ遊びに行きたい」と言ってくれたのはうれしかった。
    「わかったわ、今度また遊びに行きましょう。○○○へも行くわ」など話しあった。以前は何回か遊んで歩いたのだ。うれしそうでよかった。和服も着せてあげた。

     欠席者がいて、お弁当1個余ったので、「会費を払ってもらっていくわ」と私は言った。夫の夕飯にと思ったのだ。最終的にはお金はわたさず、戴いてきてしまった。

     最近入った男性は右手が使えず、左だけだったが、趣味で焼き物をしていると言うことで、湯のみ茶わんを人数分焼いてきて下さったのだ。黒に少し柄のあるすてきなものだった。その湯のみで、お茶を入れて頂いたのだった。

     お初釜が始まり、「特」のくじを引いた障害を持つKさんもお点前をやった。やはり障害を持つ中学生の女子は明るく、お運びをやっていた。目が見えない年配の女性も先生に指導されながらお点前をなさった。時間ができたらまた会員として参加したいと思っているが、そうでなくとも来れる時にいらしてと、4月までの日程を教えてくださったのはうれしく、感謝だった。
     
     今日のことで、朝のことが思い出された。バスの中のドア近くの敬老席に障害の女性が座っていた。乗って行くと私の顔をしみじみと見る。私もお会いしたことがある人のように思え、お茶の会に参加している人かとも思ってしまい、手を挙げてしまったのだ。近づいて挨拶しようとしたら、そばのヘルパーさんらしい女性が、
     「Sさん、しばらくですね」と声をかけてきたのでびっくり。見たことがある人にも思えた。「△△△には」などの言葉が出て思い出した。△△△は障害者の住むグループホームだったのだ。ヘルパーで来ていらした方だったのだ。名前が思い出せず、失礼にあたってしまうので、下げていた名札をちらちら見てしまった。Aさんだった。
     その障害を持つ方はお茶の会のではなく、ときどきバス中や道で出会い、ちょっと話しかけをする女性だったと思い出した。最近は稽古に参加していないお茶の会と重なってしまい、おかしなことになった私。認知症かとも思ってしまった。2人は関内へ遊びに行くと言った。

    「障害を持つ方たちと朝から夕方までの長い時間、親しくおつきあいができて、よかった。うれしかった」と思った帰りのバスの中で涙が滲み、頬を伝って流れたのだった。


    [No.7797] 夫の退院・夢 投稿者:あや  投稿日:2017/02/11(Sat) 18:15
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     透析器がおかしくなったため、病院へ行ったら即入院となり、翌日の1月20日に入院した夫。検査の結果、体には何事もないということで、今日28日退院となった。もちろん透析は家で続けるのだ。

     土曜日のことでバスの時刻が平日と違っているため、3回も乗り換えるのに1時間くらいも無駄があった。1回目のバス乗り換えで、39に乗るバスを、なにを感違いしたのか36に乗ってしまった。どちらも横浜へ向かうバスなので、間違えてしまったのか、乗って気づき、二つ目で降り走って戻った。やって来たバスに乗り、椅子に座って、議案書などチェッし、直したりした。

     2回目の乗り換えで30分位待ち時間があったが、まだ時間が早いため店は開いておらずで、バスの一つ前の停留所に向って歩いた。そこは広い広い公園の前で、公園には子ども達15人位が走ったり、体操みたいな動きをしていた。反対の隅を見ると年配者たちか、ゲートボールというのか、ゴルフの姿が木の間から見え隠れした。その更に奥ではブランコやすべり台で遊んでいる親子の姿があった。

     こんな冬の公園、しかもまだ10時にはなっていない。家の近くに公園はたくさんあるが、こんなことは見たことがない。そんなことでうれしくなり歩き回った。
     この公園は以前住んでいた近くでもあり、倶楽部の理事をしていた時に何回か「まつり」を計画し、実践したこともあるのだ。
     パンジー、すみれ、木々が茂ってすばらしい公園なのだった。思い出にふけりながらバスを待った。

     やってきたバスに乗り、病院の前で降りたが、降りると病院の庭に夫の姿があった。声をかけると、「バスが来るだろう、乗っているかどうかと見ていた」と言う。
     まだ病室にいて、私を待っていると思ったのに、驚いてしまった。バス停にカバンが置いてあった。
    「全部、入れてきたの。忘れものはないの。まだ病室にいるかと思ったのに」以前は病室へ行き、荷物を片付けたものだった。

     帰りのバスに乗ったら、
    「一昨日、夢を見た。うしろの窓が割れるような音がしたので、向くと、ハンマーを握った男がいたのだ。「このやろう」と大きな声で叫んで、ハンマーを持つ手を左手で押さえ、がつんと2発顔面を拳骨で叩いた。そこで目が覚めた。見るとベッドの柵を掴んでいた。男の顔を叩いたつもりがベッドの柵を叩いたのだろう。右手を見ると青あざが出来ていた。痛い」と見せた。
     見ると、かなり膨らんだ大きなあざがあってびっくり。触ると、
    「痛いよー」と手を引っ込める。
    「俺も捨てたものじゃない。普通なら逃げるとかするだろう。今でも男の顔は覚えている。目玉が大きく白黒になっていた。」
    「ナースセンターまで俺の声が聞えたと言うが、回りの人たちはどう思ったのか、びっくりしただろうと思うがわからない」と言う。

     病室が3つ位向こうの、ナースセンターの職員もその時は来なかったらしい。朝、夫に言ったようだ。病院ということで、夢でも見て叫び声をあげたくらいにしか思わないのか。夫はナースセンターまで聞えたと言うことで、入院患者達に迷惑をかけたかもしれないと言っていた。

     なぜ、そのような夢を見たのかわからないが、夫の最後の言葉は、
    「あや、お前も気をつけろ。寝ている時にお前を殴るかも知れない、離れて寝ろ」だった。


    [No.7796] 今年は猫年? 投稿者:KANCHAN  投稿日:2017/01/16(Mon) 22:47
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    画像サイズ: 390×453 (82kB)

     頂いた年賀状のなかに、かわいい猫の写真のあるものが何枚かあった。今年の干支は猫か?そういえば夏目漱石の世に出るきっかけとなったのは雑誌「ほととぎす」に載った「吾輩は猫である」であった。

     実は昨年暮れから夏目漱石関連のテレビ番組が3本続いた。その中の一つ「夏目漱石の妻」は面白かった。私は漱石の妻は悪妻だとばかり思い込んでいた。結婚3年目に極度の神経症に陥り、自殺を企てたという話に影響されたのかもしれない。このドラマでは、我儘な漱石を支えた出来物な妻として描かれていた。尾野真千子が好演していた。

     実は私は、桐生支店に単身赴任をしていた時、一人生活の長い夜のつれづれに(笑)当時出た新版漱石全集を買って来て、ぼつぼつ読んでいたことがある。私はまた読み直そうかと思い始めている。

     上に触れた3本の漱石関連番組の一つでは、東大名誉教授の姜尚中(カンサンジュン)氏が、漱石が廻ったという満州、朝鮮をあとづける旅を取り上げていた。203高地から旅順港を望み、さらにソウルでは日本人に暗殺された閔妃(ミンビ)の墓を訪ずれていた。

     そういえば漱石は1867年生まれで、日清戦争の勃発時(1894)は27歳、「吾輩は猫である」が発表されたのは、日露戦争が終わった直後のことであった(1905)。そんな時代背景を踏まえながら漱石を読むのもいいのではないかと思ったのである。

     「吾輩は猫である」から取り掛かったところである。これまでのところ全く漫談である。(結構読みずらいし、時間がかかる)

     苦沙弥(クシャミ)先生が部屋の日向に横になって物思いにふけっている。目の前に奥さんの尻がある。背中に垂れた黒髪を下から辿ってゆくと、後頭部に行き着く。なんとそこには直径3センチほどの禿があるではないか。さて、この禿は結婚前からあったのかどうかで言い争いが始まる。

     奥さんは平然としたものである。前からともあとからできたとも言わない。日本髪を結うと、そこが引っ張られて毛が抜けやすいのですとすましている。

     猫は、ネズミをしとめようと、いくつかあるネズミの出入り口で待ち伏せをしたい。そこで、東郷大将の苦悩を理解するのである。バルチック艦隊は対馬海峡か、はたまた津軽海峡かと・・・。

    --------------------------------------
    写真は孫が飼い始めた猫(ヒナ)である。 (2014.1.14)


    [No.7795] Re: 『今年の初詣では、ここ!』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/01/16(Mon) 21:57
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      あやさん、みなさん、こんばんは。

    > > あっしの初詣ではここになりやした。あっしにとっての初詣では、美術館詣でと同義です。午前中はいろいろ用事があり、午後久しぶりに上京し、国立西洋美術館へ。

    > さすがの紋さん、初詣まで変わっているというか? すばらしい!

    ま、東京でも、上野はわりと近いというか、K電鉄の終点でもあるし、乗り換えもいらなくて、行きやすいから、なんすよね。

    > 今年は風邪引きさんがいて初詣どころではありませんでした。

     そりゃあ大変ですね、正月から風邪引きさんのお世話をするなんて。でもあやさんは、いつもお元気で、ほんとうに素晴らしいですね。

    > でも、風邪引きさんを寝かせておいて、知人宅での元旦のお酒、大きな大きなカニは
    > おいしかったです。

     あっしのほうは、いつもとは違って、元日だけは子供や孫たちが押しかけ、久しぶりに、にぎやか一日が過ごせました。そのうえ、珍客が。

     いったい誰だと思いますか?じつはマーチャンが、はるばる湘南から来てくれたのです。こんな、小野田少尉の潜んでいたルバング島のようなところへ、わざわざ来てくれるひとは、親族やなにかを除いたら、ほんと、滅多にいませんからねえ。

    > >  ルーカス・クラナッハ。ぜひ観たかったが、去年は出来なかった。なにしろオーストリア、ドイツ、ハンガリー、オランダ、フランス、イタリア、アメリカ、スペイン、日本、さらに台湾からも作品が集まり、その数およそ90点。

    > 昔はどのくらい美術館を歩いたか、今はまったく行きません。

     うっへえ、よっぽどの美術ファンなんすねえ、あやさんというひとは。自分で覚えてないほど見て歩いたんですか。それじゃあ、この方面でも、あやさんは、あっしの大先輩だ。(@_@;)

    > >  あっしは、何時間もクラーナッハ漬けになっていたので、帰りは、上野の山のイルミネ―ション見物をしてから電車に乗った。


    > すばらしい写真の数々、文章の部屋で観られるとは?

     すばらしいなんて、と、飛〜んでもありませんよ。


    [No.7794] Re: 天城越え 投稿者:男爵   投稿日:2017/01/16(Mon) 16:10
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    あやさん

    > > 「伊豆の踊子」の主人公の一高生は、修善寺温泉に泊まり、湯ヶ島温泉に泊まり、それから天城を登る。
    > > これに対して「天城越え」の十六歳の少年は、(反対方向に)下田から家出をして天城峠を歩いて、湯ヶ島、修善寺に出る。
    > >
    >
    > なつかしい! なつかしい! の思いがでるばかりです。
    > 私もこの両方からよく歩いたものです。
    >
    > いまはため息が出るばかり! もう一度と思ってもお金がなく、時間がなくいますもの。

    歩くことにかけては
    あやさんは今も坂道もなんのその
    毎日いっぱい歩いているから感心します。

    小樽、函館、神戸、横浜と港町は坂が多いですね。


    [No.7793] 1月7日またも歩いた 投稿者:あや  投稿日:2017/01/16(Mon) 14:47
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    2時にトイレに行った。眠れず6時までベッドに横になっていた。鼻水が出る、喉が痛い感じがした。
    そんなことでか朝食が食べられなかった。でも役所の賀詞交換会に出かけねばならず何か少しでも食べておかねばと8枚切れの食パンを1枚食べた。

    11時22分のバスに乗ると賀詞交換へ行く人たちが6名乗っていた。12時30分に始まり14時に終了したが、体はなんともなくなっていて我ながら驚いてしまった。よく食べ、よく呑んだものと感心さえしてしまった。

    家の方へ帰る参加者たちはみんなばらばらに帰ることになった。そんなことで私は手芸用品が欲しかったので、みんなと別れて、その町のショップを歩いたが売っていなかった。バスで隣り町へ行こうと乗ったが、なぜか乗った停留所の名が聞えてびっくり。パズルなどやってしまっていて気がつかず、元へ戻ってしまったのだ。循環バスと書かれてあった。

    「○○へは行きますか」と運転手さんに聞くと、「行きますよ」だったので、そのまま乗っていた。ふた回りしたことになる。35分も同じバスに乗っていたことになった。

    ○○へ着き、3軒のショップを歩いたがなかった。なぜか3日のことを思い出していた。そこで、もう一つ思い出したのが、駅に近い文房具屋だった。前に買ったような気がしたのだ。
    行って見た。店を探したがない。店員に聞くと「探してみます」と言って探してくれたがなかなか見つからない。「どこかしら、どこかしら」など言っていた。やがて探してくれた。よかったであった。3日の日と同様で、こんなに歩かなくても、最初からよく考えてみれば一番の近場にあったのだ。

    15時14分のバスに乗り、家には16時10分戻る。乗り物に乗ったりしたが、賀詞交換会が終ったあと2時間位歩き回ったのだ。歩数は6000歩くらいだった。

    今年はこのように歩きまわる年になるのかな? なんて思いながら、夜の餅つき大会の実行委員会に参加した。


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