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過去ログ [ 0007 ]

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[No.4196] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/19(Wed) 06:48
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 ここで、みなさんとハグレました。


[No.4195] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/19(Wed) 06:43
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 迷子になる
 
 さて、内部の見学が済み少し自由時間があったのですが、ここでマーチャンが集合時刻を勘違いしてしまった。まだまだ時間がある、「楽勝」とばかり売店で飲み物を買う行列に並んでいた。気がついてみると周囲に同じグループのひとが誰もいない。大慌てで外に出てみると、遥か彼方に UniWorld の看板が見えた。走って近寄ってみると残念ながら「健脚組」の人たちなのです。

 もう仕方ないと「じつは『足弱組』なのですが、ハグレました。どうしたらいいでしょうか」と聞きました。「健脚組」のスタッフの方がお大急ぎで、『足弱組』のスタッフにケータイで連絡をしてくれて「あちらさんも探していたみたいよ。いいですか。この広場の隅にタクシースタンドがあるのが見えますか。タクシーに乗って『パドヴァ大学正門』まで行きなさい。そして降りたところで待っていて」とおっしゃいます。
 それでも心配だったらしく「健脚組」のスタッフの方はタクシーの場所まで来られて運転席の窓ガラスを叩いて「間違いなく、パドヴァ大学で降ろしてあげてね」と念を押していました。  
 タクシーが5−6分で大学につきますと『足弱組』のスタッフが待ち構えていて、グループの皆さんのところへ連行しました。みなさん笑いながら手を振っていました。

 あらあら、やっちゃったのねーーーというところでしょうか。


[No.4194] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 50 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/18(Tue) 12:14
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この大盛堂の中庭の「木蓮」も有名なのです。


[No.4193] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 50 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/18(Tue) 12:14
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 パドヴァ その1

 午後は、ベネツィアから37キロくらい北のほうにある「パドヴァ」へバスで行きました。
 「パドヴァ」は古い歴史のある、やや格調の高い街なのです。
 まず全員「サンアントニオ聖堂」へ。
 外からご覧いただいても分かるように、キューポラはビザンチン様式、鐘楼はイスラム形式。その他、ロマネスク・ゴシックなどの建築様式がミックスされているものすごく大きな聖堂です。
 ここに祀られているパドヴァの守護聖人の聖アントニオさんは、40才で亡くなりましたが(14世紀当時では、特に早死ではなかったのでしょうが)ポルトガルの首都リスボンに生まれた方で、数々の奇跡を行った方として有名です。
 ここはドナテッロの彫刻や14世紀のフレスコ画などの美術品が展示されていて、たくさんの美術ファンが訪れるところです。とくにドナテッロの作品は素晴らしいしティントレットの作品もあります。

 がそれだけでなく、フランスのルルドなどのように「病気を癒やすお寺」として、今も巡礼の方々が訪れる聖地でもあります。
 巣鴨のとげ抜き地蔵のように現世のご利益をもとめて来られる方もおられるのでしょうが、もっと切実な気持ちで来られている方もあるわけです。
 そういう方向けに「おロウソク」なども売られていました。
 「奇跡」とか「大聖人」について違和感を覚える異邦人がいるのは当然ですが、私は「すごく人間的でいいな」なんて思ってしまいます。


[No.4190] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/17(Mon) 06:44
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 こういごちゃごちゃした浅瀬を比較的大きな船が航行するのは大変なのだそうです。


[No.4189] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/17(Mon) 06:40
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 ラグーナを航行する

 三日目から「River Countess号」は、ベネツィアを離れます。
 この日の午前中は「お出かけ」はなし。前日の強行軍の疲れを癒してもらう意味もあったのでしょう。
 そういう意味でも、よく考えられたスケジュールです。

 まず、ラグーナ・ヴェネタ(ベネト地区のラグーン)のなかを通って南下し、キオッジャへ行きます。我々はデッキに上がって外の景色を楽しみます。デッキでは、オーディオでラグーン地域に詳しい方の解説を聴くことも出来ます。

 この辺りは、これからわれわれが行く「ポー川」からの土砂が堆積して、少しずつ埋め立てられ、浅瀬というか沼地化していったのです。
 ラグーンには、有名観光地化していないたくさんの島があります。
 そもそも、そういう浅瀬だから「ベネツィア島」という「特別な島」も作れたのでしょう。

 いわゆる観光地でない島は、ゴルフ場として使われているものもありますし、流行らない工場しかなくて過疎化に悩んでいる島もあるようです。
 また、福祉施設として使われているところもあるようです。
 或る島には大きな精神病院があった。しかし、イタリアは国の方針として「精神病院を廃止して患者は帰宅させる。あとは地域で面倒をみる」ということにしましたので建物がまるまる空いてしまった。いま、その建物は老人ホームになっているそうです。
 そんなことで停泊地のキオッジャまでの楽しい船旅を楽しみました。


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