画像サイズ: 612×2148 (90kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 66日目 「ラトビア」へエストニアからラトビアへ移動しました。約300kmの行程です。(写真1) ※写真をクリックすると、大きくなります。途中、民芸店に寄りました。はじめて見る珍しい民芸品が並んでいました。また、精巧な切り子ガラスがあったのは、意外でした。(写真2)国境ですが、両国の間には小さな川があるだけで、見える範囲には城壁や見張りの塔などは無く、のんびりした国境でした。(写真3.国境の川、写真4.国境)ビデオは下記をクリックして下さい。「エストニアからラトビアへ」http://www.youtube.com/watch?v=nzyHujN-O0w 「トウライダ城」 トウライダ城はガウヤ国立公園の中にある大きな高い塔を持つ城ですが、この塔に登って周囲を展望しました。 周囲は一面森、森、森...の連続でした。 (写真5.トウライダ城、写真6.塔の上からの眺望) 城の塔は博物館になっており、教会がありました。 また地下は牢獄で、当時(15〜16世紀)使用された拷問用の器具などが展示されていました。 因みに「トウライダ」とは、現地語で「神の庭」という意味だそうです。ビデオは下記をクリックして下さい。「ラトビア・トウライダ城」http://www.youtube.com/watch?v=MqaXu5hFwGQ午後5時過ぎ、ラトビアの首都「リガ」に着きました。 多摩のけん
画像サイズ: 500×375 (44kB) ハウステンボスのあとは佐世保市にある展海峰です。(西海国立公園の南九十九島の展望公園)雨もやんできて、またバスに乗り移動します。バスの中での昼食です。
> ロシアとバルト3ヶ国の旅 2> エルミタージュ美術館は、1764年にエカテリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが起源といわれている歴史の古い美術館で、所蔵数は絵、画15,000点、彫刻12,000点、コインその他を含めると270万点以上と言われています。> 1992年に世界遺産に登録されました。 「リッタの聖母」。この作品はかなり問題のある作品のようですね。現在では、ダ・ヴィンチ本人でなく、工房の弟子がその大半を描いたという説が支配的のようです。作者はジョヴァンニ・ボルトラッフィオ、マルコ・ドッジョルノのどちらか。 もっとも、あっしなど割とルネッサンスの絵画を見る機会があるのですが、弟子と云ったって、師匠より上手いのはざらにいます。 もっとへっぽこな画家の弟子なら、大したことはないでしょうが、何と云ったって、あの天才ダヴィンチの弟子ですよ。 この作品は、暗殺されたロシアのアレクサンドル2世が、イタリアはミラノのリッタ公爵家から、莫大な代金を払って手に入れたようですね。 また最初は、モスクアに展示してあったのが、第2次大戦終結直後に、サンクト・ペテルブルクへ移されたとも云います。 折角の見学にケチをつけるわけではありませんが、ショウジキこんな感想を持ったのでご勘弁のほどを。<(_ _)> もっとも、日本語版のウィッキーは、所蔵するエルミタージュは、真作だと云っていると書いているので、それが正しいのかも。
画像サイズ: 610×2346 (91kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 55日目「タリン」エストニアの首都タリンの旧市街は、城砦の中にありました。城塞の内側の壁を利用して土産店や花の店が並んでいました。(写真1) ※写真はクリックすると大きくなります。街の建物は赤い円錐形の屋根に白い円柱形の本体がついたおとぎの国の家のような建物が並んでいました。(写真2)また、黒いきのこのようなキューポラを5個頂いている1900年代初期に建てられたロシア正教教会「アレキサンドル・ネフスキー教会」の美しさが印象的でした。(写真3)ロシアから独立した時、撤去する話しもあったそうですが、美しいので残すことになったそうです。1219年にデンマーク人によって建てられた大聖堂は、17世紀後半に焼失し、現在のものは、100年かけて再建し1772年に完成したものです。旧市街の中心地「ラエコヤ広場」(写真4)や、メイン・ストリート「ヴィル通り」(写真5)は、観光客や地元の人で賑わっていました。昼食後は自由行動で、さらにのんびりと旧市街を散策を続けました。丁度、白い馬車に乗った花嫁・花婿さんに会い、このような姿はどこであってもいいですね。(写真6)ビデオ・カメラを向けたら、花嫁さんが手を振ってくれました。ビデオは下記をクリックして下さい。「エストニア・タリン寸描」http://www.youtube.com/watch?v=J_emGhO1yUc 多摩のけん
画像サイズ: 700×328 (36kB)> ハウステンボスは2度目です。 > 私がここを訪れたとき> あのマイケル・ジャクソンがハウステンボス内のホテルに泊まっているということで> おっかけギャルたちが大勢いました。 > それからすっかり変わっていました。調べたら1993年9月だったようです。なんだか8月に、少年の父親によって告発がありマイケルは、その翌月に来日しているので当時のハウステンボスも、USAからの取材陣も殺到していて大変だったとのこと。(福岡で公演したらしい)
画像サイズ: 700×346 (47kB)> ハウステンボスは2度目です。> > 私がここを訪れたとき> あのマイケル・ジャクソンがハウステンボス内のホテルに泊まっているということで> おっかけギャルたちが大勢いました。> > それからすっかり変わっていました。調べたら1993年9月だったようです。 (つまり19年ぶりでした)
画像サイズ: 500×375 (44kB)> バスはしばらく走って、やかてハウステンボスに着きました。> ハウステンボスは2度目です。> それからすっかり変わっていました。ここは印象に残っている場所です。雰囲気は昔のままです。
画像サイズ: 600×3335 (90kB)ロシアとバルト3ヶ国の旅 44日目エストニア へ「国境の城」ロシアからエストニアに移動しました。約360km、6時間の移動です。ロシアとエストニアの国境はナルヴァ川ですが、ナルヴァ川を挟んで、両国の要塞が対峙していました。国境に免税店がありました。ナルヴァ川に架かる橋の中央で、出国、入国の手続きをして、エストニアの城(ナルヴァ城)に入りましたが、大砲がロシア側に向けられていて、「これが国境なのだ。」と実感しました。ナルヴァ城は13世紀に造られたそうです。城内は意外に広く、昼食は城内のレストランでとりました。もともと国防のための城でしょうが、今は観光施設のようです。昼食をとっている間に、ロシアから来たバスは帰り、新たにエストニアのバスが来ていました。もちろん、トランクなどの荷物は積みかえられていました。(写真1.移動コース、写真2.国境の免税店、写真3.国境、写真4.国境の橋、写真5.国境の川「ナルヴァ川」、写真6.アストニアの城「ナルヴァ城」、写真7.ロシアの城) ※写真をクリックすると大きくなります。 ビデオは下記をクリックして下さい。「国境の城」http://www.youtube.com/watch?v=JetvPKX70ZU「エストニア野外博物館」エストニア野外博物館は、海の見える小高い丘の上の広大な敷地に、昔ながらの藁葺き(素材は違うかもしれません)の農家がいくつもありました。高齢の女性が編み物などしていましたが、昔の日本の農家とほとんど同じでした。農民の生活は、基本的には洋の東西を問わず同じだと思いました。(写真8.野外博物館の建物の例、写真9.民芸品を作っていた女性)ビデオは下記をクリックして下さい。「エストニア野外博物館」http://www.youtube.com/watch?v=DRsQI3sH024その後、エストニアの首都タリンに向かい、午後6時前にタリンのホテル「ラディソンSAS」に着きました。 多摩のけん
画像サイズ: 400×300 (21kB)ハウステンボスの中には佐世保バーガーの店もありました。佐世保は軍港で、戦後に米海軍が進駐したのでアメリカ人好みのハンバーガーの店ができたのです。同様の理由で横須賀基地の米海軍がもたらしたヨコスカネイビーバーガーというものもあります。 ヨコスカネイビーバーガーを食べにわざわざ横須賀線で横須賀まで行ったことがあります。佐世保はバスで通過しただけなので佐世保バーガーは、札幌狸小路で食べました。
画像サイズ: 400×533 (45kB)ハウステンボスは長崎から近いから長崎名物の「ちゃんぽん」もあります。しかし「トルコライス」もありました。「トルコライス」は、長崎発祥の食べ物として有名です。「トルコライス」は、トンカツ、カレーピラフ、スパゲッティーを1つの皿に盛ったものです。 (イスラムの国のトルコにトンカツ料理の名前をつけるなんて)