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捕虜と通訳 (小林 一雄) (10)

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄) (10)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/11/17 9:06
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 くそ度胸で通訳奮闘す・その2

 所外労役から帰った捕虜たちの抗議に何度か立ち合ったが、いつもこれ以上、トラブルを大きくしないよう、日本側と捕虜の双方に適当な〝インチキ通訳″をして和解につとめたことを、いま思い出す。
 ある夜、捕虜バラックに行った時だった。当番の兵隊の敬礼を受けて中に入ってみると、まだ消灯時間には間があったせいか、みんな起きていた。ジョンソン大尉の姿もこの兵士棟に見えるではないか。他の数人の兵士が険悪な表情でまくしたてている。よく聞いてみると、昼間の作業中、理由もなく日本の労役監督から殴られたという。しかも通訳も悪い口調で罵倒(ばとう)したという。こんなことでは指示された労役に服すことはできない」「何とか是正するよう力になってくれ」と、しまいには懇願調だ。
 労役作業現場の通訳は高木芳一氏(当時三十五歳)。イギリスでの生活が長く、英語はベラベラ。GIスラングも自由に聞き、話すことができるほど、うまかった。彼の話によると、現場の日本人軍属が、休憩時間でもないのにズル休みしているアメリカ兵にビンタを張ったという。

 その時、高木氏も日本人監督のことば通り、きついことばで、その捕虜を叱《しか》りつけた。捕虜にいわせると「こちらの言い分を少しも取りつごうとせず、まるで監督のような振舞いをして侮辱された」-ざっとこんな事情だった。「実情を所長に報告して、本当にそうなら二度と不合理なことの起きないよう善処する措置を進言する」という私のことばに、ようやく一件落着。こんな昼間の所外でのトラブルが、夜になっても尾を引くことが多く、所内の通訳を担当している私にとっては、事情の真相がわからないまま〝トラブル延長戦〟を収拾することが多かった。

 その高木通訳。私からみれば冗談をよくいい、笑わせる人だった。捕虜たちも流暢《りゅうちょう》な彼の英語を聞いてよく笑い、話し合っていたのを覚えている。私にも捕虜の扱い方などを教えてくれた。実直な人だった。所外の強制労役作業に付き添う通訳という職務柄、日本側のきびしい労役条件と環境の中で、時には誤解によって捕虜から憎まれることもあったのではないか。毎日の所外でのことなので、私に真相がいまひとつ明白に理解できないのは残念だが。戦後、これらのことが重なり、原因になったのか、高木氏の運命を大きく左右することになるとは、当時、誰も推測すらできなかった。

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