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[No.4449] ウィーンとウィーンからの旅 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/12(Tue) 06:42
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 こんなことが実際に起きるなんて その2

 ジーパンにティーシャツという世界中のティーンエージャー共通の制服を着たネエチャンは、この紳士に泣きながら英語で必死に訴えるのであった。(場所柄、地元の人たちは、それなのにドレスアップしいるというのに)。
 「ーーーこれを聴きたくてーーー私、一生懸命、バイトして旅費をためて、ーーーやっとウィーンまでやってきたのよ。ーーーああ、それなのに、私の手前で売り切れてしまうなんて、なんてことなの!」と云っているようだ。
 紳士はニコニコと、むしろ面白そうにネエチャンの訴えを聞いていた。そして、彼女が一しきり泣き止むと「手首を上に向けてこちらに振りながら「コンメン、コンメン」という。
 どうやら入れてやるらしい。ーーーすると、まだ残っていた、ネエチャンのお連れさんも彼女に従って、紳士のあとをついて行くではないか。さらにおどろいたことに、この一部始終を見守っていた私にも一緒についてくるように紳士は目で合図したのである。完全に諦めていた私ではあったが、そうなれば遠慮せずにご好意に甘えることにしょうーーーと彼女たちのあとに従った。

 紳士は通用口へわれわれを案内し、そこから地下の奈落のようなところを通って、客席の間の通路へと導き、ここに座れーーという。「もうすぐはじまるから、しずかにそっとすわりなさい。それから、腰を落としてね。そうしないと、後の席の人たちが見えなくなるから」とゼスチュアーをまぜて云って立ち去ろうとする。筆者も含めて4人、財布の蓋を開けたりしめたりしながら「おいくらですか」ときく。これを手で制して、紳士は行ってしまった。
 ほどなく開演である。


[No.4448] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/12(Tue) 06:07
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> この夜行列車は青森駅が夜10時発車で
> まだ時間があるから
> 駅からむかしの連絡線乗り場のほうに歩いたあたりで
> 何か催し物をやっているようなので
> 見に行きました。

ハリボテ、行灯、提灯?
こういうものを、雪明かりと呼んで、冬の夜に飾る地域もあります。

実はこの催し物の企画は新青森駅に案内がありました。
この旅行記の最後で紹介するつもりです。


[No.4447] ウィーンとウィーンからの旅 8 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/11(Mon) 07:46
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 こんなことが実際に起きるなんて その1

 私の前の方に並んでいる三人連れは、またまたアメリカネエチャンらしい。英語を話している人はアメリカ人とは限らないことは承知しているが、私の勘ではアメリカ人に見える。
 ただ、アメリカの若者にはクラシックファンは少ない。クラシックファンが三人連れでくるなんて珍しい。
 今度の連中は宮廷教会で会った連中よりマトモである。おしゃべりの話題も、安いユース・ホステルの話なんかではなく音楽の話をしているようだ。

 そうこうしているうちに入場券売り場の窓が開く。「まだ売り切れていない」「まだ、大丈夫」とドキドキしながら待つのもスリルがあって面白い。ところがーーーである。私の三人前のアメリカネエチャンの手前で売り切れとなってしまったのである。窓口のオバサンが英語で「ソールド・アウト」という。そして棒のようにつったっているアメリカネエチチャンに重ねて「コンプリートリー・ソールドアウト」という。

 すると突然、クダンのネエチャンは泣きだしたのである。それもハンパな泣き方ではない。「ウワーン」とばかり、手放しで、思いっきり派手に、大声で泣いたのである。切符を買えた人も、残念だった人も立ち去った窓口の前での騒ぎ。私は、あっけにとられて成り行きを見守っていた。
 「何事が起こったのか」と事務所のなかから劇場支配人らしき人が出てきた。黒いスーツに蝶ネクタイなんかを着けた、でっぷりとした紳士である。

 写真のCDは、同じ1978年5月発売のもの。擦り切れて穴が空くほど、繰り返して聴きました。


[No.4446] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/11(Mon) 07:19
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> いまはもうなくなってしまった
> 青森駅からの夜行列車で
> 津軽海峡トンネルを通って
> 北海道に雪を見る旅をしたことがあります。

この夜行列車は青森駅が夜10時発車で
まだ時間があるから
駅からむかしの連絡線乗り場のほうに歩いたあたりで
何か催し物をやっているようなので
見に行きました。


[No.4445] 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/10(Sun) 13:48
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函館新幹線ができたら、すっかり鉄道状況が変わってしまいました。
たとえば、青森−函館を結ぶ津軽海峡線の特急列車もなくなってしまいました。

上野発の夜行寝台列車もなくなってしまいました。

そういうわけで
いまはもうなくなってしまった
青森駅からの夜行列車で
津軽海峡トンネルを通って
北海道に雪を見る旅をしたことがあります。

では、まず青森駅です。
ライトアップされた斜張橋です。


[No.4444] ウィーンとウィーンからの旅 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/10(Sun) 06:43
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 ミサが終わって立見席の人も全員、外へ出た。しかし、誰も帰らない。
 終わってしばらくすると、ウィーン少年合唱団の子どもたちも、そとへ出てくる。
 これを待っていのだ。
 彼らは、観客との記念撮影に加わったり、話をしたりとお客さんと交流する。結構サービス精神に富んでいるな、と感じた。
 また、ここでは団員の家族との面会も許されているようで、家族らしきオトナに取り巻かれている子もいた。

 ただ、私にはのんきに「交流」などをやっている暇はない。
 急ぎ「楽友協会ホール」へ馳せ参じなくてはならぬのである。
 なんといっても、この日は、当時は新進気鋭だった マウリツィオ・ポリーニが、カール・ベーム指揮のウィーン・フィルと「皇帝」をやることになっているのだ。
 その当日売りをゲットしたいのだ。これが急がずにはおりゃりょうか。

 当日売りの窓口には、すでにかなりの人が並んでいた。
 もともと「楽友協会ホール」は狭い。当日売りの枚数が多いわけがない。
 ま、一応、ダメモトで、列の最後尾に並んだ。
 私の後にも12−13人が並んでいた。

 そこへ、変なバーチャンが現れた。私の3人後に並んでいる人の肩を叩いて「アンタまでは切符が買えるはずよ」というようなことを言っている。 彼女が、コンサートホールの職員なのか、あるいは「単なるお節介オバサン」なのかは不明である。彼女の後ろに並んでいた人たちの大部分は帰っていった。


[No.4443] ウィーンとウィーンからの旅 6 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/09(Sat) 06:57
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 そうこうしているうちに、高僧らしい方が入場して、ミサがはじまった。
 ミサのプログラムの合間合間に「ミサ曲」を演奏する。
 この日は「ハイドン」のミサ曲。
 HAYDN, J.: Mass in B-Flat Major, "Heiligmesse" (Rilling)
 ミサ曲といえどもハイドンらしい明るさがある。
 
 9時15分にはじまったミサ、ちょうどこの時刻になると、ステンドグラス越しに陽の光が差し込んでくる。やはり、陽の光こそがステンドグラスをステンドグラスたらしめているのだと感じた。そこへ、ボーイソプラノのソロがおもいっきり透明な声で「マリア」と歌うのだ。このまま、ずっと終わらなければいいと思った。しかし、ミサも終わりに近づいた。
 なお、ミサ曲を演奏しているのは、ウィーン国立歌劇場のオーケストラ。この方々は、ウィーン・フィルの団員さんでもあるのだ。合唱にはウィーン国立歌劇場合唱団も出演するという、すごく豪華なメンバーなのである。
 立見席とはいえ、こんな素晴らしい演奏をタダで聞かせていただいて申し訳ないという思いであった。

 ここで、若い助僧さんたちが、黒いビロードの賽銭袋(献金袋)を持って場内を廻る。立見席なんてビッシリの人、人、人でしょ。ここまで回ってくるかしら、と気になった。ま、回ってこなくても、多分「賽銭箱」があるに違いないので、帰りに僅かでも寄進させていただこうと思っていたのだ。しかし、若い助僧たち持っておられる賽銭袋には長―い釣り竿みたいな棒がついていて隅々の参会者の目の前にまで届いていたようだ。

 写真の絵葉書―――並んで待っている間に、お友達を作って住所を交換していたようだ。旅慣れていない割には積極的だっのだと思う。


[No.4442] ウィーンとウィーンからの旅 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/08(Fri) 07:38
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 立見席の若者たちは、相変わらず騒がしい。

 「まったく、ここをどこだと心得ているのだろうと」と苦々しく思う。もっとも、そういう本人も、子どもの時に法事の席で久しぶりにあった従姉妹たちと賑やかにふざけあっていて坊さんに叱られた記憶があるのだが。

 すると例の「ひげの剃り跡も黒々とした逞しい面構えと評した若い坊さん」が立ち上がって、立見席に向かってよく響くテノールで怒鳴りはじめた。「ナントカカントカ・ゲガンゲン」などとドイツ語で大声を張り上げている。 私もさっぱりわからないが、どうやら立見席の我々のお行儀を注意しているのでは、と見当はつく。でも「おしゃべりさんたち」はちっとも静かにならない。

 そのとき観客席の前列中央辺りの席の紳士が、立ち上がり、こちらへ向かって、唇に人差し指を当ててドスのきたバリトンで「ビー・サイレント」と叫んだ。
 驚いたことに、その声で、ぴたりと場内は静かになった。
 おしゃべりさんたちは「ああ、静かにしろって言いたかったのね。だったら最初から英語でいってくれればいいのに」という顔をしていた。

 写真は、40年前のアルバムそのものです。


[No.4441] Re: ウィーンとウィーンからの旅 4 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/04/07(Thu) 12:17
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>  「残った方は場外のモニター・テレビを見ながら、ミサに参加してください」との説明があり扉が閉まる。
>  お堂のなかは、かなり狭い。もともと劇場だったというだけあってお寺らしい陰々滅々とした感じがない。明るい聖堂である。

きのうの写真を観てこれが、宗教施設?と疑問が湧いたが、なるほど、もとは劇場だったんだ。全体が赤っぽいし、聖堂にシャンデリアは、如何なものかと思っていた疑問がきょうの説明で氷解した。


[No.4440] ウィーンとウィーンからの旅 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/07(Thu) 06:34
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 駆けつけたときにはすでに3、40人の観光客が階段の下あたりをうろうろしていた。
 彼らは、少年合唱団の子どもたちを待ち受けているようだった。
 紺のセーラー服を着た合唱団の子どもたちは、先生に引率されて、群衆のほうを見ないで、さっさと入場した。

 一時間ほど待ったあと、若い坊さんがやってきて入場券を持った入場者の改札をはじめる。われわれのような入場券のない立見席待ちの連中は、坊さんの指示で、ニ列に並ばされる。このグループには若いバッグパッカーが多く、やれ、どこのユースホステルは清潔だとか、安いとかーーそんな情報交換に余念がない。やがて、われわれも、順に入場させてもらう。そして50人程入ったところで改札止め。   
 「残った方は場外のモニター・テレビを見ながら、ミサに参加してください」との説明があり扉が閉まる。
 お堂のなかは、かなり狭い。もともと劇場だったというだけあってお寺らしい陰々滅々とした感じがない。明るい聖堂である。
 やがて、祭壇前の舞台のようなところに、白衣の侍僧が次々と入場してくる。みんな、若くてたくましい。なかには比叡山の悪僧といった面構えの坊さんもいた。


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