捕虜と通訳 (小林 一雄) (41)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
第十一章
労働する捕虜群像-勤労動員生徒の思い出・その1
太平洋戦争中、中学生として軍需工場にかり出され、同じ工場で強制労働者として働いていたアメリカ兵の捕虜を見つづけてきた人もいる。この人たちから見た捕虜たちはどうだったのだろう。
大阪市住吉区清水丘で「おしぼり屋」会社を経営する中尾隆勇さん(三七)は、旧制の岸和田市立岸和田商業高校(現市立岸和田産業高校)の二年在学中、昭和十八年(一九四三)秋から終戦の二十年(一九四五)春まで、泉州・多奈川にあった川崎重工多奈川艦船工場で動員学生《1944年、労働力不足を補うため学生・生徒に強制された勤労動員令》として働いた。ここには多奈川の捕虜収容所から三百人近くのアメリカ兵捕虜たちが土木作業にきていたので、身近にその姿を見て、時に話し合った。
製図工補助員だったので彼らのいる場所とは離れており、最初のころは捕虜が働いていることに気づかなかった。ある日、所用で製図室から艦船の停泊場に行く途中、山手の方にモッコをかつぎ、二輪車を押し、ショベルを振りあげて働く集団が目に入った。よく見ると日本人ではない。 他の工員に聞くとアメリカの捕虜だという。「こんな軍需工場に、しかも敵の捕虜が本当に来ているのだろうか?」半信半疑だった。
それからは休憩時間になると、距離はあったが、捕虜の働く場所近くへ行った。単に外人を見ようという興味からだった。「初めて見るアメリカ人だったが、大きな人種だなあと驚いた」というのが第一印象だった。だが、その割りには動きが鈍い。ショベルを振りあげる姿が弱々しい。なかにはやせ細った者もいる。
いつか、直接話してみたい、と思うようになった。なかなかチャンスがなかったが、ある日の昼食時、彼らも三々五々、弁当を食べているところへ近づいて行った。うち一人が突然「ハロー」という。つづけて何かしゃべりながら笑顔をみせたが、何を言っているのかわからない。
その笑顔にホッとして「ハロー」とやっとのことで一言だけしゃべれた。
あとがつづかず、英単語を探してモジモジしていると、彼は手招きして座れというジェスチャー。ますます勇気が出ていう通りにした。心の中では「負けているアメリカの捕虜だ。憶することなんかない。勝っている日本人じゃないか」といいきかせたが、ことばが出ない。
「ユー・ホェヤー(あなた、どこ)?」やっとのことでこの一言。すかさず彼は「ニューギニア・アンド・フィリピン」「やった。通じた」嬉しかった。英語が話せないという自己卑下が彼に近づけなかった原因だったのだ。それから英単語を並べながらいろいろ話していると、彼はニューギニアからフィリピンに転戦、コレヒドールで日本軍に包囲され、捕虜になったことがわかった。一言ごとにみせる笑顔とやさしい声が温和な性格を丸出しにして、親しみが湧《わ》いてきた。
大きな声で日本人の現場監督が「作業を始めー」と叫び、捕虜がいっせいに動き出した。だが、どの捕虜もマイペースに動いているように思えた。防空壕《ぼうくうごう》づくりのために土を掘り、土砂運びをつづける作業だが、どの捕虜も顔は無表情、声もなく、鈍い動き。日本人監督の声だけが大きく響き、眼を光らせている。許可を得て、急造のトイレに行く捕虜が相次ぐ。いったん中に入ると、相当長い時間、頑張っている。恐らく要領よく休んでいるのだろう。ついには監督が引っ張り出す始末。捕虜はパンツを足元におろしたままの姿で、つっ立ち、うつむいている。慣れない労働の疲れを癒やすために、彼らが共同でもくろんだ〝苦しまざれのチエ〟だったのかも知れない。「それにしても勝者は強いが、敗者は惨めだ」とつくづく思い知らされるこの風景は、いまも脳裏に焼きついている。
そんな時、他の捕虜たちは、作業をノロノロつづけながらお互いに眼と眼で話し、日本人監督を見据えたあと、対象もなくニヤッと白い歯をみせて薄気味悪いような低音で笑う。その態度と表情はまざれもなく日本人の監督を軽蔑(けいべつ)している。「いまは従っているが、おれらは日本人より賢く、強いんだ」といっているように思えた。最初に話した捕虜も「アメリカはストロング(アメリカは強い)、ワイド・カントリー(広い国)」といっていたところをみると、祖国アメリカに愛情と誇りをもち、逆に日本人をみさげて捕虜生活に耐えていたのだろうか。
労働する捕虜群像-勤労動員生徒の思い出・その1
太平洋戦争中、中学生として軍需工場にかり出され、同じ工場で強制労働者として働いていたアメリカ兵の捕虜を見つづけてきた人もいる。この人たちから見た捕虜たちはどうだったのだろう。
大阪市住吉区清水丘で「おしぼり屋」会社を経営する中尾隆勇さん(三七)は、旧制の岸和田市立岸和田商業高校(現市立岸和田産業高校)の二年在学中、昭和十八年(一九四三)秋から終戦の二十年(一九四五)春まで、泉州・多奈川にあった川崎重工多奈川艦船工場で動員学生《1944年、労働力不足を補うため学生・生徒に強制された勤労動員令》として働いた。ここには多奈川の捕虜収容所から三百人近くのアメリカ兵捕虜たちが土木作業にきていたので、身近にその姿を見て、時に話し合った。
製図工補助員だったので彼らのいる場所とは離れており、最初のころは捕虜が働いていることに気づかなかった。ある日、所用で製図室から艦船の停泊場に行く途中、山手の方にモッコをかつぎ、二輪車を押し、ショベルを振りあげて働く集団が目に入った。よく見ると日本人ではない。 他の工員に聞くとアメリカの捕虜だという。「こんな軍需工場に、しかも敵の捕虜が本当に来ているのだろうか?」半信半疑だった。
それからは休憩時間になると、距離はあったが、捕虜の働く場所近くへ行った。単に外人を見ようという興味からだった。「初めて見るアメリカ人だったが、大きな人種だなあと驚いた」というのが第一印象だった。だが、その割りには動きが鈍い。ショベルを振りあげる姿が弱々しい。なかにはやせ細った者もいる。
いつか、直接話してみたい、と思うようになった。なかなかチャンスがなかったが、ある日の昼食時、彼らも三々五々、弁当を食べているところへ近づいて行った。うち一人が突然「ハロー」という。つづけて何かしゃべりながら笑顔をみせたが、何を言っているのかわからない。
その笑顔にホッとして「ハロー」とやっとのことで一言だけしゃべれた。
あとがつづかず、英単語を探してモジモジしていると、彼は手招きして座れというジェスチャー。ますます勇気が出ていう通りにした。心の中では「負けているアメリカの捕虜だ。憶することなんかない。勝っている日本人じゃないか」といいきかせたが、ことばが出ない。
「ユー・ホェヤー(あなた、どこ)?」やっとのことでこの一言。すかさず彼は「ニューギニア・アンド・フィリピン」「やった。通じた」嬉しかった。英語が話せないという自己卑下が彼に近づけなかった原因だったのだ。それから英単語を並べながらいろいろ話していると、彼はニューギニアからフィリピンに転戦、コレヒドールで日本軍に包囲され、捕虜になったことがわかった。一言ごとにみせる笑顔とやさしい声が温和な性格を丸出しにして、親しみが湧《わ》いてきた。
大きな声で日本人の現場監督が「作業を始めー」と叫び、捕虜がいっせいに動き出した。だが、どの捕虜もマイペースに動いているように思えた。防空壕《ぼうくうごう》づくりのために土を掘り、土砂運びをつづける作業だが、どの捕虜も顔は無表情、声もなく、鈍い動き。日本人監督の声だけが大きく響き、眼を光らせている。許可を得て、急造のトイレに行く捕虜が相次ぐ。いったん中に入ると、相当長い時間、頑張っている。恐らく要領よく休んでいるのだろう。ついには監督が引っ張り出す始末。捕虜はパンツを足元におろしたままの姿で、つっ立ち、うつむいている。慣れない労働の疲れを癒やすために、彼らが共同でもくろんだ〝苦しまざれのチエ〟だったのかも知れない。「それにしても勝者は強いが、敗者は惨めだ」とつくづく思い知らされるこの風景は、いまも脳裏に焼きついている。
そんな時、他の捕虜たちは、作業をノロノロつづけながらお互いに眼と眼で話し、日本人監督を見据えたあと、対象もなくニヤッと白い歯をみせて薄気味悪いような低音で笑う。その態度と表情はまざれもなく日本人の監督を軽蔑(けいべつ)している。「いまは従っているが、おれらは日本人より賢く、強いんだ」といっているように思えた。最初に話した捕虜も「アメリカはストロング(アメリカは強い)、ワイド・カントリー(広い国)」といっていたところをみると、祖国アメリカに愛情と誇りをもち、逆に日本人をみさげて捕虜生活に耐えていたのだろうか。