捕虜と通訳 (小林 一雄) (54)
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第五章
戦犯裁判をうけた捕虜収容所の日本人たち・その1
東京のGHQから帰阪した私は、フリニオ大佐との約束通り、翌日すぐ大阪エリアを占領統括するアメリカ陸軍第一軍団司令部(大阪市)を訪ねた。フリニオ大佐のしたためた〝手紙〟をみせ「通訳として就職したい」と告げると、応待に出た下級将校はけげんそうな顔つきで「待っていろ」といって奥に入っていった。しばらくして佐官級の将校が姿をみせ「わかった。就職OKだ。通訳が必要だった。お前の住所に近い堺市金岡町キャンプの情報部に勤務しろ」と、いとも簡単に手続きを終わった。その日から勤めはじめた。ここでもフリニオ〝大佐〟の〝手紙″の威力に感謝した。
ところで、通訳として、こんどは勝者のアメリカ軍キャンプに勤務することになったが、戦時中に捕虜収容所勤めを勝者の立場にあった私は、こんどはGHQからの要請で、敗者の側に立って何度も何度も〝戦犯裁判″の証人、参考人として出廷させられた。特定の戦犯容疑者に関連するものは少なく、私の勤めた掃虜収容所に関して捕虜の生活実態、日本軍側の対応、衣食住から強制労働にいたるさまざまな具体的な実情、捕虜との対話にいたるまで、記憶に残るわずかなことも微に入り、細にわたって質問をうけた。私は日本人として、戦時中の状況判断もふくめ、誠意をもって実情を正直に述べたつもりだ。
参考人、証人に対しても、こんなに突っ込んだ内容の質問が幾回となく繰り返されたのだから、容疑をかけられた人びとに対する尋問は相当、厳しかったのではないか。私の証人、参考人調査が、誰にどのように作用し、どんな判定につながったか知る由もないが、勝者の軍事法廷で行われた、敗者に対する裁判であったことは、まぎれもない事実だ。
私の身近にいた捕虜収容所時代の知人、友人ら仲間のなかにも、本人は「身に覚えがない」と断言しながら、当時の捕虜の簡単な証言一つで断罪された人がいる。
大阪捕虜収容所多奈川分所と同生野支所で管理運営担当の陸軍軍曹として勤務していた峰本善成さん(現在七十二歳)=奈良市東大路町=もその一人。終戦直後、捕虜虐待の疑いでGHQに逮捕され、C級戦犯として昭和二十六年(一九五一)一月まであの巣鴨拘置所につながれた。
峰本氏によると、多奈川分所に勤務していた十八年に一人のアメリカ兵捕虜の脱走事件が起きた。脱走しても逃げ通せない。日本人にみつかれば当時の状況からは殺されかねない。「何としても見つけ出さないと大変なことになる」と、関係者を動員して捜索中、ある民家から「食物をくれとアメリカ兵が立ち寄っている」との通報を受け、やっと連れ戻した。規則に従って営倉入りの処分を行った。
次の日、巡回して営倉前に行くと、日本軍の衛兵二、三人が彼を殴りつけている。峰本氏は「止めろ。そんなひどいことをしてはならない」と制止するためその輪の中に入っていった。上官である彼の命令に他の兵士も手を引き、おさまった。ところが、戦後、他の捕虜の勘違いで峰本氏は他の兵士に指示していっしょに殴りつけたと証言。そのことば一つで捕虜虐待の罪でC級戦犯として懲役十年の刑を言い渡された。しかし途中、恩赦で二十六年一月には釈放された。
「英語が十分に理解できないし、無実を訴えてもどうしても通らなかった。こわい裁判だった。巣鴨プリズン収容されていた期間中、私の心は不安と憤りで身の細る思いだった」と述懐している。
そのご、昭和五十九年(一九八四)秋、戦時中に多奈川分所に収容されていたアメリカ陸軍のブロードウォーター中尉(ROBER→・J・BROADWATER)=元コカコーラ本社副社長=が「峰本さんは捕虜たちに親切な人だったあの人が戦犯になることは考えられない。あの裁判は誤りだった」との手紙を、私を介して峰本さんに送ってきた。私はさっそく峰本さんに連絡、手渡した。峰本さんは「私の無実を証明してくれて嬉しい。もっと早く証明されていれば戦犯の十字架を背負わなくてもよかったのだが…それにしてもブロードウォーターさんらとは一緒に町に買いものに行き、憲兵《けんぺい=軍事警察》隊に叱られたこともあった。なつかしい人に無実を証明され、心から感謝している」 と感激していたことを思い出す。