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[No.4469] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/21(Thu) 06:53
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> この夜行列車は青森駅が夜10時発車で
> まだ時間があるから
> 駅からむかしの連絡線乗り場のほうに歩いたあたりで
> 何か催し物をやっているようなので
> 見に行きました。

青森ベイブリッジですが
昼間の写真のほうがわかりやすいでしょう。

青森は雪が多いから,除雪の作業はよく見られます。


[No.4468] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/21(Thu) 04:46
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> 新夕張、トマム、新得まで
> 雪景色が続きます。

> まさに冬の北海道!

雪景色を見ているうちに
新得に着きました。

ここで降ります。


[No.4467] ウィーンとウィーンからの旅 16 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/20(Wed) 06:52
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 「ポストバスは、ララララ
   グロースグロックナー山岳道路を行くよ」

 翌日はポストバスで「グロースグロックナー越え」をする。前日の「東チロル街道」が「草津・野反湖越え」のような「知る人ぞ知る」玄人好みの秘境であったのに対し、このーーー東チロルの中心リーエンツから、教会で有名なハイリゲンブルートを経由して、フランツ・ヨーゼフス・ヘーエ(峠)へと走り、さらに、ここからグロースグロックナーを眺めて、ツェル・アム・ゼーに抜けるーーーというこのルートは「志賀・草津高原ルート」のようなポピュラーなものなのである。

 ポスト・バスの旅は楽しい、が時間がかかる。八時二十分、リーエンツを出たバスが、ツェル・アム・ゼーに着いたのは四時近くであった。(ポストバスはヨーロッパの辺地を行くバスで、各国の郵政省の所管するバス。本来の目的は、郵便物の搬送なのだが、スクール・バスや普通の路線バスも兼ねている多目的バス。最近は、国鉄などに所管が変更になっているところも多いようだ)。

 だから、テンポが遅い。村の郵便局前につくと、運転手さんは「プップー」と警笛を鳴らして郵便バスのご到来を知らせる。
 しばらくすると、郵便局の中から、郵袋の乗った台車を押しながらオバサン局員が出てくる。
 「まぁ、ええお日和で。あんたも、しばらく見なかったが元気かね」などとチンタラチンタラ喋り出す。ひとしきりしゃべり終わると村へ届いた郵便物を受け取って、局舎へ戻って行く。

 スクールバスも兼ねているので、村のあちこちから小学生が乗ってくる。彼らもピーチクパーチクとお喋りをする。毎日の通学であろうに遠足気分なのだ。「さあさ、静かにして。ちゃんと席について」と運転手さんがいう。
 
 こんなことを繰り返しながら、徐々にバスは峠に向けて徐々に高度を上げていく。


[No.4466] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/20(Wed) 05:25
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>>これから特急列車に乗って石勝線で
>>新狩勝峠を越えて新得まで行くのです。

>新狩勝峠といっても
>むかしの難所の狩勝峠を根室本線の列車が走った頃のことを知っている人は
>もう少なくなったことでしょう。

>かつて 北海道の中心札幌から帯広や釧路に行くには
> 札幌−(函館本線)−滝川−(根室本線)−富良野−新得−帯広−釧路
>という列車の旅でしたが
>いまは
> 札幌−南千歳−(石勝線)−トマム−新得−帯広−釧路
>と行く方が早くなってしまいました。

新夕張、トマム、新得まで
雪景色が続きます。

まさに冬の北海道!


[No.4465] ウィーンとウィーンからの旅 15 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/19(Tue) 06:52
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  「老人クラブと東チロル街道を行く」

 散歩の後は、スキーリフトで山腹へ。なにも、用事があってのことではない。そして、そこには誰もいない、何もない。ただ、牧場に寝そべって雪を頂くチロルの山並みや、牧場のキンポウゲの黄色の波を眺めて「ああ、これぞチロルだ」と思う存分チロルを味わっていればそれだけで十分満足なのであった。
 リーエンツ到着と同時に、街の観光局に翌日の「コルチナ・ダンペッツオ・バスの旅」を申し込んであった。夕方ホテルに戻ってみると、フロント嬢から「観光局から連絡があって明日のツァーはキャンセルになったそうよ」との伝言があった。さっそく観光局へ駆け付けてみる。窓口のオネエサンは「その代わり「東チロル街道の旅」なんてどうかしら。私だったら、この方がいいと思うけど」とのこと。

 翌朝、観光バスに乗って驚いた。何しろ、乗客全員がお年寄なのである。しかも中途半端じゃあない超お年寄りの集団なのだ。インスブルックの老人クラブご一行様とのこと。向こうも、怪訝な顔をしている。「なんで、この日本人は貸切バスに乗ってきたのかね」といっているようだ。念のため運転手に切符を見せて確認する。このバスで間違いないという。彼らも納得する。

 バスはイタリア国境に近い、Assiling Anras などの山道を縫っていく。ドロミテ山塊の一部である、峨峨たる山並みは雪に覆われており、山腹の緑は五月の装い。
 確かに、素晴らしい旅であった。

 バスの乗り降りは一仕事である。なにしろ、全員、お体のご不自由な方ばかりなので、途中休憩の時など、全員が降車するのに三十分もかかるのである。筆者は本来、決して、面倒見の良い方ではない。しかし、ここ、二、三日、ずっと親切にされ続けているので、すっかり「親切」が伝染していたらしい。無意識のうちに、おばあさんに手を差し伸べて支えてあげたり、荷物を持ってあげたりしていたようだ。一日の行程を終えて、別れるとき、不自由な手で住所をメモしてくれたエルハルトさんは「あんたみたいな親切な外国人に出会ったのは、はじめてだよ」といって握手してくれた。

 ウィーンの校長さん。親切は「伝染します」、そして「海外へも輸出できます」


[No.4464] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/19(Tue) 04:57
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>これから特急列車に乗って石勝線で
>新狩勝峠を越えて新得まで行くのです。

新狩勝峠といっても
むかしの難所の狩勝峠を根室本線の列車が走った頃のことを知っている人は
もう少なくなったことでしょう。

(狩勝峠の名は、旧石狩国と十勝国の国境にあたるところからつけられた。田辺朔郎が命名したという)

はじめの狩勝峠は
根室本線の富良野から新得の間にありました。
その狩勝峠は勾配がきつくSLもあえぎあえぎ上るので
別ルートが建設され(昭和41年)、それが現在の石勝線の新狩勝峠です。

かつて 北海道の中心札幌から帯広や釧路に行くには
 札幌−(函館本線)−滝川−(根室本線)−富良野−新得−帯広−釧路
という列車の旅でしたが
いまは
 札幌−南千歳−(石勝線)−トマム−新得−帯広−釧路
と行く方が早くなってしまいました。


そうそう
「日本三大車窓」というのがありました。
根室本線の狩勝峠と篠ノ井線・姥捨駅 そして肥薩線の矢岳越えです。


[No.4463] ウィーンとウィーンからの旅 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/18(Mon) 07:52
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 「料理にも西欧と東欧の両方の味が」

 リーエンツ(ドナウ河畔のリンツとはまったく違う街です)は、東チロルの中心地。といっても静かな街である。例のロマンティック・ホテルチェーンに属する「ホテル・トラウベ」(葡萄ホテル)という、名実ともにロマンティックな宿に泊まる。
 エレベーターの壁に当ホテルご自慢の夕食の手書きメニューが貼りだしてある。確かにここの夕食は素晴らしい。その後もたびたび経験したのだが、同じドイツ語圏であってもドイツとオーストリアでは料理に関しては、まったく違う。オーストリア料理は味付けが豊富で繊細なのである。おそらく、ハプスブルグ家七百年にわたるヨーロッパ各地との交流、地理的に国境を接している、東欧、西欧各国の影響であろう。
 この日の夕食も、オードーブルのダンゴ入りスープはチロルのローカル・ディシュ、メインの茹でたパスタにグラーシュのようなシチューのかかった料理は、イタリア風とハンガリー風のチャンポンのようであった。
 デザートは「アップフェル・シュトゥルーデル(アップルパイ)」「カラメル・プッデング(カスタードプリン)」「パラチンケン(クレープみたいなもの。デザート。東欧系)」からのチョイス。オーストリアには美味しいスイーツがたくさんある。ただ、どれも分量が多く、相当甘く、おまけにお皿にどっかりとクリームが乗っていて、シニアにはかなり「食べで」がある。当時は若かったからなんとも思わなかったが。


[No.4462] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/18(Mon) 04:19
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画像サイズ: 500×375 (39kB)
早朝の札幌駅についたので
駅弁を買いました。

といっても、これはコンビニ弁当みたいですね。
飲み物は,北海道限定の飲み物です。

これから特急列車に乗って石勝線で
新狩勝峠を越えて新得まで行くのです。


[No.4461] Re: 青函連絡船のあったころ 投稿者:Pan  投稿日:2016/04/17(Sun) 11:01
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男爵さん、みなさん こんにちは。

> 青函連絡船は
> 津軽海峡の海底トンネルができてから
>(津軽海峡線の特急列車が走るようになって)
>なくなってしまいました。
>
>4時間の船の旅は時間はかかったが
>なかなか風情があったものです。

 昭和28年の夏だったと思います。
 初めて北海道へ行ったとき乗ったのが摩周丸でした。

 摩周湖を目指していたので名前を覚えています。

 当時は津軽海峡に浮遊機雷が漂流している時で、夜に船に乗った
まま翌朝まで港で待機したままでした。

 鉄道の列車も一部は積み込んでいたような気がします。

 船底の客室は窮屈で床に体を横たえるのさえ苦しく、甲板の隅に
横たわって朝を待ちました。

 約一ヶ月の乞食旅行でした。


    ***** Pan *****


[No.4460] Re: ウィーンとウィーンからの旅 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/17(Sun) 07:58
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 写真をもう一枚、添付します。


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