捕虜と通訳 (小林 一雄) (23)
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編集者
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クリスマスに一挙に噴き出したアメリカ人気質・その2
捕虜たちは喜んだ。大喜びだった。
クリスマス・イブからクリスマスの当日にかけては、それまで小出しにしか、していなかった捕虜のための国際赤十字社から贈られている、さまざまな救援品(慰問品)が倉庫からどっと搬出された。各種食用缶詰め、各種のタバコ、コーヒー、砂糖、バターやチーズ、コンビーフ…数えればきりがないほどの豪華な品を詰めた大きなボール箱がつぎつぎと運び出された。
百ケースはあっただろう。全部「メード・イン・USA」(アメリカ製)のスタンプが押してある。逆境のなかで行われたクリスマスだった。
炊事班の兵士たちは、その一つ一つをていねいにあけて煮物にしたり、いためた。…大車輪の調理を始めた。普段、あまり嗅《か》いだことのない美味な臭いが調理場の内外、あたり一面にただよい、晴れやかな表情で、なかにはハナ歌まじりに調理する兵士らの姿とともに、所内全体がお祭りを迎えるような明るさに満ちていた。
日本側へも「いっしょに祝福したいのでぜひ来てほしい」と招待の声がかけられた。軍人、軍属、民間人の手のあいた者はほとんどそれに応じて出席した。オランダ兵にも「同じように祝福を…」と料理がプレゼントされた。文字どおり、全所あげてのお祭りだ。あっけらかんな談笑とユーモアたっぷりの雰囲気に〝アメリカ"を見た。いま思えば、あの時、彼らからもらったコンビーフの味は、貧しい配給食だけの食生活の私には、すばらしかった。おいしかった。
お粗末な配給米に頼らざるをえなかった当時の日本人の一般家庭では、口にしようにもできない、すばらしい彼らの料理を目の前にして、彼我の食品の差の大きさに一瞬、疑問が湧《わ》いた。「すべてアメリカ製という、りっぱな品をみると、たとえ赤十字を経たものとはいえ、モノの質、量では、日本は到底、アメリカに先んじることはできない」と、素朴な思いも脳裏をかすめた。
まあ、それはともかく、あの時の美味な料理は、いまも忘れられない。
捕虜たちは喜んだ。大喜びだった。
クリスマス・イブからクリスマスの当日にかけては、それまで小出しにしか、していなかった捕虜のための国際赤十字社から贈られている、さまざまな救援品(慰問品)が倉庫からどっと搬出された。各種食用缶詰め、各種のタバコ、コーヒー、砂糖、バターやチーズ、コンビーフ…数えればきりがないほどの豪華な品を詰めた大きなボール箱がつぎつぎと運び出された。
百ケースはあっただろう。全部「メード・イン・USA」(アメリカ製)のスタンプが押してある。逆境のなかで行われたクリスマスだった。
炊事班の兵士たちは、その一つ一つをていねいにあけて煮物にしたり、いためた。…大車輪の調理を始めた。普段、あまり嗅《か》いだことのない美味な臭いが調理場の内外、あたり一面にただよい、晴れやかな表情で、なかにはハナ歌まじりに調理する兵士らの姿とともに、所内全体がお祭りを迎えるような明るさに満ちていた。
日本側へも「いっしょに祝福したいのでぜひ来てほしい」と招待の声がかけられた。軍人、軍属、民間人の手のあいた者はほとんどそれに応じて出席した。オランダ兵にも「同じように祝福を…」と料理がプレゼントされた。文字どおり、全所あげてのお祭りだ。あっけらかんな談笑とユーモアたっぷりの雰囲気に〝アメリカ"を見た。いま思えば、あの時、彼らからもらったコンビーフの味は、貧しい配給食だけの食生活の私には、すばらしかった。おいしかった。
お粗末な配給米に頼らざるをえなかった当時の日本人の一般家庭では、口にしようにもできない、すばらしい彼らの料理を目の前にして、彼我の食品の差の大きさに一瞬、疑問が湧《わ》いた。「すべてアメリカ製という、りっぱな品をみると、たとえ赤十字を経たものとはいえ、モノの質、量では、日本は到底、アメリカに先んじることはできない」と、素朴な思いも脳裏をかすめた。
まあ、それはともかく、あの時の美味な料理は、いまも忘れられない。