捕虜と通訳 (小林 一雄) (5)
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編集者
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第二章
新米通訳、初出勤
捕虜収容所の門をくぐって・その1
捕虜収容所に正式勤務の初日。早朝まず全員が所内の広場に整列して点呼。約三百六十人のアメリカ、オランダ両国の非武装将兵がズラリと並んで武装した日本軍兵士の前で訓示を聞く姿を見て、私は驚き、同時に奇異に感じた。
「ウーン、これからこの捕虜たちとどうやってつき合っていこうか?」一瞬、戸惑った。が「奴らが学友を死に追いやった張本人だ」と、わけもなく〝敵衡(てきがい) 心″が起きたことも、一瞬とはいえ事実だった。
アメリカ兵はいずれも一・七五メートルを超える〝大男”。小柄な私にはとくにそう思えた。オランダ兵は本国兵ではなく東南アジアのオランダ領兵士で、日本人よりも比較的小さく、皮膚の色も茶褐色、人数も少なかったせいか、極端な驚きと奇異な感じはしなかった。それでも、(当時の)〝植民地兵″が捕虜としていまここにいる、と思うと、植民地、戦争、捕虜ということばを通じて歴史の不可解さと現実の恐ろしさを感じずにはおれない。
捕虜たちは、最初に予想したほど決しておどおどした、いじけた態度ではなかった。むしろ、初体験の私の方が緊張して他人目にも驚くほど堅くなっていたのではないか。簡単な倉西分所長の指示を通訳したが、自分で何をどう訳していったのか、あとで考えても思い出せなかった。ただ、捕虜全員が私の英語訳を黙って無表情に聞いていたこと。これは私に勇気を与えてくれた。「通じた英語」という自信を与えてくれた、と思った。
人間、落ち着くと逆に心に余裕が出てくる。彼らへの初印象で得た〝驚き〟は「よーし、この調子でこれからじっくり捕虜を観察してやろう」と心理的に変化してきた。「われわれは勝っている。彼らに戸惑うことはない」自分で自分にいい聞かせる余裕もでてきた。
こうして〝新米通訳″の勤務が始まった。朝の全員朝礼、点呼から、収容所を出て外部での建設作業、夕方の帰所で始まる所内の生活と、毎日、決められた時間表に従う彼らの生活とのつき合いがスタートした。
新米通訳、初出勤
捕虜収容所の門をくぐって・その1
捕虜収容所に正式勤務の初日。早朝まず全員が所内の広場に整列して点呼。約三百六十人のアメリカ、オランダ両国の非武装将兵がズラリと並んで武装した日本軍兵士の前で訓示を聞く姿を見て、私は驚き、同時に奇異に感じた。
「ウーン、これからこの捕虜たちとどうやってつき合っていこうか?」一瞬、戸惑った。が「奴らが学友を死に追いやった張本人だ」と、わけもなく〝敵衡(てきがい) 心″が起きたことも、一瞬とはいえ事実だった。
アメリカ兵はいずれも一・七五メートルを超える〝大男”。小柄な私にはとくにそう思えた。オランダ兵は本国兵ではなく東南アジアのオランダ領兵士で、日本人よりも比較的小さく、皮膚の色も茶褐色、人数も少なかったせいか、極端な驚きと奇異な感じはしなかった。それでも、(当時の)〝植民地兵″が捕虜としていまここにいる、と思うと、植民地、戦争、捕虜ということばを通じて歴史の不可解さと現実の恐ろしさを感じずにはおれない。
捕虜たちは、最初に予想したほど決しておどおどした、いじけた態度ではなかった。むしろ、初体験の私の方が緊張して他人目にも驚くほど堅くなっていたのではないか。簡単な倉西分所長の指示を通訳したが、自分で何をどう訳していったのか、あとで考えても思い出せなかった。ただ、捕虜全員が私の英語訳を黙って無表情に聞いていたこと。これは私に勇気を与えてくれた。「通じた英語」という自信を与えてくれた、と思った。
人間、落ち着くと逆に心に余裕が出てくる。彼らへの初印象で得た〝驚き〟は「よーし、この調子でこれからじっくり捕虜を観察してやろう」と心理的に変化してきた。「われわれは勝っている。彼らに戸惑うことはない」自分で自分にいい聞かせる余裕もでてきた。
こうして〝新米通訳″の勤務が始まった。朝の全員朝礼、点呼から、収容所を出て外部での建設作業、夕方の帰所で始まる所内の生活と、毎日、決められた時間表に従う彼らの生活とのつき合いがスタートした。