[掲示板へもどる]
過去ログ [ 0007 ]

過去ログ:
ワード検索:
条件: 表示:  過去ログ一括   

[No.4271] 箱根の山は周遊券 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/20(Sun) 09:04
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (92kB)
 箱根町でバスを降りますと信じられないことに、芦ノ湖は、ピッカピカの晴天です。
 絵葉書や「四季の風景カレンダー」で見るのと同じ芦ノ湖の風景が目の前に広がっています。
 
 それに日差しは、11月末とは思えないほど温かい。
 湖に向かって深呼吸をしたら、お腹が空きました。湖畔のコジャレたコーヒーショップで
コーヒーとケーキをいただきました。
 ここのフルーツケーキはなかなか美味でしたよ。
 
 そもそも、箱根には、ご大層なホテルや旅館はたくさんあるのですが、庶民が気軽に楽しめる手頃な飲食店は少ないのです。
 しかし元箱根近辺の遊覧船発着所あたりには比較的多いのですよ。


[No.4270] 根の山は周遊券 6 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/19(Sat) 06:21
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (96kB)
 お食事後は、近くを散歩しました。
 黄色く染まった樹々が、霧で霞んでいるあたりを明るくしてくれました。
 何か幻想的な風景でした。
 「いのしし」も出没するようですね。
 ずっとぶらぶらしつつ元箱根まで歩き続けたい気持ちでした。
 下り坂ですし大した距離ではありません。
 しかし、狭い道にほんのお義理程度にしか存在しない歩道を、霧の日に歩くというのは、どうみても楽しくなさそう。とにかくひっきりなしにクルマが突っ走っているのです。落ち着きません。
 そこで、30分に一度は通る路線バスを待つことにしました。
 バスに乗ってしばらくすると霧が晴れてきました。
 あるいは、峠近辺だけが霧ごんでいたのかもしれません。


[No.4269] Re: 箱根の山は周遊券 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/18(Fri) 06:31
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (96kB)
 力餅は500円です。


[No.4268] 箱根の山は周遊券 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/18(Fri) 06:30
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (92kB)
 内部も昔風。母の郷里を思い出しました。
 土間の奥には「こあがり」や「囲炉裏」があります。
 「囲炉裏」って煙たいものですが、あの煙に茅葺屋根の防虫効果があるのですね。
 知らなかったぁ、昔の人は賢いです。
 営業時間が「日の出から日の入りまで」というのも道理にかなっていますね。

 甘酒だけでは物足りないので「力餅」も頂きました。
 見た目は「たったこれだけ?」という感じでしたが、それでもちょっとお腹にたまりました。

 外人さんも神妙なお顔で「力持ち」や「ところてん」「おでん」などに向かっていました。


[No.4267] 箱根の山は周遊券 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/17(Thu) 06:48
[関連記事


画像サイズ: 365×640 (95kB)
 神崎与五郎東下り

 ときは元禄15年---。大石内蔵助の命を受けて江戸に向かっていた赤穂浪士の一人 神崎与五郎さん、箱根峠の甘酒茶屋で一休みしていました。
 ここで、馬子ともめ事になってしまった与五郎さん、大事な仇討の前だったので、揉め事を起こしてはいけない、ここは穏便に済ませようと、自ら詫び状を書いた。
 この詫び状の差出人の名前を「かんざけ よかろう」としたためたという。(与五郎さん、大の酒豪。甘酒なんぞとふざけやがって----と思いながらも大事の前ゆえ、自重しました)
 ----これも、史実とは程遠い「講釈師見てきたような嘘をつき」のたぐいでしょうが、話としては良く出来ていますね。面白いですね。

 そうです、偶然ですが、今日は2015年12月14日です。義士討ち入りの日です。

 国際化時代ですね。メニューの「甘酒」には、こんな解説がついていました。
 甘酒を知らない若い日本人にも分かりやすいでしょう。

 AMAZAKE
 Non-alcoholic
 non-sugar, sweetish beverage.
 Rich of nourishment
 Good for baby food.
 On cold day
 Take it hot with ginger.
 On hot day, take it cold.
 \400/ 1 cup. (市価よりやや高めです。箱根価格です)


[No.4266] 箱根の山は周遊券 3 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/16(Wed) 06:23
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (95kB)
 バスは奥湯本を過ぎると、早川にそそぐ須雲川沿いに旧東海道を走ります。寄木細工で有名な畑宿あたりのヘヤーピンカーブを過ぎますと、じきに右手に「甘酒茶屋」が見えてきます。
 もちろん、ここで降りました。
 かつては、箱根の関所に近いこの辺り、「茶店」はたくさんあったようですが、いまは、ここ一軒です。一応400年の歴史を持っていますが、もちろん建物は何度も建てなおしています。
 今の建物は、2009年に改装したものですが茅葺の屋根といい、土間といい、戦前生まれには懐かしい雰囲気を残しています。
 
 予報は「晴れ」だったのですが、芦ノ湖方面から霧が這い上がってきています。
 絵葉書やカレンダーに出てくる風景の背景はいつも青空ですが、少し霧ごんでいるなかでの紅葉というのも風情がありますね。


[No.4265] 箱根の山は周遊券 2 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/15(Tue) 07:40
[関連記事


画像サイズ: 640×359 (93kB)

 さてさて「甘酒茶屋」コースですが、たしか、以前はこのあたりは、ハイカーのためのコースだったような気がするのですが、今は道幅の狭い、急カーブの多い車道になっています。お義理でつけたような歩道の脇をクルマが疾走していきます。ハイキングを楽しむような場所ではありませぬ。
 バスも小さめのものです。ほぼ満席でしたが、どうやら日本人は私一人みたいでした。ヨーロッパ系の旅慣れた感じの外人さんが多いようです。強羅近辺にはアジア系の方が多いのですが。 
 バスは奥湯本を経由していきますが、この辺は狭い道路を挟んで「旅館」が並んでいます。
 自然がいっぱい、紅葉も見頃です。
 ただ、お天気がイマイチでした。


[No.4264] 箱根の山は周遊券 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/12/14(Mon) 07:29
[関連記事


画像サイズ: 400×280 (95kB)
 箱根の山は天下の険? 箱根の山は神奈川県? いいえ、箱根の山は周遊券です。
 小田原発着二日間のフリーパス(4000円)と一緒に旅に出ましょう。

 8月後半から11月の中ほどまで多忙を極めていましたので(あくまで、エイティーズとしては、ですが)一段落したところでチョット息抜きに「箱根で紅葉狩り」と洒落こんだわけです。
 箱根は、たまに行きますが「泊まりがけ」というのはしばらくぶりです。
 一人旅の気軽さ。思ったら即実行です。

 また大涌谷の噴火も、警戒レベルが下がり、ロープウエーの「姥子→早雲山」がバス連絡に頼っている以外は、交通機関は不自由なく使えるようになっていました。

 コースとしましては、平凡ですか「小田原」→「箱根湯本」→「甘酒茶屋」→「箱根町」→「湖尻」→「早雲山」→「強羅」→「小田原」のコースです。そこで、まずはバスで小田原から箱根湯本へ行き、ここから「甘酒茶屋」を目指しました。


[No.4263] あっしは上野へ行ったついでに 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/31(Sat) 21:16
[関連記事


画像サイズ: 377×520 (83kB)
あっしは上野へ行ったついでに、東京芸大の美術館にも足を延ばしてみました。丁度2階で、「武器をアートにーモザンビークにおける平和構築」展という展示をやっていました。

  本職の兵隊だけでなく、少年まで駆り出された長い内戦に、こりごりしたモザンビークの人たちが、戦争終結後に残された、たくさんの危険な武器を回収する運動を起こしました。これは旧約聖書のイザヤ書のことば「剣を鍬に」に想を得た「銃を鍬に」というプロジェクトで、この運動によって、かなりの銃が鍬に変身を遂げたわけですが、今なお数百万丁の武器や地雷が未回収の状態だそうです。

  モザンビークは、現在では経済成長著しいアフリカの優等生国ではありますが、この地には、未だに多くの地雷が残されています。発見された武器は、主として爆破によって処分していますが、一部はアーチストたちによって芸術品に生まれ変わり、人々に感嘆の声を上げさせています。その作者にはクリストヴァオ・カニャヴァート、フィエル・ドス・サントス、アドリノ・セラフィム・マテなどがいます。

  藝大の会場には、21点ほどの作品がありましたが、素材を巧みに処理して、芸術性豊かな家具や、動物、ギター、キーボードなどの演奏者、本を読む人など、さまざまな形が作り出されていますが、武器の一部を、平和的なものに変身させる、かれらアーチスチトの技術には、ほんとうに見ていて感心させられます。入場は無料で、会期は来月の23日(月・祝)まであります。さて、


  モザンビークは遠い国のように思われていますが、イエズス会の宣教師の口利きで信長に仕えた、弥助として知られていた人物は、モザンビークの出身だったそうです。また、愛媛県の「えひめグローバルネットワーク」と云う団体が、その趣旨に賛同して、わが国の放置自転車を、修理して同国に送るなどして、モザンビークの平和に協力している由です。

  この展示の主催者のひとつである、国立民族学博物館の所蔵品「いのちの輪だち」は、カニャヴァートやサントス、その助手のコラボで作られ、この展覧会場にも出展されています。  (おわり)

  添付写真。クリストヴァオ・カニャヴァート作の「笛を吹く人」。


[No.4262] モネ展は大繁盛〜3 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/30(Fri) 14:57
[関連記事


画像サイズ: 498×610 (73kB)
 あっしも、モネは日本びいきなので、その点が気に入ったところもないわけではないが、やはりあの、睡蓮へのこだわりと云うか、異常なまでの執念(その数およそ、200点)に惹かれるのだ。

 そして、この展覧会で初めて知ったのは、あの華麗な画面が出来る前、かれは、何とカリカチュアを描いていたというのだ。そして、もし、ウジェーヌ・ブーダンの誘いがなかったら、一生戯画を描いて終わっていたかもしれない。

 やはり、画家には、大なり小なりの変貌が必要なのかも。たとえ、ピカソほどではなくても。

 今までモネについての生半可な知識しか無かったあっしは、今回都立美術館で、かれのカリカチュア作品に接したときほど、オドロイタことはない。ところで、


 自分の住まっている街で、倉敷で、パリで、モネを何度か観たあっしも、これは見ていなかったという作品群、いや、というより、逆にこれだけは、もう痛々しくて、とても見ていられない、むしろ見たくなかった作品群が、最後の最後に、あっしらを待ち受けていた。


 それは、最晩年にモネが白内障に苦しみながらも、なお絵筆を捨てず、描き続けた、愛して止まなかった、そのジヴェルニーの自邸の庭の風景。目が見えないので、カタチは取れているのに、色使いが滅茶滅茶で、とても正視に堪えない。ウィッキーでは『抽象画』と云うが、あっしには、そうは思えない。

 たとえば、「日本の橋」は、ただの赤い橋になっている。私事だが、母は晩年、赤しか
識別できなかった。街で赤信号を見ると、しきりに「赤い、赤い」と云ったが、他の色にはマッタク反応しなかった。


 画家に対する最大の刑罰、最大の不幸だ、目の見えないということは。自分でそれを分かっていながら、決して筆を折ろうとしなかったモネの姿には、しかし、神々しささえ感じられる。これこそ、真の芸術家の魂ではないだろうか。これらの絵の前に立った時、

 あっしは深い感動に包まれ、思わず心中で、嗚咽せざるを得なかった。モネを見に来てよかった。他のどんな展覧会を見るより、モネに会いに行ってほんとうに良かったと、心に刻みこみ、後ろ髪を引かれるような思いで、上野公園を後にした。これは、去る10月21日のことである。(おわり)

 写真は交友のあったルノアールによるモネの、ごく自然な日常を描いた肖像画である。


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 |