捕虜と通訳 (小林 一雄) (29)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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捕虜にも祝福されたわが新婚-防空壕で初夜過ごす・その3
ところが、式も終わり、祝福に参加してくれたお客らも帰り、やっと二人だけになれた、と思った途端の午後五時すぎだった。けたたましく長い音のサイレンが鳴った。警戒警報である。
敵機の襲来が予想されたのである。二人だけの時間も持てずに、私は国民服にゲートルを巻き、鉄かぶと姿、尚子はモンペ姿に防空頭巾《ぼうくうずきん=綿を入れたかぶりもの》という出立ちで、手をとり合って〝防空体制″の準備に入った。
やがて夜に入りかけたころだった。こんどは空襲警報のサイレンが鳴った。「そら来た。待避や」――二人は、こんどこそ手を握り合って隣組《となりぐみ=国民統制のために町内会の下に作られた組織》の共同防空壕《ぼうくうごう》に入り込んだ。
近所の人たちも相次いでやってきた。「おめでとうさん」という人びとの声を耳にしながら私ら二人は一番奥に体を寄せ合い、抱き合うようにして待避した。みんなのやさしい目が注がれていた。楽しい(?)ひとときだった(?)挙式後まもなく、こんな洗礼があるとは思わなかったが、それでも二人が抱き合って暖か味を確め合えたことで、晴れて夫婦になれた喜びをかみしめることができた。尚子も「そう思った」とは、ずっと後になっての告白である。恥じらいながらこういった彼女の表情をいまも忘れない。初めての夜の大阪大空襲の忘れ得ない日々の挙式。しかも“新婚初夜”は防空壕の中で。これも私らの運命だったのだろう。二日後の十五日は神戸大空襲。みじめな結婚のスタートだった。
三日間の結婚休暇を自宅で終わり(当時は新婚旅行どころではなかった)、三月十六日に収容所へ出勤した。初々しい新妻に見送られての出勤だった。いつものように捕虜たちのバラック棟に姿をみせると、みんな「ヒユー」「ヒユー」と口笛で私を迎えるではないか。そして「結婚おめでとう」といっせいに拍手の波。三日間、私がここに姿をみせなかったので、彼らが事務所に尋ねた結果、結婚休暇をとっていたことを知ったそうだ。厚かましい人間になっていたとはいえ、少々、顔を赤らめた。彼らはそんな私を囲んで「奥さんはどんな人?」「日本の結婚式はどんな方法なの」「彼女のキッスの味は?」と矢次ぎ早に詰問してくる。思いあまって「いや、すべて大満足。妻は本当によいもんだ。美人だぜ」とおのろけ半分にいってやった。
途端にある兵士は「本土にいる妻に会いたい。しかしやがてその日がきっとくるよ」と自分にいい聞かせるように小声でボソボソ。他の下士官は「私の未来の妻もコバヤシさんのワイフと同じょうに美人。戦争が終ったら式をあげ、こどもをつくって農場を経営することになっている」と、自分たちのことを逆に私にいう。捕虜のいまの心情がポロリと出るではないか。「これ以上、ここにいては可哀相だ」-私は急いで立ち去った。
それにしても、私の結婚式の日が「大阪大空襲」の日と重なり、防空壕での新婚夜、しかも近所の人たちみんなといっしょに…という皮肉。そして捕虜たちから祝福された反面、彼らを嫉妬 (しっと) させ、故郷を思い起こさせる予想せぬ結果になろうとは…。いまでも、あのころのことを思い出しては、妻、尚子と話し合うことがある。いま、当時を思い出しながら、尚子に感謝する毎日である。
そんな状態だったから、ハネムーン・ベイビーもなく、初夜が 〝アンタッチャブル″ のまま、尚子には本当にすまない気持ちがつきまとっているが、未だにこどもがいないのは何かの縁か、皮肉な運命のなせる業なのか。「アメリカに弁償させたい」とは当時、親友とよく冗談半分にいったことばだ。それにしても、現代っ子たちの挙式はあまりにも派手すぎる。戦時っ子のわれわれの場合は極端だったのだろうが、それにしても、もっともっといまの挙式のあり方を反省してほしいものだと、過去の体験を思い出しながら考えさせられた。
ところで、終戦後に報じられた新聞、ラジオのニュースで知ったのだが、あのみじめな新婚初夜の大阪大空襲を指揮したアメリカ空軍の指揮官はドゥリットル将軍。日本語流にもじって訳すと彼の名は〝ちょっぴり行う″ということになる。しかし被害者の私たち夫婦、いや大阪府民みんなにとっては、大きな被害を与えられたのだから 〝たくさん行う″ (DO・LOT=ドわれわれに与える行為をしたと、私の結婚話の笑いのタネになっている。
ところが、式も終わり、祝福に参加してくれたお客らも帰り、やっと二人だけになれた、と思った途端の午後五時すぎだった。けたたましく長い音のサイレンが鳴った。警戒警報である。
敵機の襲来が予想されたのである。二人だけの時間も持てずに、私は国民服にゲートルを巻き、鉄かぶと姿、尚子はモンペ姿に防空頭巾《ぼうくうずきん=綿を入れたかぶりもの》という出立ちで、手をとり合って〝防空体制″の準備に入った。
やがて夜に入りかけたころだった。こんどは空襲警報のサイレンが鳴った。「そら来た。待避や」――二人は、こんどこそ手を握り合って隣組《となりぐみ=国民統制のために町内会の下に作られた組織》の共同防空壕《ぼうくうごう》に入り込んだ。
近所の人たちも相次いでやってきた。「おめでとうさん」という人びとの声を耳にしながら私ら二人は一番奥に体を寄せ合い、抱き合うようにして待避した。みんなのやさしい目が注がれていた。楽しい(?)ひとときだった(?)挙式後まもなく、こんな洗礼があるとは思わなかったが、それでも二人が抱き合って暖か味を確め合えたことで、晴れて夫婦になれた喜びをかみしめることができた。尚子も「そう思った」とは、ずっと後になっての告白である。恥じらいながらこういった彼女の表情をいまも忘れない。初めての夜の大阪大空襲の忘れ得ない日々の挙式。しかも“新婚初夜”は防空壕の中で。これも私らの運命だったのだろう。二日後の十五日は神戸大空襲。みじめな結婚のスタートだった。
三日間の結婚休暇を自宅で終わり(当時は新婚旅行どころではなかった)、三月十六日に収容所へ出勤した。初々しい新妻に見送られての出勤だった。いつものように捕虜たちのバラック棟に姿をみせると、みんな「ヒユー」「ヒユー」と口笛で私を迎えるではないか。そして「結婚おめでとう」といっせいに拍手の波。三日間、私がここに姿をみせなかったので、彼らが事務所に尋ねた結果、結婚休暇をとっていたことを知ったそうだ。厚かましい人間になっていたとはいえ、少々、顔を赤らめた。彼らはそんな私を囲んで「奥さんはどんな人?」「日本の結婚式はどんな方法なの」「彼女のキッスの味は?」と矢次ぎ早に詰問してくる。思いあまって「いや、すべて大満足。妻は本当によいもんだ。美人だぜ」とおのろけ半分にいってやった。
途端にある兵士は「本土にいる妻に会いたい。しかしやがてその日がきっとくるよ」と自分にいい聞かせるように小声でボソボソ。他の下士官は「私の未来の妻もコバヤシさんのワイフと同じょうに美人。戦争が終ったら式をあげ、こどもをつくって農場を経営することになっている」と、自分たちのことを逆に私にいう。捕虜のいまの心情がポロリと出るではないか。「これ以上、ここにいては可哀相だ」-私は急いで立ち去った。
それにしても、私の結婚式の日が「大阪大空襲」の日と重なり、防空壕での新婚夜、しかも近所の人たちみんなといっしょに…という皮肉。そして捕虜たちから祝福された反面、彼らを嫉妬 (しっと) させ、故郷を思い起こさせる予想せぬ結果になろうとは…。いまでも、あのころのことを思い出しては、妻、尚子と話し合うことがある。いま、当時を思い出しながら、尚子に感謝する毎日である。
そんな状態だったから、ハネムーン・ベイビーもなく、初夜が 〝アンタッチャブル″ のまま、尚子には本当にすまない気持ちがつきまとっているが、未だにこどもがいないのは何かの縁か、皮肉な運命のなせる業なのか。「アメリカに弁償させたい」とは当時、親友とよく冗談半分にいったことばだ。それにしても、現代っ子たちの挙式はあまりにも派手すぎる。戦時っ子のわれわれの場合は極端だったのだろうが、それにしても、もっともっといまの挙式のあり方を反省してほしいものだと、過去の体験を思い出しながら考えさせられた。
ところで、終戦後に報じられた新聞、ラジオのニュースで知ったのだが、あのみじめな新婚初夜の大阪大空襲を指揮したアメリカ空軍の指揮官はドゥリットル将軍。日本語流にもじって訳すと彼の名は〝ちょっぴり行う″ということになる。しかし被害者の私たち夫婦、いや大阪府民みんなにとっては、大きな被害を与えられたのだから 〝たくさん行う″ (DO・LOT=ドわれわれに与える行為をしたと、私の結婚話の笑いのタネになっている。