画像サイズ: 500×375 (21kB)> このあとは> 秘窯の里 伊万里> です。伊万里・有田焼 伝統産業会館日本ではじめて磁器が生まれたのは、江戸時代初め、いまの佐賀県有田町でした。この日本で唯一の磁器生産地を持った鍋島藩は、有田の優秀な陶工を集めて藩直営の窯を築き、献上、贈答用の磁器を焼かせました。1675年、藩窯は、山深い伊万里市大川内山(おおかわちやま)に移り、以降明治4年の廃藩までこの地で活動を続けました。その技法の秘密は厳守され、不良品も外部に持ち出される事なく処分されました。
画像サイズ: 610×2227 (91kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 98日目「リトアニア」2この日はヴィリニウス近郊の「トラカイ城」、リトアニアの元首都「カウナス」を観光しました。 「トラカイ城」ヴィリニウスの西方約27kmにあるトラカイ城は、ガルウェル湖の中の島に、リトアニア大公ゲデミナスによって、14世紀半ばに建設され、世界遺産に登録されています。(写真1 トラカイ城のある場所、写真2.トラカイ城) ※写真をクリックすると、大きくなります。 ビデオは下記をクリックして下さい。「リトアニア・トラカイ城」http://www.youtube.com/watch?v=tseG-hiv3Jw「カウナス」 カウナスは元のリトアニアの首都で、トラカイ城の約100km南にあります。 14世紀半ばに建設されたカウナス城をはじめ、古い建物や教会が建ち並んだ美しい街でした。 (写真3.カウナス城、写真4.カウナスの家並)「杉原記念館」 杉原千畝の記念館です。彼は第二次世界大戦中、カウナスの日本領事館に勤務していましたが、ナチス・ドイツに追われたユダヤ人に大量のビザを発行し、約6000人のユダヤ人を出国させました。 当時、日本はドイツと同盟国でしたので、この行為は日本にとっては背任行為でした。(写真5.旧日本領事館:現、杉原記念館、写真6.杉原千畝) ビデオは下記をクリックして下さい。「リトアニア・カウナス寸描」http://www.youtube.com/watch?v=zwqFytinlIsヴィリニウスのホテルへの帰途、「レストランPreskos」で夕食をとって、午後8時頃、ヴィリニウスのホテルに着きました。 多摩のけん
画像サイズ: 400×300 (24kB)> ハウステンボスのあとは> 佐世保市にある展海峰です。> (西海国立公園の南九十九島の展望公園)このあとは秘窯の里 伊万里です。日本中どこへ行っても中学生も高校生も携帯電話やスマートフォンが手放せないようです。
画像サイズ: 610×2375 (89kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 87日目 午後「リトアニア」 ラトビアのリガからバルト3国の最後の国リトアニアの首都ヴィリュニュスに移動しましたが、約235km、4時間半のな長丁場でした。(写真1) ※写真をクリックすると、大きくなります。国境はエストニア側(写真2)は出国ですから、ノンストップで通過しましたが、リトアニア側(写真3)は入国なので停車し、入国手続きをしました。入国手続きをしている間に、私たちはリトアニアの通貨に交換しました。(写真4)もちろん、国境には国防のための城や大砲はありませんでした。「十字架の丘」 国境を超えてしばらく行くと、「十字架の丘」がありました。十字架の丘はクリスチャンでない私には、次元の異なる異様な光景でした。(写真5、6)その発祥の経緯はよくわかっていませんが、初めてここに十字架が立てられたのは1800年初頭といわれています。十字架の正確な数は分かっていませんが、約5万くらいだろうと推測されています。ビデオは下記をクリックして下さい。「リトアニア入国と十字架の丘」http://www.youtube.com/watch?v=UyF2_7RCorQ十字架の丘を見た後、更に南下して、午後8時にヴィリニウスのホテル「ル メリディアン ヴィロン」に着きました。 多摩のけん
画像サイズ: 500×375 (33kB)> ここには> 天然の美(美しき天然)を作曲した> 田中穂積の銅像があります。> 田中穂積は、佐世保鎮守府に第三代軍楽長として赴任しました。> そのかたわら、私立佐世保女学校で音楽を教え、「美しき天然」を作曲したのです。> https://www.youtube.com/watch?v=ozsvybhrb8E> この曲は日本初のワルツとされていますが、サーカスの歌としてよく知られています。日本で作られた音楽が韓国で歌われたもので有名なものに鉄道唱歌などがあります。こういうテーマを研究している在日の研究者がいます。彼女は姜信子といって著書としては、日韓音楽ノート 「越境」する旅人の歌を追って (岩波新書)があります。しかし、この本には「天然の美(美しき天然)」は探したが見つからなかったので載せていません。ところが、中央アジアに行った人から中央アジアで、天然の美(美しき天然)がコリアンたちによって歌われていると教えられ彼女は調査に行くのです。「天然の美」と百年の記憶1937年沿海州で暮らしていた高麗人は、スターリンによって中央アジアの国々へ追放された。「天然の美」は1900年の初めで佐世保の女学校で生まれ、日本の発展とともに朝鮮、満州に渡り、その地で異なる歌詞がつけられ別々に発展、そして中央アジアまで運ばれ、独自の歌となった。https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%BD%E6%94%BE%E3%81%AE%E9%AB%98%E9%BA%97%E4%BA%BA-%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%A0-%E2%80%95%E3%80%8C%E5%A4%A9%E7%84%B6%E3%81%AE%E7%BE%8E%E3%80%8D%E3%81%A8%E7%99%BE%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6-%E5%A7%9C-%E4%BF%A1%E5%AD%90/dp/4883440842旧ソ連に生きるコリアンたちが,その流転の生の道連れに口ずさんでいた歌そして旅の物語http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0018140/top.html私はラジオ深夜便で、姜信子の天然の美を求める旅のことを知ったのでした。
画像サイズ: 500×667 (36kB)> ハウステンボスのあとは> 佐世保市にある展海峰です。> (西海国立公園の南九十九島の展望公園)> ここには> 天然の美(美しき天然)を作曲した> 田中穂積の銅像があります。 田中穂積は、佐世保鎮守府に第三代軍楽長として赴任しました。そのかたわら、私立佐世保女学校で音楽を教え、「美しき天然」を作曲したのです。https://www.youtube.com/watch?v=ozsvybhrb8Eこの曲は日本初のワルツとされていますが、サーカスの歌としてよく知られています。
画像サイズ: 550×2372 (92kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 77日目「リガ」リガはラトビアの首都です。(写真1) ※写真はクリックすると大きくなります。新市街では「アールヌーボ建築」と呼ばれる建築様式の建物が立ち並び、世界遺産に登録されています。(写真2)リガにも、黒い屋根のキューポラ5本を戴いた美しい「リガ・ロシア正教」の教会がありました。一方、旧市街は城塞(写真3)に囲まれ、古い建物が数多く残っていました。リガ城は、現在は美術館、博物館、大統領官邸として使われていました。旧市街には、13〜14世紀に建てられた教会が多く、その1つ、聖ヨハネ教会は、建築に際して教会の壁に、生きた聖人が人柱として2人埋め込められたそうです。(写真4)自由行動になった時、私たちは13世紀に建てられた「聖ペトロ教会」(写真5)の123メートルの塔に登り、ギガの街を一望しました。(写真6)ビデオは下記をクリックして下さい。「ラトビア・リガ寸描」http://www.youtube.com/watch?v=CFnTflYMfV0「ルンダーレ城」リガ郊外にあるルンダーレ城は「バルトのベルサイユ」といわれていますが、その名にふさわしい素晴らしい宮殿でした。(写真7)庭園も広く、幾何学模様に美しく整備されていました。この宮殿は、クールランド大公国のロビン公によって建てられたバロック様式の宮殿で、部屋は138部屋あるそうですが、そのうち約40部屋を見学しました。18世紀の古伊万里のコレクションもありました。 ビデオは下記をクリックして下さい。「ラトビア・ルンダーレ城」http://www.youtube.com/watch?v=DGkl7dbykVo 多摩のけん
画像サイズ: 500×375 (22kB)> ハウステンボスのあとは> 佐世保市にある展海峰です。> (西海国立公園の南九十九島の展望公園)> やっと展海峰に着きました。九十九島のすばらしい眺め。その昔、学生時代に友人たちと長崎の旅行にきたことがあります。私は長崎市内で電車に乗って、シーボルトゆかりの地や出島跡地など見て回ったのですが別の友人は、この九十九島観光をしたようです。当時はこの展海峰はなかったので、別の地で観光したのでしょう。
画像サイズ: 400×300 (27kB)> ハウステンボスのあとは> 佐世保市にある展海峰です。> (西海国立公園の南九十九島の展望公園)佐世保の市内を通ってやっと展海峰に着きました。ここには天然の美(美しき天然)を作曲した田中穂積の銅像があります。
紋次郎さん>「リッタの聖母」。この作品はかなり問題のある作品のようですね。現在では、ダ・ヴィンチ本人でなく、工房の弟子がその大半を描いたという説が支配的のようです。作者はジョヴァンニ・ボルトラッフィオ、マルコ・ドッジョルノのどちらか。 >もっとも、あっしなど割とルネッサンスの絵画を見る機会があるのですが、弟子と云ったって、師匠より上手いのはざらにいます。 >もっとへっぽこな画家の弟子なら、大したことはないでしょうが、何と云ったって、あの天才ダヴィンチの弟子ですよ。 >この作品は、暗殺されたロシアのアレクサンドル2世が、イタリアはミラノのリッタ公爵家から、莫大な代金を払って手に入れたようですね。 >また最初は、モスクアに展示してあったのが、第2次大戦終結直後に、サンクト・ペテルブルクへ移されたとも云います。 >折角の見学にケチをつけるわけではありませんが、ショウジキこんな感想を持ったのでご勘弁のほどを。<(_ _)> >もっとも、日本語版のウィッキーは、所蔵するエルミタージュは、真作だと云っていると書いているので、それが正しいのかも。 さすがに詳しいですね。 私など、美術品の観賞より、如何にしたらビデオの「よい映像が撮影できるか」 が、何よりの関心事です。(^_^.) しかし、「リッタの聖母」は、ダ・ヴィンチの作というので、撮影後キチンと 見ました。(観賞ではない!) 単純人間だから、「贋作」など毛頭思いませんでした。(毛頭はないけれど) 多摩のけん