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捕虜と通訳 (小林 一雄) (9)

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄) (9)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/11/16 10:05
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 第三章

 くそ度胸で通訳奮闘す・その1

 収容所の勤務も一か月を過ぎると、人にも環境にも慣れてきた。所内の日本人職員では私が最年少で、もっとも多感、情熱的だったと思う。だから余計に図太っさもでてきた。本来の通訳らしいポーズも、自分ながらとれるようになったと自負できた。
 そうなると、単に言葉の仲介者だけにとどまらず、単身、所内のいたるところをぶらつくことが多くなってきた。捕虜たちの顔も覚えてきた。フォーブス(FOBES)、ライレイ(RILEY)、ブラウン (BROWN)、ジョンソン (JOHNSON)、トーマス (THOMAS)各大尉、ファーレル少尉 (FERREL)、ディクソン軍曹 (DIXSON)、グレゴリー曹長(GREGORY)……彼らとよく話した。
 昼間、捕虜の兵士たちは所外の労役作業で留守になる。将校たちは国際法の捕虜規定で労役に服させることはできないので、専ら留守役となる。昼間は、することもなく、なかには畑を耕やして農作物の収穫を喜ぶもの、読書と所内スポーツに明け暮れるもの、所内の整理整頼に精出すもの…とさまざま。
 ただ軍医だけは医務病棟に釘づけとなって多忙な毎日だ。その将校連も交代で当直に当たっている。私が暇をみては所内をうろうろしていると、こうした当直将校から話しかけてくることが多くなった。自然に彼らとの友情も日ごと深まり、英語と”日本語”の交換教授″も進んできた。とくに夜間がそうだった。
 裸電球一つの薄暗いバラック棟の中では、左右両側から聞こえてくるイビキや寝息…そんな中を注意深く巡回し、不寝番の捕虜兵士に 「異常はないか?」 と小声で問いかけて歩きながら、彼らを何とも哀れに感じたこともあった。彼らに対して〝敵″ を越えた〝人の情″が湧《わ》いてきた。
 ある夜、当直将校の一人、ジョンソン大尉 (OEL・JOHNSON) と話す機会があった。
 「日本人は短気な国民だと思う。部下が昼間、労役作業中、よく管理・監督者の民間班長から文句をいわれ、殴られたと不平をいっている。あんなに殴打する国民を見たことがない。だから短気な国民だと思うようになったんだ」 という。捕虜には日本側に対等に闘争する術がない。
 口頭による抗議が精いっぱいという、泣き寝入りに近いありさまが、〝彼らの無念さ″としてあったことがよくわかる。
 「いや、そんな短気者ばかりではない。いま日本全体が戦時体制下で管理されており、とくに軍需工場などでは一刻も早く軍需品を完成させ、修理を終わらなければならないので、ダラグラしている者をみると、つい文句をいうのだろう」と私。
 「まあ、所長にいってなるべくそうしたことのないよう配慮してほしい」「よし、わかった」そう思いながらも、殴ることがあるのだろうか(?)と半信半疑の気持ちが先に立っていた。

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