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過去ログ [ 0007 ]

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[No.4793] (2)日韓交流会とハウステンボスなどの見学 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/17(Wed) 06:04
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> 日韓交流会の楽しい懇親会
> それの余興の写真をこれからお目にかけましょう。

日本舞踊です。


[No.4792] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 11:03
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>  ドロミテ山塊の東側 9

これはどうやら、家紋を表しているらしく、シュミット家の先祖というのは、なにしろ1493年に遡るというから、相当の名家なのだろう。

 1493年といえば、日本では明応2年で、明応の政変で足利将軍が追放されたころ。また、北条早雲が伊豆に攻めこんだりした時代だ。


[No.4791] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 10:36
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>  ドロミテ山塊の東側 9

看板にシュー・ハオスとある。シューの家だから、靴を商っているのだろう。それにしては、看板が渋い。

1968年創業なので、そう古くはないが、そろそろ半世紀にはなる。

 4階まであるようなので、靴屋ではなく、シューハオスと云う名の人が経営するホテルでもあろうか。


[No.4790] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 09:49
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>  ドロミテ山塊の東側 9

>  この日(6月15日)は、ツェル・アム・ゼー駅を8時45分に出発、北チロルを通るローカル線でヴェルグルまで行き、そこで国際特急に乗り、ミュンヘンに向かいました。

ゼーの町を歩くと、外壁がいろいろに装飾された家がよく目に着いた。そういえばドイツのボーデン・ゼーでもそう云う建物を見た。


[No.4789] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/16(Tue) 06:27
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 ご機嫌のモンジロウ氏でした。


[No.4788] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/16(Tue) 06:26
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 ドロミテ山塊の東側 9

 この日(6月15日)は、ツェル・アム・ゼー駅を8時45分に出発、北チロルを通るローカル線でヴェルグルまで行き、そこで国際特急に乗り、ミュンヘンに向かいました。
 これが、ローカル線の乗り納めです。なぜか、この期に及んで、空が晴れてきたのであります。
 しかし、この「晴れ」には大いに意味があるのです。この路線は「ザンクト・ヨハン」「キッツビュール」などのチロルの山の麓の町を通って行くのです。車窓から、なかなか結構な眺めが楽しめるのです。少し雲がかかっている山々が窓いっぱいに見られたのです。
 ヴェルグルで、50分くらいの待ち合わせのあと「ユーロシティー オーストリア・ドイツ国際特急」に乗り換え、一時間あまりの旅でミュンヘンに着きます。
 ヴェルグルの少し先のクーフシュタインが国境の駅となります。
 ドイツ領に入る時も、オーストリア側と、ドイツ側の銃を持った兵士がそれぞれ数人、コンパートメントの端の通路を、ぞろぞろ歩きながら検査していました。
 面白いのは「山、また山」のオーストリア領から、ドイツ領へ入ると、とたんに山並みが後退して、平野が広がって来るということです。
 そして、12時過ぎに、ミュンヘン中央駅に、無事到着し、この旅の第一日に泊まったのと同じ「ホテル・エデン・ヴォルフ」に旅装を解きました。
 ミュンヘンには2泊して、バイエルンの初夏を大いに楽しみました。


[No.4787] (2)日韓交流会とハウステンボスなどの見学 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/16(Tue) 05:32
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> つぎの舞台は
> おかめやひょっとこが出てきて踊り出す
> という土俗的な踊りでした。


舞台から降りてきて
みんなの座席のまわりに寄ってきた。

この踊りは韓国のみなさんにも受けたようです。
もしかすると韓国に似たようなものがあるかもしれませんね。


[No.4786] (2)日韓交流会とハウステンボスなどの見学 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/16(Tue) 05:30
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つぎの舞台は
おかめやひょっとこが出てきて踊り出す
という土俗的な踊りでした。

まさしく伝統文化のひとつ。


[No.4785] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/15(Mon) 06:57
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 写真の続きです。


[No.4784] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/15(Mon) 06:44
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画像サイズ: 359×640 (92kB)
 ドロミテ山塊の東側 8

 湖畔に沿って、そぞろ歩き用の遊歩道(プロムナード)があります。まだ夏休みになっていないのに、ぞろぞろと人が歩いています。シニアが多いように見受けられました。
 「山の淋しい湖に、ひとり一人来たのも かなしい心」という歌がありましたが、日本にも外国にもそういう淋しい湖はないですね。
 我らが泊まっていたホテル「湖(うみ)の家」の、すぐ目と鼻の先に、結構な豪華ホテル「グランドホテル・ツェル・アム・ゼー」がありますから、周囲には土産物屋さんもたくさんあります。
 マーチャンは、民族衣装のエプロンを買いました。これだったら日本で身につけていても違和感はないと思いまして。
 駅の方向には湖沿いに公園があります。エリザベート・パークです。はい、エリザベートさんは、皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世の奥様です。旅と、エステに異常にこだわったエリザベートさんは、もちろん、ツェル・アム・ゼーもお気に召していて何度も来られたと伺っております。
 
 いまも、オーストリアの方々はハプスブルグ帝国を偲ぶのがお好きです。
 グロスグロックナーの峠も「フランツ・ヨーゼフ峠(ヘーエ)」であり、ウィーンには「フランツヨーゼフ駅」があるとか。そんなにお好きだったら、共和国なんかにならないで、帝国のままでいても良かったのではないかしら。
 ちなみに、オーストリア共和国の国家は Land der Berge, Land am Strome 山岳の国、大河の国(一応、モーツアルト作曲ということになっていますが)ですが、この日までの10間、オーストリアを中心に歩きまわって実感しました。本当に「山、また山」の国でした。

 ところで、公園にこんな樹木がありました。これ、何の木でしょう?
 そんなことで一応湖水散歩を終わって宿に戻ったのですが、残念だったのは、お話したように、天候がイマイチだったので、街の裏手の山であるシュミッテンヘーエ(Schmittenhohe)2000m へケーブルカーでいくという計画を断念せざるを得なかったことです。
 自然が相手の旅です。まあ、すべて予定通りに行かないというのは、仕方ないです。
 てなことで、翌朝、ミュンヘンに向けて出発しました。
 今これを書いている最中に「ミュンヘンの乱射事件」のことを知りました。胸が痛みます。


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