捕虜と通訳 (小林 一雄) (44)
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買い出しの帰りに捕虜と聞いた玉音・その2
収容所へやっと帰りついた。しかし、中へ入ってみて驚いた。収容所の日本軍管理室にいるハズの日本軍人は一人も見当たらないではないか。一部の軍属だけだ。あとから知ったが、彼ら軍人は、書類を焼却後に、所長を除いて全員、玉音放送のあと、しばらくして収容所を出て一か所、秘密の場所に集合していた。あるいは身の危険を感じ、退避していたのだろうか。
夕方近くになって私が彼ら捕虜の舎屋に行くと、口々に 「ザ・ウォー・イズ・オーバー(THE・WAR・IS・OVER=戦争は終った)」といって握手を求めてきた。荷物をまとめながら、床を足で鳴らす者、指笛や口笛を吹く者…笑い声と歓声がバラックのそこかしこから聞こえてくる。「駅で見聞した風景をみんなに伝えたんだよ」とは、一人の捕虜将校があとになって、私にいったことばだった。
それと、夕方には労働に出ていた一般の捕虜兵士が収容所に帰ってきた。外の炭鉱現場で日本人労務者から仕込んだ〝終戦情報″をお互いに交換、一致して「戦争は終わった」「われわれは勝った」と結論を出した結果の〝歓喜″だったのである。
その日の夜は、私も家族会議を開いた。「ヤレヤレ…だが、生活がこれからどうなるか、心配だ」「捕虜が日本軍と逆の立場に立つので、収容所に勤めている日本人は危害を加えられるんやないか?」「大阪に帰ろうか?」「私だけ残って女、こどもは大阪へ帰った方がよい?」 ケンケン、ガクガク、まとまりのつかない話し合いが深夜まで続いた。が、結果は「もう一両日、ようすをみよう」と、いままでと同じような状態でいることになった。
次の日、収容所へ出勤すると、捕虜たちは所内のあちこちで踊り狂うように歓喜した表情で、自由に歩きまわっていた。輪を組んでダンスをするグループもいた。食事も、わざわざ、芝生に持ち出して談笑しながら楽しんでいた。強制的な労働と管理からの開放で、まるで所内はお祭り騒ぎのようだった。
日本軍人は衛兵もおらず、管理部門の担当者も、昨日と同じょうに姿をみせない。思いあまって捕虜の兵舎へブラリと出向いてみた。「コバヤシさん、われわれは勝った。しかし、収容所の日本人は親切だった。いつまでもこのことは忘れないよ」と食事に誘ってくれる将校もいたが、逆に私の姿をみると、にらみつける兵士もいた。恐らく、日本人とともに労働していた彼は、印象のよくない体験をして、日本人の私をにらみつけたのだろうが、その眼は恐かった。日本軍人が姿をかくすハズである。しかし、暴動のような愚行は全く発生しなかった。あとから聞いた話では、日本降伏の報とともに、捕虜は各国別に指揮命令系統を確立、全捕虜の最高指揮官にアメリカ軍のフリニオ中佐(FIANKl-N・M・FLIIIAU)を当て、秩序正しい所内生活を徹底するよう指示していたという。
終戦の日から二日経った十七日午後ー収容所の鳴和分所長(陸軍大尉)が、全捕虜代表のフリニオ中佐を分所長室に呼んだ。入ってくるなり、勤務中は片時も離さなかった軍刀を腰からはずし、直立不動の姿勢で、「日本軍の降伏によって、中央部からの命令通り、所内の指揮権をただ今からあなたに移します」と伝達。同時に軍刀を捧げるようにフリニオ中佐に手渡し、挙手の礼をした。フリニオ中佐は「確かに指揮権の移譲を受けたことを確認します。これからは私があなたに代って全員をまとめますが、いままで国際法にもとづき、われわれを遇して下さった鳴和分所長に感謝します。友人として礼をいいたい」と答えて厳かに挙手の礼。お互いに握手をしにこやかな表情で別れた。その一つ一つを通訳した私には、とても感動的な〝指揮権移譲″式だった。いまもその感動がハッキリとよみがえってくる。
収容所の中の主人公はこうして完全に逆になったのである。歓喜する捕虜。ある危惧《きぐ》を感じて姿を消した日本軍人。端正な表情で軍刀を渡し所内の指揮権を譲った収容所長と、それを受けた新しい所内の主人公の統括者。これが戦争の結末だったのである。こんな場面を一民間人として体験した日本人はそんなに多くないハズだ。私のこの終戦体験は、まさに日本の戦後史のはじまりだったと信じている。