捕虜と通訳 (小林 一雄) (46)
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編集者
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解放の日-興奮にゆらぐ歓喜の鉄条網・その2
このような体制の中で始まった終戦後の生野収容所-終戦の日から数日後を経たある日のことだった。突然、アメリカ空軍の輸送機が数機、収容所上空に飛来、超低空で旋回したあと物資を投下しはじめた。いずれも落下傘つきで、あとからあとから投げ降ろされた。
所内の捕虜(すでに捕虜ではなくなったが)たちは「何ごとか?」と、いっせいにバラック舎屋から出てきて空を見上げた。私ら日本人も管理事務所から広場に出て空を見上げた。轟音《ごうおん》をたてる輸送機。ふわりふわりと空から舞い降りる大きな荷物。空一面がまるで白い真綿《まわた=絹綿》を一つずつ広げたように純白の落下傘で埋まっている。晴れた青空と入道雲をバックに、それはまるで絵に描いたような風景だった。
「赤十字印が見えるぞ」「救援物資だ」「拾いに行け」捕虜たちは、こんどはいっせいに荷物の落ちる方向へ走り、あっちに一団、こっちに一団と、小さな集団が荷物の落下とともにひとかたまりになって動いていく。所内の広場や屋根の上、なかにはフェンスにひっかかった荷物。われ先にと鉄条網の柱によじ登って荷物にしがみつく。手が有刺鉄線にひっかかれて血を出す者も。それでも彼らの行動は過敏で、もう腕力と体力のぶつかり合い 荷物の落下場所は所内だけではない。裏手の山中にも無数に落ちてくる。川向こうにも、一般道路の上にも。捕虜たちは所内から出てここでも取っ組み合い、へし合い、押し合い、われ先にと落下物に殺到する。アメリカ兵もイギリス兵もオーストラリア兵や、誰がどこの国の者かわからない。ちょっとみると乱闘風景だ。町民たちは何ごとが起きたのかといった風情で、恐る恐る家の窓越しにこの風情を眺めている。裸で川に飛び込み、荷を拾い、走りまわる者もいる。
「おーつ、メイド・イン・USA。国際赤十字がわれわれみんなに贈ってくれたものだ」われ先にと荷物を奪い合う捕虜たち。収容所周辺は時ならぬ喧騒の渦と化した。
十分な衣食住もない場所に、本国から送られてきたさまざまな食料や衣料品、医薬品、嗜好品《しこうひん》]、文房具…待望の品々だけに彼らのこの行動は当然なのかも知れない。「衣食足りて、礼節を知る」という諺《ことわざ》を教えてくれる風景だ。窓越しに恐る恐る眺めていた地元の人たちは、果たしてどう感じとっていたのだろうか。一瞬にして戦勝国と敗戦国に入れ変わった運命の日から数日ならずして起きたこの風景は、いつまでも私の脳裏にハッキリと記録され、折りあるごとに思い起こす過去帳の一頁である。
もちろん、最後にはそれぞれの指揮官がうまくさばき、全部を一つ場所に集めて各国、各人平等に整然と分けあっていたのは、さすがタテ組織を本領とする軍隊。頭上のアメリカ空軍輸送機は、約三十分後、何ごともなかったように轟音を残して去っていったが、地上で起きたあのさまは、厳重な監視の下に抑えつけられていた者だけが体験する〝解放の歓喜〟の象徴だったのかも知れない。