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[No.4553] 旅の証明書3「ロカ岬」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/30(Mon) 13:23
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旅の証明書3「ロカ岬」

ロカ岬は、ユーラシア大陸の最西端でポルトガル・リスボンにあります。
岬には、詩人カモンエスの一節「ここに陸尽き、海始まる」の記念碑がありました。
140メートルの断崖絶壁の下には、大西洋の荒波が打ち寄せていました。

動画は下記をクリックして下さい。

「ポルトガル・ロカ岬」

http://www.youtube.com/watch?v=0DzXTI0XXUE

                     多摩のけん


[No.4552] 旅の証明書2「ダイヤモンド・ヘッド」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/30(Mon) 13:20
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旅の証明書2「ダイヤモンド・ヘッド」

娘一家(娘婿、娘、孫2人)と私たち2人、計6人でハワイに行き、ダイヤモンド・ヘッドに登った時に貰いました。

その孫も、今は大学院生と大学生になりました。
(孫娘は、わが家から大学院に通っています)


動画は下記をクリックして下さい。

「ダイヤモンド・ヘッドに登る」
http://www.youtube.com/watch?v=mvDFNkLx2mY

                  多摩のけん


[No.4551] 新世界を旅する  6 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/30(Mon) 08:01
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 このセントジョンという街のある「ニューブランズウィック州」のお隣の「ケベック州」。ここの公用語はご存知のようにフランス語です。
 ところで「ニューブランズウィック州」はカナダで唯一「公用語はバイリンガル」という州なのです。エドモントンという街など、93%の市民がフランス語を話すのですね。
 また、これから行く「ノバスコシア州」は、州名はラテン語で「新たなるスコットランド人の国
 (New Scotland)」の意味なのです(ま、早く言えば「カッコよく言ったわけですね」)。
 この、ノバスコシアには、まず、17世紀のはじめフランス人が移住しアカディア植民地をつくったのです。しかし、英国軍の手で、フランス系の人たちはほとんど追放されちゃいました。いまはこの州は、ほぼ完全な英語圏です。「アカディア」とはノバスコシア州など住む「フランス人移民の子孫」のことのようです。
 事ほど左様に、カナダもなかなか複雑な国なのです。
 
では、楽しい船旅に行きましょう。港には、なかなか立派な船が入港していますよ。
 その名も「Princess of Acadia」。これが、ノバスコシアの Digby まで、2−3時間で運んでくれます。もちろん、人間も乗っていましたが、貨物が多かったですね。
 お天気もよし、高波もなし快適な船旅でした。


[No.4549] 新世界を旅する  5 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/29(Sun) 12:05
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 ところで、私の行ったのは カナダ、ニューブランズウィック州の「セントジョン(St.John)」なのですが、ここから北東部に位置する大きな島「ニューファンドランド島」の「ニューファンドランド・ラブラドール州」の州都は「セントジョンズ(St.John’s)」といいます。名前が似ているので現地の人でも間違えるそうです。こちらのほうが大きな街です。

 「なぜそんなところへ行ったの?」と思われるでしょうが、じつは、私の行きたかった「ノバスコシア」へは、当時は橋がかかっていなかったのでフェリーで渡らなければなりませんでした。その本土側の港が、セント・ジョンだったのです。
 民宿などありそうもなかったのでホテルを予約してきていました。
 ホリデーインです。
 予約したのは、ここだけです。あとは、その場その場で探していました。
 と言いますのも、当時は「郵便のやりとり」でホテルを予約するわけですから面倒なのですね。返事が来ても「その日は、たまたま空いていない」と言われることだってあったのです。
 
 当時の写真をみて、つくづく思ったのは「やっぱり当時は若かったのだな」ということです。だって、自宅をでたところから計算すると、実に40時間くらい経っているわけでしょう。それを疲れもみせずに、ホテルに荷物を置くとさっそく街の探索にでかけていたようですから。もっとも、初夏のカナダは、ほぼ白夜です。「知らない街の女の夜の一人歩き」という雰囲気はないのです。

 演歌に出てくる「最果ての港町」という雰囲気は感じませんでした。何か力強いオトコの街、冒険のできそうな街、というイメージでした。機会があれば滞在したい街です。


[No.4547] 新世界を旅する  4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/28(Sat) 07:01
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 「無賃乗車」の経験はまったく無くはないが、飛行機の「無賃搭乗」は初体験である。
 ところが、飛行機がクルージングスピードになると、戦前のバスの女車掌さんみたいなカバンをぶら下げた人が、通路を回りはじめた。やはり立派な体格で両腕が制服の半袖のポロシャツから突き出ている。  
 何やら言っているが、どうやら「切符をお切らせ願います」ではなく「切符をお買いください」らしい。ははぁ。切符は車内で買えばいいんだーーーとやっと理解できた。

 指定された金額(たしか、1万円位だったのではないか)を払うと、ちっぽけな切符とお釣をくれた。(さすがアメリカ、支払いはクレジットカードでもいいようだった)
 なるほど。切符は機内で買うのか。でももし、お金を持っていない人がいたらどうするのかしらと、隣席のアメリカ人らしいオジイサンに聞いてみたら「もろん、窓から放り出すのさ」と言っていた。だから客室乗務員は愛嬌よりも体力が尊重されるのかもしれない。

 とにかく、誰も窓から放り出されることなく、飛行機は、無事、ボストン空港へ着いた。
 あとでわかったことであるが、このシャトル便、朝や夕方などの繁忙時は10分から15分程度間隔で飛び立っているらしい。まさに地下鉄並だ。

 やはり「アメリカ」は新世界である。

 セント・ジョン行きのカナダ航空は、ごく普通のフライトであった。スナックの大きな紙コップに入った薄いコーヒーと、しょっぱい大量のサラミを挟んだバケットにむしゃぶりついているうちに、カナダ、ニューブランズウィック州の「セント・ジョン空港」へ向けて着陸態勢に入った。
 思えば、JALでの機内食以降、なにも口にする暇がなかったのであった。いくら空腹でもあの大量のサラミ・サンドイッチを征服するのは無理だった。
 金髪のオネエサンが、まだ3分の1くらい残っているパンを指差して「フィニッシュト?」といいつつ片付けてくれた。


[No.4546] Re: 旅の証明書1「万里の長城」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/27(Fri) 15:46
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その時の写真です。
まだ、頭はフサフサです。
                   多摩のけん


[No.4545] 旅の証明書1「万里の長城」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/27(Fri) 15:43
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本棚を整理していたら、面白いものがでてきました。
「あなたは、確かにここに来ましたよ」という証明書です。
手始めは「万里の長城」です。
但し、これは家内のもので、私自身のものは紛失したようです。
残念!

                         多摩のけん


[No.4544] 新世界を旅する  3 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/27(Fri) 08:36
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  成田、ニューヨーク間はJAL。当時既に直行便が飛んでいた。飛行時間は13時間。たしかに時間的にはヨーロッパへ行くのとあまり変わらない。

 問題は、今夜泊まる予定のカナダ・ニューブランズウイック州のセントジョンへ行く飛行機は、ニューヨークからは飛ばないこと。まず、ボストンまで行かなくてはならないのだ。
 日本の旅行社で「このフライトは予約しなくてもいいの」と聞くと「切符は現地で買えばいいらしいですよ」といった。
 
 インフォーメーションで「ボストン行きシャトル」の乗り場は教えてもらえた。
 行ってみると、体育館のような場所に、人種の博覧会みたいに多種多様な老若男女が四列に並んでいた。
 そこへ行って「切符売り場はどこですか」と周囲の人に聞くのだが、みなさんの答えは「ここに並んでいなさい」だけなのだった。わけも分からず不安な気持ちで並んでいると係の人が迎えに来て、私の列の三列前くらいまでの人を連れて行った。私がなにか聞こうとすると「ネクスト」という。
 3−40分すると、またクダンのオネエサンが来て、残っていた人を連れて行く。どこに連れて行かれるのだろうと思っていると、な、なんとそのまま、飛行機に乗せられてしまった。
 席につくと、通路が辛うじて通れるくらいの胴回りのオバサンが、何かが印刷してある「わら半紙」のような粗末な書類を配っている。記入欄は、たしか、住所・氏名だけだったように思う。どうやら事故などに備えた保険の申込用紙のようだった。すぐさま、オバサンは、くしゃくしゃのわら半紙を回収し無造作に箱に突っ込んで降りていった。じきにドアーが締り、飛行機は離陸した。
(あとで分かったところでは、飛行機が墜落し、遺族が保険金を請求するときに、この、わら半紙に書かれた住所氏名が「誰かさん」が搭乗していた証拠になるのだということらしかった)


[No.4543] 新世界を旅する  2 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/26(Thu) 06:32
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  なぜか、子供の頃から、ヨーロッパには親近感があったが、私にとってアメリカは遠い国。新世界であった。実際には、成田→ミュンヘン9380km 成田→ニューヨーク10860km と距離的にはそんなに違わないのであるが。それと占領下でGHQ主導の教育を受けたためもあってアメリカに対する反発もあったのかもしれない。
 しかし、一度は行ってみるのも悪くはないんじゃないか、という気もしていた。自分の国が戦争をした相手、自分の国を占領した相手であるアメリカ人がどんな人達なのか知っておくこともいいのではないか。そんな気持ちもあった。

 ついでに、お隣のカナダへも足を伸ばしてみたいと思った。そこで、カナダ東部で、若いころ何かの本で読んだりして関心のあった土地をあげてみた。
 ノバスコシア、なかでも日本の初夏に百花繚乱の野となるアナポリスバレー、アカディア・トレイル、プリンスウドワード島、それに、首都のオタワ。

 とはいえ、クルマを持たない人間が公共の交通機関だけを利用して、これだけの地方を回れるのだろうか。
 しかし、約束の日に牧師さんに会えれば、それまでの旅が予定通りに進まなくても、どうってことはないのである。行けるところへは行けばいいのだし、行けないところはスキップすればいい。それ以外にも面白いところがあれば予定外のところへ留まってもいい。そんな気持ちで「えっ。やっ」とばかり出発してしまったのであった。


[No.4542] 新世界を旅する  1 (1980年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/25(Wed) 08:30
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 この旅は、その年の2年前に行ったミュンヘンでの老牧師さんとの出会いからはじまった。

 その日は、「フレスコ画に彩られたオーバーアマガワ」「リンダーホーフ城」をみて来るつもりだった。
 しかし、当時からローカル線は本数が少なかった。なんとかミュンヘン6時45分発の列車に乗りたい。しかし、いくら朝の早いドイツでも、朝食は6時半から。ああ折角の朝食が食べられない。でも、ダメモトでレセプションのオネエサンに頼んで見た。「じゃ、6時にご用意しましょう」と言ってくれた。

 翌朝、広い食堂の隅のテーブル2つに明かりが灯り、コーヒーカップとお皿が置いてあった。  
 そして、隅のテーブルには、すでに誰かが座っていた。挨拶をするとその方は「お一人なら、こっちのテーブルへいらっしゃいませんか。ご一緒にいただきましょうよ」と声をかけてくれた。そして「自分は、アメリカ東海岸のコネチカット州でルーテル派の教会の牧師をしています」と自己紹介をした。「仕事でヨーロッパへ来たついでに「キリストの受難劇」で有名なオーバーアマガワへ行きたいと思いまして」と説明してくれました。
 
 「ああ、コーヒーのお代わりはいかがですか。お注ぎしましょう」といってくれ、話を続けた。
 「私は、日本の方が好きなのです。小さい時に母が亡くなりまして、私は乳母に育てられたのですが、その乳母が日系人だったのですね。立派な人でした。毎年、母の命日には、花輪を持って一緒に母の墓に参ってくれました。
 いえ。私は、スエーデン系です。が偶然ですが、娘が、いま、ニューヨークで日系企業の日本人社長の秘書をしています。どうも、日本にご縁があるようです」
 ―――などと、僅か30分の食事時間にいろいろな話をした。

 そして、住所を交換して分かれた。
 そのあと、手紙のやり取りをつづけていたが、あるときの手紙に「あなたは、ヨーロッパが好きなようだが、一度アメリカへ来てみなさい。粗末な家ではあるがよかったら牧師館に泊まってくれてもいい。ヨーロッパから、アメリカから、そしてアジアから世界を見ると、立体的に世界が見えるかもしれないから」とあった。またとない機会である。翌年、厚かましくも夏に休暇をとって数日間、牧師館にステイした。

 私は、英語はダメなのだが、「牧師さん」や「小学校の先生」などは、ゆっくり、はっきり話をして、都度、相手の反応を見ながら、別な言葉に置き換えたりしながら話をすすめてくださる。これはとても助かるのである。
 日本人だって同様である。「日本語会話入門」の類を持って恐る恐る「ハシマンシュラインヘの行き方がわかりません」という外国の方へ「アンタねぇ。行っちゃったんだよ、バスは。あっちだよ。歩いていきな」なんて平気で言う。こういう人と話していると語学に自信がなくなる。

牧師さんの教会は、コネチカット州のスタンフォード。我が藤沢市とよく似ている。ニューヨークから50数キロ。郊外の住宅地であり、工業都市でもあるが、アメリカとしては比較的治安の良い街でもある。


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