捕虜と通訳 (小林 一雄) (11)
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編集者
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くそ度胸で通訳奮闘す・その3
ある時、病棟に行った。ある捕虜はベッドに体を起こして読書、ある者は患部を押さえうなっている。彼らに「どこが痛むのか?」と声をかけ、雑談して時を過ごすこともあった。そうしていると「あなたと話しておれば痛みを忘れるよ」と笑顔をみせる彼らだった。
オランダ兵(DUTCH)捕虜(本国兵ではなく東南アジアの植民地兵)のバラック棟を巡回した時など、いっそう哀れを感じたこと思い出す。私たちと同じアジア人、同じような顔つき、おとなしい性格だっただけに、とくにそう感じたのかも知れない。
そのオランダ兵たちは、便所に行く時に必ず、長さ1メートルぐらいの縄を持って行く。まさか首を吊《つ》ったりはしないだろうな(?)と疑問に思ったものだ。それは用便後にふくために使うことがわかったが、民族が違うと、同じアジアに住む人びとでもこうも習慣が違うのか、とまるで新しい発見でもしたかのように驚き、民族文化の差を見せつけられて本当にビックリした。同時に他国の人びとのことをまったく知らない私を恥じる心もチョツピリ湧《わ》いた。
オランダ軍捕虜約六十人には、本国の将校一人と植民地の東南アジア系の准尉《じゅんい=将校と下士官の間に位置する武官》一人が指揮官としていた。本国将校は巧みに日本語を話し、理解できた。もちろん英語もベラベラ。アメリカ軍将兵との連絡も彼が当たっていた。日本軍とくに陸軍に三か国語を理解し、話し、書く将校が果たして何人いたのだろう?
もっとも、この収容所のアメリカ軍捕虜でも三か国語を理解できる人間は一人もいなかった。
そのアメリカ軍とオランダ軍の兵士たちとの直接、つき合う風景は見たことがなった。英語をオランダ兵が理解できず、アメリカ兵もオランダ語やその植民地語を理解できなかったせいかも知れない。それにもまして、異民族文化、習慣の違いが大きすぎて、これが両国捕虜同士の接触のブレーキになっていたのかも知れない。
アメリカ軍捕虜の専任軍医はキャンベル軍医大尉(GEORGE・W・CAMPBELL)だったが、彼とはよく気が合った。 家族のこと、学生時代のことなどをよく話した。大きな庭っきの家で撮った彼の妻子の写真を見せながらよく話した。「人間はどんな場所でも同じ生命。医者の私は、その生命を大切にして元気に生活させるための使命をもって戦場に臨んだ。捕虜になっても、この使命は当然、やり通す義務がある。これが本当の人間なんだ」という彼の持論には敬服した。しかも日本の文化にも造詣《ぞうけい=学問や技芸に通じていること》が深く感心したものだ。菊を賞(め)ず日本人、武士道を重んじる伝統、義理と人情を優先させる国民性…こんなことばがボンボンと飛び出し、
こんなヤリトリをしながら、小声でマンボを口ずさみながらも彼らは靴直しの手を休めることはない。そんな中で、国に残した妻子をなつかしむことばが必ず一度は出た。「ワイフは美人じゃないが働き者で、子供の世話を人一倍する女だ。必ず生きて帰ると信じており、私が帰る時には化粧して出迎えるという手紙が来た」といって微笑んだ。
「豊かな暮らしではないが、日本人よりもよい暮らしをしている。第一、家も、家具も大きいし、みんな余裕があるよ。でも日本人は真面目だから好きだよ」ともいっていた。