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[No.4541] ヨーロッパのあっちこっちへ 27 (最終回) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/24(Tue) 06:06
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 知らないほうがいいこと 後編

 楽しんでいた「飲み会」は、急遽中止となり、スチュワデスさんは、バタバタと片付け始めた。
 そして、突如、着陸態勢に入ったのであった。

 飛行機を降りて、パスポートコントロールを通り過ぎたところで、我々は、何人かの男性に包囲された。そのうちの一人が「Y新聞のナントカと申します。無事でよかったですね。怖かったでしょう」と仰せられたのである。聞かれた方は「きょとん」としていた。逆に乗客側から「何のことですか」と質問する始末。

 実は、乗っていた飛行機の機体は、マグダネル・ダグラス社のDC10。
 この機種は、それまでもいろいろトラブルがあったらしいが、 極めつけは1979年5月25日にはアメリカン航空のロサンゼルス行き191便がシカゴのオヘア空港を離陸した直後に墜落、死者273人を出した大惨事。この事故が機体そのものの欠陥によるとの見方から、アメリカ連邦航空局はDC-10の耐空証明(自動車の車検に相当)の効力を一時停止したため、他の国の航空当局も追随、全世界のDC-10が急遽、運航禁止になった。(これは、のちに冤罪で機体整備上の問題とわかり、7月11日に解除された) ところが、それを知ってか知らずか、スイス航空は離陸してしまったのであった。

 香港も、日本の運輸省(現・国土交通省)も、乗り入れを拒否した。ついに、スイス航空は「さまよえる航空機」になってしまっていたのであった。
 機長と管制塔との激しいやり取りが続いていたようだ。そしてついに「いよいよ燃料がぎりぎりになりつつある。他の空港を目指すという選択肢はない。乗客のうち80名は成田でおりる。その乗客のなかに大勢の日本人がいるはずである。この乗客を道連れにすることは覚悟のうえだろうな」と言い出した。これを聞いて当局は慌てたらしい。そして、おそらく官邸に相談の上、人道上の理由で「着陸許可」を出してくれたらしい。
 機長が情報を公開しなかったために我々は何も知らずに、キャビンでたのしく過ごせたのである。
 ときには「知らないほうがいいこと」もありますね。(知ったところで我々には、何もできないもの)
 ―――という訳で、この旅も無事終わりました。お読みいただきましてありがとうございます。

  明日からは「新世界(カナダ・アメリカ)の旅(1980年)」をお送りします。
 よろしくお願い申し上げます。


[No.4540] ヨーロッパのあっちこっちへ 26 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/22(Sun) 06:18
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 知らないほうがいいことも

 翌日、チューリッヒからスイス航空で成田に向けて帰国。ごく普通のフライトであった。南回りだから、カラチ・香港を経由して成田につくという長旅である。
 うとうとしていると、機内アナウンスで「都合により、先に成田へ着陸し、その後、香港へ向かう」と言っていたようだった。
 日本人にとっては有難たい変更である。

 どこのエアラインでも着陸2時間前になると、キャビンの窓を開け、電気をつけて、お客を起こし食事を配り、食後の飲み物を注いで回る。食事が終わってお膳を片付け終えてしばらくすると、飛行機は着陸の準備をする。
 しかし、時間的には、もう成田上空に来ているはずなのに、一向に着陸態勢に入らないのであった。
 どうやら、旋回している模様。しばらくすると機長のアナウンスがあった。「まだ成田から着陸許可がおりない」というような内容であった。
 成田空港は、いろいろ揉めた末どうにか開港に漕ぎつけたわけであり、まだまだ反対派の激しいデモも行われていた時期であったので、そういうこともあるだろうと思い、あまり気にしていなかった。
 ところが、その後、なんと、通路に「アルコール飲物、つまみ、リフレッシュメント」を積んだカートが登場したのである。珍しいことである、と同時に「これはきっと長引くな」と思った。    
 しかし、乗客のなかには、旅仲間と楽しそうにビールで乾杯しているひともいた。


[No.4539] ヨーロッパのあっちこっちへ 25 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/21(Sat) 06:48
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  いいえ、スイスは追いつきます

 列車に辛うじて乗れたお客たちは荷物を棚にあげて席に着くやいなやイタリアの悪口を言い出した。ドイツ語、フランス語、英語と言葉は違っていてもいっていることは一つ。イタリアのいい加減さである。言っていることは分からなくても、彼らの表情から言わんとすることはよくわかる。それでなくても、私は今まで、ヨーツパのあちこちでイタリア人の悪口を散々聞かされてきた。とくに、オーストリア、スイス、フランス、ドイツなど近隣諸国の人々は夢中でイタリア人の悪口をいう。彼らのいうことはいちいちもっともと思う。ただ、一つ納得できないのは、そんなに腹の立つ国にどうしてわざわざ遊びにくるのかということである。

 おどろいたのは私が隣の席の中年の婦人(スイスの人らしい)に「ローザンヌでラインゴールドに乗り換えたいのに定刻より40分も遅れしているから駄目でしょう」と話すと、彼女はまるで自分がスイス国鉄の総裁であるかのように、きっぱりと言った。「いいえ、あなたはラインゴールドに乗ることが出来ます。なぜなら、スイス国鉄は常に、イタリアの遅れを取り戻していますから。とにかく、スイスは全力を尽くします」。シザルパンがスイス国内を走るのはわずか2時間半である。その短い時間にどうして40分もの遅れを取り戻すことが出来るのであろうか。
 しかも、ドモドッソラまではイタリア国鉄が運転するはずである。

 しかし、ローザンヌにこのシザルパンがついたのは定刻に遅れることわずか4分。隣のホームにいたラインゴールドに乗り換えてから発車するまで充分に、時間があった。もちろん、スイス国鉄は頑張ってしゃにむにシンプロン峠を越していった。しかし、イタリア国鉄だって必死で走ったのである。


[No.4538] ヨーロッパのあっちこっちへ 24 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/20(Fri) 06:48
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 ミラノ中央駅8番線

 私の読んだ本によると、「ミラノの地下鉄には一車両20人位のスリが乗っています。特に、ナポリのドロボー学校の卒業シーズンの春から初夏にかけては実習生がたくさん乗ってきます。気を付けましょう」とあった。地下鉄のなかで私は緊張した。昼間ですいているので一車両22、23人の乗客しか乗うていない。−――とするとこのなかでスリでないひとは私のほかには一人しかいないはず。あの、おじいさんも、杖をついている人も、赤ちゃんを抱いたひともみんなスリなんだろうか。ばからしい。と思っているとほんの4、5分程でミラノ中央駅に着いた。

 この当時はパリ・ミラノ間はシンプロン越えのシザルパンが主役であった。駅の掲示によるとTEE「シザルパン」は10線から発車することになっており、ここにはスーツケースを引きずりながら大勢の人が集まっている。名物の駅弁を買おうとしたが例のセットになったものは売り切れで仕方なくサラミサンドとジュースを買った。列車は遅れている。私は心配になってきた。ジュネーブに行くについてはローザンヌで「遥かアムステルダムからケルン、バーゼルを経由してやってくる、かのラインゴールド」に乗り換えたいのだ。しかし、列車は姿を見せない。ややあって、アナウンスがあった。聞いている人の表情、動きなども合わせて判断すると、どうやら間もなく来るらしい。ただし、12番線に変更になったようだ。「ビナーリオ・ドーディチ」というのが私にも分かる。乗客はまた、てんでにスーツケースを引きずって12番線に移動する。乗客の大部分が例のヨーロッパ的なテンポで12番線にむけ、ゆうゆうと歩き、まだ着かないうちに突如、TEEは8番線に堂々と入ってきた。今度はアナウンスもない。バック一つで身軽な私はとにかく、一応8番線にいってみた。やっぱり到着した列車はレッキとしたシザルパンの看板をぶらさけている。私はあわてて飛び乗った。事態に気がついた人々が、ぞろぞろ12番線からやってきた。ところが、まだ、何人もの人がホームに残っているのに列車は走りだしたのである。そして、まるで、遅れたのはわれわれ乗客の責任ででもあるかのように長い車体をふりながら、もうぜんとスピードをあげていくのである。

 なお、遅ればせながら、昨年、ミラノ中央駅を訪れたところ、電光掲示板ができていて、発車10分前までには、番線が分かるようになっていた。


[No.4537] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/15(Sun) 15:48
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> 新青森駅では
> 龍飛崎や三厩のパンフレットを入手しました。

この約1カ月後に
バスツアーで龍飛崎(竜飛岬)や津軽海峡冬景色の歌碑など見る予定なので
その資料集めでした。

ここは新青森駅のバス乗り場です。

ツアーバスの乗り場もいちおう下見しました。

この竜飛岬のレポートは別の機会に
改めて報告したいと思います。


[No.4536] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/15(Sun) 15:41
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新青森駅では
龍飛崎や三厩のパンフレットを入手しました。


[No.4535] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/15(Sun) 14:20
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> ハリボテ、行灯、提灯?
> こういうものを、雪明かりと呼んで、冬の夜に飾る地域もあります。

> 実はこの催し物の企画は新青森駅に案内がありました。
> この旅行記の最後で紹介するつもりです。

青森駅そばで見たものは
「あおもり灯りと紙のページェント」でした。

これは新幹線の新青森駅でPRしていました。


[No.4534] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/15(Sun) 14:15
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> 木古内のつぎは蟹田に停まり
> そのあとは青森に停まります。
> この津軽海峡線の特急の終点は新青森です。
>
> 函館新幹線が走るようになると
> 蟹田駅は特急の停まる駅ではなく、津軽線の駅のひとつになってしまいます。

そういうわけで
たぶん 蟹田駅には来ずらくなることでしょう。

太宰治に縁のあった蟹田。


[No.4533] ヨーロッパのあっちこっちへ 23 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/05/15(Sun) 06:28
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  峠を降りる

 いよいよイリアを去る日が来た。例によって、奥さんにお礼の日本手ぬぐいをあげる。奥さんがお礼にと駅までクルマで送ってくれた。
 一旦、ボルサノに出てベローナ行きに乗り替える。列車は深い谷をどんどん下っていく。この谷の東側はかのドロミテアルプスであり、ここも津田正夫さんが推奨してやまないところである。アルプス越えのルートとしては一番楽なこのブレンナー峠越えのルート、ヨーロッパの歴史の舞台として、たくさんの才能ある人々がここを通っていった。彼らはより才能を豊かに開花させるためここを通ってイタリアへと急いだのであった。
 例えばモーツアルトは(当時は悪路だったので)馬車から転げ落ちそうになりながらアティジエ河の川音をロンド形式にまとめていたかもしれない。彼は、その頃すでにかなりイタリア語が上手だったらしい。この天才は音楽のみならず、商学、数学も好きだったとか。彼の手紙はいわゆる「モーツアルトの手紙」として有名だがこの中には、旅で接した自然のありさまはほとんど出てこないということが指摘されている。おそらく、風の音も、木の葉の間から漏れてくる南の国の日差しも、白い雪で覆われたやまなみも、言葉にはせずに音楽にしてしまったに違いない。

 ゲーテは教育パパの指導よろしきを得て一生懸命勉強したイタリア語がいよいよ彼に立つときがきたことに胸をときめかしていたに違いない。そしてここに来るまえにすでにミニオンに歌わせてしまった「君よ、知るや、南の国」を馬車のなかで口ずさんで、馬車が揺れて舌をかんだかも知れない。ゲーテのイタリア紀行を読むと、なにかにつけて知りたがり屋で感激屋のわれわれ日本人と非常に似たところがあって親近感をおぼえると同時にほほえましくなってくる。

 そんなことを考えているうちに少しつつ谷が開けてくる。トレントまでは駅の標識等もドイツ語、イタリア語が並記してある。しかし、ロベレートまでくるとイタリア語のみになってしまう。    
 そして、次のベローナでミラノ行きに乗り換える。列車はロンバルディア平原をまっしぐら、そしてミラノに着いた。イタリアのほんの入り口であるミラノから去るのはなんとしても残念である。しかしゲーテのように、二度もゴッタルト峠に立ちながら「まだ、その時期ではない」と言ってイタリアへ行かずに引き返したのとはわけが違う。単に予定の休暇が終わったから帰国しなくてはならないだけのことである。
 ところで着いた駅はミラノ中央駅ではなく、ミラノ・ガリバルジ駅という、大変偉そうな名前の駅で、ここから中央駅迄は3キロほどあり地下鉄で行かなければならないとのこと。やれやれである。


[No.4532] Re: 青森駅から夜行列車で北海道へ雪見に 投稿者:男爵  投稿日:2016/05/14(Sat) 07:52
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> 木古内のつぎは蟹田に停まり
> そのあとは青森に停まります。

> 函館新幹線が走るようになると
> 蟹田駅は特急の停まる駅ではなく、津軽線の駅のひとつになってしまいます。

> 蟹田駅にかわって、新しくこの地域の新幹線停車駅になるのは
> 奥津軽いまべつ駅です。

>  交通事情のあまりの変化に、地域の人たちも当惑ぎみでした。

奥津軽いまべつ駅は、津軽線の乗換駅です。

奥津軽いまべつ駅には
道の駅いまべつと津軽線津軽二股駅が隣接しています。

新幹線でやってきて、ここで津軽線に乗り換えて三厩駅まで行くという人はなかなかいないでしょうが
地元の交通整備が望まれます。

http://www.trainfrontview.net/ssj/oktugr.htm


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