[掲示板へもどる]
過去ログ [ 0007 ]

過去ログ:
ワード検索:
条件: 表示:  過去ログ一括   

[No.4565] Re: 雁木を尋ねて 投稿者:男爵  投稿日:2016/06/07(Tue) 05:08
[関連記事


画像サイズ: 406×496 (37kB)
> 今回は、秋田県の雁木を見に行ったので....

高速バスで東北自動車道を走る。

動物が多いせいか、動物に注意のマークが見られます。


[No.4564] Re: 雁木を尋ねて 投稿者:男爵  投稿日:2016/06/06(Mon) 05:36
[関連記事


画像サイズ: 465×500 (32kB)
> シンガポールを旅行して
> 建物の前に歩行者用の通路があることに気がつきました。

> あの「サンダカン八番娼館」を書いた山崎朋子の本にも書かれてあったが、
> シンガポールのチャイナタウンの店の軒先には屋根と柱が設置されていて、
> 裏日本の雁木作りのような構造になっているのです。
>   (雪国なので、どの家も廂〔ひさし〕が深かった   砂の器)

> それから私は北陸の雁木が見たくなり
> 本に書いてある雁木を探したり、人から聞いて
>  新潟県や長野県や青森県の雁木を見て回りました。

> 今回は、秋田県の雁木を見に行ったので
> 簡単に紹介したいと思います。

北秋田の鹿角地方の毛馬内(けまない)にあるというのです。 あと花輪に少し。

ここらは鉄道なら花輪線に乗って行けば行かれますが
鉄道の本数は一日に数本しかなく、同じようなルートを走るバスの方は十数本あります。

しかも、バスの方が早くて安い。

というわけで、今回はバスで行くことにしました。


[No.4563] 雁木を尋ねて/ 北秋田の毛馬内 投稿者:男爵  投稿日:2016/06/05(Sun) 14:17
[関連記事


画像サイズ: 734×551 (51kB)
シンガポールを旅行して
建物の前に歩行者用の通路があることに気がつきました。

たとえば店先にこの写真のような立派な通路が必ずついています。

あの「サンダカン八番娼館」を書いた山崎朋子の本にも書かれてあったが、
シンガポールのチャイナタウンの店の軒先には屋根と柱が設置されていて、
裏日本の雁木作りのような構造になっているのです。
  (雪国なので、どの家も廂〔ひさし〕が深かった   砂の器)

裏日本の雁木作りの場合は豪雪地帯なので、雪をよけて住民が歩けるように
その構造となっているわけだが、
シンガポールの場合は、どうやら強い日差しを避けるのと、突然やってくるスコール
にも住民がその軒下に逃げ込めて雨宿りができるためらしい。

いろいろ文献を読んでいたら
これは
ラッフルズの都市計画で、
全ての建物の前面に覆いのある約5フィート幅の通路(five-foot way, covered walkway)を
設けることが要求されていたという。

5フィートなら約1.5メートルだが、現在は幅2メートルが多いそうだ。

まあそれはともかく
それから私は北陸の雁木が見たくなり
本に書いてある雁木を探したり、人から聞いて
 新潟県や長野県や青森県の雁木を見て回りました。

今回は、秋田県の雁木を見に行ったので
簡単に紹介したいと思います。


[No.4562] 新世界を旅する 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/06/04(Sat) 06:42
[関連記事


画像サイズ: 610×471 (31kB)

 夕食後は、全員でお散歩です。緯度の高いところですし、夏時間とあって、まだまだ明るい。
 案内してくださる宿のご主人は薄いウインドブレーカーを羽織っておられたので、私もジャケットを着て、ついて行きました。
 先にお話したように、ここらは、アカディアの戦いの遺跡のあるところなのです。
 アカディアというのも、ケベック州の人たちと同じフランス移民なんですが、こっちのほうが古いのです。17世紀のはじめに合衆国のメイン州に上陸して入植したのですね。そこから、ここカナダのノバスコシアのアナポリスへ移ってきたのです。多分こちらのほうがファンディ湾の奥で、紀行が温暖だったのでしょう。だから、ここで、野菜や果物の栽培をして生計を立てていたのでしょうね。
 アカディアの語源は、ギリシャ語の「アルカディア(理想郷)」から来ていると言われています。
 しかし、イギリス軍の執拗な攻撃にあい、ここも理想郷ではなくなってしまいます。
 この戦闘の記念物や当時の建物が「遺跡」としてこの村に残されているのです。
 ご一緒した方は、カルフォルニアのご夫妻、カナダのオンタリオ地方の方、ご当地・ノバスコシアの方でしたが、皆さん、とても歴史や古い建物の保存などに関心の高い方のようで、ご主人の話に熱心に耳を傾け、質問をしておられました。
 何しろ、私は英語力が限られているので、中身はよくわかりませんが、一つだけ印象に残っているのは人口過疎地の悩みです。「この村の人口は、800人」と聞いて私が羨ましそうな顔をしたらしいのです。何しろ当時の日本は高度成長期、首都圏は人で溢れかえっていて、通勤電車に乗るのに「尻押しさん」が必要だった時代ですから。ご主人は「人口過疎地を維持していくのは大変なのです。どんな小さい村でも、学校や消防などの施設が必要。維持費は大きな村と大して変わらないのです」といっておられました。40年近く経って日本も過疎化に悩まされるようになり、あのときのご主人の「悩み」が理解できるようになりました。(因みに2013年の人口は481人です)。
 日が暮れてくると寒くなります。カナダはやっぱり寒いところです。
 宿に戻り、みなさんとハーブティーを大きなマグカップで飲んで温まりました。


[No.4560] 新世界を旅する 10 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/06/03(Fri) 06:59
[関連記事


画像サイズ: 470×535 (38kB)
 夕食の時間になりました。
 立派な食堂で宿泊客が一堂に会していただくのです。
 驚いたことに、前菜にも、メインにも、デザートにも「肉らしいもの」が入っていないのです。
 それを見て「ナントカ・タリアン」の意味がわかりました。はい。もちろん「オバタリアン」ではありません。「ベジタリアン」のことだったのですね。

 私は、今も昔も牛肉、豚肉はそんなに好きではありませんから、むしろ美味しく感じました。
 あとから聞いた話では「ベジタリアン」にも二種類あって「厳格派」と「まあまあ派」があるのですって。「厳格派」の人は「卵」や「乳製品」もご法度だそうです。完全なる精進料理を目指します。

 幸いなことに、このお宅は「まあまあ派」なので、「卵」や「乳製品」を上手に使ってヴォリューム感たっぷりのお食事を用意してくださったので大満足でした。

 ただ、気に入らないのが、コーヒー、紅茶の代わりに「ハーブティー」しか与えられないことです。正直「煎じ薬」みたいな飲み物は苦手です。

 まだまだ、当時の日本では、ダイエットだの、ベジタリアンなどと言うものは一般的でなかったのです。しかし合衆国もそうですが、カナダにも、健康志向、宗教的哲学的な動物殺傷反対主義者などなどいろいろなベジタリアンが大勢おられたのですね。
 あとで分かったのですが、この宿は「ベジタリアン」たちおすすめ宿だったのでした。

 少し疲れました。アチラでは、みなさんと会食するときは、黙々と食べてはいけなくて「おしゃべり」をしなくてはならないのですね。もちろん、おしゃべりは大好きですが、外国語でのおしゃべりは苦手。そこで、彼ら三組の中高年カップルは、私を「おしゃべりの仲間にひき入れようと、いろいろ話しかけてくださるのです。質問の意味を理解し、適切な答えを考えるのは不慣れな私には大変な「お仕事」でした。
 ああ、しかし「何事も経験」というお題目を唱えながら、一生懸命質疑応答に対応したのでありました。


[No.4559] 新世界を旅する  9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/06/02(Thu) 07:31
[関連記事


画像サイズ: 520×516 (42kB)
 さて、その民宿へいってみますと、これがまた、結構な邸宅なのであります。
 パンフレットによりますと「ノバスコシア」が一番輝いた時代、1885年の建築とのことです。
 ステンドグラスといい、マントルピースといい、なんともクラシックです。客室7室が、それぞれ素晴らしいです。
 そして、オーナーの、バーバラさん、テイラーさんが、自分たちの仕事に誇りを持って熱心に取り組んでおられるのが嬉しかったです。

 民宿に泊まるというのは単に安いというだけでなくて「土地の人の暮らし方」や「その土地の家、家庭」についていろいろ知ることができるまたとないチャンスなのです。

なお、屋号の「Bread and Rose」は、20世紀初頭、紡績工場の女工さんたちが叫んだ言葉。「もちろん、生活が出来るということは大事よ。でもそれだけじゃなくて少しは身近に美しいものも欲しいわ」という言葉からとったものです。


[No.4558] 新世界を旅する  8 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/06/01(Wed) 06:49
[関連記事


画像サイズ: 636×471 (48kB)
カナダ国鉄(VIA)は、あの広い国土に東西南北にわたって路線を持っています。展望車付きの豪華列車もたくさん運行していますが、当時はローカルな路線でも営業していました。今はどうでしょうか。
 Digby駅はなかなか立派ですが、当時から貨物が主役で、人間様の利用は少なかったようです。
Annapolis Royalまでの鈍行列車には乗客は私以外には一人だけです。
Digby とAnnapolis Royal間は僅か20キロメートルくらいしか離れていません。あっという間に着いてしまいました。
 ノバスコシア州はさつま芋のような形の島(正確には半島)ですが、Digby もAnnapolis Royal もファンディ湾沿岸の内海に向いた町です。

 向かっているAnnapolis Royalは、一時はノバスコシア州の州都でしたが18世紀中頃、州都がハリファックスに移ってからは、カナダ東部にしては温暖な土地の利を活かして野菜や果物づくりで暮らしていたようです。

 まずは、今夜の宿を確保して荷物を預かってもらわなくてはなりません。たしか、民宿のことは、タウンホールのなかにあった村役場のオフイスのオバサンに教えてもらったと記憶しています。宿に電話で聞いてくれて「朝食だけでなく夕食も出せるそうよ」と言っていたので2食つきでお願いしました。「夕食は、ナントカ・タリアンだけれどいいですか、と聞いているわよ」といいますので「何のことかな」と思いましたが、みなさんの食べられるものなら私にも食べられるはずとオーケーしました。


[No.4557] 旅の証明書5「パナマ運河」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/31(Tue) 20:38
[関連記事


画像サイズ: 640×475 (63kB)
旅の証明書5「パナマ運河」

このクルーズは、成田から、フロシダに飛んで、フロリダから客船「インフィニティ」(91,000トン)に乗り、カリブ海の島々を観光した後、パナマ運河を通過し、アメリカ西海岸の諸都市に寄港しながらシアトルまで北上、シアトルから帰国しました。

パナマ運河通過状況は、下記をどうぞ。

「ガツン閘門を行く」
http://www.youtube.com/watch?v=xezGgZmJbuU

「ガツン湖を行く」
http://www.youtube.com/watch?v=ooHXu07G6k4

「ペドロ・メゲル閘門を行く」
http://www.youtube.com/watch?v=oTQbWzwDjMQ

「太平洋に出る」
http://www.youtube.com/watch?v=oObO5iEPsKs


今回は、これでおしまい。
また、面白い資料が出てきたら、紹介します。

                 多摩のけん


[No.4555] 新世界を旅する  7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/31(Tue) 09:19
[関連記事


画像サイズ: 309×589 (26kB)
 なかなか大きな船で、キャビンのほか、レストランや、キオスクもありました。
 が、私は甲板で外の景色を眺めていました。今でもそうですが、海を眺めていると幸せになります。

  当時のことですから、東洋人の女性の一人旅、というので珍しがられて、甲板に屯している乗客からいろいろ聞かれました。
 一人できたのか。どうやってここまで来たのか。なぜ、こんな所へ来たのかーーーなどなど。
 「ニューヨークからボストン経由で、セント・ジョンまできた」と言いますと「It’s a long way!!」と言っていました。
 
  3時間弱の船旅はじきに終わり、みなさんは、クルマをとりに船底のパーキングへ行ってしまわれました。
 私は数少ない「Foot Passenger」ですから、さっさと降りて荷物を持って、鉄道の駅に向かいました。
 クルマを持って乗らなかった数人のお客さんは、埠頭に家族などが迎えに来ているのです。

 一人で駅に向かって歩いている私を見つけると、続けざまに何台もの車が止まってくれました。
 「どこへ行くの。駅まで?そりゃ大変だ。乗って行きなさい」と親切に言ってくださるのです。駅までは、僅か15分程度の距離です。あんまり皆さんにご心配をおかけしてはと思い6人目くらいの方のクルマに乗せていただきました。クルマもさることながら、ご本人も高級そうなスーツをかっこ良く着こなしておられる白髪の紳士でした。
 下さった名刺には「Salomon Brothers」と書いてありました。当時が全盛期だったようですがアメリカで知らない人はないような会社でした。あの後じきに霞んでしまったのですが。きっとオエライサンだったのでしょう。彼は名刺を渡しながら「カナダでも合衆国でも、もし何か困ったことがあったら、ここへ電話をしなさい」と言ってくださいました。厚く御礼を述べて駅でお別れしました。幸いお世話になるようなこともなかったのですが。


[No.4554] 旅の証明書4「マチュピチュ」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/05/30(Mon) 16:42
[関連記事


画像サイズ: 480×667 (69kB)
旅の証明書4「マチュピチュ」

ペルー・アンデス山脈山中標高2,430メートルにある高山都市マチュピチュは、あまりにも有名で、説明の必要はないですね。

高山病にかからないように、インカ帝国の首都クスコ(標高3,400m)に前泊し、身体を慣らしてからの訪問でした。
走るな、大声を出すな、と注意されながら、ゆっくりと歩いたことを覚えています。
(証明書は、大き過ぎて、A4のスキャナーにおさまらず、右端が一部かけています)



「世界遺産:マチュピチュ」
http://www.youtube.com/watch?v=Ebb8YLuPeng

                      多摩のけん


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 |