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捕虜と通訳 (小林 一雄) (26)

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄) (26)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/12 7:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 第七章

 捕虜にも祝福されたわが新婚-防空壕で初夜過ごす・その1


 私の多感な青春時代をふり返ってみると、学生時代はどちらかといえば硬派に近かった。とくに中学時代は勉強は並以上だったと思うが 〝不良″に近い人物だった。とくにまじめくさって勉強しなくてもそれなりの成績だったから、余計に暇をもてあそび不良印のようなかっこうをしていたのかも知れない。
 人並みに初恋もし、美しい女性をみれば情熱がほとばしり、勉強をしない、成績もまずまずという自己主張を売りものにした、思い出多い青春を思い起こす。
 わが愛する妻・尚子は、そんな時代に私の心に飛び込んできた女性である。旧制の私立羽衣学園では、ひときわ麗女で通り、頭もきれた、のんびりした女性である、といわれた。中学時代から知った仲だった。捕虜収容所へ勤務しはじめ、生活もやや安定したころから、急速につき合う日が多くなってきた。銃後《じゅうご=戦場でない後方の地》の守りのひと役に、女子艇身隊員《注1》として軍需工場に通う彼女のモンぺ《=はかまの形をした衣服。戦時中女性の基本的な服装》姿、若々しい表情には、戦雲急を告げる日々にも本当に新鮮さがあった。私の収容所勤務を元気づけてくれるように思えたものだ。旧制の男子中学《=男子中等学校》と高女《=高等女学校》。そうでなくても「男女七歳にして席を同じうせず」式のきびしい社会の風潮の中にあって、ずっと彼女と私が暖め合ってきた〝心の絆《きずな》″が一身同体に結ばれる日が、こんなに早くくるとは思わなかった。
 昭和二十年(一九四五) 三月十三日。大安吉日。私の母・幸が「いま挙式しないと、こんな戦況の中では二度と挙式なんかできなくなる。私の選んだ日に、あなたの選んだ女 (ひと) と夫婦になれる式を行うということは、本当に幸福の道の出発にふさわしい」と、決めたのがこの日なのである。

《注1》女子艇身隊員= 戦時中の女子の勤労動員組織。12歳から40歳までの未婚女子は工場・農村などで勤労を      義務付けられた。

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