[掲示板へもどる]
過去ログ [ 0007 ]

過去ログ:
ワード検索:
条件: 表示:  過去ログ一括   

[No.4281] 箱根の山は周遊券 15 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/28(Mon) 07:54
[関連記事


画像サイズ: 640×409 (94kB)
 お話したように、姥子駅からケーブルカーの早雲山駅までは連絡バスで行きました。
 ところで、お孫さん、あるいは曾孫ちゃんとご一緒に行楽地においでになった時に「ねぇ、バーバ or ジージ、ロープウエイ、ケーブルカー、登山電車って、何処が違うの?」と聞かれた時のために、ちょっと。

 まず、”ロープウエイ” は、空中に渡したロープに車輌がぶら下がっているもの。ゴンドラと称する車輌は小さく軽いのが普通です(それじゃないと支えきれない)。
 「じゃ、バーバ、大船と片瀬江ノ島を結ぶ「ロープウエイ」と何処が違うの」と聞かれるかもしれません。
 モノレールにも懸垂式といって「ぶら下がり式」のものがあるからです。
 「見た目はそんなに違わなくても、全く別物。 ロープウエイのゴンドラは自分では動けないの。外から動かしてもらっているのね。でも、モノレールは電車と同じで、自分で動いているの。ただ、線路が上にあるだけ」

 “ケーブルカー” は、急な坂を昇り降りするための乗り物。高いところにあるワイヤーで引っ張りあげてもらったり、おろしてもらったりしているのね。昔あった、井戸の鶴瓶みたいに、スルスルッと巻き上げたり、巻き戻したりして電車を動かしてあげているのよ。

 “登山鉄道” っていうのは普通の電車と大して違わないの。ただ、急勾配や急カーブを登り降りしやすくするための、いろいろな工夫がしてある電車のことなのね。スイッチバックのためだけの停車場所があって、運転手さんと車掌さんが入れ替わって進行方向が逆になったりするのよ。

 箱根の周遊券の面白いところは、明治時代から、こういう急な坂道を登る乗り物に工夫をこらしてきた鉄道の歴史がコンパクトにまとまっているところにあるのです。
 その辺りを分かりやすく説明してあげてくださいね。


[No.4280] Re: 箱根の山は周遊券 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/27(Sun) 08:33
[関連記事


画像サイズ: 716×372 (46kB)
 標高は878メートルの姥子駅です。


[No.4279] 箱根の山は周遊券 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/27(Sun) 08:31
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (93kB)
  ゴンドラは、いまは姥子駅が終点です。ここの標高は878メートル。

 姥子駅のすぐ近くにあるミニ庭園に、箱根ロープウェイの初代、2代目のゴンドラが展示されています。現在の3代目に比べて小さく可愛らしいゴンドラです。
 正直に言って、今のものよりデザインが可愛いかった。

 このゴンドラの思い出のある方も多いでしょう。
 姥子駅で、途中下車をする機会は、殆どありませんが
 「大涌谷噴火」のおかげで、思わぬ「思い出」に出会えたような気がしました。


[No.4278] 箱根の山は周遊券 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/26(Sat) 08:02
[関連記事


画像サイズ: 640×384 (92kB)
 さて、現在の「箱根の山の天下の険」は、ご存知「噴火中の大涌谷」です。「箱根八里は馬でも超すが越すに越されぬ噴火口」です。

 神奈川県(県庁)のウェブサイトによりますと「大涌谷周辺(箱根山)の噴火警戒レベルは、平成27年11月20日にレベル1(活火山であることに留意)に引き下げられましたが、現在も高い濃度の火山ガスが観測されているため、県道734号(大涌谷小涌谷)の大涌谷三叉路から大涌谷園地駐車場までを通行止としております」ということです。

 今は、ロープウエイは桃源台から姥子までは開通しており、姥子から早雲山は、バスが代行しています。

 しかし散りつつあるとはいえ紅葉の季節、青空と紅葉の谷間を見下ろしつつ行く、ロープウエイからの眺めは素晴らしいです。
 ああそれそれなのに、ゴンドラのなかには私一人。前後を行くゴンドラも「カラッポ」ばかりです。


[No.4277] 箱根の山は周遊券 12 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/25(Fri) 08:41
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (95kB)
 元箱根側とちがい「桃源台港」のあたりには、静かな散歩道があります。
 枯れ葉のパラパラ落ちる木立の合間から芦ノ湖が見える、とても良い散歩道です。

 ところで、いつも不思議に思うのですが、国内旅行情報といいますと「ウェブサイト」でも「ガイド・ブック」でも、充実しているのは「グルメ」情報ばかり。
 「宿情報」はまあまあですが。

 ええ、私も食べることは大好きで、「グルメ情報」には関心がありますが、それにしても、もう少し「街の特色」「歴史」「散歩道」「その土地ならではの面白いお店」などの情報も充実させてほしいですね。

 もっとも、観光客にも、注文したものが手元に運ばれてきても、お料理の撮影に夢中で、せっかくの熱々のピザを、わざわざ「冷めたピザ」にして喜んでおられる方が多いのですが。
 特別珍しい料理ならばいざしらず、少し写真の撮り過ぎみたいに感じます


[No.4276] Re: 箱根の山は周遊券 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/24(Thu) 06:45
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (88kB)
あの霧や小雨が嘘のようなお天気になりました。


[No.4275] 箱根の山は周遊券 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/24(Thu) 06:43
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (92kB)
 絵葉書のような芦ノ湖を眺めていますと、赤い鳥居が見えます。
 あの小さな鳥居が芦ノ湖の風景をピシッとまとめているような感じがします。あの鳥居、箱根神社の九頭龍神社新宮というのが正しい呼び方のようです。

 この日はタイミングよく赤い鳥居の後ろ側から富士山が顔を見せてくださったのでした。
 「世界遺産、オメデトサンです」と申し上げますと「いやいや、登山客が多すぎてな。少し静かにさせてほしいよ」と言っておられました。

 「 旅の空から 富士山みたら遠い故郷の あの娘をおもた」という歌がありますが、やはり日本人にとって特別な「やま」ですね。

 富士山に見とれているうちに、船は「桃源台港」に着きました。


[No.4274] 箱根の山は周遊券 10 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/23(Wed) 07:42
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (96kB)
 デッキから、芦ノ湖周辺を眺めていますと、若いころの思い出が蘇ってきます。社員旅行で行った箱根。あいにくの雨だった。
 両親と行った箱根。山のホテルのツツジが見事だった。もちろん、あのホテルに泊まるだけの財力はありませんでしたが、それでも、コーヒーショップでコーヒーとケーキをいただき、お庭や芦ノ湖を眺めました。

 ところで、この便には「可愛い船長さん」が乗っていて、観光客へのサービスをしていました。男の子なのですよ。外国人観光客や、子供連れと一緒にカメラに収まったり、観光情報を提供したりとーーー。僅か30分の船旅ですが、楽しかったです。


[No.4273] 箱根の山は周遊券 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/22(Tue) 06:34
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (95kB)

 戦いは、観光船開発(海賊船 vs 双胴船)に限らないのです。
 小田急が「桃源台から早雲山」までの、ロープウェイを作ると、西武は駒ケ岳ヘ登るロープウェイで対抗する。芦ノ湖畔のホテルだって、小田急が瀟洒な「山のホテル」を作れば、西武は竜宮城スタイルのホテルで対抗する、と段々エスカレートしていきます。

 ただ、両陣営とも施設作りに情熱を燃やすだけで「人間の気持ち」をやや置き去りにしてしまったのです。
 獅子文六さんの「「箱根山」という小説のなかで、すでにこの問題は取り上げられています。  
 戦時中芦の湯温泉にいたドイツ人捕虜とのハーフの乙夫(オットー)君という登場人物に言わせているように「人間が歩く場所が極端に狭い」のです。
 これは今に至るまで、変わっていません。
 たとえば、湖の周囲に、樹々に隠れて外から目立たないような遊歩道を設ける、という手もあったと思うのですが。


[No.4272] 箱根の山は周遊券 8 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/21(Mon) 08:31
[関連記事


画像サイズ: 640×299 (91kB)
  ところで、獅子文六さんの「箱根山」という小説をお読みになったことがおありでしょうか。
 または、映画でご覧になったとか。
  昭和36年。このころになるとの、終戦直後の「何とか飢えないように」という時代から「たまには行楽も」という時代に変わってきました。
 とはいえ、その時点では「行楽」といっても、海外はおろか国内でも「近場」で日帰りか一泊旅行を楽しむのが精一杯。
 そうなると、首都圏の奥座敷といわれた「箱根」「日光」などという「行き先」再び脚光を浴びてきます。

 そこで一稼ぎしようというのが、まず鉄道会社だったのです。
とくに、ここ箱根では、
 「方や、地元の小田急電鉄(ここには東急電鉄もついています)」
 「こなた、西武鉄道」
 というより「五島慶太氏」と「堤 康次郎氏」が
箱根で熾烈なレースを展開していたわけです。
 そこへ藤田興業(小説では氏田観光)もからんでくるのですが。
 それを獅子文六さんが面白おかしく小説にして新聞に連載なさったわけです。
 何しろ当時、ちまたでは、それぞれのトップを「強盗慶太」「ピストル堤」と呼んでいたので、この好取り組みには世間の注目が集まりました。

 その戦いの主戦場であった芦ノ湖の湖上の観光船をみていて当時のことを思い出したわけです。


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 |