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[No.4763] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/10(Wed) 09:29
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  夕食は、広場近くの「アイーダ」というレストランで「イタメシ」。巨大なピザをいだきました。美味しかったですよ。
>  アイーダの作者、ジュゼッペ・ベルディーさんは、失敗と成功を繰り返し、波乱に富んだ生涯のうちに、たくさんの素晴らしいオペラを世に出した大作曲家ですが、彼に関しても、ヴァルター広場やボルツァーノとの接点が見いだせません。ま、どうでもいいことですが。

  このイタ飯屋についての、あっしの解釈。

 あっしは旅行中、いつもそう余裕がないので、『接点』までは考えることがない。いま、思うのだが、この辺はドイツ語を使う人こそ多いが、一応イタリア領だ。

 しかも、今イタリア料理が世界を席巻している。自分が地元民であり、店を出そうと思って、屋号を選ぶ際、ベートーベン、モーツアルト、ではウィーンやザルツの方が相応しい。

 世界中から観光客も大勢来ることだし、なんとか地元を売り込もうと思ったら、常識的に見て、まず郷土の音楽家ヴァルターが頭に浮かぶのは当然だ。子供の時から、この銅像の下で、毎日のように鬼ごっこをして遊んだりしたのだから。しかも、

 自分の親が、もしイタリア系だったら。

 おじいさんのルイジが、機嫌のいいとき、よく聞かせてくれたヴェルディオペラのアリアがふっと、頭をかすめる「これだ、これだ」てえわけで屋号を「アイーダ」と決める。

 至極トーゼンのように思うが…。そういえば、あのとき、ウェイトレスだか、店の経営者だか知らないが、料理を運んできたひとが、イタリア語のようなものを話したような記憶がある。


[No.4762] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 06:26
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 ドロミテの真珠」いわれている「ミズリーナ湖」
 お花も可愛いらしかった。


[No.4761] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 06:15
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 ドロミテ山塊の東側 3

 もんチャン、リエンツのホテルのお話は、後回しにして、早くドビヤッコから、「ドロミテの真珠」いわれている「ミズリーナ湖」へ行きましょうよ。
 そうそう、ここは暑くても、ドビヤッコ は 標高1265mで、ミズリーナ湖は標高1765mよ。厚着をして行きましょうね。

 というわけで、我々は、また、超鈍行列車に乗って、コトコトと昨日きた道を後戻り。一時間半掛けて、ドビヤッコ駅に着きました。
 40年前とは大違い。あの寒村のなかの寒村というイメージの残っているドビヤッコの町。駅前には、小さいながらバスターミナルもできていました。
 そして、あまり待つこともなく、ミズリーナ湖の近くを通るバスがやって来ました。

 出発したバスは、いきなり深い山あいに入っていきます。
 右も左も、前も後ろも絶壁のような山塊が。
 つづら折りのイロハ坂のような道をバスはどんどん進んでいきます。

 途中、二度くらい「イタリア国旗」を見ました。そうなのです。ここは、イタリアとオーストリアの国境地帯なのですが、バスは、2つの国を行き来しながら、進んでいくのです。
 30分も走りますと、少し開けた場所に出ました。運転手さんはこちらを振り向いて「ここだよ」と教えてくれました。
 下車しますと、今度は、運転手さんは右手を指差しながら「あっちだよ」と教えてくれました。 
 バス停からは湖なんか見えません。しかし、教えてもらった方向へ10分も歩きますと湖が見えてきました。
 道端には、こんな可憐な花が咲いていました。高山植物でしょうか。

 美しい、本当に美しい湖でした。
 そして、周囲は、ドロミテ山塊に取り囲まれているのです。
 ドロミテの山の面白いところは「見る位置」によって姿が変わることです。
 富士山だって、駿河湾側からみるのと、山梨県側から見るのでは形が違うのですが、何日も掛けて、ドロミテの山々をあちこちから眺めた我々の実感です。

 なお、この湖からひとつ山を越しますと「コルティーナ・ダンペッツォ」という冬季オリンピックの開かれた町があります。ここは賑やかな街で高級ホテルもいくつかあります。
 ちなみに、このあたりでは、イタリア語でもドイツ語でもない「レト・ロマンス語系の古い言葉、もちろん少数言語の「ラディン語」を話す人を祖先に持つ人たち」が多いのだそうです。もちろん、今は、特に観光ビジネスに携わっている人たちは、イタリア語、ドイツ語はおろか英語もお上手ですし、日本語のできる方もおられます。(スイスでも、そうらしいですが、昔は、山岳地帯の深い谷間に住んでいる人たちは、となり村との交流もほんどないので、村のなかの人たちだけに通じる独自の言葉を話していても困らなかったのですって)

 (次回は、この湖の説明をしますね。)


[No.4760] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 05:32
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 公園の展示物です。巨大な「蝶々」です。


[No.4759] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 05:31
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 ドロミテ山塊の東側 2

 今回の旅で、滞在した町はどの町もアルプスの雪解け水を湛えた川が、町のなかを流れていました。
 インスブルックにはイン川が、メラーノにはアディジェ川が、ボルツアーノにはイザルコ川が街の風景を印象深いものにしていましたが、この日着いたリエンツの町も中央をイーゼル川が流れていました。この川の水は、北へ向けて旅をして、我々が帰路二日間を過ごす予定のドイツのミュンヘンまで行き、のちに方向転換して、ドナウ川と合流します。川というものにはロマンがありますね。

 この川沿いの町、リエンツは、落ち着いた、上品な町です。
 といっても、決して寂れている訳ではなく、ハウプト広場(町の中心の広場)の辺りは大勢の人で賑わっていました。
 ランチをいただいた、広場に面した軽食堂のテラスで注文したパンの大きさ。モンジロウ氏に半分食べてもらったのですが、一人じゃ食べきれません。ヨーロッパでも、大都会と、地方の町では、食べ物のサイズが違うように感じました。
 
 食後のお散歩がてら「ブルック城」へ行こうと出かけたのですが、遠い上に、当日市内で開催された「市民自転車レース」のための交通規制のために遠回りさせられたりして、思ったより時間がかかり、途中で引き返してきました。

 しかし、川沿いの遊歩道は歩くのが楽しくなるような、いつまでも歩いていたくなるような場所でした。

 また、名所旧跡もいいですが、たまには町中の茶店で、ソフトクリームを舐めながら、地元民を眺めているのも楽しいです。日曜日だからでしょうか。6人家族がオトウサンに連れられてやってきて、家族一同でソフトクリームを食べている、それを眺めているオトウサンの嬉しそうな表情。

 自転車レースに出場しているパパが、なかなか家の近くの通過点にやってこない。もう殆どの人が通過したのにパパはどうしたのだろう。やがて汗で濡れた真っ赤な顔をしたパパが近づくと、坊やが必死で手を振る、こんな風景をながめているもの楽しいものです。

 その晩泊まったホテルについては、後ほどお話しますね。


[No.4758] (2)日韓交流会とハウステンボスなどの見学 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/10(Wed) 05:06
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日韓交流会の会場
「フォレスタふじ」に着きました。
ここは、佐賀市立富士生涯学習センターです。

http://www.sagabai.com/main/?cont=kanko&fid=515
「緑と水と温泉のまち富士で、森林(もり)に関わる人々や住む人(Forester=フォーレスター)と、富士を訪れ学ぶ人々とが集う場所」という意味が込められています。


http://www.tsunasaga.jp/fuji/kominkan.html
佐賀市立図書館 富士館も設置されています。


[No.4757] (3)佐賀からの帰り道 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/09(Tue) 07:12
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> 岡山駅でしばらく過ごしてから
> 夜行列車に乗ります。

京都をすぎて
名古屋をすぎて
あけがたに富士山を見ることができました。


[No.4753] (2)日韓交流会とハウステンボスなどの見学 投稿者:男爵  投稿日:2016/08/09(Tue) 05:24
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> 佐賀駅のバスセンターで
> 古湯温泉行きのバスに乗ります。

乗ったバスはしばらく走りました。

赤いトラスの橋を渡ったら
まもなく古湯温泉です。


[No.4752] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/08(Mon) 17:23
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  中心はヴァルター広場です。
>  広場の名は中世ドイツの吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデにちなんだものだそうです。彼の像もあります。しかし、どういうご縁で、この広場に彼の名前がつけられているのかはわかりません。


  この広場についての、あっしの解釈。

ボーツェンのヴァルター広場に立つヴァルターの銅像。かれはいわゆる吟遊詩人で、ドイツ語ではミンネゼンガー。

 フォーゲル(ワイデ)の名の通り、一生を殆ど宮廷を渡り歩くことで過ごし、なかなか安定した生活に入ることがかなわなかった。

 銅像のミンネゼンガーは、愛を歌う詩人なので、七弦琴を手にしている。

 ところで、このヴァルター、なぜ彼の像がボーツェンにという疑問は、津田氏も述べているが、はっきりした出生地こそ分からないが、ボーツェンから25キロしか離れていない山中で生まれたとすれば、何百キロも離れているわけではない。いわゆる、地元の偉人ではないか。

 日本でも、成田空港はかつて「新東京国際空港」と呼ばれたし、千葉県浦安市にある「東京ディズニーランド」は、今でも、その名を使っている。

 家の近くでは、ユーカリ樹がないのに、ユーカリが丘という町がある。ということだ。

 寄り道は止めて本題に戻ると、津田氏の場合は何回も行くので余計説明が複雑になる。しかも、見聞が古い。著書のほとんどが、1938年ころの見聞で、その後出版直前に又行くが、これが1966年。しかも、悪いことに

 この広場の名が何回も変わるし、氏がしつこく(^^♪、何回も同じ所に☆行くので又、著者を始め読者のみんなが、きりきり舞いさせられるのではないか。

  ☆ 今なら広場の名は、もう当分変わらないだろうし、ふつうの日本人は津田氏のように、そう何回も同じ町には行かない。


[No.4751] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/08(Mon) 15:23
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  広場の周囲には、商店街、レストランなどがあり、市民や観光客でいっぱいです。
>  大聖堂は、14−15世紀のゴシック建築ですが、屋根が素晴らしいです。

この大聖堂。ラテン系ではカテドラルといいますが、ドイツ系などではドムというようです。例のチロル通の津田正夫さんによれば、赤い砂岩を使った,チュートン風のゴシック建築で、屋根は『青と金のタイル』で葺いてあるといった風に記述している。

 あっしが、この式の屋根を見たのは、クロアチアのザグレブで、その時は、今まで見たことない屋根瓦に、強い衝撃を受けた。


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