捕虜と通訳 (小林 一雄) (21)
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捕虜たちと泣き笑いのカケひき―虚々実々の所内・その4
アメリカ軍機の爆撃や本土偵察が多くなったころから、収容所でも灯火管制を実施した。警報が出されると全バラック棟の電灯に黒いカバーをかけ、窓は黒い布地で覆われ、灯りが外に漏れないように処置された。こんなことからでも、彼らは 「アメリカ有利」 の情報を察知、暗いバラックの中でも、にぎやかに雑談に興じていた。私も当時、軍に関係することは直接、捕虜たちにいうことはなかったが、こうした現実の模様はかくすことはできず、つい「とにかく君たちは元気に暮らすことだ」と、暗示することばを述べるのが、精いっぱい。こうした暗示的な言語を、彼らは貴重な情報として、予測分析していたことは、あとで知った。
「いま、君らの尊敬するマッカーサー司令官は四国の善通寺捕虜収容所に入っている」-ある日、私は彼らに半分は冗談気分でこういってやった。善通寺収容所は高級将校の捕虜収容所だったが、彼らは私のこのことばを即座に「ネバー・バップン」(NEVER・HAPPEN=とんでもない)とはねつけた。そして灯火管制やB29《=ボーイング社製の大型長距離爆撃機》の爆撃機事件がその証拠だと、ハッキリ言明していた。すでにこの時期、捕虜たちは明らかに、あらゆる分析をしてアメリカ軍の優勢を予知していたようだ。所内での〝かけ引き″も、われわれ日本側が日ごとに裏目に出るような情勢だったのだ。
収容所が米軍機によって機銃掃射《きじゅうそうしゃ=飛行機から機関銃でねらいうつこと》される事件があった。空襲警報発令の時には捕虜も所内に造られた防空壕《ぼうくうごう=穴を掘り、または構築物で空襲の被害を避けた》に待避することになっていたのだが、彼らは容易に防空壕に入ろうとしない。
収容所の屋根には大きな文字でP・O・Wと書かれていたので、絶対安全だと信じていたのか、別の意味があったのか? 米軍機の姿を見て、戦況有利を信じ、自ら慰め、励ましていたのだろうことは容易に想像できた。
時には米軍機を仰いで手を振る者さえ出てきた。祖国を思い信じる軍人の心は、当時、彼我ともに同じだったと感じた。
そんなある日、突然飛来してきた米グラマン機が収容所を機関銃掃射したことがあった。幸い被害は無かったが、この時ばかりはさすがに彼らも驚き、憤り、空を仰いで「ガッデム・サノバピッチ」と叫んでいた。防空壕に入らなかった連中は、むしろ「友軍機の爆撃でやられた方が、日本軍の手にかかって死ぬよりも本望だ」と思っていたのだろうと考えていた私の想像を訂正してくれた風景だった。やはり人間として〝死″から逃れたいという欲求は誰も同じであることを思わせてもくれた。