捕虜と通訳 (小林 一雄) (7)
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編集者
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捕虜収容所の門をくぐって・その3
そんなある日。アメリカ側の連絡将校、ガルブレイス大尉(JOHN・M・GALBLAITH)と雑談中、突然「小林さん、あなたの英語は私らに正しく理解できません。あなたの表情と手ぶりなどから理解する努力をずっとつづけているんです」と遠慮がちにいうではないか。
一瞬、びっくりした。すでにここに来て二週間近くなり、毎朝、朝礼で倉西分所長の指示を全員に通訳し、彼らは指示どおり職務を遂行しているというのに。にもかかわらず私の英語が理解できないとはどういうことだろう。恥ずかしいやら、腹が立つやら、身の置きどころに困った。ブロードウォーター中尉(ROBERT・BROADWATER)ともこんな話をよくした。
「でも小林さんは親切で誠意のある通訳ぶりがわかりましたから、われわれもそれに応えて理解につとめようと、みんなで了解しているんです」というガルブレイス大尉。その表情は決して私を侮辱しているのではない。むしろ好意の目で私を見つめ、「友人だから率直に言ったんだ」といいたげな表情だった。「英語の標準語はイングランドの古いしきたりをもつ人びとならいざ知らず、アメリカの庶民、とくに軍隊ではなかなか通用しません。とくにアメリカ軍の特殊な用語、GIスラングがありますからね」とつづけるガルブレイス大尉やブロードウォーター中尉。私はますます赤面する面持ちだった。そんなことも知らずに大きな顔をして通訳していたことを恥じた。学校で習った英語、それもESSで精いっぱい努力して頑張った英会話がこの結末なのである。日本の英語教育に対する反省をしみじみ味わったのも、この時だった。
とくに〝英語の発音″の未熱さは恥づかしいほど痛感させられた。しかし正しい文法に従った文章になるよう努力して話したので、彼らにも何とか理解できたのかも知れない。逆に彼らの話す英語の早口の発音には困った。つまり、彼らのことばのヒヤリング(聞くこと)になれるのに時間がかかった。私のスピーキング(話すこと)は、まづい発音でも、彼らが注意深く聞いてくれたこともあって、通じたのだといまも思っている。
それはともかく、彼らが仲間同士で話す会話は、GIスラングと早口でサッパリわからなかった。チンプン、カンプンとはこのことだと思い知らされた。耳に入ったことばを、一語、一語、分解して辞書で調べても見当たらない。ついに、私は、聞いたままを自己流の単語にして、理解できない文章のまま、しゃべったものだ。しかし、発音は〝OK″だったが、文章は〝NO″だった。 つまり、そんな文章に使うGIスラングではなかったので、全体として意味がサッパリわからないものになっていた。悲しかった。
GIスラングというのは、無意味な単語が、意味のある単語の間に、適当に語呂《ごろ》、語感のよいように入れられていることがわかったのは、ずっとあとになってからだった。大阪弁に例えていうと、「まったくダメだ」 という場合、「どっと、さっぱり、わやや、ドあほう…」 というようなものである。正式に日本語を学んだ外国人には、まったく通用しない。これと同じような例になるわけだ。もちろん、公然と使えないような、下品、非礼な単語が妙に多く、アチコチの会話の中に挿入されているので、学校英語しか学んだことのない私、正しい文法だけを指標に外国語教師に学んだ私には、そんな〝ムチャ、クチャ″な英語が理解できるハズがなかった。
私は、自分が理解できない特有のスラングを熱心に彼ら、とくに将校に聞いた。すると彼らは、単語を書き並べて発音、意味のないスラング単語を消去し、正しい英文に仕立て直して解釈する方法を教えてくれた。なるほど、こうすると時間はかかるが、1〇〇%理解できた。私の〝通訳″もこうしたことがキッカケとなってやっと進歩しはじめたように思えた。
そんなある日。アメリカ側の連絡将校、ガルブレイス大尉(JOHN・M・GALBLAITH)と雑談中、突然「小林さん、あなたの英語は私らに正しく理解できません。あなたの表情と手ぶりなどから理解する努力をずっとつづけているんです」と遠慮がちにいうではないか。
一瞬、びっくりした。すでにここに来て二週間近くなり、毎朝、朝礼で倉西分所長の指示を全員に通訳し、彼らは指示どおり職務を遂行しているというのに。にもかかわらず私の英語が理解できないとはどういうことだろう。恥ずかしいやら、腹が立つやら、身の置きどころに困った。ブロードウォーター中尉(ROBERT・BROADWATER)ともこんな話をよくした。
「でも小林さんは親切で誠意のある通訳ぶりがわかりましたから、われわれもそれに応えて理解につとめようと、みんなで了解しているんです」というガルブレイス大尉。その表情は決して私を侮辱しているのではない。むしろ好意の目で私を見つめ、「友人だから率直に言ったんだ」といいたげな表情だった。「英語の標準語はイングランドの古いしきたりをもつ人びとならいざ知らず、アメリカの庶民、とくに軍隊ではなかなか通用しません。とくにアメリカ軍の特殊な用語、GIスラングがありますからね」とつづけるガルブレイス大尉やブロードウォーター中尉。私はますます赤面する面持ちだった。そんなことも知らずに大きな顔をして通訳していたことを恥じた。学校で習った英語、それもESSで精いっぱい努力して頑張った英会話がこの結末なのである。日本の英語教育に対する反省をしみじみ味わったのも、この時だった。
とくに〝英語の発音″の未熱さは恥づかしいほど痛感させられた。しかし正しい文法に従った文章になるよう努力して話したので、彼らにも何とか理解できたのかも知れない。逆に彼らの話す英語の早口の発音には困った。つまり、彼らのことばのヒヤリング(聞くこと)になれるのに時間がかかった。私のスピーキング(話すこと)は、まづい発音でも、彼らが注意深く聞いてくれたこともあって、通じたのだといまも思っている。
それはともかく、彼らが仲間同士で話す会話は、GIスラングと早口でサッパリわからなかった。チンプン、カンプンとはこのことだと思い知らされた。耳に入ったことばを、一語、一語、分解して辞書で調べても見当たらない。ついに、私は、聞いたままを自己流の単語にして、理解できない文章のまま、しゃべったものだ。しかし、発音は〝OK″だったが、文章は〝NO″だった。 つまり、そんな文章に使うGIスラングではなかったので、全体として意味がサッパリわからないものになっていた。悲しかった。
GIスラングというのは、無意味な単語が、意味のある単語の間に、適当に語呂《ごろ》、語感のよいように入れられていることがわかったのは、ずっとあとになってからだった。大阪弁に例えていうと、「まったくダメだ」 という場合、「どっと、さっぱり、わやや、ドあほう…」 というようなものである。正式に日本語を学んだ外国人には、まったく通用しない。これと同じような例になるわけだ。もちろん、公然と使えないような、下品、非礼な単語が妙に多く、アチコチの会話の中に挿入されているので、学校英語しか学んだことのない私、正しい文法だけを指標に外国語教師に学んだ私には、そんな〝ムチャ、クチャ″な英語が理解できるハズがなかった。
私は、自分が理解できない特有のスラングを熱心に彼ら、とくに将校に聞いた。すると彼らは、単語を書き並べて発音、意味のないスラング単語を消去し、正しい英文に仕立て直して解釈する方法を教えてくれた。なるほど、こうすると時間はかかるが、1〇〇%理解できた。私の〝通訳″もこうしたことがキッカケとなってやっと進歩しはじめたように思えた。