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[No.4688] (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 19 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/29(Fri) 06:37
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 ブレンナー峠を通って、メラーノへ 1

 さて、その翌日は、インスブルッグを発って、列車で南下し、ブレンナー峠を越えてイタリア領の「南チロル」へ行きます。

 まずぱ「ブレンナー峠越え」です。
 昔から、たくさんの北ヨーロパの人たちが「レモンの花咲く南の国」へ行きましたが、南へ行くには、南北ヨーロッパを分断している「峻険なヨーロッパ・アルプス」のどこかの峠を超えなければなりません。今だってそうです。

 グラン・サン・ベルナール峠 (2,473m)、ゴッタルド峠(2,106 m)、モン・スニ峠 (2,083m) 、シンプロン峠(2005m)―――と、どれも2000メートル以上あり、とてもじゃないけれど簡単には越えられません。とくに、グラン・サン・ベルナール峠を越すのは命がけでした。
 たくさんの遭難者の救助に活躍したのが救助犬でありました。救助犬は猛吹雪の中をも厭わず樽に詰めたブランデーや食料や気付け薬を首にぶら下げて遭難者へ送り届けていたのです。
 なお「お騒がせ人間」のナポレオン・ボナパルトご一行さまは、この峠で、ワイン21000本とたくさんの食料を調達して勘定を踏み倒しました。

 そういう峠の中で、比較的低いのが、ブレンナー峠でした。ブレンナー峠は、イタリア語ではブレンネロ峠 Passo del Brenneroですが、オーストリアとイタリアとの国境にある峠(1375m)です。この峠の道はインスブルックから南に伸びる、ものすごく深い谷に沿っています。
 ここも「分水嶺」ですが、スケールが大きい大分水嶺です。
  北は、Sillジル川〜Innイン川〜Donauドナウ川を経て「黒海」Black-Seaへ
  南は、Eisackイザルコ川〜Adigeアデイジ川を経て「Adria海(地中海)」へと流れていきます。
 私が小学校時代を過ごした兵庫県の生野町も、日本海と、瀬戸内海との分水嶺にありました。 
 とにかく、分水嶺には夢があります。
 古代ローマ軍団はここを通って北へ向かい、カルタゴのハンニバル将軍も現在のフランスから、象を先頭に立ててアルプスを越えた、ということになっていますが未だに定説ではないらしいのです。象さんも、いくら戦争用として訓練されていたにしても大変でしたね。ご苦労さんでした。

 列車は、谷底を走っています。
 更に、その下の方を、川が流れていで、辺りはむせ返るような若葉の季節です。
 今度は上を眺めますと、これまた、山並みが高くそびえています。

 そして、はるか、上の方に、ヨーロッパ随一の高さを誇るヨーロッパ橋“オイロパ・ブリュッケ”(高さ190m)イタリア語Europa Ponte が見えます。長い割には橋桁も道路も細いのです。高所恐怖症の方はお覚悟を。 
 それでも、この辺りで「バンジージャンプを楽しむ方」も大勢おられるそうです。
 写真は撮れませんでした。窓は開かないし、下り坂で結構スピードを出しているし。何より列車は谷底みたいなところを走っていますから。

 国境の「ブレンナー駅」では、しばらく停車します。機関車の付け替えもしなくてはなりません。オーストリアは交流15,000ボルト、イタリアは直流3,000ボルトですから。

 それと、近頃は「テロ警戒」もあり、停車中に、武装したオーストリアの武装警官が数人で廊下を通り抜けます。その後、イタリア側の武装警官が、ぞろぞろ廊下を歩きます。


[No.4687] (3)佐賀からの帰り道 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/29(Fri) 05:10
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後楽園の中にきびだんごの店がありました。

やはり、ここは岡山県。


[No.4686] Re: (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 18 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/28(Thu) 06:51
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 湖畔の村は建設ブームです。


[No.4685] Re: (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 18 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/28(Thu) 06:50
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 雨の中を、観光船に乗ります。


[No.4684] (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 18 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/28(Thu) 06:49
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 SLとアーヘン湖 3

 車窓からの長めも素晴らしいです。
 近くには、ホテルやペンションもあり、また、途中の駅から乗り降りするお客さんも結構おられました。機関手は、何か「見せたいもの」があるときは「ぴっひょ〜ひょ〜ぅ」というような汽笛を鳴らします。なんとも「ケッタイな音」ですが、もしかすると「ヨーデル」の音を表現しているのかもしれません。
 出発地イエンバッハと終点のSeespitz駅との距離はわずか7キロ弱ですが、高低差が400m以上もあります。このため最大16%にも達する急勾配を登るのです。あの音は、もしかすると機関車の「悲鳴」?
 終点が近くなるころ、ロープウエイに出会いました。

 終点駅では、アーヘン湖の観光船の桟橋の、すぐ脇に止まってくれるのです。
 「バス停が桟橋のすぐ脇にある」いうのは、よくある話ですが、列車の場合は普通はそうは行きません。それをやっちゃうところがすごいです。
 なぜか、観光船に乗ろうとすると雨が降ってきました。周囲の山々は雲の中です。
 ま、ここでは、頭を切り替えて、船内でランチをいただくことにしました。
 ソーセージとじゃがいものサラダとパン。けっこう美味しかったです。
 少しお天気もよくなったので、途中の船着場で降りて村の散歩をしました。
 ところが下船するときに、モンジロウ氏が、切符を渡さないで降りたらしいのです。
 切符切りの恐いオバサマが「アンタのお連れさんから、まだ切符を受け取っていない。呼んできなさい」というのです。
 ところが、モンジロウ氏はずっと先の方を歩いていて捕まらない。そのうち船も出港してしまいましたが。モンジロウ氏は遊覧船が通るたびにオバサンが追いかけてくるのではないかと戦々恐々としていました。

 気がついたのは、村の建設ブームです。ホテルやペンション、レストランなどが次々と建つらしく、建設機械がうなりをあげていました。
 いよいよ、アーヘン湖とお別れ、というときになって、少しずつ晴れ間が広がり景色も見えてくるようになりました。しかし、ロープウエイには乗りそこねました。

 斯くして、SLと観光船の旅は終わりました。

 最初の写真は機関車のネームプレート。我々の機関車「JENBACH号」は、4機あるうちの2号機なのでした


[No.4683] (3)佐賀からの帰り道 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/28(Thu) 04:53
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> 後楽園もいつか見たいと思っていましたが
> やっと実現しました。

後楽園は日本庭園なので
こういう橋がありました。


[No.4682] Re: (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 17 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/27(Wed) 07:54
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 外から失礼します。検札です。


[No.4681] (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 17 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/27(Wed) 07:01
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 SLとアーヘン湖 2

 機関車は、奥にある車庫からお出ましになります。
 SLですから、いろいろ準備が大変でしょう。
 おそらく、燃料や水などの補給。窯の様子の確認などもするのでしょう。
 そして、客車を連結してホームへ入ってきます。
 機関車は列車の末尾につけていました。
 なお、途中駅で、もう一台、機関車を先頭につなぎます。
 まさに「機関車が先引き、機関車が後押し、何だ坂、こんな坂」の歌のとおりです。

 我々の乗った客車は、木造ですが、コンパートメント方式で、一室8名乗れます。
 客車と客車を結ぶ通路はありません。
 
 列車は一時間に一本の割合で、へんな汽笛を鳴らして出ていきます。
 走行中も、いろいろ面白い「見せ場」が用意されています

 走っている列車の外から「もしもし、お客さん、検札です」とチロルの民族服みたいな制服を着た車掌さんが声をかけます。
 「って、いったって、アンタ、走っている列車の外から検札しようっていうのかね」とお客さんか言います。「大丈夫ですよ。この客車の外側についているステップに足を乗せていますから」「だって、アンタどこにも掴まらないで大丈夫かい?」「長年この仕事をやっていますから、慣れたもんでさぁ」などというやり取りが車両ごとに交わされます。
 「すみません。手前に座っているお客さんへお願いなのですが、奥の席に座っているお客さんの切符を代わりにもらって、こっちへ渡して頂けますでしょうか」「よっしゃ。そら、奥に座っている奥さん、こっちへ手渡してください。私が車掌さんへ取次ぐから」なんていいながら、お客さんも、この車掌さんの手伝いを結構楽しんでいる様子でした。

 日本の観光産業は「お も て な し」一直線。でも、こういう「ちょっとした遊び心」があってもいいような気がします。


[No.4680] (3)佐賀からの帰り道 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/27(Wed) 05:05
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なんと
後楽園の中に丹頂鶴がいたなんて。

>「千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりいる宿の行末」(池田綱政)
> ある日、延養亭の前庭に降り立ったタンチョウをみて、藩主綱政が瑞兆(おめでたい出来事の兆し)と喜び和歌を詠んだという記録が残っています。
http://www.okayama-korakuen.jp/info/crane/

どうやら昔から丹頂鶴を飼っていたらしい。


[No.4679] Re: (続)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 16 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/26(Tue) 08:32
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 この切符、大きさは、日本の昔の国鉄時代の切符と同じです。


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