画像サイズ: 603×493 (59kB) | さて、次の日は、リンダウへ戻り、列車でオーストリア、チロル州の州都である山岳都市インスブルックへ向かいます。マーチャン自身による、当時の記録がありますので、読んでやってください。
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国際急行列車トランス・アルペン号の発車まで、まだ一時間近くもある。ホームには人影もまばらであった。肌寒いのに初夏の日差しのまぶしいベンチに腰をおろして、東京のオーストリア政府観光局でもらったチロル州の地図を広げる。可愛いいイラストのたくさん入った楽しい地図であった。 すると、頭のテッペンから甲高い声が聞こえてきた。ドイツ語は、皆目分からない。が、「まあ、面白い地図だこと。ちょっと見せてよ」といっているようだ。頭をあげると六十才くらいのオバサンがいた。 二人でベンチに並んで地図を見る。 オバサン、今度は、駅構内で機関車の付け替え作業をやっている青い上っ張りを着た駅員に声をかける。多分「ねぇあんた、面白い地図があるわよ。チロルの地図よ」と言っているらしい。 二十才くらいの駅員もやってきて地図を見る。「ほら、スキーを履いた男の子のいるところかザンクト・アントンだ」なんていって喜んいる。私が地図の一角を指差して「ここがチロルね」というと「違う。ここはチロルなんかじゃあない。ここ、フェルトキルヘは、フォア・アルベルグ州だ。チロルは、あの山並の向こうなんだ」と駅員。(ちょっと意味が通じなかったようだ)。 「そうよ。チロルはあっち。とっても、いいところなの」とオバサンがいう。 そして、何とオバサンは、声高らかに、歌いだしたのだ。意味は分からないが「麗しき我等が故郷、それはチロル」ーーーというようなリフレインのある歌らしい。青年駅員も唱和する。 二人は腕を組み、カラダをゆすりながらハモッているのであった。 その声を聞いて、駅舎から駅長さんらしき人が現れた。歌なんかうたっている駅員を叱るのかと思いきや、ニコニコして眺めているだけであった。 筆者は、羨ましかった。こんなに自分達の故郷を愛し、誇りに思っている人達がいるなんてーーー。チロルは、なんと幸せな土地であろう。 同時に、筆者は、この時改めて、「チロル」、いな「オーストリア」、いな「ヨーロッパ」の魅力にとりつかれたのである。
写真は、オーストリア国鉄の車体。重そうな機関車(峨々たる山の多いこの国の鉄道には不可欠な存在です)。国際特別特急に乗るには、追加の料金が必要。切符などすべて手書きでした。 |