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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7886] Re: おまけつきの活動ホームの外出 投稿者:あや  投稿日:2017/06/02(Fri) 09:11
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    男爵さん、おあはようございます。

    > かんたんなコメントです。

    簡単でいいですよ。読んでくださったことだけでうれしいです。

    >
    > >  昨日の夜に投稿したはずなのに、アップされていません。
    > >  どうなってしまったのでしょう。再度です。
    >
    > 私もよくあります。
    > 「上記内容で投稿する」の確認ボタンを押さなかったようです。私の場合

    覚えていないのですが、アップも確かめたと思うのです?

    >
    > > ボランティアで行っている障害者活動ホームのグループ外出に参加した。
    > > 案内状には、目的地は千葉県袖ケ浦市にある「東京ドイツ村」>
    > > 雨天時は、千葉県山武郡芝山町にある「航空科学博物館」に変更とあった。
    >
    > 雨で残念でしたね。 ドイツ村の報告を聞きたかったのでした。

    広くてすばらしいところですよ。時間がったら行ってみてください。

    >
    > 以前に読んだ本ですが
    > 日本の大学の先生が、スイスの施設を見学したときのことを書いていました。
    >
    > スイスでは、職員数の数倍のボランティアが活動に参加するそうです。
    > 日本ではボランティアは少ない。 あやさんの場合は多い方でしょうね。
    >  この本は今から50年くらい前のスイスの報告でした。

    そうでしたか? 今のホームでは、参加回数が減らされました。
    時間ができたことはいいのですが、署員さんと会うことが少なくなって寂しいです。

    >
    > > ホッピーを飲んだが、どうしてももう一度戻ってと言われてしまった。...もう1人の男性も「来て、来て」なのだ。この場では返事はできなかった。
    >
    > 昔むかし広尾の駅近くにあった焼き鳥屋でお客がおいしそうに飲んでいたのがホッピー
    > 私もと注文したが、これがうまくない。二度とけっこう。(麦茶や烏龍茶のほうがまし)

    お酒ではないのでおいしくないのでしょう。
    私は麦茶や烏龍茶は好きでないのです。ほとんど飲みません。
    自分では買ったことないのです。

    >
    > > このようなおまけつきの一日となったが、楽しく過ごさせてくれた男性のT君、女性もいる会なのに、私に戻って来てという男性3人、どうしたらいいか考えないといけない悩みはあるが、4人の男性と一時を過ごせたことにうれしく、感謝した。
    >
    > もてたあやさん、良い一日でした。

    ありがとう(^^♪


    [No.7885] Re: おまけつきの活動ホームの外出 投稿者:男爵   投稿日:2017/06/02(Fri) 07:25
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    あやさん   おはようございます。
    かんたんなコメントです。

    >  昨日の夜に投稿したはずなのに、アップされていません。
    >  どうなってしまったのでしょう。再度です。

    私もよくあります。
    「上記内容で投稿する」の確認ボタンを押さなかったようです。私の場合

    > ボランティアで行っている障害者活動ホームのグループ外出に参加した。
    > 案内状には、目的地は千葉県袖ケ浦市にある「東京ドイツ村」参加者は所員17名、職員13名、ボランティア5名で、全員35名となっていた。

    > 雨天時は、千葉県山武郡芝山町にある「航空科学博物館」に変更とあった。

    雨で残念でしたね。 ドイツ村の報告を聞きたかったのでした。

    以前に読んだ本ですが
    日本の大学の先生が、スイスの施設を見学したときのことを書いていました。

    スイスでは、職員数の数倍のボランティアが活動に参加するそうです。
    日本ではボランティアは少ない。 あやさんの場合は多い方でしょうね。
     この本は今から50年くらい前のスイスの報告でした。

    > そのあと、趣味の会の男性から電話。「会は終って呑んでいる、来れたら来て」だった。....今日から指導して下さることになった先生と3人で呑んでいた。障害者の介助の帰りに酒を呑むわけにもいかないと思い、ホッピーを飲んだが、どうしてももう一度戻ってと言われてしまった。...もう1人の男性も「来て、来て」なのだ。この場では返事はできなかった。

    昔むかし広尾の駅近くにあった焼き鳥屋でお客がおいしそうに飲んでいたのがホッピー
    私もと注文したが、これがうまくない。二度とけっこう。(麦茶や烏龍茶のほうがまし)

    > このようなおまけつきの一日となったが、楽しく過ごさせてくれた男性のT君、女性もいる会なのに、私に戻って来てという男性3人、どうしたらいいか考えないといけない悩みはあるが、4人の男性と一時を過ごせたことにうれしく、感謝した。

    もてたあやさん、良い一日でした。


    [No.7884] おまけつきの活動ホームの外出 投稿者:あや  投稿日:2017/05/31(Wed) 17:14
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     昨日の夜に投稿したはずなのに、アップされていません。
     どうなってしまったのでしょう。再度です。


    ボランティアで行っている障害者活動ホームのグループ外出に参加した。
    案内状には、目的地は千葉県袖ケ浦市にある「東京ドイツ村」参加者は所員17名、職員13名、ボランティア5名で、全員35名となっていた。
    タイムスケジュールとして、活動ホームへ9時集合、9時30分出発、11時〜11時30分ドイツ村到着予定、レストランで食事、15時に出発、17時活動ホームへ到着となっていた。
    当日のペア・グループ体制はAグループで、所員4名、職員3名、ボランティアは私1名だった。
    雨天時は、千葉県山武郡芝山町にある「航空科学博物館」に変更とあった。

    この日は金曜日だったが、その週の月曜日に介助に行った時は雨の予報がありで、所員さんたちと雨にならないことを願ったのだった。
    でも、残念なことに朝から雨となってしまった。9時に集合し、9時30分に出発となったが、私のペアは、男性のT.Sさんだった。背の高い、ハンサムな好青年というところか。父上が送って来たので、少し話をし、お土産を買うお金をお預かりした。

    バスの中の席は後ろから2番目に座った。会話は出来ないがこちらが話すことはよくわかり、いいと思うと、手をあげて止めてくれるのだ。それで「いいですよ」とわかる。だめな時はあげた手を横に振り「だめ」となるのだった。言うことに頷いてくれて、その度に手を差し出してくれるTさんは一日にこやかだった。
    羽田空港近くを通過の際「船がこっちへくるわ」「飛行場よ。ほら飛行機がたくさん並んでいるわ」「飛行機が飛んで行ったわ。見て見て」など言うと眼を向けてくれ、手を伸ばして「船!」「飛行機!」と言うふうに私の方を向き、頷き、手を出してくれるのだ。その手に、私が手を出しあわせると笑ってくれる。楽しかった。
     
    12時着いた 以前にも来たことがあるのだが、いつ誰と来たか思い出せなかった。12時30分部屋を借り食事となった。崎陽軒の炒飯弁当だった。ごはんが硬くなってしまっていたが、Tさんに「おいしい」と聞くとうなづいてくれた。

    そのあと、Aグループのメンバーと見学をしたが、写真を撮ってあげたら、ポーズもしてくれてうれしかった。お土産は自分で選んだお菓子を買った。

    14時30分出発、16時10分ベイブリッジへ戻り、トイレ休憩となったが手を振って「行かない」なので、私も行かず、前の席に座っていた女性職員がトイレへ行くと言うので、ペアのMさんの面倒をみた。
    17時5分戻って来れた。行きは渋滞もあったが帰りは順調だった。迎えに来た父上と結果をお話ししたら喜んでくださった。

    そのあと、趣味の会の男性から電話。「会は終って呑んでいる、来れたら来て」だった。その会は先月解散となり、私は辞めることにしたのだ。近くだったし帰りなので寄った。今日から指導して下さることになった先生と3人で呑んでいた。障害者の介助の帰りに酒を呑むわけにもいかないと思い、ホッピーを飲んだが、どうしてももう一度戻ってと言われてしまった。先生になる方も、前にお会いしたときのことを話してくれて、「勉強会が終ったあとの呑み会だけでもいい」と言う。もう1人の男性も「来て、来て」なのだ。この場では返事はできなかった。

    このようなおまけつきの一日となったが、楽しく過ごさせてくれた男性のT君、女性もいる会なのに、私に戻って来てという男性3人、どうしたらいいか考えないといけない悩みはあるが、4人の男性と一時を過ごせたことにうれしく、感謝した。

           2017−05−26


    [No.7883] Re: 文集 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/30(Tue) 21:19
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    あやさん  こんばんは

    > 6年生の時か、文庫本を何百冊というくらいと読んだでしょうか。
    > 読むものがなく、大人の雑誌も読んだものです。

    中学生の時
    (友だちから借りた)江戸川乱歩の小説を読んでいたら
    母親から、これは大人が読む本だと言われたことがあります。

    > > いま読書を続けているのは、頭のトレーニングという意味もあります。
    > > 散歩するのは体の能力低下の防止。 読書は頭の働き低下の防止。

    > いいことをなさっているのですね。

    ここで書き込みをすることは
    認知症予防になると考えます。

    > 文庫本500冊くらい、世界文学全集50冊くらい、日本文学全集やはり50冊
    > くらいを一度に処分したことは懐かしい思い出0です。
    > 40歳のころでした。

    世界文学全集は処分しましたが
    日本文学全集はまだ残してあります。

    もっとも必要なら、図書館で借りて読めます。

    同じ本を読んでも
    若いときの感想と、年をとってからの感想は違います。

    ある人の本にも
    作者と似たような体験をしてから、その本を読み直すと
    全然理解が違うし、感動も大違いと書いてあります。

    読書にも、体験とか、知的トレーニングが必要なようです。
    こころが成長したり、考えることが広まったり、深い悩みに苦しんだりして
    本を理解する力もついてくるのではないかと思います。

    だいたい強い人で、悩みもなく毎日元気な人は
    弱い人の気持ちは理解できません。

    お医者さんも病気になって入院したら、患者の気弱な気持ちがわかるといいます。
    その意味で、若い、頭の良い、病気をしたことのない医師は、良い医師ではないと思います。
    弱い患者の気持ちを想像しても、本当には理解できないでしょう。

    いま別のパソコンから書いています。  たまにこのパソコンも使わないと。


    [No.7882] Re: 文集 投稿者:あや  投稿日:2017/05/30(Tue) 20:16
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    >
    > 小学生の時から作文の苦手な私は
    > 読書も苦手で(漫画の本はよく読みましたが)
    > いつも国語の先生から辛口評価。

    私は国語は勉強のうちに入らず、新しい教科書が来ると、
    全部読んでしまって、国語の時間はあまり真剣ではありませんでした。

    6年生の時か、文庫本を何百冊というくらいと読んだでしょうか。
    読むものがなく、大人の雑誌も読んだものです。

    >
    > それでも努力して作文を書くと
    > たまにほめてくれる先生もいました。

    それはそうでしょうね。男爵さんの文章を読めばわかります。

    > 私は書くのが苦手で、それでもこれではいけないと
    > 大学の時は、書く練習をしました。
    >
    > 文は人なり。 いろいろ読んだ作家の文章の中から、自分の好きな文章を写したりしました。

    書くのは好きでした。でも作家の文章を写すことはしませんでした。
    覚えましたが!

    >
    > この頃になると
    > 文章は人に見せる場合もあるが
    > 自分のために書いて人に見せなくてもよい場合もあることに気がつきました。
    >  音楽セラピーとか絵画セラピーという言葉があるように、文章を書くことでストレスがとれる場合もあるようです。

    どのくらいの文章があるか。最近はこのような部屋もあるので、書きますが
    昔は自分んでしまっているだけでした。

    >
    > いま読書を続けているのは、頭のトレーニングという意味もあります。
    > 散歩するのは体の能力低下の防止。 読書は頭の働き低下の防止。

    いいことをなさっているのですね。

    私も若いころから、寝る前に必ず読書でした。読む本がかいと、料理の本、
    編み物の本など引っ張り出して文字を読むのです。

    今は、毎日の様に文章を書いて、パソコンの中にしまってあります。
    そして、夜は本を読まないで、「漢字パズル」などを毎晩やっています。

    文庫本500冊くらい、世界文学全集50冊くらい、日本文学全集やはり50冊
    くらいを一度に処分したことは懐かしい思い出0です。
    40歳のころでした。


    [No.7881] 文集 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/28(Sun) 08:14
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    高校や大学の時
    まわりで文集を作るという動きがありました。

    そこで、声をかけられ
    何か書いてみませんかと言われることがあります。

    小学生の時から作文の苦手な私は
    読書も苦手で(漫画の本はよく読みましたが)
    いつも国語の先生から辛口評価。

    それでも努力して作文を書くと
    たまにほめてくれる先生もいました。

    作家はたいてい小学生の時から
    文章に才能があるとか言われて
    ほめられたり、得意になって自信をつけた経験があるようですが。

    私は書くのが苦手で、それでもこれではいけないと
    大学の時は、書く練習をしました。

    文は人なり。 いろいろ読んだ作家の文章の中から、自分の好きな文章を写したりしました。

    この頃になると
    文章は人に見せる場合もあるが
    自分のために書いて人に見せなくてもよい場合もあることに気がつきました。
     音楽セラピーとか絵画セラピーという言葉があるように、文章を書くことでストレスがとれる場合もあるようです。

    本も著者によってさまざま、いろんな主張があり、著者の書きたいことが、読み手のこちらにひびいて共感できることもあるし、反発を感じることもあります。

    人が沢山いれば考え方も違うし、みる角度が変われば観点も異なることもある。
    自分と同じでない人の見方も、ある場合には、そういうこともあるのかと参考になります。

    いま読書を続けているのは、頭のトレーニングという意味もあります。
    散歩するのは体の能力低下の防止。 読書は頭の働き低下の防止。


    [No.7880] Re: 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/27(Sat) 09:39
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    画像サイズ: 800×452 (55kB)
    あやさん、 こんにちは。

    > > 「日本の一番長い日」という映画がありましたが
    > > 海軍関係者(米内光政たち)が、いかに戦争を終わらせるか内々で相談していたとき
    > > そういうことが明るみにでると危険なことも考え
    > > しかるべき人たちが密かに走り回っていたという本を読んだことがあります。

    > > 三笠宮のような考え方をしていた人たちが、政治の中心に近い所にいたということは知っておいてよいことと考えます。

    > 勉強させていただき感謝です。

    長岡出身の山本五十六はアメリカと戦争することに懐疑的だったと言われています。
    海軍の後輩だった南部藩士の末裔米内光政は、山本五十六の意をくんで終戦に導いたのです。
     としたら賊軍だった長岡藩や南部藩の藩士の子孫が海軍高官として、心ならずも太平洋戦争に参戦し、終戦の道をつけたということに関して
    これは勝海舟のつくった海軍の思想の流れがあったからで、陸軍の暴走は(明治維新の際)長州藩の藩士たちの考え方に何か問題があったのではないかと、少し考えすぎかもしれませんが思うことがあります。

    岡山市立オリエント美術館に行ったとき、三笠宮の名前を見つけました。

    池袋サンシャインシティの古代オリエント博物館でも、三笠宮の名前を見たことがありました。


    [No.7879] Re: 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:あや  投稿日:2017/05/27(Sat) 08:36
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    男爵さん、

    > 多くの文章をお書きいただきありがとうございます。
    > > でも、あまりにも難しい内容で、レスがつけられないでいますが、読んではいるのです。
    >
    > 実は私にもむずかしかったのです。
    >
    > しかし、終戦を迎えるには
    > 多くの人の努力や苦労やドラマがあったので
    > そのうちの一つを紹介したかったのでした。

    終戦に関しては、押さなかった私にもいくつもの思い出があります。
    8月に向けて、記録文章の中・頭の中を整理してみたいと思っています。

    >
    > 「日本の一番長い日」という映画がありましたが
    > 海軍関係者(米内光政たち)が、いかに戦争を終わらせるか内々で相談していたとき
    > そういうことが明るみにでると危険なことも考え
    > しかるべき人たちが密かに走り回っていたという本を読んだことがあります。
    >
    > なにしろ兵士がいる間は戦えと思い込んでいる人たちがいたのですから。
    >
    > 三笠宮のような考え方をしていた人たちが、政治の中心に近い所にいたということは知っておいてよいことと考えます。

    > 幼い私の知らない歴史のことでしたが。

    勉強させていただき感謝です。


    [No.7878] Re: 「闇からの声」その後 投稿者:夏子  投稿日:2017/05/26(Fri) 00:46
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    男爵さん、こんばんは。

    > > 「闇からの声」は面白かった小説でした。
    > > 同じ著者の
    > >  「赤毛のレドメイン」
    > > これも読みました。

    あの後、「闇からの声」を図書館から借りてきました。
    閉架にあるのを、わざわざ、出して貰ったんですよ。

    もう一度、あの小説を読みたい、と思った気持ちは本ものでしたが・・・・なんと
    恥ずかしいことに、結局読まずに返却してしまいましたのよ(^^ゞ

    2週間ごとに借りなおしながら、読めなかったのです。1か月以上は借りていたなぁ。

    古い文庫本で、文字の小さなこと、しかもびっしりと字が詰まっていて、余白というものが
    ほとんど無い。

    読みかけてはやめ、また開いてはやめ、と言った具合。
    新聞の字でも昔に比べれば、ずいぶん、活字?が大きくなりましたが、文庫本の古いのって
    字がものすごく小さいんですよ。イヤー、参った参った。

    若い頃は、あんな本を楽々と読んでいたんですよね。歳を取ってから、古い本を
    読み直そう、って、無理ですね(^^ゞ それがよく分かりました。

    > > 昔の推理小説は名作といわれるものでも、(現代の推理小説にくらべると)読みにくいですね。
    > >  ある意味、文学作品みたい。
    >
    > というわけで
    > 推理小説を読むにも気力体力が必要です。

    翻訳本は特にそうですね。描写が要らんと思うほど詳しくびっしり書かれているしね(^^ゞ

    > 読書力の低下しているとき、読書エネルギーの少ないときは
    > 危険です。

    小さな虫がページいっぱいに這ってうごめいているような文庫本の「闇からの声」は、
    読めなくて正解だったでしょうか(^^ゞ
    夏子


    [No.7877] Re: ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 19:57
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    唐辛子紋次郎さん、みなさん、

    > > そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
    > > 予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
    > > 今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
    > > と書いているそうです。

    >  あっしがいつもフシギに思うのは、定冠詞のderを、関口存男さんはその著書で、デルと振り仮名を振っていました。aberはアーベルです。啄木のLiederもリーデルです。

    >  しかし、ラジオやテレビで、実際にドイツ人の発音を聞くと、あっしには、デルはデア、アーベルはアーバーと聞こえます。どうして先人にはそう聞こえたのでしょう。

    私の経験では
    アーベルもアーバーもありました。

    ドイツ語学校で聞いたのは
    数で20のことを zwanzig と言いますが
    ツヴァンツィク ともいうし ツヴァンツィッヒ ともいう
    のだそうです。
    (ハイデルベルクはハイデルベルヒともいいますね  太宰治「老ハイデルベルヒ」)

    私というのを 人によって、イッヒと言ったり、イッシと言うのを聞きました。

    話は変わりますが
    ドイツ人が、キーナ、チーナ、ヒーナと言うのを聞いて
    Chinaを英語読みにしてチャイナという我々日本人は
    シナ 支那 を使いませんが
    使ってもいいのではないかと思いました。

      支那そば は現存する。

    そもそも、戦時中に蒋介石から 支那は使わないでくれと申し込まれたそうです。

    日本に支那を使うなというなら、欧米にも Chinaを使わないでくれというべきではないか
    そう気がついたのでした。

    日本人研究者の中には、いまも、シナという言葉を使っていますが
    差別用語ではなく、歴史的伝統からきている言葉と考えてもよいのではないでしょうか。

    支那は秦からきた言葉だと記憶しています。


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