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過去ログ [ 0007 ]

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[No.4510] Re: 札幌に着きました 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/08(Sun) 04:43
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> > アーケードのある狸小路も昔からある繁華街です。

狸小路にできた
狸の神社?

みんな記念写真を撮っている。


[No.4508] Re: 札幌に着きました 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/07(Sat) 05:09
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> アーケードのある狸小路も昔からある繁華街です。

狸小路4丁目にある
 おみやげの店「こぶしや」は
いつも観光客でいっぱい。

とくに中国人観光客であふれている。 これは毎年のこと。

台湾や北京からいつもたくさん来ているので
店員も中国語を話せる店員を置いています。

もちろん日本人の私も、ここで北海道の有名なお菓子を買います。


[No.4507] 札幌に着きました 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/07(Sat) 04:44
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札幌市は
日本最北の政令指定都市であり、全国の市の中で4番目の人口を有しています。
北海道の政治・経済・文化の中心都市で、
道内の他の都市とは比較にならない(ぬきん出た)別格の都市なのです。

除雪対策がしっかりしていて
市内は冬でも雪に悩まされることは少ないです。

とくに地下街は東京や大阪を歩いているみたいです。

アーケードのある狸小路も昔からある繁華街です。


[No.4506] ヨーロッパのあっちこっちへ 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/06(Fri) 06:29
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 チロルの谷のお寺

 おばあさんによくお礼をいって宿をでる。バス停は村の中心、お寺の前にある。バスの出発時刻まで、まだ一時間もある。お寺の前には村人が4、5人集まっておしゃべりをしている。男は背広にネクタイ、女はスーツをきている。すでに日も昇って暖かくなってきた。だんだん、村人の数がふえる。ついに、広場は人で埋まった。村民の殆どがここへきているようだ。だいたい、服装は日本でいえば大正か昭和の初期のものとおなじ、なかには、チロルの民族衣装の人もいる。みんな精一杯おしゃれをしてきたのであろう。なんだか時代劇をみているような錆覚におちいってしまった。やがて時間らしく会員お寺のなかにはいっていった。この時期、こうやって正装で祝日にお寺参りをするところはヨーロッパ広しといえどそうそうはない筈。山村だということも確かにあろうが、そればかりではない。やはり、村の教会は心ならずもイタリア国民として生きていかねばならないチロルの民の心のよりどころでもあるのではなかろうか。


[No.4505] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/06(Fri) 04:36
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滝川駅です。

ここから特急列車をつかえば
札幌まで約1時間、旭川まで40分です。

滝川は函館本線の駅ですが
根室本線のスタート駅となります。


[No.4504] ヨーロッパのあっちこっちへ 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/05(Thu) 05:54
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 お寺の鎌の音に起こされる

 カランコロン、カランコロンというややかんだかい鐘の音で目がさめた。あたりはすっかり明るくなっている。バルコニーから見渡すと、ここの家族は全員牛の世話にかかっている。今日は祝日のはず、といっても牛の世話にはフェスタもドメニカもないのであろう。
 窓を開ける音がしたせいかおばあさんが二階にあがってきた。「どう、よく眠れた? さあ、こっちにきてごはんをおあがりよ」といっているらしい。あとについて でていくと一階の居間に通された。八畳ぐらいの部屋で真ん中が太いタイルの柱になっている。「これは何?」ときくと「オーフン」とのこと。恐らくストーブの意味であろう。これを背に椅子が並んでおり座ると背中がホカホカと暖かい。一方の壁には小さなキリストの像をおまつりした仏壇か神棚のようなものがあり、一方の壁には息子さんのものらしいギターがかかっていた。多分、典型的なチロルの民家の茶の間なのであろう。 
 朝食はコンチネンタルでゼンメルパンとポットにはいったコーヒーと暖めたミルクである。そうそう、自家製のバターとジャムがたっぷり。初夏といっても山村の朝は寒い。おもわずストーブに背中をこすりつけていると「寒いの?」ときく。うなずくとおばあさんは部屋をでていった。
 しばらくすると、なにか持って戻ってきた。お皿の上にはポンドケーキのようなお菓子が。ポットには熱いミルクがもう一杯はいっていた。「これ、お祭りのお菓子、もちろんー私のお手製だよ」といいながら切り分けてくれたお菓子には干しブドウやクルミがいっぱいはいってしっとりした味だった。これをたべながらあったかいしぼりたてのミルクを飲むと身体もすっかり温まった。 
 やっぱり、ここに泊まったのは正解だった。大きなホテルにはこんな手作りのホスピタリティーはない。お勘定のとき、お礼に日本手ぬぐいをあげた。おばあさんはめずらしがって家族のもとに見せにいった。


[No.4503] 新得駅で馬油を買う 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/05(Thu) 05:45
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かつてメインのコース
> > 札幌−(函館本線)−滝川−(根室本線)−富良野−新得−帯広−釧路

> >いまは
> > 札幌−南千歳−(石勝線)−トマム−新得−帯広−釧路


> >>新得駅は根室本線と石勝線の分岐駅となります。

新得駅で買ったのは
馬油です。(つくっているのは札幌の会社)
   販売がJR北海道

実は、馬油は私の地元の駅でも売っています。
近くの温泉の売店でも見かけます。

冬に乾燥して手足の皮膚が荒れるとき
馬油はとても役に立ちます。


[No.4502] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/05(Thu) 05:12
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> あの石川啄木は空知川の短歌を詠んでいますが
>滝川から富良野までの間で車窓から空知川が何度も見えるのですが
>実際には,啄木は富良野から新得の間の車窓で空知川を見たようです。

富良野から滝川までの根室本線は空知川のつくった平野を
空知川に沿って走っています。

この川は芦別川です。

芦別岳に源流がある芦別川は、芦別で空知川と合流し
やがて空知川は(新十津川町で)石狩川と合流するのです。


[No.4501] Re: ヨーロッパのあっちこっちへ 12 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/05/04(Wed) 10:53
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>  十五、六の可愛いウエイトレスが「オムレツはケーゼのとシンケンのとがあるがどっちがいいか、それからザラドはゲミューターザラドでいいのか」などなどこれまたすべてドイツ語でたずねる。
>  村の人は、すべてドイツ語を話すらしい。


 昔からイタリアの領土であるのに、住民がドイツ語で話している。ということは、イタリア人というのはそれほど懐が深いのか、というのが、あっしの偽らざる読後感であった。日本人なら、日本語を強制しないだろうか。ドイツ人なら、どうか。

 ドイツには、これは移民を対象にした滞在法とかがあるようだが、その43条だかに、国の施す統合プログラムというのがあり、継続的に滞在を希望する外国人はこのプログラムに参加の『権利』がある。

 語学力が不十分のものは参加は義務となるので、これは権利と云うよりむしろ義務に近い。

 内容は600時間の語学コース、オリエンテーションは、30時間に及ぶドイツの法秩序の学習を主とするドイツ文化の理解などからなる。ドイツ語の学習については一応、600時間というしばりはあるが、繰り返し学習が出来るらしい。また、途中と最後にはもちろん、テストもあるようだ。ところで

 写真のレシートをみると、一応地名もイタリア語ドッビアーコが先で、ドイツ語トーブラッハが後だし、料理名もその順に印刷されている。←もしかしたら、これは、役所などへの手前もあるのかも。(^^♪


[No.4500] ヨーロッパのあっちこっちへ 12 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/04(Wed) 06:53
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 夕方になって家族は牛の世話で忙しい。暮れなずむバルコニーでしばらくやすんでから人気のない村を散歩してみた。
 夕食、これも簡単に考える訳にはいかない。まず、開けているレストランがあるかどうか、予算内で食べられるか、など問題は多い。
 村のポストホテルのレストランが七時にあくことがわかった。七時きっかりにいってみると、当然のことながらお客は私ひとりである。メニューは値段の部から先にみる。結局は、サラダ、オムレツ、ワインという献立になる。これで七百円ぐらいになる筈である。
 十五、六の可愛いウエイトレスが「オムレツはケーゼのとシンケンのとがあるがどっちがいいか、それからザラドはゲミューターザラドでいいのか」などなどこれまたすべてドイツ語でたずねる。
 村の人は、すべてドイツ語を話すらしい。

 ところで、ここ南チロルは「第一次世界大戦の後の1919年、サンジェルマン条約によってオーストリアからイタリアへ割譲された地方」ということは私も知っていた。しかし、それは、この年からみれば60年前の出来事である。村民の大多数はイタリア領になってから生まれたはずである。このウエイトレスさんの場合、両親も割譲前のことは覚えていないはずである。民宿のおばあさんだって幼い日の思い出として微かにおぼえている程度であろう。それを当たり前のように、村民がドイツ語で話すのだもの、本当にびっくりした。
 少なくとも村の小学校・中学校では、イタリア語で授業をしているはずである。
 しかし、結局子どもは、学校で教わる言葉より家庭で使われている言葉が母国語になってしまうのだろうか。そんなことを考えた。
 後で考えてみると駐在さん、駅の助役さんは、土地っ子ではないのでイタリア語で話すのに違いない。もしかすると公務員はイタリア語を話す義務があるのかもーーー。
 ところで、人間、手許不如意になると、とたんにおなかがすくものである。ハウスワインは甘口でのみやすいがかなり強い。田舎風のバンをかじってはドシンとビンごと置いてあるワインをのみ、ワインをのんではパンを食べ、料理もすっかり済ませたころには、完全にできあがっていた。どうやってレストランから民宿に帰ったのか記憶に無い。夜中に目が覚めたら上着を着たままベッドにもぐりこんでいたことが分かった。


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