捕虜と通訳 (小林 一雄) (47)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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解放の日-興奮にゆらぐ歓喜の鉄条網・その3
所内はとにかく、終戦の日を境に雰囲気が一変した。明るくなった。所内の住人たちの笑顔が日増しに鮮明になり、活気に満ちてきた。会話する声もはずむように大きくなった。私に対する彼らの態度は少しも変わらなかったと思うが、逆に励ましてくれるような言動が多くなった。いままで以上に食事に誘ってくれたり、物品をプレゼントしてくれたり、町のようすを知りたがって質問も多くなってきた。もう日本軍の指示もないので大っぴらに町のようすや住民の暮らしぶり、私の家族のことなどを雑談まじりに詳しく話したものだ。明るくなった所内の雰囲気につられて私の勤務もいままでになく、ノンビリ、なごやかに、明るくできるようになった。
解放後十日も経たないうちに、彼らの中にはグループでよく所外へ外出するようになった。
もちろん丸腰のままである。もし彼らの身の上に何ごとか起きると大変だというわけで、警察官の治安のための行動も段々とチ密に厳重になってきた。
私の家にも数人の捕虜将兵がよく訪れるようになった、ある日のことだった。いつもくる彼ら数人が突然、やってきた。みんな米俵をかついでいる。有無もいわせず、急に畳をめくりあげ、持参のスコップで床下を堀り始めた。深さ一・五㍍ぐらい、二㍍四方の大きな穴ができると、そこへ持ってきた米俵を全部突っ込み、また元通りに畳を敷いて何ごともなかったように話すではないか。
「コバヤシさんは、私らのためにいままで献身的に勤めてくれた。敗戦後の日本は物資も少ない。とくに食糧品には困るだろうから、プレゼントとして米を持ってきた。あそこなら誰にも見つからず、相当の日数、食べられるハズだ。私らの感謝の気持ちだから受けとってくれ」という。妻や母も驚いたが私もビックリ。しかし本当の友情を感じたできごとだった。ありがたかった。
収容所内では欧米式の軍隊管理下で、相変わらず、くったくのない笑いと明るさの毎日だった。ある捕虜のグループはどこから仕入れたか、古ぼけた旧日本軍のトラックに乗り、持参の物品を手みやげに遠出して地元の人たちと交歓、自由な所外の空気を思いっきり吸い、エンジョイしていた。
こんな明るい表情とは逆に〝捕虜解放″の結果、悲惨なできごとも見聞された。私が兼務ていた明延鉱業所の収容所にはアメリカ兵約五十人が収容されていたが、相当、きつい労働を強いられていたのか、終戦後、間もない時に訪れて見て驚き、悲しかった。日本人軍属(恐らく監督として捕虜を扱っていた人だろうか)や数人の日本人が血みどろになってうめいている姿を見た。捕虜たちが解放を機に、報復のために襲ったということだったが、歓喜の裏側にひそんでいた悲劇だったとしかいいようがない。この他にもこうした旧軍属の家にまで押しかけていって悲しいできごとが発生したということを、当時聞いたが、私自身が見たことはなかった。しかも、明延でのことで、生野の収容所管轄内ではこうした暗いできごとは起きていなかった。
生野でも終戦直後のころは日本人労務者との間に多少のトラブルはあったようだ。しかし、数日も経ずして、そんな空気もなくなり、ノンビリと秩序正しい治安が収容所の内外で保たていた。ただ制服組、旧軍人は収容所の最高責任者以外は全員、どこかへいち早く姿を消し、一人も見なかったのは不思議だった。あとになって聞くところでは、生野町内の駅付近の旅館に集団で身をひそめていたという。敗者と勝者の入れかわりを目のあたりして、こんな風景は本当に物悲しく感じられたが、歴史の常。致し方ないことだったろう。
もっとも、飛行機から投下された救援品のチョコレートやガム、タバコなどを持って、かつて一緒に働いた日本人労務者の家を訪ね、友好を深める捕虜の話もよく聞かされた。
勝者に変身して得た歓喜、敗者となって身をひそめ、あるいは逆襲されてあえぐ悲惨さ。その昔、教科書で習った東西の古代戦史を現実に見聞、体験した思いだった。「歴史は繰り返す」しかし、こんな悲劇はもう二度とごめんだ。