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[No.4627] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/09(Sat) 04:12
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> 1989年10月に
> 中国西安に行きました。

空海はここ西安(当時は唐の都の長安)で受戒したのです。

弘法大師つまり空海は、西安の青竜寺で恵果の教えを受けたのです。

そういうわけで青竜寺の見学です。

恵果空海記念堂額には右から書いてあるんですね。


[No.4626] 続・新世界を旅する 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/08(Fri) 06:44
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ニューヨーク、ニューヨーク 2

 実は、出発前に、この「ニューヨーク支店行き」の話を上司にしましたところ「せっかくだから、私が所属していたプロジェクトの仕事の専門家が、アメリカのC銀行におられるからお話を伺ってくるといい」と言われたのです。(当時は法人業務の開発部門にいました)
 そして、さっそくニューヨーク支店を通じてアポをとってくださっていたのです。
 これが、度重なる海外旅行に於ける、後にも先にも、唯一の「海外でのお仕事」でした。
 なかなか時間が合わせられなくて、結局、先方がビジネスランチをセットしてくださったのでした。もちろん、ニューヨーク支店の人がアテンドしてくれました。

 さて、出かける前に「お手洗いを拝借したい」と支店の人にお願いしますと、鍵の束を与えられ、これで、どこそこのドアを開けて、なかにはいったら、別の鍵でお手洗い室の鍵を開けてーーーと鍵の使い方の順を教えてくれました。「ああ、ニューヨークで働くということは大変なんだな」ということを実感しました。

 なぜか、先方の指定の場所はお寿司屋さんで畳の部屋に、先方の担当者の方(日本流で言うと副部長とのこと)が同伴してこられた通訳の方が 日本語が達者なのですが中国人の方でした。
 「和室」であぐらをかいている「青い目のビジネスマン」と「日本語の達者な中国人女性」という不思議な環境でしたが、ビジネスに関することは、お互いとてもよく分かってお話は捗りました。
 ただ、あちらの通訳の方が「あなた、ニューヨークのお寿司は世界一美味しいのよ。残すと、あとで後悔するわよ」と言われたのには「えっ」と思いました。確かに、ネタは良かったです。

 写真は、あまり海外で買い物をしない私が、五番街で買った「ニナリッチ」のバッグです。
 使い古しましたがご健在。40年近くも、よくもったと思います。


[No.4625] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/08(Fri) 04:51
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> 1989年10月に
> 中国西安に行きました。
>
> 実はその1年前に西安交通大学に招待され講演をする約束をしていたのです。

西安交通大学にあったパンダのゴミ箱。

お気づきの方もいるかもしれませんが
西安交通大学に警察官が勤務しています。

日本の大学なら警察官が入るには、一般には手続きが必要ですが
中国の大学の中には交番があり、警察官が常時勤務しています。

なにしろ
大学の中は広く、教員のアパートあり、商店あり、教員の子どもたちの通う保育園や小学校もあるのです。

一種の大学村


[No.4624] Re: 雁木を尋ねて 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/07(Thu) 16:10
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> > 高速バスで東北自動車道を走る。
>
> > 動物が多いせいか、動物に注意のマークが見られます。
>
> さいきんクマはよく出没しますが
> 市町村道で車に轢かれたタヌキの死骸を見ることがあります。

今回はタヌキのマークの写真を撮れなかったことが残念。

これはイノシシのマーク(?)
東北にはなく、富山県の高岡で写したものです。
 いまいちさん,お世話になりました。


[No.4623] 続・新世界を旅する 8 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/07(Thu) 08:09
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ニューヨーク、ニューヨーク 1

 その日は「ニューヨーク見物」に行きました。ついでも、勤め先のニューヨーク支店へも行きました。
 勤め先の元上司が、ニューヨーク支店長になっていて「折角、東海岸にくるのなら、ちょっと寄りなさい」と言ってくださったからです。
 それでなくても忙しい元上司にご迷惑をかけるのは心苦しかったのですが「あなたの当時の同僚が何人かいるから、手分けして、アテンドさせるから」といってくださったので、半日くらいはいいかな、と思って伺いました。それと、海外支店の様子なども知りたかったのです。

 スタンフォード駅までは、牧師さんのポンコツで送っていただき、ニューヨークのセントラル・ステーションまで、バスで行きました。アメリカでは、珍しい中距離通勤電車です。我が藤沢駅から丸の内へ通う雰囲気です。座席は、ほぼ埋まっていましたが、サラリーマンが、ゆったりと新聞を広げて読めるようなゆとりがあり「尻押しさん」に詰め込んでもらってやっと乗れる東京の通勤電車とは大違いでした。

 セントラル・ステーションは、東京駅や、ヨーロッパの大都市の列車の駅に比べて「なにか薄汚い」と感じました。そしてコンコースに出るやいなや、チラシを渡されました。たしかニューヨーク警察からもので「観光客のみなさま、ようこそ、ニューヨークへ。でも、お気をつけ下さい。残念ながらスリやひったくりも、あなた様のお越しを大歓迎していますので」とありました。
 このチラシ、他にも何人から人がもらっていました。でも、どうして、私が観光客と分かったのでしょう。
 おまけに、地下鉄の駅でも、添付の写真のようなビラをもらいました。
 好奇心の旺盛すぎる私は「キョロキョロ」とあちこち見回してばかりいますから、スリにはいいお客さんなのかもしれません。ただし、残念ながら、大金は持ち歩いていませんし、パスポートもコピーだけしか持参していませんでした。
 しかし、用心して、タクシーで行きました。アフリカ出身らしい運ちゃんの言っていることは、さっぱりわからなかったのですが、行き先と地図をみせたらちゃんと連れて行ってくれました。


[No.4622] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/07(Thu) 04:49
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> 1989年10月に
> 中国西安に行きました。
>
> 実はその1年前に西安交通大学に招待され講演をする約束をしていたのです。

西安交通大学は立派な大学です。

上海交通大学からスタッフが移住してきてできたと聞きました。


[No.4621] 続・新世界を旅する 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/07/06(Wed) 06:31
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 その晩は、夕食後、牧師さんご夫妻がお茶会をしてくださいました。といっても、私以外のお客さんは4−5人です。日本のビジネスマンの方も招待してくださいました。しかし、会話はすべて英語です。

 奥さんは、サンドイッチと焼き菓子、ワインと紅茶をテーブルに置くだけでお話の場に加わります。
 お客さんは、飲みたい時に飲みたいものを飲み、つまみたい時につまみたいものをつまむ。
 後は、おしゃべりです。

 牧師さんが、私にお客さんを紹介してくださるのですが、必ず、聞かれるのが「いったい、牧師さんは、どうやってこの方とお友達になったのですか?」ということです。(当然です)。
 彼は、まるで読本を読み上げるように「私たちは3年前のある日、朝6時に、ミュンヘンのホテルの食堂で会いました。」といいます。私も「そうです。そうです。その通りです」と相槌を打つ。それを話の糸口にして、会話をスムーズに進めようと考えておられたようです。

 牧師さんは日本人とのお付き合いが多いので、日本人はどうも、パーティーが苦手ということをよくご存知なのですね。初対面の人とどう話をしたらいいのかわからない。そして、その理由を「自分は英語ができないから」と決めていることも。他の国から来た人は言葉なんか通じなくても、すぐお友達を作るのにーーー。
 そのとおりなのです。でも、正直、私も、このパーティーで「お友達」はできませんでした。どんな話題でどのように話をしたらいいのか、わからないので、うろうろしているうちに終わってしまったのです。
 最近は、わたしもわかってきましたので、こういう場面では、ご挨拶代わりに、iPad の琴アプリで「さくら」を弾いたりして会話の糸口をつかむようにしています。しかし当時は、そこまで至らなかったのです。

 写真でご覧いただけるように、牧師館には、暖炉がありました。そしてピアノも。(牧師さんのものではないのかもしれませんが)


[No.4620] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/06(Wed) 05:21
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1989年10月に
中国西安に行きました。

阿倍仲麻呂の記念碑 これが見たくて西安に行ったのです。 西安に行く理由の一つ。
  
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」

子どもがかくれんぼをしていて
おにになった子どもが数えていました。
  イー、アル、サン、スー...


[No.4619] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:Pan  投稿日:2016/07/05(Tue) 21:19
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男爵さん、みなさん こんばんは。

> ところが、1989年6月に
> あの天安門事件が起こり
> はたして中国に行くべきか、そもそも行くことができるのか
> と悩むことになります。
 
 思い出しました。実はその年の8月頃だったか北京へ行きました。

 勿論天安門広場へも行きましたが、沢山の兵隊が銃を持って立って
いましたよ。

 その銃を持って立っている姿を写真に写そうかどうかと迷いました。
 撮したら撃たれるかと怖かったのです。

 隠し撮りしたら見付かった時かえってヤバイかと思い、普通に撮し
ました。
 当時はフイルム式カメラだったでしょうね。

 その時の写真があるはずですが、今捜しても残念ながら見当たりま
せん。

 古いネガを捜せば出てくるのかも知れません。


   ***** Pan *****


[No.4618] Re: 1989.10中国西安の旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/05(Tue) 18:50
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> 1989年10月に
> 中国西安に行きました。

招待所で食事をとります。
特に朝は外で食べませんから、いつもここで朝食です。

最初に食べた料理が美味しかったのか
私の食べっぷりがよかったのか
料理を作る人や給仕する人が
この人はたくさん食べる人だと頭の中にインプットされたらしく
毎日、二人前の食事が出されました。(当然のごとくおかわりが出てくる)

しかたなく無理してたくさん食べてきました。  (^^;;


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