捕虜と通訳 (小林 一雄) (8)
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捕虜収容所の門をくぐって・その4
それはともかく、こんな苦労(?)の道程も経て、彼ら、とくにガルブレイス大尉と私は、まだ下手な私の英会話ながら心が通じ合うようになった。いろいろなことを話し合った。
いまでも忘れることのできないのが〝生死観″というか、〝捕虜観″の違いだった。彼との会話だけでなく、どのアメリカ兵にも共通する考えがわかった。彼らは捕虜になることを恥とは思わない。「戦場で死ぬよりは生きて捕虜になることが、授った生命に対する真の答礼であり、後日、再び社会のためにその命を役立てることになる」(ガルブレイス大尉)という考えからだという。「生きて虜囚 の恥づかしめを受けず」という旧日本軍の戦陣訓《1941年日本軍が定めた将兵の心得》に象徴されるように、わが国では古来、ずっと捕虜を恥とする思考が優先してきた。負ければ死しかない。囚われの身は敵の軍門に下ることであり、軍人として許されない行為である、というわけだ。それにしても日中戦争もふくめ太平洋戦争でも数多くの日本軍の捕虜がいたというのに、戦時中は一般に公表されなかった。民族文化の差がこの考え方の違いを生んだのだろうか。つくづく考えさせられた。
「捕虜になることは不名誉なことではない。もちろん英雄的なことではないがアクシデントである。不運な兵である」アメリカ版戦陣訓のこのことばば 「脱走が捕虜の義務である」とも述べている。ということは捕虜になっても戦いはつづいているのだ。アメリカでは捕虜になっても決して恥とは思わない。日本的な物の考え方では想像もつかない。
この日本とアメリカの捕虜観の違いは、生死観の差でもある。この違いが、国際的な捕虜に関する条約を基準に旧日本軍とアメリカの軍隊を比較すると、人間的な自覚とその水準の開きを生んだのではないか。生まれて初めて見た捕虜の姿。こうも驚くこと、恥づかしいことがたくさんあったことに、むしろ驚かされた。「よし、彼我の違いを克服するためには徹底して彼らの生活にのめり込み、彼らのことばをマスターすること。これが彼らとのミゾをなくする先決条件だ」私は心に誓って収容所の広場でしばらく一人で瞑想《めいそう=眼を閉じて静かに考えること》した。それまで無意識のうちに肩を張り。〝背伸び″の姿で勤めていたのかも知れない。新米ということで堅くなっていたのかも知れない。英国で生活経験のある英語ベラベラの先輩の通訳に負けまいと、変なあせりがあったのかも知れない。
それはともかく、こんな苦労(?)の道程も経て、彼ら、とくにガルブレイス大尉と私は、まだ下手な私の英会話ながら心が通じ合うようになった。いろいろなことを話し合った。
いまでも忘れることのできないのが〝生死観″というか、〝捕虜観″の違いだった。彼との会話だけでなく、どのアメリカ兵にも共通する考えがわかった。彼らは捕虜になることを恥とは思わない。「戦場で死ぬよりは生きて捕虜になることが、授った生命に対する真の答礼であり、後日、再び社会のためにその命を役立てることになる」(ガルブレイス大尉)という考えからだという。「生きて虜囚 の恥づかしめを受けず」という旧日本軍の戦陣訓《1941年日本軍が定めた将兵の心得》に象徴されるように、わが国では古来、ずっと捕虜を恥とする思考が優先してきた。負ければ死しかない。囚われの身は敵の軍門に下ることであり、軍人として許されない行為である、というわけだ。それにしても日中戦争もふくめ太平洋戦争でも数多くの日本軍の捕虜がいたというのに、戦時中は一般に公表されなかった。民族文化の差がこの考え方の違いを生んだのだろうか。つくづく考えさせられた。
「捕虜になることは不名誉なことではない。もちろん英雄的なことではないがアクシデントである。不運な兵である」アメリカ版戦陣訓のこのことばば 「脱走が捕虜の義務である」とも述べている。ということは捕虜になっても戦いはつづいているのだ。アメリカでは捕虜になっても決して恥とは思わない。日本的な物の考え方では想像もつかない。
この日本とアメリカの捕虜観の違いは、生死観の差でもある。この違いが、国際的な捕虜に関する条約を基準に旧日本軍とアメリカの軍隊を比較すると、人間的な自覚とその水準の開きを生んだのではないか。生まれて初めて見た捕虜の姿。こうも驚くこと、恥づかしいことがたくさんあったことに、むしろ驚かされた。「よし、彼我の違いを克服するためには徹底して彼らの生活にのめり込み、彼らのことばをマスターすること。これが彼らとのミゾをなくする先決条件だ」私は心に誓って収容所の広場でしばらく一人で瞑想《めいそう=眼を閉じて静かに考えること》した。それまで無意識のうちに肩を張り。〝背伸び″の姿で勤めていたのかも知れない。新米ということで堅くなっていたのかも知れない。英国で生活経験のある英語ベラベラの先輩の通訳に負けまいと、変なあせりがあったのかも知れない。