捕虜と通訳 (小林 一雄) (19)
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編集者
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捕虜たちと泣き笑いのカケひき―虚々実々の所内・その2
もっとも、本当に耳で日本語を聞き、覚え、使う〝場″とことばの真の〝意味″を知らずに、聞きかじりの日本語を、そのまま使う兵士も多く、さまざまな波紋を描いた。私自身も、初めのころは、彼らがよく使う「サノバピッチ」 (SON・OF・A・BITCH) ということばの真の意味を理解せずに使ったことがあった。ところが、私はこのことばの発音を、聞いた通りに「サルバベッチン」といった。ある兵士は首をかしげ、ある兵士からは失笑を買った。そんななかでも「通訳なんだから、わざとあんな発音をしてわれわれの気を惹《ひ》き、情報をとろうとしているのかも知れない」と思っていた捕虜がいる-という〝うわさ話″を聞いたときには驚き、悲しかった。
〝かけ引き″ではないが、「ガッデム」 (GOD・DAMN=この野郎め) ということばも、悪ふざけとか、立腹した時などに強調の意味でよく使われる。「ユー・アー・ガッデム・ライト」(YOU・ARE・GOD・DAMN・RIGHT=いやあ、その通りだ)、「ヘロ・バァ・グッド」 (HELL・OF・A・GOOD (そいつは、ええなあ) というように。
RIGHTやGOODを強調し、リズム感のよい語呂として慣用語のような役割を果たすことばである。英語の場合なら、親しい間柄で使えば本当に理解し合えることばだが、聞きかじりの単語をそのまま正しいと勘違いして使うと、えらいことになる。
ある捕虜兵士が収容所内で私の日本人の友人に会うなり「津田さん、ドあほう」といってニコニコしていた。キョトンとして彼の顔を見据える津田さん。しばらくして「君のことばは悪いことばだ。こんご、そんなドあほうということばは使うな」と命令しながら大笑い。会うなり「ドあほう」といわれた津田さんも驚いたが、労役現場で日本人の監督から叱られた時のこのことば〝ドあほう″が正しいと信じていた兵士もかわいそうだ。聞きかじりの双方の国語を、意味もわからずに話していると、しだいに双方の間にカベができ、不信が疑惑となってまん延する。捕虜収容所という、特殊な場所では、そうしたわずかなことが、親密さを増すこともたまにはあったが、むしろ集団を動揺させ、善意も悪意となって混乱をつくり出す恐れがあることを思い知らされた。