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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7366] 『かかわり本』番外編 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/14(Sat) 12:49
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    徳川夢声と云えば、吉川英治の「宮本武蔵」の朗読で名高い。この人がまさか、隣の街に住んでいようとは、あっしも思わなかった。吉川英治の「武蔵」が全国を制覇したのには、夢声の功績が顕著であるというひともある。。

     大場通り。きのうは、小学校のクラスメートのK君に電話してみたら、さいわい家にいた。そこで、しばらく懐旧談に花を咲かせたが、井伏さんが大場(ダイバ)通りのことを「敗戦後、早稲田通りと変わり、次は日大通りとなって」と書いているのを確認すると、そんなことはない。今でも、自分たちは相変わらず、大場通りと呼んでいるというので、井伏さんのいた荻窪あたりでは、そう変わったのかも知れないが、それは一部の話で、現に住んでいるK君の住む阿佐ヶ谷では、いまだに、昔の名で呼んでいることが分かった。また、

     井伏さんは、骨董趣味のことをよく書くが、骨董に関しては、いまは西荻窪の方が阿佐ヶ谷や荻窪より盛んな気がする。西荻など、歩いてみると、事実骨董屋が多いし、骨董祭りなども定期的に催している。

     しかし、当時は青柳さんだけでなく、蔵原伸二郎だの、光成信男、著者の井伏さんなんかも釣られて、骨董品を見て歩いたらしい。ただ、骨董屋の場所、名前なぞが書いてないのは残念だ。はなし変わるが、

     子供の頃の便所は汲み取り式で、オワイ屋さんという人たちが、各戸を回って便所の汲み取りをしていた。肥え桶一杯を一荷と呼び、きょうは多かったので、2荷分頂きますとか云われて、代金を払っていたような気がする。その時、桶に宇田川とか筆字で書いてあった。

     井伏さんの「風土記」では、人糞の入った木製の肥え桶の話は出て来るが、それらを載せた大八車を押す「立ちん坊」の賃料のことしか出ていない。大八車にはその後、改良が加えられ立ちん坊の手を借りなくても、険しい坂を上がれるようになったとか。

     巻頭に、長谷川弥次郎という古老が出て来る。著者はこの人が「敗戦の年まで天沼の地主宇田川さんの小作であった」と書いている。またその先にも、「宇田川の荻窪田圃で麦を作り」と云うのが出て来る。この宇田川さんという人が恐らく、汲み取り人などを取り仕切っていたのではないだろうか。K君もたしか、そうだろうと云って、相槌を打っていた。


     関東大震災。この実見記は非常に貴重だ。「阿佐ヶ谷駅はホームが崩れて駅舎が潰れていた。」そんな話は一度も親父から聞いたことがなかった。荻窪駅は、大して被害がなかったようだ。当日の未明には土砂降りの雨が降ったことを記している。井伏さんは、後日の記録にある「この日は空が抜けるほど青く、蒸し暑い朝」だったという記事に異議を唱えている。この時の「雨脚の太さはステッキほどの太さがあるかというようで」といってあるので、余程強い雨だったのだろう。又たとえに「南洋で降るスコール」を挙げている。また、


     また、おっかない女、神近市子さんのはなしも面白い。市子はもと、社会主義者の大杉栄の愛人だったが、大杉が心変わりをして、神近から伊藤野枝を愛し始めたことから、激高して大杉を刺し、2年間ブタ箱生活を送る。いわゆる、日蔭茶屋事件である。

     文藝春秋社の出していた「文藝手帳」に左翼の闘士、神近女史の住所が鱒二と同じに記載されていたことから、警察が井伏さんに疑惑の目を向け始めた。もともとは、女史が出鱈目の住所を届けたことが原因で、無実の井伏さんは、二度までも警察に尋問され、大迷惑を蒙った。

     そのやり取りが、仔細に記録されている。一回目は「あなたと神近さんとは、どういう御関係ですか」に始まって、「住所が、下井草一八一〇番と言われるのは、どういうわけでしょうか」、「市子さんは、かつてお宅に下宿されていたことがありますか」「あなたか、またはあなたの友人が、神近市子さんと個人的にお知合いですか」

     二回目は「お宅に寄寓されていたことがありますか」「お宅の御主人が、神近市子さんのお宅に寄寓されていたことがありますか」「お宅のご主人が、神近市子さんのお宅に寄寓されていたことがありますか」「では、お宅のご主人のお父さんが、神近市子さんと同棲されていたことがありますか」「お宅の御主人は、かつて神近さんと同棲されていたことがありますか」うっせい、いつまでやってんだ、この野郎。とでも、怒鳴りたくなるしつこさ。二回目は井伏さんの夫人への尋問であった。

     神近市子はおっかないので、世間から、『噛み付き市子』とあだ名されていたらしいが、飛んだ迷惑人間である。さて、

     大地主では玉野さんと云うのもいた。とは、K君の発言で、これは井伏さんの「風土記」にも出ていて、完全に符合する。ここで興味深いのは、旧幕時代の話。このあたりで領主をしていた今川氏が当時『窓税』なるものを課していたらしい。なかなか、強かである。領民は堪らず、窓を塗りつぶして対抗した。ところが、先方はさらにうわ手で、今度は『窓塞ぎ税』をひねり出したという。こうなると、領民も、もう打つ手がない。

     「風土記」での、二・二六事件の記述を読むと、証言が錯綜して、デマの発生する舞台が見事に活写されている。


    [No.7364] あっしには大いに『かかわりのあった』本〜6 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/12(Thu) 13:26
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     「風土記」は何度読んでも、その都度、懐かしさの込み上げて来る本だ。あっしらが毎日何気なくその前を通って小学校に通っていた『天祖神社』の名前が出て来ると、たちまち境内で行われた縁日の夜の賑わいが、はっきりと、わが耳に聴こえてくるのだ。また、

     『ラッパの森』ということばに出会うと、軍事訓練が終わって、嚠喨たるラッパの音が,辺り一面に鳴り響き、この森でしばし休憩を取る習慣のあった、若い兵隊さん達の軍服姿が、ありありとあっしには、見えて来るのだ。「小休止っ!」という、上官の張りのある声とともに。

     肝心の阿佐ヶ谷と云う地名。これは、この地に勢力を張っていた阿佐ヶ谷氏に因むものだそうだ。

     また、この地は日本武尊が、休息を取られた地でもあり、江戸時代には神明宮と呼ばれた。あっしらには、当時の通称、天祖神社の方が一層懐かしく思われるが、現在ではさらに古い江戸時代の「神明宮」という呼称に戻されているようだ。それから、この近くに、作家の横光利一さんが住まっていたというのも、あっしは知らなかった。

     また、世界的な版画家であった棟方志功が、20年以上も荻窪に住んでいたのに、井伏さんの本には、全然出てこないのは非常に残念だ。というのは、井伏さんは絵を描くのが好きで、早稲田の学生の頃から画塾に通ったりしている。また、荻窪でも、ちいさな美術サークルへ入り、「風土記」を読むと、静物だけでなく、裸婦のデッサンまでやっていたことが、記されているからだ。それから、

     楽屋話ではないが、青柳瑞穂さんの骨董に対する態度もくわしく述べられていて実に面白い。阿佐ヶ谷文士村は、総じて仲良しクラブと云ってよいようだが、青柳さんと田畑さんが一時不和になり、外村さんが心配して、いろいろやったらしいが、到頭修復には成功しなかったとか。本人は真剣でも、これは趣味の問題なので、青柳さんが、やたらと腹を立てるのも大人げない気もする。とにかく、青柳さんは怒り心頭に発して、田畑さんの小説にまで、ケチをつけたという。

     「向こう三軒両隣」などでも有名な伊馬春部が、今の天沼三丁目辺りが舞台の「桐の木横丁」を新宿のムーラン・ルージュで上演して、大成功を収めたことも書いている。当時、新開地の荻窪あたりでは、家主が貸家に、一株ずつ桐の木を植えたとあるが、あっしは、阿佐ヶ谷駅付近でも、桐の木が何本か、植わっていたように記憶している。

      いま、杉並区のHPを見ると、阿佐ヶ谷に『阿佐谷図書館』というのがあり、そこに『阿佐谷文士村コーナー』というものがあるらしい。もし何かの用事で、阿佐ヶ谷にでも行く機会があれば、ちょこっとそこへ、寄ってみたいような気もする。図書館の場所は、むかし「第九」と略称していた、杉並第九小学校の近くらしい。このコーナーをうろちょろしていれば、なにか又、小さな発見があるかも知れない。  (おわり)


     (つけたり)著者の井伏さんが『平野屋酒店』という項に書いている、荻窪の「東信閣」について。

     井伏さんは、荻窪に、自分の家を新築することに決め、それが出来上がるまで平野屋という酒屋に、一時下宿することにした。じつはこの建築で、ひと騒動あるのだが、ここでは、それは省略する。著者は、当時の荻窪の地理的状況を説明する。名前は書いていないが、ある原っぱを造成して、立派な邸宅の出来た話が、そこに出て来る。その邸宅こそ、何を隠そう。大政翼賛会副総裁、のちに内務大臣にまでなった、畏れ多くも(^_-)-☆、安藤紀三郎の住まいであった。なぜ、こんなことを書くかと云えば、ここは「現在、東信閣という三階建てのビルになって」という箇所を読んで、パッと閃いたことがあったからだ。

     実は、平成17年5月、あっしらは、荻窪の、名前も同じ「東信閣」というところで(杉並第一)小学校昭和18年卒業組の、同窓会をやったのを思い出したからである。で、当時の自作ヴィデオを取りだしてみると、まず間違いなく同じ建物らしい。幹事のK君にも、すでに確認済みである。

     我ながら、コロンブスのアメリカ発見以来の大発見だと、ひそかに鼻を高くしている。(^O^)


    [No.7363] Re: 2歳と102歳 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/12(Thu) 09:34
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      あやさん、おはよさんで〜す。(^^♪

    > 忘れるわけないでしょう<(_ _)> 朝に晩にという具合に思い出しておりまっせ!

     わあああああ、「朝に夕に」とは、たとえこれが嘘にしても、まず人間として、これ以上の幸せは、ムリですね。

    > ここ10日ほどめちゃくちゃの忙しさで、メロウをあまり読むヒマもありませなんだ。
    > 中に入っては、紋ちゃんの頑張りに圧倒されているけど、返信する間もないのです。

     相変わらず、超人的なご活躍、スゴすぎて返すことばが、出て来ません。(@_@;)

    > >  あやさんの「102歳」につられて、ひょこひょこ出て来ました。

    > ありがとう! お読みいただけただけてうれしいです。

    > >  じつは、数日前、友人から喪中はがきが来ました。それを一目みたあっしは、ビックリ仰天してもう少しで、卒倒しそうになりました。「喪中につき」まではいいのですが、その後に、「母 ○○鶴子が七月二十一日に百七歳で永眠いたしました」とあったのです。

    > >  その鶴子さんの長寿はうすうすは知っていましたが、まさか百を過ぎて七年も生きたとは!こ、こりゃあ、人間と云うより、ば、ばけ紋だ、と思いました。

    > > > 自分の年齢と考えあわせ、この102歳の方のようにいかなくとも、今しばらく
    > > > 健康で暮らしたい、暮らせることを願った。

    > すばらしいですね。私も紋ちゃんと同じに、今しばらくと願っています。
    > 家の中を片づけないといけないのです。

    > >  みんな、一丸となり、お互いに励ましあいながら、ぐあんばりませうね。

    > ハーイ! ぐあんばりますので、後押ししてくださいね(-_-)

     よいしょ、よいしょ。ところで、よいしょのいちばん上手なのはやはり、高座へ上がる噺家さんでしょうね。あっ、こりゃあ、関係なかったか。(^O^)


    [No.7362] あっしには大いに『かかわりのあった』本〜5 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/11(Wed) 11:09
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    この稿もいつの間にか、第5回目になってしまったが、もうすこしつづく。

     あっしらの生まれたころは、阿佐ヶ谷などは大田舎で、住所も東京府豊多摩郡杉並町であった。しかも、今でも忘れていないが、あっしらの住んでいたところは、大字(オオアザ)小山(コヤマ)だった。

     「風土記」の『あとがき』に、小山清との関連で、昭和四十一年九月、石神井川があふれ、洪水になったことが出て来る。9月だから秋の台風によるものである。あっしは当時東京は練馬に住み、ここで石神井川の氾濫のため二度、三度床下、床上を体験している。それで命からがら、千葉へ転居したわけだが、この記事は正にその頃だ。こういうものを読むt、自らの身に即して、色々なことが思い合わされる。

      また、井伏さんが荻窪へ越して来た時、駅のそばに蹄鉄屋(カナグツヤ)があったと記しているが、あっしのいた阿佐ヶ谷では、蹄鉄屋というものは見たことがない。ただ、亡妻の弟から聞いた話に、自分の妻は東北の出だが、昔の家業は蹄鉄屋だった、と云っていたのを思い出す。


     馬は現在で云えば、車のような存在だったので、蹄鉄屋は重要な職業だったのだろう。

     あっしの家は、阿佐ヶ谷駅と高円寺駅の中間にあったので、高円寺方面にもよく出かけた。「風土記」には、この辺りが将軍綱吉による生類憐みの令で、犬屋敷として収用されたとあって、これは初耳であった。そんなことは、今の今まで全く知らなかった。

     そういうことであれば、陸軍の管轄になる中野電信隊の(これも、懐かしい言葉だが)地所にも、一日中、沢山の雑多な犬の、喧しい鳴き声が、響きわたっていたであろう。

     一口に犬屋敷といっても、バカにならない。なにしろ、広さが三十万坪もあり、その上まだ十万坪も増やしたという記録があるのだから。著者の井伏さんも「犬の食う米代だけでも大したものであったろう。」と嘆息している。

     この本には挿絵のように、鱒二さんの自作の詩が入っており、なかなかに楽しい本に仕上がっている。また、中央線の文士連中の集まったシナ料理☆「ピノチオ」で出す料理やその値段が書いてあるのも貴重だ。

     シナ蕎麦が十銭で、チャーハンが五十銭、連中はここで、将棋を指し、食事をとった。
    しかし、シナ料理のくせに屋号が、今ならイタリアンの店にでも付けそうな「ピノチオ」とは面白い。何で、来々軒とかにしなかったであろう。 

     太宰は、荻窪に来た頃はまだ学生で、初々しかったせいか、釣りに連れて行ったり、井伏さんは特別気に入っていたようで、この本での、太宰治の登場回数が、ダントツだそうだ。例の情死事件、その真相はあっしもよくは知らないが、井伏さんは小山清の思い出の中で、もし太宰が、下連雀にあった自分の家で、中島健藏と邂逅していたら「少なくとも自棄っぱちの女に水中へ引きずり込まれるようなことはなかったろう。」と太宰の死を惜しんでいる。(つづく)

      ☆  当時はみな、中華料理ではなく、普通にシナ料理といったようだ。


    [No.7361] Re: あっしには大いに『かかわりのあった』本 〜2 投稿者:あや  投稿日:2015/11/11(Wed) 09:33
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    > >
    > > > ピアニストであるだけでなく、エッセイスト。音楽学の方は博士号まで持つというからお爺さんよりずっと上。スゴすぎる。
    > >
    > > 小保方氏の博士号取り上げのニュースを聞いて一句、
    > >
    > >  博士号 取り消されれば 白紙号  嗚呼。
    >
    >
    > 一句とあるけど、これも俳句のうちにはいるのかな?
    > 一句というと俳句のことしか浮かばないです。
    > 川柳も同じ5・7・5なので、同じか?
    > そんな程度のことしか言えなくてごめんなさい。
    >
    > 出も、嗚呼 が字あまりになるけど、いい川柳だわ。拍手!!!

    間違いやんした、

    でも、嗚呼 が字あまりになるけど、いい川柳だわ。拍手!!!

    でした。


    [No.7360] Re: あっしには大いに『かかわりのあった』本 〜2 投稿者:あや  投稿日:2015/11/11(Wed) 09:31
    [関連記事

    >
    > > ピアニストであるだけでなく、エッセイスト。音楽学の方は博士号まで持つというからお爺さんよりずっと上。スゴすぎる。
    >
    > 小保方氏の博士号取り上げのニュースを聞いて一句、
    >
    >  博士号 取り消されれば 白紙号  嗚呼。


    一句とあるけど、これも俳句のうちにはいるのかな?
    一句というと俳句のことしか浮かばないです。
    川柳も同じ5・7・5なので、同じか?
    そんな程度のことしか言えなくてごめんなさい。

    出も、嗚呼 が字あまりになるけど、いい川柳だわ。拍手!!!


    [No.7359] Re: 2歳と102歳 投稿者:あや  投稿日:2015/11/11(Wed) 09:23
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    >   あやさん、お久しぶりです。まだ、お忘れではないでしょうね、紋次郎です。(^_-)-☆
    >

    忘れるわけないでしょう<(_ _)> 朝に晩にという具合に思い出しておりまっせ!

    ここ10日ほどめちゃくちゃの忙しさで、メロウをあまり読むヒマもありませなんだ。
    中に入っては、紋ちゃんの頑張りに圧倒されているけど、返信する間もないのです。

    >  あやさんの「102歳」につられて、ひょこひょこ出て来ました。

    ありがとう! お読みいただけただけてうれしいです。

    >  じつは、数日前、友人から喪中はがきが来ました。それを一目みたあっしは、ビックリ仰天してもう少しで、卒倒しそうになりました。「喪中につき」まではいいのですが、その後に、「母 ○○鶴子が七月二十一日に百七歳で永眠いたしました」とあったのです。
    >
    >  その鶴子さんの長寿はうすうすは知っていましたが、まさか百を過ぎて七年も生きたとは!こ、こりゃあ、人間と云うより、ば、ばけ紋だ、と思いました。
    >
    > > 自分の年齢と考えあわせ、この102歳の方のようにいかなくとも、今しばらく
    > > 健康で暮らしたい、暮らせることを願った。

    すばらしいですね。私も紋ちゃんと同じに、今しばらくと願っています。
    家の中を片づけないといけないのです。

    >  みんな、一丸となり、お互いに励ましあいながら、ぐあんばりませうね。

    ハーイ! ぐあんばりますので、後押ししてくださいね(-_-)


    [No.7358] ワンピース 投稿者:たか華  投稿日:2015/11/10(Tue) 21:53
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    画像サイズ: 364×640 (89kB)
    スーパー歌舞伎は三代目猿之助時代に創られた。
    「ヤマトタケル」を観たときは、今までの歌舞伎と異なり、
    現代的な演出と壮大なスケールに感激した。
    今は四代目猿之助がスーパー歌舞伎 secondとして、10・11月、第二弾に
    「ワンピース」を新橋演舞場で公演されている。
      
    ワンピースってどういう内容だが分からなかったが漫画らしい?とは知っていた。
    それは2年前に友人からLINEスタンプをプレゼントされたが、
    変なスタンプと思いながらも娘にLINEした時、そのスタンプを張り付けた。
    返信で「何で?ママがワンピースのスタンプを持っているの?」と書かれていたので、
    ワンピースは漫画で変なスタンプなのだ!と初めて知ったのだった!

    ちょっと興味がわき、ネットで座席を調べたら、運の良い事に6番目の真ん中の席が
    2枚空いていた。どうしてかしら?
    観に行くならまずは内容を知らなければ。。。と。。。
    もしかしたら孫が持っているかも?と思いながらも家族グループLINEで聞いたみた。
    驚いた事に次女がワンピースの大ファンで漫画で全巻79巻まで持っているとの事!
    いい年して漫画なんって!と思って借りてきたが、5巻まで読んだが
    私にはついていけない。
    だって、戦ってばかりいて変な人物ばかり登場する。
    こりゃあ〜舞台を観てもつまらないかも。。。と。。。

    客席は若い人ばかり・・・高齢者は数えられる程しかいない。

    想像もつかない衣装とメーク、特殊技術と素晴らしいテクノロジーに
    観ているとドンドン惹き入れられた。
    現代と古典と見事に歌舞伎が漫画を取り入れた。
    役者は三役こなし、大変!

    手は伸びる。  人間が飛ぶ。   手の中から吹雪が舞う。 
    本物の水の滝の流れる中での戦い跳ねて飛んで、水は座席まで飛ぶ。
    花道から三階席の端まで斜めに宙つりで、ゆっくりとゆずの歌に合わせて空へ飛ぶ。
    思わず、席を立ち拍手喝采・・・誰もが・・・老いも若いもない・・・
    皆が上を見上げ手を振る。   手拍子をする。

    主役ルフィの精神
    「人が助けを求めている・・・自分で役立てるなら苦労も問わず命をかけて助けるのだ」
       
      SUPER KABUKI second 【ONE PIECE】 楽しかったぁ〜 


    [No.7357] Re: 2歳と102歳 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/10(Tue) 20:45
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      あやさん、お久しぶりです。まだ、お忘れではないでしょうね、紋次郎です。(^_-)-☆


    > 「もう102歳なんです。あと3日で103歳になります」と男性は言った。
    > 「えっ、そうなんですか。そのようには見えません。いつまでもお大事に」
    > などなどしばらく会話したが、歳のことばかりだったような気がする。

     あやさんの「102歳」につられて、ひょこひょこ出て来ました。

    > これだけでも驚きであったが、その1時間くらい前に、2、3歳の保育園児との
    > 出会いがあったことに何倍もの驚きと、感激、感動があったのだ。

     じつは、数日前、友人から喪中はがきが来ました。それを一目みたあっしは、ビックリ仰天してもう少しで、卒倒しそうになりました。「喪中につき」まではいいのですが、その後に、「母 ○○鶴子が七月二十一日に百七歳で永眠いたしました」とあったのです。

     その鶴子さんの長寿はうすうすは知っていましたが、まさか百を過ぎて七年も生きたとは!こ、こりゃあ、人間と云うより、ば、ばけ紋だ、と思いました。

    > 自分の年齢と考えあわせ、この102歳の方のようにいかなくとも、今しばらく
    > 健康で暮らしたい、暮らせることを願った。

     メロウの会員も、鶴子さんに追いつき、これを超えるようでないといかん。その後思ったのはこのことです。

     みんな、一丸となり、お互いに励ましあいながら、ぐあんばりませうね。


    [No.7356] 2歳と102歳 投稿者:あや  投稿日:2015/11/10(Tue) 13:42
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    誘われておしゃべりと食事に出かけた。
    区の大きな公園に行き、緑、紅葉の森林、山々を見ながらの会話は楽しかった。
    それにもまして、うれしく、楽しいことがあったのだ。

    その中の細い道を歩いていたとき、保母に連れられた7,8人の保育園児らしい
    子どもたちが前からやってきた。
    「ごめんなさい。端っこを歩いて」など子らに言いながらあいさつをしてくれた。
    「かまいませんよ。どうぞ」と答えながら、
    「おはようございます」と子らに手を振ったり、顔を近づけ手を差し出した。手を
    出し広げてくれた子へ、手を合わせて、
    「ありがとう」など言ったりした。

    すぐまた、もう一組がやってきたが同じことをした。保母さんも喜んでくれ、
    「ありがとうございました」と手を振りながら、うしろを向きながら歩いて行かれ
    た。そんなことで、こどもたちも後ろ向きになり、手を振ったり、にこにこと顔を
    いつまでも見てくれていた。

    それから展望台の近くに座っていたところ、80はとうに越されているかと思われる
    女性が男性と階段を上っていくのが見えた。男性に守られてゆっくりゆっくりだった
    が、驚いてしまった。
    「何歳になるのかしら。男性は息子さんのような感じだけど、70は過ぎているで
    しょうね」など友人に言ってしまった。

    食事に行くことにして、花畑を通り過ぎようとしたベンチにお二人は座っていた。
    前まで行くと、女性が両手を広げ振ってにこことしてくださった。思わず、
    「さっき階段を上っていくのを拝見していました。お元気でびっくりしました。色が
    白くておきれいなお顔をなさっていますね」など言ってしまった。
    女性は、
    「あなたのほうがきれい。すてき」とかなんとかいろいろ言ってくださりながら、
    手を動かしてくれていた。
    すっかり童心に返っていたような姿だった。

    「もう102歳なんです。あと3日で103歳になります」と男性は言った。
    「えっ、そうなんですか。そのようには見えません。いつまでもお大事に」
    などなどしばらく会話したが、歳のことばかりだったような気がする。

    これだけでも驚きであったが、その1時間くらい前に、2、3歳の保育園児との
    出会いがあったことに何倍もの驚きと、感激、感動があったのだ。

    自分の年齢と考えあわせ、この102歳の方のようにいかなくとも、今しばらく
    健康で暮らしたい、暮らせることを願った。


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