歌集巣鴨・43
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編集者
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壁文字
荒れ果てし御國の姿見るにつけただ思はるる罪の深きを 故土肥原 賢二
(巣鴨三十八首)
大神のみたまの前にひれ伏してひたすら深き罪を乞ふなり 故板垣 征四郎
現身の折ふし妻子恋ふといへどますらたけをは死に遲れせじ 故武藤 章
はからずも五日ながらふわがいのちいとしからずやいつくしむべし 同
生くるより死ぬるがましと隣人の語らふ声はわが耳をうつ 故平手 嘉一
いかにとも甲斐なき身には今日もまた壁にむかひてひとりわめきぬ 同
見るまじと思ひし人の寫真(うつしゑ)をつばらにも視る心きまれば 同
求めてもつくることなき道をもとめとぼしき命なげくおろかさ 同
三六一病院にてショック療法をうけて
電撃をまたも頭に當てむとす殺せ殺せとわめき倒れぬ 故青木 勇次
昨夜(きぞ)例の軍曹の来しを知らずやと温湯(ゆ)に浸りつつ友の声ごゑ 故井上 乙彦
(金曜日)
処刑なき四週間のすぎゆけばまた兆(きざ)しくる一縷の希望 同
膝まづき彌撒のいのりを捧げゐる瞳落せば手錠巖しも 同
袖珍の聖書をもらひてぱらぱらと何か求めつつ頁くりけり 同
囚はれの久しくなりて視力薄れ日に幾度か眼鏡拭きつつ 同
假釈放(パロール)の記事よみゆきてその中に潜む結論を思ひてゐたり 同
年明けて死刑の予感うすらげばまた湧きいづるここだの不満 同
亡き友の手垢に染める麻雀を吾残りゐて幾日うつらむ 同
ひとときを囚友(とも)とかこみて麻雀の和了(あがり)きそひつつ命のべをり 同
悪感する日にゆくりなく紅生姜神の恵とかみしめにけり 同
いくらかは緩下剤にもなるべしとグリーンピースを食めば甘しも 同
三成の最後思ひてあと幾日生くらむ腹をいたはりてをり 同
「笑ってゆく」と署名してある壁文字を遺書かく棚のわきに見出でし 同
(処刑前夜)
悔多き一生(ひとよ)と知るゆゑ灯の下に俯向く吾の影痛々し 故井上 勝太郎
共に長き苦患に堪へて生きゐつつ傷つき易しいささ事にも 同
英文法の栞はさめる中程よりアンダーラインは絶えてをりけり 同
(故石崎英男氏)
心苦(ぐ)く眠り得ざりしあかときは始發電車をしみじみ聞きぬ 同
何事か呟きながら一日(ひとひ)かかり友は遺品入れの箱を作りぬ 同
蹴散らされし下着を探し索めつつ彼等の前に弱く私語する 同
(捜検)
幾度か紙片を送り交はしつつ隣房の友と歌一つ論ず 同
忘れむと努めゐるとき副官の経歴など云ひて君は頼むも 同
悪業のいくらかは消ゆる思ひして友の歎願書を訳し続くる 同
靄深き香港の沖にB25一機墜ししひそかなる慰め 同
愛すべき祖国もたざりし学徒らのかなしき道をわれもゆくべし 同