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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7584] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/11(Mon) 14:40
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    紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

    > > この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。
    >
    >  残念ながらそのようです。

    >  tombe a torreは塔墓を表す言葉と思いますが、この記事の見出しでISは塔墓も吹き飛ばした、とあります。シリア国立博物館館長の言葉として、かれらはバアル神殿、バアル・シャミン小神殿の破壊だけでは満足せず、一番保存状態のいい墳墓遺跡にまで手を付け、これらの塔墓を吹き飛ばした、と。

    詳しい情報ありがとうございます。

    人類共通の貴重な財産という観点が欠落してしまっている人達なんですね。
    二重に残念です。

    >  真ん中辺に、完全に更地になった、バアル神殿のサテライト写真があります。
    >
    > http://www.repubblica.it/esteri/2015/09/04/news/tombe_a_torre_palmira-122193387/#gallery-slider=121945834

    ありがとうございます。私が見た写真は、建物が爆薬で破壊され、横から見ると
    がれきの山になっていました。破片が小さくかつ遠くまで飛散しているので、
    復元が大変難しいでしょう。(地震による崩落とは違いますね)


    [No.7583] Re: 終わり 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/11(Mon) 14:31
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    紋次郎さんみなさん、こんにちは、

    >  部分的な破壊はいいとして、完全な破壊はどうしようもありませんね。はやくこういう
    > 非建設的なやからが総退場して、平和な友好的な中東世界が実現するといいですね。

    そうですよね。復元への世界の期待は大きく多いですから必ず進むと信じています。
    非生産的な破壊主義は一時大きく見えても、結局どんどん支持を失って消えて行き
    ます。


    [No.7582] Re: 終わり 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/09(Sat) 22:29
    [関連記事URL:http://http:/

      GRUEさん、みなさん、こんばんは。

    > ここまでで終わりにします。

      貴重な写真、また丁寧な説明を有難うございました、<(_ _)>

    > 復元は簡単ではないでしょうが、国情が安定し世界からの助けを得て回復がなされることを願っています。

    > シリア訪問が再開され、誰でもパルミラを訪れることができるようになるのを待っています。

     部分的な破壊はいいとして、完全な破壊はどうしようもありませんね。はやくこういう
    非建設的なやからが総退場して、平和な友好的な中東世界が実現するといいですね。


    [No.7581] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/09(Sat) 22:25
    [関連記事URL:http://http:/

    > 次に地下部の写真です。まるで宮殿のように見えます。この下部の部分に一族が眠っている訳です。当時のパルミラ人の死生観も見えてきます。

    紀元103年に出来上がった非常に古い、保存度もいいエラハベル塔墓。もうひとつ、上部の崩れかかった塔墓があるはずです。 GRUEさんの写真で云うと、右側の丘の前に小さく写っているのが、それでしょうか。地下室の部分を写した、この写真は貴重だと思います。

    > この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。

     残念ながらそのようです。

     tombe a torreは塔墓を表す言葉と思いますが、この記事の見出しでISは塔墓も吹き飛ばした、とあります。シリア国立博物館館長の言葉として、かれらはバアル神殿、バアル・シャミン小神殿の破壊だけでは満足せず、一番保存状態のいい墳墓遺跡にまで手を付け、これらの塔墓を吹き飛ばした、と。

     真ん中辺に、完全に更地になった、バアル神殿のサテライト写真があります。

    http://www.repubblica.it/esteri/2015/09/04/news/tombe_a_torre_palmira-122193387/#gallery-slider=121945834


    [No.7580] 終わり 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 09:27
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    ここまでで終わりにします。

    復元は簡単ではないでしょうが、国情が安定し世界からの助けを得て回復がなされることを願っています。

    シリア訪問が再開され、誰でもパルミラを訪れることができるようになるのを待っています。


    [No.7579] 6.パルミラ博物館のライオン像 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 09:20
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    6.パルミラ(別名タドモル)博物館の中庭に置かれていたライオン像 ですが、残念ながら写真を撮っていませんでした。

    従って、申し訳ないですが、ネットで探してきたものを紹介します。次のURL、

    http://jp.wsj.com/articles/SB12111607311925493378004581630100196542680

    のスライドショーで、5番目が破壊前のもの、6が破壊されたものです。
    顔の鼻の部分を中心に破壊されているのがわかります。これなら、なんとか修復可能ではないでしょうか。

    その他のものの破壊にはひどいものがあります。


    [No.7578] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 08:33
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    画像サイズ: 800×533 (97kB)
    次に地下部の写真です。まるで宮殿のように見えます。この下部の部分に一族が眠っている訳です。当時のパルミラ人の死生観も見えてきます。

    この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。


    [No.7577] 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 08:26
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    画像サイズ: 800×533 (95kB)
    遺跡西方向に「墓の谷」があります。そこには当時のパルミラ人の墳墓群があります。

    その中で有名な「エラベール家の塔墓」を紹介します。

    この墓は、貴族エラベール家の塔墓ですが、何故塔墓というかは写真を見れば一目瞭然でしょう。

    この墓は、地上部と地下部からなりますが、まずお見せしているのは地上部です。これがいかに巨大であるかは、人間の大きさと比較していただくと分かります。


    [No.7576] Re: 東側から見た本殿  投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 10:42
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    どうやらこれは爆薬で完全破壊され、がれきと化したようです。残念です。

    果たして復元できるものか?


    [No.7575] Re: パルミラ遺跡の地図 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 09:49
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    紋次郎さん、みなさん、おはようございます。

    > パルミラの考古学地区を奪還したシリア軍の公開した、最新の写真です。いずれも先月末、撮影されたもの。

    最新の写真ありがとうございます。大変参考になります。

    >  #11.      1キロメートルに及ぶ列柱は健在

    えー、そうなんですが、1km以上ありますね。で、全てを比較検討するには大変です。もう少し時間がかかるのではないでしょうか。

    >  #3,4,7,13  丘の上の城塞も健在☆

    アラブ砦のことですね。一見したらそのようですね。ここはISも見張りに使ったのではないかと推察します。

    >  #5       一番重要な、バール神殿は壊滅か

    昨日のA新聞で見ましたが、外の柱をのぞいて、本殿全体ががれきに化していました。つまり爆薬で全破壊したようです。

    ここは、もう像とかはなく又装飾などもすべて博物館などの移動されていました。空でした。そして、モスクにも使われていたこともあるもので、南北の神像のあったくぼみ部分は煤で黒くなっていました。

    つまり、宗教的な意味合いも消えていたのに建物を完全破壊したということは、宗教的な理由での破壊でもないということになります。あえて言えば破壊のための破壊としかいいようがない。

    これまで破壊されたら、復元ができるのかどうか分かりません。

    泣くに泣けない心境です。

    >  #9       古代ローマの神殿は健在

    これはどの神殿でしょう?

    バールシャミン神殿は、ベール神殿本殿と同じく完全破壊されたのではないかと心配しています。

    >   のように、あっしには、思えますが。また、例のライオン像については写真がないので、有無の判断があっしには、出来ません。

    新聞の記述では、頭を切り落とされたのではと推測しているのですが、これなら修復は
    そう難しくはないかもしれません。

    >  なぜ凱旋としたかを考えると、この門はローマのコンスタンチン帝の凱旋門と同じ構造を持っているのです。つまり、三通路制です。しかも、柱の装飾も、葡萄唐草文をを採用し、いわゆる凱旋門にふさわしい品格を備えているようです。そこで、あっしは、凱旋門でも、いいように思いますが…。←ま、そうはいっても、あっしもこの方面の専紋家じゃあないし、それどころか、云ってみれば、マッタクの紋外漢だからなあ。(-_-;)

    これは今はどちらでもいいことにしませんか。いずれ、この違いは議論になるはずですから専門家に任せましょう。ただ、シリアの現地学者と欧米の学者で異なるかもしれないという気はしています。

    >  ☆写真説明では、すべて城塞、あついは要塞としていますが、これは13世紀に遡るマムルーク朝の建てた城であって、その下の列柱を、ディオクレアティアヌス城塞としています。ということは、古代ローマのころにできたもので、西暦後の建築物なのですね。

    遠く丘の上に見えるアラブ城砦(要塞)は新しいもの(13−17世紀)ですね。いつの時代でも見張り所として最適でしょう。

    ディオクレアティアヌス城塞は紀元1−2世紀頃に古代ローマ軍が築いたものですね。


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