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[No.4429] ユーレイルパスを持って 20 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/31(Thu) 08:23
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 帰り道、アイプ湖へ行きました。この湖の名前、おなじみなのです。
 なぜですかって? 実は、私はエーリッヒ・ケストナーの愛読者だったのです。私の年代の人には「ケストナー・ファン」は多いのですよ。
 だって、「エミールと探偵たち」のエミールも、「ふたりのロッテ」のルイーゼも、おかあさんはシングルマザーで、ワーキングマザー。細腕で、子どもを養っています。子どももおかあさんの苦労がわかっている。それでも明るく元気な母と子の物語です。

 当時、戦争で大勢の男性が亡くなった日本でも、未亡人となったおかあさんが必死で働きつつ子育てをしている家庭が多かった。おかあさんの苦労がわかっている子どもが多かったのです。
 そんな子どもたちの共感を読んだのですね、きっと。

 この「ふたりのロッテ」のなかに、おかあさんのケルナー夫人が、苦しい家計をやりくりして、ルイーゼを一泊旅行に連れて行くくだりがありました。
 ガルミッシュからバーダー湖へ、そしてアイプ湖へ。
 アイブ湖をみたルイーゼは「まるで神さまがちょいとつばをはいたみたいね」とうっとり見とれている。湖で泳いでから、おかあさんはホテルでコーヒーとお菓子をご馳走してくれました。
 ルイーゼにとって、こんな楽しい経験ははじめてでした。

 私も、アイプ湖を見ながら、何度も読んだ、このシーンを反芻していました。私も幸せでした。


[No.4428] ユーレイルパスを持って 19 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/30(Wed) 06:43
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 お友だちができた

 幸いお天気が良かっので、レストランのテラスでお昼にしました。
 お山のてっぺんでも、暖かい食事ができて、お値段も平地と変わりませんでした。
 食事をすませて、ぼんやり景色を眺めていますと、家族連れが雪山を背景に記念撮影していました。ご主人のほうが私の存在に気になったらしく「お一人ですか。シャッターを押してあげましょうか」と英語で声かけてくださったのです。 旅行のガイドブックには「人にカメラを渡すと、そのまま、カメラを持ち逃げする人がいますから気をつけましょう」と書いてありましたが、人の良さそうな方々に見えたので、お願いしました。(持ち逃げすると言っても、ケーブルカーに乗らずに、雪山の急斜面を疾走するのは命がけです。私のカメラは命と引き換えにするほどのものではありません。安物です)

 そのあと、奥さんとのツーショットを撮るなど、写真を撮ったり撮られたりの交流が続きました。
 お互いに家に帰って現像したら、自分のカメラに入っている相手の写真を送りましょうということで住所を交換しました。

 メモを見ますと、ライン川に沿ったドイツ西部の Pfalz地方にお住まいのご一家でした。
 住所にある Germany / West という国の表し方に時代を感じます。東西ドイツが合併したのは、この10年後です。
 その後、しばらく文通をしていたのですが、旅行の後、体の調子が悪いと言っておられたご主人がガンで亡くなられ、そのまま文通も間遠になり、途絶えてしまいました。


[No.4427] ユーレイルパスを持って 18 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/29(Tue) 06:44
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  山頂につくと、目の前に広がる迫力のある景色に圧倒されました。
 手に取るように見える峨々たる岩山、抉られたような氷河の跡などにいたく感動して、当時貴重だったカラーフィルムを、大いに消費してしまいました。そのくせ、ろくな写真は撮れていませんが。

 日本で、3000メートル以上の山へ行ったのは、乗鞍岳(3190メートル)だけでしたが、乗鞍では「目の前に圧倒されるような岩山が迫る」という感じはありませんでした。
 
 このツークシュピッツェの山頂が、ドイツのバイエルン州とストリアのチロル州の国境になっています。

 頂上のレストランは、国境の上にあります。
 当時は、確か「調理場」と「ダイニングルーム」の間に国境があると聞きましたが、確かなことは分かりません。建て直したようですが、その後はどうなったのでしょう。

 まだ「ユーロ」なんていう便利な通貨はありませんでしたから、こういう旅をしていると何度も両替をしなくてはならず面倒でしたが、この「国境のレストラン」では「ドイツマルクの方は、〇〇マルク」「オーストリアシリングの方は××シリング」と書いてあって、どちらでも使えるようになっていました。


[No.4426] ユーレイルパスを持って 17 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/28(Mon) 07:49
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 ガルミッシュ・パルテンキルヘンは、ウインタースポーツのリゾートとして有名ですか、作曲家リヒャルト・シュトラウスが晩年をこの地で過ごした町でもあります。彼はこの町の名誉市民の称号も受けています。街にはリヒャルト・シュトラウス博物館もあるようです。私は行きませんでしたが。
 また、日本にファンの多いミヒャエル・エンデ(最後の奥さんは日本の方です)の出生地でもあるのですね。

 しかし、なんといっても、ここの観光の目玉はドイツの最高峰「ツークシュピッツェ」です。
 この町から、バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道で頂上まで登れるのです。
 標高ほぼ3000メートル。(正確には2962メートルとなっているようですが、正確な高さは長い間論争の的になっていたようです。ドイツ人らしい!)
 ドイツとオーストリアの国境にありますが、ドイツとしては最高峰です。というより、ドイにはあまり高い山がないのです。南側の、ヨーロッパアルプスに接しているところ以外では、魔女伝説で名高いハルツのブロッケン山となるのですが、たった、ここの標高は1,141メートルです。

 とにかく、「ツークシュピッツェ」の頂上からの眺めが素晴らしいのです。

 では、ご一緒に、「ツークシュピッツェ」へ参りましょう。
 行きは、ガルミッシェ・パルテンキルへンから直行。帰りは「アイプ湖」を回って帰りましょうね。


[No.4425] ユーレイルパスを持って 16 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/27(Sun) 07:19
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 ガルミッシュ・パルテンキルヘンでは、写真のホテルに3泊4日いつづけました。
 いいホテルだったのです。家族営業なのですが、ドイツ版「おもてなしホテル」だったのです。

 たとえば食堂。ここは夏でも夜になると気温が下がります。
 台所から、食堂にお料理を持ってくると途中で少し冷めてしまうのです。そうすると、鉄板ごと食堂にある真っ赤に焼けているレンガ状のものの上に置き、ジュージューいうまで温めなおしてくれるのです。
 料理ですか? この辺りは「豚肉料理」が多いのです。やはり、郵便馬車の時代から、ずっと割烹旅館をつづけているだけに、お味もなかなかよかったです。
 そして、お給仕役のオカアサン、オネエサンも、家族のように接してくれました。
 「そうそう、そのお肉を、こうやってソースに浸して食べるともっと美味しいのよ」。と言葉は通じませんが、手振り身振りで教えてくれます。

 当時は「大きな焼豚の塊」や「ウインナーシュニッツェル(仔牛や豚のカツレツ)」という料理などを一人前ぺろりと完食していたのですね。いまも「ガッツリ食べるマーチャン」と言われていますが、それでも、さすが若い時ほどは食べられなくなりましたよ。完食は無理そうです。
 
 オトウサンも、親切で朝、出かける時など、その日の行き先についての「行き方」「見どころ」など丁寧に教えてくれました。オトウサンは英語も話せました。
 このオトウサン、朝はレセプションに、カウンターの上に、コーヒーと黒パンを持ってきていて、むしゃむしゃ食べながらお客さんの相手をしていました。それも、また家庭的で家に入りました。

 いまは、もうありません。こういう個人経営の宿屋や食堂が減りつつあるのは日本も同じですね。


[No.4424] ユーレイルパスを持って 15 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/26(Sat) 08:00
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 さて、いよいよ最後の宿泊地、ガルミッシュ・パルテンキルヘンへ向かって列車で移動します。
 ガルミッシュ・パルテンキルヘンも、冬期オリンピックを開催しました。
 町の名前が、こんな長ったらしいのは「町村合併」によるものです。
 インスブルックから、ミッテンヴァルド、ガルミッシュ・パルテンキルヘンを経由してミュンヘンに至る路線は「トーマス・クック」ご推奨の「景勝ルート」のひとつです。ここを通らない手はありませぬ。
 
 ここでも、列車は山また山の上り坂をガンガン登っていきます。
 車窓からは、雪山・岩山・渓谷が間近に迫って見えます。迫力があります。
 乗ってすぐ、列車はドイツ領に入ります。あまり景色が素晴らしいのでミッテンヴァルドで途中下車し、少し歩いてみました。

 ここばかりではありませんが、南ドイツの町や村では「家の壁のフレスコ画」が素晴らしいのです。この町も、あのゲーテをして「生きた絵本」と絶賛されていたのですよ。

 しかし、まず、ミッテンヴァルドといえば「ヴァイオリンの町」です。
 17世紀に、マティアス・クロッツさんというヴァイオリン職人さんがイタリアのクレモナで20年間修行して帰国。この町にヴァイオリン工房を作り、みずから制作に励む傍ら「ヴァイオリン学校」を作って後進の指導にあたっていたのです。
 いまでも、世界中からここへ、ヴァイオリン制作修行にくる若者が絶えないそうです。
 
 そうそう、モーツアルトは、このマティアス・クロッツさんの作ったヴァイオリンを持っていたそうです。


[No.4422] ユーレイルパスを持って 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/25(Fri) 06:41
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 インスブルッグの宿の思い出も「昔の記録」でご覧ください。

 ――――――――――――――――――――――――――

 その晩は、ロマンティック・ホテルチェーン加盟の「ロマンティック・ホテル・シュバルツァー・アドラー(黒鷲ホテル)」に旅装をといた。
 そしてここのダイニング・ルームで早めの夕食にかかっていたときであった。もちろんここも料理には力を入れていて、お味も、なかなかよろしい。ウエイター氏は「今夜は特にお酒をサービスさせていただいています。なにがよろしいでしょうか」という。そう言われても「お酒についての『違いのわかる女』ではない」。「お勧めは?」と尋ねると「チンザノかキャンティーなどいかがでしょうか」といってくれる。オーストリアはワインには自信を持っているはず。でも、イタリアとの国境に近いインスブルックではイタリアのお酒が「お勧め」のようだ。さっそく藁苞に包まれた瓶を持ってきた。

 そこへ、いかにも、農村出身らしい中年のアメリカ人夫婦が入ってくる。彼らはドイツ語のメニューと格闘している。「セットメューのウィンナー・シュニッツェルはなかなか美味しいですよ」と声を掛ける。すると、彼らはただちにウエイターを呼び「あの日本人と同じものを注文したい」という。「アメリカから?」と聞くと「よくぞ聞いてくだされた」とばかり、せきを切ったように話はじめる。

 そして「そうだ。われわれと合流しませんか」というなり、私のテーブルの上の料理、ナイフ、フォークの類までどんどん自分たちのテーブルに運びだしたのである。
 ーーー「そうなんです。われわれ新婚旅行なんです(何回目かは聞いていない)。まあ聞いて下さい。われわれの目的地はイタリアだったのです。ところがイタリアでひどい目にあいましてね。今日急遽、予定を変更して、インスブルックへきたのです。イタリアでは、予約していた宿が、最近値上げがあったとかで、予約時の三倍近い宿賃をとるし、買物をしたら偽物をつかまされるし、家内は財布をすられるし、もう散々でした。
 これだけの話を英語の苦手な私に分からせるために、彼は大汗をかきつつ手振り身振りで説明し、宿屋の請書、領収書までならべて15分くらいかかって話をした。
 つづけて「しかしどうでしょう、この宿は。清潔だし、きれいだし、正直だし。宿賃も、びっくりするくらい安いんですね。その上食前酒をサービスするなんてイタリアでは考えられないことです」ーー。」
 アメリカさんが興奮してしゃべりつづけているうちに、くだんの食前酒がパンかごと共に彼らの前におかれる。彼は自分と奥さんのグラスを満たすと、筆者のグラスにも入れてくれた。そしてグラスをあげると「神よ、正直なるオーストリアの人に祝福を」といってグラスを口にした。
 筆者は、その時、まだイタリアの土をふんでいない。その後、幾度も行くことになるのだがーー。イタリア人のすべてが、ウソツキでドロボーでないことはよく分かっている。しかし、いかにも田舎者らしいこのアメリカ人夫婦からイタリア人が存分に巻き上げたであろうことは想像に難くない。(いまは、イタリアの旅館は、各部屋の壁へ「この部屋は繁忙期はいくら、その他の季節はいくら」と宿賃を明記したものを貼り付けている)が、ここオーストリアであれば、もう安心。宿屋の値段はインフォーメーションで聞いてきた通りだし旅人をだます不届き者などめったにいないず。女性だけでも安心して旅ができるのである。心安らかに、飲み、かつ食らい満足したアメリア人夫婦は寄り添うように、自分の部屋へもどっていった。


[No.4421] ユーレイルパスを持って 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/24(Thu) 07:29
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 そうこうしているうたに、列車は、チロル州の州都「インスブルック」へ着きました。
 ここは、人口、わずか13万人ですが、オーストリア東部の観光の拠点でもあり、2度も冬期オリンピックの開催地になった街です。
 また、オーストリアとドイツ、イタリアを結ぶ交通の要所でもあります。
 14世紀よりハプスブルク家の支配下に入ったとありますが、ハプスブルク家は此処からそう遠くない、ライン川の上流のバーゼルの近くの出身なのです。ハプスブルク家の歴史を名古屋弁で書いた本がありましたが(面白かったぁ)、ヨーロッパの片田舎から出てきて、ヨーロッパを征服・統治した、日本の戦国武将みたいな人だったのですね。ただ、あまり戦争はしなかった。

  Bella gerant alii, tu felix Austria nube.
  戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ。

 と、せっせと婚姻政策でまつりごとを進めていた。これも、豊臣秀吉なども盛んに使った手ですよね。

 インスブルックは、マクシミリアン一世の時代には一時「みやこ」として栄えたのですね。その頃の文化遺産が、観光の目玉となっています。とくに黄金の小屋根はイスブルクのランドマーク的な存在です。

 下記は「チロル州政府観光局、日本担当デスク」からの最近の情報です。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 ここでチロルの観光業界で有名になったジョークを1つ皆様にご紹介いたします。
 なぜチロルでテロが起きないのか!?それには3つの理由があります。
  1. チロルでテロを起こしても被害が大きくなく、政治的打撃も小さい。
  2. チロルでテロを起こしても世界中のメディアが注目してくれない。
  3. チロルでテロを起こしても現地の人達がテロだと気づかない。
 もちろん将来何が起こるか分かりませんし、油断は禁物です。しかし、このジョークを読めば、いかにチロルが安全で現地の人々が安心して生活を営んでいるかが分かります。
――――――――――――――――――――――――――――――――
  今の世の中「安全」それ自体が「商品」なのですね。
 というわけで、インスプルックに一泊して、市内見物をしました。
 そうです。人並みに黄金の小屋根 ホーフガーデン アンナの塔 凱旋門などを見たわけです。

 街なかはなかなかおしゃれですが、街なかを外れると、田園的な、チロルの牧歌的な風景が広がっていました。
 インスブルックは、ノルトテッケから吹き下ろしてくる、すっきりとして、爽やかな風のもと「散歩道」もたくさんある、私の大好きな街です。


[No.4420] ユーレイルパスを持って 12 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/23(Wed) 06:29
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 外は肌寒いくらいなのに、コンパートメントのなかは相当な暑さでジャケットを脱いでもまだ暑い。どうやらヒーターの故障らしい。ははぁ、だから空席があったんだなーーー。
 ーーーまず、オランダ娘が車掌さんを呼んでくる。人の好さそうな熟年の車掌さんは、しばらく、ガタガタあちこちいじっていたが両手を広げて「だめだ。手におえん」というようなジェスチュアーをすると行ってしまった。
 オランダ娘は、また、コンパートメントを出ていった。戻ってくると、駄目駄目とばかりに首を振っている。どうやら空席を探しに行ったようだ。
 坊さんが乗り出してきた。背の高いフランス青年に、ヒーターの目盛りを調べるように言う。メーターをはずしてしまえと盛んにジェスチユアーで指示する。青年はドライバーのようなものを持ってこいと言っているようだ。オバサンがカバンからハサミのようなものを出してくる。
 国際協力体制による作業の結果、なんとかヒーターはとまった。全員ほっとして席に着く。

 坊さんが冗談を言う。イタリア語らしい。インスブルッグのオバサンがドイツ語に通訳する。つぎにスイスの女の子が、笑いながらフランス語にする。フランス青年が笑う。さらにオランダ娘が英語で説明してくれる。筆者が笑う。最後にもう一度、全員で笑う。
 笑い声を乗せた列車はフォア・アルベルグからチロルへと入っていく。
 国際列車での意志の疎通には手間がかかる。でも、なんとか全員に通じたときの喜びは、これまた、国際列車ならではのものである。
 そしてこのとき、筆者は、もう一つ、決心をした。とにかく一ケ国語でいいから、ヨーロッパの言葉を身につけたい。かれらと、多少なりとも話が通じれば、旅はもっと楽しく、さらに実りの多いものになるはずーーー。という訳で、あれ以来、英語をぼつぼつやっている。けっして上手にはならないが、拙いものであっても、やはり、やらないよりは、はるかに増しである。

 窓の外にはチロルの牧場がつづく。その向こうにはアルプスが銀色に輝いている。オバサンが「こっちを振り返ってごらん、アルベルグ峠ですよ」と教えてくれる。坊さんが「あっちをごらん。あのずっと向こうにブレンナー峠があるのだよ。モーツアルトもゲーテもあの峠を越してイタリアへ行ったのだよ」という。
 チロルに入るとトンネルか増え、登りも急になる。途中の駅で後尾に、もう一台、機関車つないだようだ。まさに「機関車が先引き、機関車が後押し、何だ坂、こんな坂」の世界であった。
 そして六人の期待を乗せたトランス・アルペン号はインスブルッグを目指してひたすら走るのであった。


[No.4419] ユーレイルパスを持って 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/22(Tue) 06:07
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 「アルプスの谷間を国際列車は行くよ」

 さすがに、発車時刻が近づくと、駅員はコーラスをやめて機関車付け替えの作業にもどった。乗車駅、フェルトキルヒ駅のホームもだんだん混んできた。そして特急列車トランス・アルペン号は定刻通りにホームに姿を現した。
 インスブルッグまで行くという、さっきのオバサンに引率されて乗り込む。
 「ここへ来なさい。ここが列車の乗口に一番近いから」という意味のことをドイツ語でのたまう。私が、ドイツ語がわかるか、わからないか、そんなことは一切お構いなし。自分のいいたいことをおっしゃる。
 不思議なもので、言っていることは分からないが「言わんとすること」はなんとなくわかる

 めずらしく列車が混んでいた。六人掛けのコンパートメントは何処もかしこも一杯なのである。 
 オバサンがやっと二人分の空席を見つけてきてくれる。
 コンパートメントのなかには
   イタリア人の坊さんーーフードつきのこげ茶色の僧服を着て
              腰に荒縄のようなベルトをしている。
   フランス人の青年ーーーいつも本から手を離なさないやせた背の高い青年。
   スイスの女の子ーーーー中学に入ったばかりとのこと。
   オランダ娘ーーーーーー旅行大好きのOL。
 ーーーそして、くだんのチロルのオバサンと私の六人がいる。
 役者が揃っている。これは面白そうな展開になってきた。
 何か面白そうなことが起こりそうだ。

 列車は、チロルの谷間を走っている。


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