捕虜と通訳 (小林 一雄) (28)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
捕虜にも祝福されたわが新婚-防空壕で初夜過ごす・その2
前年の十九年三月早々、私には召集令状がきた。あわてた。いや心は〝悠久の大義″ に死地へ征(ゆ)く喜びがあった反面、妻にしようと心に決めた尚子のことが気がかりだったからである。一人の男子として、当時、国のために殉じることは当然だった。 しかし、しかしである。ずっと思いつづけ、やがて妻になるハズの彼女。心が騒いだ。いま考えると、当時、こんな状態のまま戦地に行き、永遠の別離を余儀なくされた方たちは数知れなかっただろう。事実、学友のほとんどは学徒出陣《=1943年、猶予廃止、学生・生徒も兵役に服した》で戦場で戦っていた。
当時、私は彼女に一筆したためた。
(以下、原文のまま、一部省略)
「遂に大命は下りました。現下の戦局、今更多言を要しません。入隊できるか否か疑問ですが、入隊できそうな気がします。本懐です。長い間、本当に永い月日でしたね。心の底から感謝し、如何なる難地にても忘れないことを誓います。美しく楽しい想い出を抱いて頑張ります。君も女子挺身隊員として今の働きを続けて下さい。そしてやがて近き将来には、よりよき軍国の妻、祖国の母となられんことをを切望してやみません。僕たち二人の愛情が今こそ祖国の名のもとに捧げられることを喜びます。幸せです。日本男子として、日本女子として自分たちの本分をまっしぐらに邁進《まいしん》しましょう。今更のようにあなたの存在に感謝します。永遠に若々しく、強く、たくましい日本女性であって下さい。では尚ちゃん、元気で征きます。
昭和十九年三月 二十二歳、一雄生
尚子殿
こうして出征したものの、予想されたように虚弱な体が原因で、その日のうちに入隊を拒否され、当時としては物悲しい、つらい思いで帰ってきた。いま思えばラッキーな運命だったといえよう。尚子と結婚もできたのだから、余計にそう思う。
それから一年。二十年の三月十三日の母が決めた大安吉日に挙式した。すべて配給制度で制限され、日に日に戦況が極度に悪化しっつあった時である。堺市内の私の実家に、親しい友人数人と、大学時代の恩師、親せきら十余人が集っての簡素なものだった。配給の酒をお神酒代りに、出張神主さんのお祓《はら》いを受けて三々九度。しかし、白無垢(しろむく)姿の彼女の気高いような美しさには感激だった。ささやかな挙式が、彼女の姿で豪華な〝日本"の挙式に思えたものだ。はずむ心、待ちつづけ合った二人だっただけに、感動のシーンだったように思う。
盃《さかずき》を交わす時に触れ合った彼女の手の暖かさは、この齢になったいまでも〝永遠の白無垢″の心のように胸の奥深くに焼きついて離れない。
前年の十九年三月早々、私には召集令状がきた。あわてた。いや心は〝悠久の大義″ に死地へ征(ゆ)く喜びがあった反面、妻にしようと心に決めた尚子のことが気がかりだったからである。一人の男子として、当時、国のために殉じることは当然だった。 しかし、しかしである。ずっと思いつづけ、やがて妻になるハズの彼女。心が騒いだ。いま考えると、当時、こんな状態のまま戦地に行き、永遠の別離を余儀なくされた方たちは数知れなかっただろう。事実、学友のほとんどは学徒出陣《=1943年、猶予廃止、学生・生徒も兵役に服した》で戦場で戦っていた。
当時、私は彼女に一筆したためた。
(以下、原文のまま、一部省略)
「遂に大命は下りました。現下の戦局、今更多言を要しません。入隊できるか否か疑問ですが、入隊できそうな気がします。本懐です。長い間、本当に永い月日でしたね。心の底から感謝し、如何なる難地にても忘れないことを誓います。美しく楽しい想い出を抱いて頑張ります。君も女子挺身隊員として今の働きを続けて下さい。そしてやがて近き将来には、よりよき軍国の妻、祖国の母となられんことをを切望してやみません。僕たち二人の愛情が今こそ祖国の名のもとに捧げられることを喜びます。幸せです。日本男子として、日本女子として自分たちの本分をまっしぐらに邁進《まいしん》しましょう。今更のようにあなたの存在に感謝します。永遠に若々しく、強く、たくましい日本女性であって下さい。では尚ちゃん、元気で征きます。
昭和十九年三月 二十二歳、一雄生
尚子殿
こうして出征したものの、予想されたように虚弱な体が原因で、その日のうちに入隊を拒否され、当時としては物悲しい、つらい思いで帰ってきた。いま思えばラッキーな運命だったといえよう。尚子と結婚もできたのだから、余計にそう思う。
それから一年。二十年の三月十三日の母が決めた大安吉日に挙式した。すべて配給制度で制限され、日に日に戦況が極度に悪化しっつあった時である。堺市内の私の実家に、親しい友人数人と、大学時代の恩師、親せきら十余人が集っての簡素なものだった。配給の酒をお神酒代りに、出張神主さんのお祓《はら》いを受けて三々九度。しかし、白無垢(しろむく)姿の彼女の気高いような美しさには感激だった。ささやかな挙式が、彼女の姿で豪華な〝日本"の挙式に思えたものだ。はずむ心、待ちつづけ合った二人だっただけに、感動のシーンだったように思う。
盃《さかずき》を交わす時に触れ合った彼女の手の暖かさは、この齢になったいまでも〝永遠の白無垢″の心のように胸の奥深くに焼きついて離れない。