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[No.4418] ユーレイルパスを持って 10 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/21(Mon) 08:17
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 さて、次の日は、リンダウへ戻り、列車でオーストリア、チロル州の州都である山岳都市インスブルックへ向かいます。マーチャン自身による、当時の記録がありますので、読んでやってください。

 ――――――――――――――――――――――

 国際急行列車トランス・アルペン号の発車まで、まだ一時間近くもある。ホームには人影もまばらであった。肌寒いのに初夏の日差しのまぶしいベンチに腰をおろして、東京のオーストリア政府観光局でもらったチロル州の地図を広げる。可愛いいイラストのたくさん入った楽しい地図であった。
 すると、頭のテッペンから甲高い声が聞こえてきた。ドイツ語は、皆目分からない。が、「まあ、面白い地図だこと。ちょっと見せてよ」といっているようだ。頭をあげると六十才くらいのオバサンがいた。
 二人でベンチに並んで地図を見る。
 オバサン、今度は、駅構内で機関車の付け替え作業をやっている青い上っ張りを着た駅員に声をかける。多分「ねぇあんた、面白い地図があるわよ。チロルの地図よ」と言っているらしい。
 二十才くらいの駅員もやってきて地図を見る。「ほら、スキーを履いた男の子のいるところかザンクト・アントンだ」なんていって喜んいる。私が地図の一角を指差して「ここがチロルね」というと「違う。ここはチロルなんかじゃあない。ここ、フェルトキルヘは、フォア・アルベルグ州だ。チロルは、あの山並の向こうなんだ」と駅員。(ちょっと意味が通じなかったようだ)。  
 「そうよ。チロルはあっち。とっても、いいところなの」とオバサンがいう。
 そして、何とオバサンは、声高らかに、歌いだしたのだ。意味は分からないが「麗しき我等が故郷、それはチロル」ーーーというようなリフレインのある歌らしい。青年駅員も唱和する。
 二人は腕を組み、カラダをゆすりながらハモッているのであった。
 その声を聞いて、駅舎から駅長さんらしき人が現れた。歌なんかうたっている駅員を叱るのかと思いきや、ニコニコして眺めているだけであった。
 筆者は、羨ましかった。こんなに自分達の故郷を愛し、誇りに思っている人達がいるなんてーーー。チロルは、なんと幸せな土地であろう。
 同時に、筆者は、この時改めて、「チロル」、いな「オーストリア」、いな「ヨーロッパ」の魅力にとりつかれたのである。

 写真は、オーストリア国鉄の車体。重そうな機関車(峨々たる山の多いこの国の鉄道には不可欠な存在です)。国際特別特急に乗るには、追加の料金が必要。切符などすべて手書きでした。


[No.4417] ユーレイルパスを持って 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/20(Sun) 07:54
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 その晩は、ヴァンゲン・イン・アルゴイ に泊まりました。
 ここは当時からあまり知られていなかった町です。
 「なぜこんなところに泊まったの?」ってお思いになりますよね。
 理由のひとつは「Romantik Hotel」チェーンのクーポン券の使えるホテルが、リンダウの近くにはなかったためです。
 もう一つは、この地域の「牧歌的な環境」を絶賛した文章を読んだことがあったからです。
たしかに、リンダウからヴァンゲン・イン・アルゴイに行くバスは、のどかな牧場を通っていきます。
 そして、写真でご覧いただくように、バス道を、家路をたどる「牛さんたち」と「牛飼いさん」がのんびり歩いている。こうなったらバスは「ご一行さまのお通り」をひたすら待っているしかない、こんな長閑な風景が40年前のドイツで見られた、そんな町だったのです。

 しかし、ヴァンゲン・イン・アルゴイは中世・近世には、産業・交通の要所として、この地域ではそれなりの町だったのです。
「ポスト・ホテル」の存在がそれを示しています。

 町の広場で郵便馬車の御者が高らかに「ポストホルン」を鳴らして到着を告げます。聞きつけた町の商人などが集まってきて「手紙」や「種類」「商品」などを受け取ります。また当時の郵便馬車はお客さんも乗せていたのですが、そのお客さんたちは「ポスト・ホテル」に泊まります。
 東海道五十三次の「宿場町」みたいな場所だったのですね。
 写真ではご覧になりにくいのですが、この突き出し看板には「郵便馬車」が彫ってあるのです。

 先祖代々、ファミリービジネスとして「旅館」を経営していた人たちは、こうして今もまだ「ホテル」をやっています。そういう人たちを組織化したのが「Romantik Hotel」チェーンなのです。


[No.4416] ユーレイルパスを持って 8 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/19(Sat) 08:08
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 オットーボイレンからは、リンダウへ行きました。
 ここも、ヨーロッパでは、とても人気のある観光地なのです。
 リンダウは、ボーデン湖(Bodensee)という、ドイツ、スイス、オーストリアに囲まれた湖の岸辺の町のひとつで、ドイツ領です。
 というより、江の島みたいに、道路と線路(線路は江の島にはありませんが)で本土と繋がっている島の部分に観光の見どころが集中しているのです。
 湖の向かい側はスイス領、すぐ左側はオーストリアとなっています。
 観光船は、国境に関係なく、琵琶湖の2倍近い大きさのボーデン湖をめぐっています。

 国境を越えるというと、羽田や、横浜の大桟橋しか思い浮かばなかった私のような、絶海の孤島から来た旅行者には、とても不思議な風景でした。
 
 もう一つのカルチャーショックは、観光客のみなさんが、湖を見渡せるベンチに腰掛けて、何時間でも「ボケッ」としておられることです。たしかに「風光明媚」な場所でいくら眺めていても退屈しませんが。
 「気ぜわしい」と言われる日本人の中でも、さらに「お忙がし」の私は、島自体がまさに中世の歴史の博物館といわれている町中をうろうろしたり、土産物屋さんを冷やかしたり、コーヒーショップでお茶を頂いたりと、活動的に、楽しい半日を過ごしました。


[No.4415] ユーレイルパスを持って 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/18(Fri) 06:40
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 なんとなく憧れていたアルゴイ地方へ

 有名観光地へも、もちろん行きたかったのですが、私にとってこの旅ならではの「目的」は、よくわからない知らない町を訪ねることでした。そのひとつが「オットーボイレン」でした。「なぜ、そんなところへ?」とお思いですよね。この町の僧院は「ギッド・ミシュラン(ミシュランの旅行案内版)」のドイツ版では「三ツ星」だったからです。

 南ドイツらしいみどりの野山が展開する車窓にみとれているうちにメニンゲンに着きました。  
 ここから、バスに乗ったような気がするのですが。いずれにせよ、歩いているうちに「行き方」がよくわからず、早速迷いました。「どうして、そのミシュランのガイド・ブックとやらで行き方を調べてこなかったの?」とおっしゃるのですか。ミシュランは本来、タイヤの会社です。ですから、このガイド・ブックもクルマで旅をなさる方のためのものです。列車だのバスだのそんなダサイ乗り物については、まったく言及していないのです。

 場所柄か、通りで尼さんを何人か見かけました。お年を召した尼さんへ「行き方」を伺いました。といっても、ドイツ語はわかりません。「ビッテ」といって、地図をご覧に入れて「僧院」の場所を指差しただけです。
 尼さんは、私の手を引っ張って十字路に連れて行き、行き先を手で示してくださいました。「ダンケシェーン」といいますと「グリュスゴット」と言ってにっこり微笑みかけてくださいました。
 この「Gruess Gott!」という挨拶、その後、オーストリアや南ドイツのカソリック信者の多い地域でよく耳にしました。「グーテンターク」より柔らかい響きでした。

 ベネディクト派の古い僧院ですが、2つの塔が、私を出迎えくれました。
 なかは、まあ、お寺なのに、なんて明るいのでしょう。宮廷のようなロココ調のキンキラキンです。それまで、見てきたたくさんの大聖堂のゴシックの重厚な作りと全く違うのにびっくりしました。この僧院、ものすごく広く、立派な庭園もありました。

 そうなのです。知らない町にも、すごい修道院や、北ドイツとは違う挨拶の仕方などの「文化」があったのです。
 ああ、だから「旅」は止められないのです。


[No.4414] ユーレイルパスを持って 6 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/17(Thu) 07:57
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 途中、ローテンブログでのバスの休憩時間を利用してローカル色豊かなお店でお昼を頂いたり、ディンケルスビュールでは塔の上にあがって、どなたかにシャッターを押していただいたり、と40前の私は結構やっていたのですね。
 どこから情報を手に入れていたのでしょう。

 当時は「地球の彷徨い方」なんて本は存在していませんでした。
 しかし、アーサー・フロマーさんというアメリカのお方が「ヨーロッパ1日10ドルの旅」という本を書いてくださっていて、これが個人旅行者必携の書となっていたのです。
 このシリーズ、確か、1983年くらいで途切れてしまいました。
 なんでも、このシリーズは世界的に大いに売れ、フロマーさんはだいぶ儲けられた。そしてそのお金で立派なホテルを建てた。そのホテルが当時のお金で、一人一泊一万円以上もするというので、だいぶ話題になりました。
 フロマーさんの本と「地球の彷徨い方」との違いは、前者が著者と奥さんの体験に基づいて書かれていたということです。ただ、何分にも著者はアメリカ人ですから日本人の趣味や価値観とは一致しない部分もありましたが。
 いまはオーストラリア人のトニー・ウイラー夫妻の創めた「Lonely Planet」が世界的に人気と信頼を得ています。
 もっとも、いまは、たいていの情報がネットで入手できますので、それほどガイド・ブックは必要ないのです。それでも旅行に関する本を読むのは好きです。読むと元気になれます。
 というわけで、当時のマーチャンは、アウグスブルグでヨーロッパバスを降りて市内を見物し、列車でミュンヘンに無事到着「Hotel Drei Loewen」にチェックインしたのでした。

 なぜ、アウグスブルグへ?ということですが、ここは「モーツアルトのおとうさんの郷里」であるばかりでなく、15−16世紀の富豪、フッガー家が貧民救済のために建設した、現存する世界最古の福祉施設フッガーライ(低所得者向けの住宅団地)を見るためでもあったわけです。


[No.4413] ユーレイルパスを持って 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/16(Wed) 07:36
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 説明会のあとは、バラバラに行動します。といっても「完全な一人旅」という人は2人だけ。あとの方は、家族連れだったり、小さなグループでの行動だったり、という方々。またヨーロッパに住む家族や友人を訪れる方などでした。

 当時のドイツは、国も、首都であったベルリンも東西に分かれていました。
 したがって、魅力的な街道や、小都市はたくさんあるのですが、「パリ」や「ロンドン」のような、いわゆる観光の目玉になる街がなかったのです。
 ですから、鉄道パスとホテルのクーポン券を渡して「好きなところへ行ってください」というのは正しいやり方だったと今でも思っています。

 私は、まず、いわゆる「ロマンティック街道」(正しくは、「ローマ巡礼の街道」ですが)へ行くことにしました。もともとはローマ人たちが作った道で、ローマへの道路網の一環として整備されたものなのですね。しかし「すべての道はローマに通ずる」わけですから、「ローマ街道」だったらヨーロッパじゅうにたくさんあるわけです。それを観光名所として売りだすのには「ロマンチック街道」というのは恰好のネーミングだったと思います。特にアメリカ人のお気に召したようです。


[No.4412] Re: ユーレイルパスを持って 2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/03/15(Tue) 10:01
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>  はい。とくにこの「ヴァンゲン・イム・アルゴイ」のホテルは郵便馬車の時代からずっと、ファミリービジネスとして続いています。現在も健在のようです。

このホテルについて『ゼア・グート』と書いてあるので、やはり評判がいいんだろうな。たしか、街の中心からわずか100メーターだとか。

 http://www.booking.com/hotel/de/romantik-alte-post.de.html?aid=330462;label=metatripad-link-exithjp-hotel-72741_xqdz-4205f5ac0d93a7086ae358cbca5c135d_dom-de_curr-XXX_clkid-Vuda2woQKzoAALjxaWAAAAAY;sid=a48044963747d22fc448a45ffe4650bc;dcid=12;dist=0&sb_price_type=total&type=total&utm_campaign=jp&utm_content=dom-de&utm_medium=exith&utm_source=metatripad&utm_term=hotel-72741&


[No.4411] Re: ユーレイルパスを持って 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/15(Tue) 08:37
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 40年前の写真、大聖堂を前に立つ若き日のマーチャンです。


[No.4410] ユーレイルパスを持って 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/15(Tue) 08:36
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 さて「JTB・初の公認個人旅行者?」へガイダンスをしてくださった方は、大学院で哲学を勉強しておられる方で、まあ、バイトとして引受けて下さったのでしょうが、ちょっとお話を伺っていて「只者ではない」と感じました。
 たまたま、グループにドイツ語の分かる人がおられて、その方のお話では、フランクフルト観光の中心地「レーマー広場」まで、マイクロバスで送ってくださった運転手さんが「あのガイドの話すドイツからみて、すごく品格と教養のある人と思える」と語っていたそうです。
 
 ユーレイルパスのバリデートの仕方なども、一緒に駅へ行ってくださって、実地で教えてくださったほか、お昼には、屋台で焼きソーセージを買う方法、それに立ち食いの仕方まで教えて下さいました。

 写真はレーマー広場の木組みの家、


[No.4409] Re: ユーレイルパスを持って 2 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/14(Mon) 07:57
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唐辛子 紋次郎さん

> ロマンティック・ホテル・グループというのは古いんだね。1409年創業と云うから、日本で云えば応永16年、足利満兼という室町時代の武将が死んだり、イタリアではヴェネツィア共和国が健在で、ドージェの、G.モチェニーゴが生まれたり。

 はい。とくにこの「ヴァンゲン・イム・アルゴイ」のホテルは郵便馬車の時代からずっと、ファミリービジネスとして続いています。現在も健在のようです。


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