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[No.4489] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/30(Sat) 05:19
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「幾寅駅」といえば
高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」(浅田次郎原作)
のゆかりの駅。

物語の舞台となった「幌舞駅」は、「幾寅駅」がモデルでした。

隣接している「情報プラザ」内には、鉄道員(ぽっぽや)展示コーナーがあり、スチール写真や出演者の色紙、主演者がロケで着用した衣装などが展示されているほか、撮影の様子を盛り込んだ映画のダイジェスト版ビデオが常時放映されています。
(ロケセット、情報プラザは見学無料)

 幾寅駅
https://www.youtube.com/watch?v=Xj6eIK2lCx0

 ありし日の根室本線
https://www.youtube.com/watch?v=2JTYZ_3Yhsg


[No.4488] ヨーロッパのあっちこっちへ 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/29(Fri) 08:01
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  街を見物したり屋台でランチを頂いたりしていても街の人達は、警戒する様子も、毛嫌いする様子もなく、普通に接してくれていました。屋台ランチも、500円くらいでした。メインが炙り羊肉だったと記憶していますが、割に美味しかったですし、雰囲気も明るかったと思いました。
 日帰り旅行ですから「5000円」くらい両替したのでしょうか。買うものがなくて、持って帰って来てしまいました。まあ、ソ連衛星国のお金なんて国外では紙くずも同然でした。
 街の中は「明るかった」と申し上げましたが、ちょっと街からはずれたところにあるアパートは、暗い、社会主義国カラーの建物でした。

 そんなこんなで夕暮れ近く、また列車で、オーストリアのフィラッハへ戻りました。

 はい。もちろん、フィラッハ中央駅には、主人も息子も迎えに来ていませんでした。


[No.4487] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/29(Fri) 04:37
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雪が深い地域なので
こんな風景もよく見られます。

新潟県や長野県のローカル線では
おなじみの風景。


[No.4486] ヨーロッパのあっちこっちへ 6 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/28(Thu) 06:51
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 ここで、今着いた「スロベニア」という国について、お話させてくださいね。
 まず「チェコ・スロバキア」から分離独立した「スロバキア」とはまったく別の国ということです。
 あちらさんは「オースリアの北側」にありますし「スロベニア」は「オースリアの南側」にあります。

 Slovenia と Slovakia、名前も似ているし、場所が近い、もと旧ソ連の衛星国だった、と共通点が多いので、アチラの人たちも間違えるそうです。

 ただ15世紀以降、ずっと「ハプスブルグ家」の所領だった関係もあり、なんとなくオーストリアの匂いのする国です。
 西から延々と続いているヨーロッパアルプスも、いよいよここで終わりとなるところ。国土の半分は森林。地下水源に恵まれた自然豊かな国です。ブレッド湖、数々の鍾乳洞と、見どころもいっぱい、おすすめの観光地です。
 
 鉄のカーテンが取り払われた後、スロベニアは「2004年にはNATOとEUに加盟し、2007年にはさっさとユーロ圏に加わり、2010年にはOECDに加盟」というように、完全なる「西側諸国化」を済ませました。

 私が行ったリュブリャナは、現在はそのスロベニアの首都です。
 当時も、三本橋と称するユニークな橋や、その周辺の大聖堂などぶらぶら歩きにいい、落ち着いた「大人っぽい街」だったのです。そして、なんとなく「鉄のカーテンの西側の街」みたいな雰囲気でした。治安も比較的良かったようです。
 (現在も治安はいいようです。街角に「自販機」を設置できる数少ない国のひとつだそうです)


[No.4485] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/28(Thu) 05:36
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砂防ダムでしょう。

厳しい所を通る鉄道では
崖崩れ対策の落石防止柵なども見られます。

大雨や地震で不通になる鉄道もあります。


[No.4484] ヨーロッパのあっちこっちへ 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/27(Wed) 07:45
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  トンネルを抜ける少し前、オトコは何処かへ行ってしまった。
 そして列車が国境のイエゼニツ駅の構内に差し掛る頃、オトコは再び現われた。この時は、左腕に「BUNDES POLIZEI(連邦警察)」という腕章をしていた。そして「ライゼパス・ビッテ(パスポート拝見)」という。
 ーーーしまった、と思った。年令なんてパスポートを見ればバレてしまう。しかし、ーーーオコトは筆者の差し出すパスポートの表紙だけをチラリとみてニヤリとしたあと下車してしまった。

 ーーー要するに、彼は、連邦警察の係官で、この列車で国境を越えるたった一人の乗客をユーゴースラビア国境駅まで送り届けにきたのであった。そして退屈なので筆者をちょっとからかってみたのに違いない。
 日本人の感覚では、連邦警察の出入国管理官とあろうものが執務中に「ナンパを仕掛ける」なんて、言語同断、まったく、けしからんことである。しかし、彼らの感覚では単に「一人旅で寂しそうなお客さんとおしゃべりすることで旅の無慮を慰めてやったのだ」ということなのであろう。

 そして、またまたフィラッハへの帰り道、再び、彼をイエゼニツの駅のホームで見かけたのである。列車の窓から手を振ると「いいか、この列車はフィラッハの中央駅には行かないんだぞ。フィラッハ西駅で乗り換えだぞ。そうしないと、ダンナと会えないぞ。分かっているんだろうな」と怒鳴って、またニヤリと笑っていた。

 そしてまあ、なんとか、リュブリャナ駅に着きました。さっそく両替しました。写真のように、列車の切符や銀行の両替書類までしっかり保存してありました。


[No.4483] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/27(Wed) 05:02
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今度は
新得から根室本線で滝川に向かいます。

車窓からスキー場が見えます。


[No.4482] ヨーロッパのあっちこっちへ 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/26(Tue) 06:49
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 そうなのです。国境駅のあるイエゼニツの手前のトンネルに差し掛るころになるともう誰も乗っていなかったです。
 と思っていると、後方の車両から、長身で恰幅のいい紳士がやってきて、にこにこしながら私の向かい側の席に腰を降ろしたのでした。
 ーーー暗いトンネルのなか。たった二人きりのオトコとオンナーーー。

 オトコは、さも親しげに筆者に英語で話し掛けるのでした。当然のことながら、いかに薹の立ったオンナでもオンナの方は警戒します。「もちろん、ヨーロッパにきたのは家族と一緒よ。主人と二人の息子とはスイスのインターラーケンで別れたの。 彼らはトレッキングをやっているはずよ。わたしは歴史が好きだから、オーストリアやスロベニア旅行を楽しんでいるの。今日、夕方には、主人たちがフィラッハ中央駅に迎えにきてくれるわ」「どうしてご家族と一緒にトレッキングをしないの?」「だって私、もう五十才をだいぶ過ぎていて(嘘つけ)ああゆうのは無理なのよ」「それはアンタのおかあさんの年令だろう。ところで家族連れでヨーロッパ旅行するなんて、あんたのところは金持ちだねえ。ダンナさんはどんな仕事しているの」「医者」「何科の医者」「ええと目医者じゃあなくて、そうそ、歯医者、歯医者なの」ーーー。
 嘘をつくのは下手ではないが、こういう、やや緊迫した場面で、しかも英語で嘘をつくのはシンドイ。


[No.4481] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/04/26(Tue) 04:42
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>かつて 北海道の中心札幌から帯広や釧路に行くには
> 札幌−(函館本線)−滝川−(根室本線)−富良野−新得−帯広−釧路
>という列車の旅でしたが
>いまは
> 札幌−南千歳−(石勝線)−トマム−新得−帯広−釧路
>と行く方が早くなってしまいました。

>>新得駅は根室本線と石勝線の分岐駅となります。

これは路線図(きっぷ運賃表)です。

感覚的には
札幌は南のほうで,旭川は(札幌より)北の方なのだから
この図は実際の地理配置とは逆な印象ですが
利用客の多さとか、路線の格ということで
こういう位置関係にしたのでしょうか。


[No.4480] ヨーロッパのあっちこっちへ 3 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/04/25(Mon) 07:54
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  たまたまその頃、ヨーロッパは猛暑に襲われていました。日本より湿度が低いのはありがたいのですが冷房もなく、ひたすら「寒さ対策」をほどこした建物や、乗り物は温室と化してしまうのですね。フィラッハへ来た車内でも、車掌さん乗客も、フーフー言っていました。当時は、車内はコンパートメントでしたから、廊下へ出て涼むのですね。

 さて、フィラッハからリュブリャナ(現在の「スロベニア」の首都、当時は「旧ユーゴースラビア」の一都市)へ行く鈍行列車は、ものすごく草臥れ果てたオンボロ列車でした。旧ユーゴースラビア鉄道の車輌のようでした。ヨーロッパの国際線(中央ヨーロッパでは、半分くらいの列車は国際列車です)では、あちこちの国から来た列車の車輌をつなぎあわせて走っていますから接続のある各国の車体を見ることが出来ます。
 とにかく、フィラッハの駅に並んでいる車輌―――ヨーロッパの一般的な水準のオーストリア国鉄の車輌と旧ユーゴースラビアの車輌を比べて見るだけで「社会主義国の実態」を実感することが出来ました。

 フィラッハから旧ユーゴースラビアのリュブリャナまでは列車で一、二時間の距離です。オーストリアのテリトリーでは、運転手さんも車掌さんもオーストリア国鉄の人たちです。
 ただ、人影はまばらでした。そして、国境の手前の長いトンネルに入るころには、乗客は私一人になってしまっていました。

 (写真 左側 オーストリア国鉄 右側 旧ユーゴースラビア国鉄)


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