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捕虜と通訳 (小林 一雄) (17)

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄) (17)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/3 7:56
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 私を支えた〝収容所語学校″その4

 そのうちに捕虜将校たちは、私を〝ファイヤー・ボール(FIR!BALL)のニックネームで呼びはじめた。なぜこう名づけたのか彼らに聞いても教えてくれず、私はただニコニコと応待する以外、対応の仕方がなかった。今でもファイヤー・ボールの本当の意味は判りかねている。
 いずれにしろ、この収容所勤務で私の学校英語はそのスタートから崩れ去り、新たな英会話を習得する再出発となった。ガルブレイス大尉ら将校たちも暇をみて、近づく私に初歩の発音から指摘してくれた。もちろん、私も日本語の発音や意味を、イロハ…から教えたものだ ”交換教授″は熱が入った。
 ブロードウォーター中尉もよく日本語を勉強した、美しい金髪の若い将校で、とくに日本人に親しみを持ち、私たちにも親しみを感じさせるタイプだった。彼の話によれば、彼の家族は戦前、松岡洋右さんと親交があったという。(国際連盟脱退の時、松岡氏は全権大使だった)。その彼は日本側との連絡としてよい印象を与え、所内の管理についても常に円滑に処理できた〝有能な人材″だった。彼もガルブレイス大尉と同じように私とはとくに仲の良かった将校であった。日本語と〝英語″のチャンボンでよく話し合った、忘れ得ぬ一人である。
 ともあれ、旧専門学校時代の英文法、単語力は相当なつもりだったのに、この収容所で味わった現実は無残だった。でもここでの〝再教育″は、毎日が楽しく、驚くほど旦く進歩したと確信している。辞書にもない、学校でも習ったことのない単語や文章を毎日、聞かされ、教えてもらってそれに慣れ、ヒヤリングと発音がスムーズにいくようになれば、英会話に自信がつく。いま、日本での外国語教育への反省が叫ばれているが、実用外国語の教育方法は真剣に、かつ根本的に考え直すべきだと訴えたい。

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