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  • [No.16325] 今日は何の日・12月27日 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 05:33
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、12月27日
    浅草仲見世記念日
    1885(明治18)年、東京・浅草の仲見世が新装開業した。
    煉瓦作りの新店舗139店が開店した。1923年の関東大震災で倒壊したが、鉄筋の建物として再建された。

    ピーターパンの日
    1904(明治37)年、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇『ピーターパン』がロンドンで初演された。

    1949(昭和24)年 オランダがインドネシアの主権を抛棄しインドネシア連邦共和国が成立

    1951(昭和26)年 法隆寺金堂壁画の模写が完成し落慶法要

    1960(昭和35)年 第二次池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を閣議決定

    1979(昭和54)年 アフガニスタンで親ソ連派のカルマルがクーデター。ソ連の軍事介入により首都カブールなどを制圧し政権を掌握

    今日の誕生日の花:ナンテン
    花言葉:福をなす、良き家庭
    今日の一句:寒南天二段に垂れて真赤かな    富安風生 

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16324] わが家の大掃除 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 00:56
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    みなさん

    いよいよ押し迫ってきましたね。
    昨日、「ダイヤモンド富士」をビデオ撮影して、You Tube にアップしたので、趣味のビデオは「ご用納め」。

    http://www.youtube.com/watch?v=v4XDuYByeSQ

    今日から大掃除をはじめました。
    家の拭き掃除ですが、わが家では雑巾は使わない。雑巾を使うとすぐ汚れてゆすぐのが面倒だし
    馬尻(バケツ)の水(お湯)がすぐ真っ黒になってしまう。

    で、何を使うかと言うと、15cm四方のボロ布。

    わが家のキッチンには、そのボロ布が厚さ10cmくらいに重ねて籠にぶら下がっている。

    油物の食器や鍋を洗う時、食卓の汚れを拭く時など、まず、これを使う。
    もちろん、使い捨てで洗って再利用などしない。

    で、本題に戻るが、これに水をタップリつけて洗ったり、乾燥したままで拭き取ったり...

    窓ガラス、戸袋、玄関の外側など、相当に汚れているところを掃除しても、馬尻の水はボロ布を濡らすだけなので、いつまでたっても汚れません。

                                    多摩のけん


    [No.16323] Re: 高久永道:日本からコンビニがなくなる日 投稿者:ダル  投稿日:2010/12/26(Sun) 10:05
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    男爵さん、ご多忙のところ丁寧なレスありがとうございます。きちんとしたコメントに
    はなりませんが、記憶のレベルでの感想です。

    > ところで、セブン・イレブンは昨年来、販売するFF類について「保存料・合成着色料は一切使用していません」と、テレビCMやポスター、店内放送やホームページで宣伝した(この本は平成14年出版の本である)。

    8年前ですが、現状とそうは変らないと思います。今日もトランス脂肪酸とか言ってい
    ます。同じ戦略ですね。

    > これに対して、・・・「日本食品添加物協会」は「添加物への誤解を招く」と、無添加キャンペーンの自粛を求める異例の申し立てをセフン・イレブンに対して行った。
    >  協会がどうしてこういう行動に出たかは、コンビニ商品を調べて、次のようなことをか確認したので、消費者を混乱させるのはやめるべきだと判断したからである。
    >   合成着色料だけを使っていない商品であるにもかかわらず「無添加」を名乗っている。
    >   根拠なく添加物の安全性を否定している。
    >   添加物に対する消費者の不安感を利用する

    これは協会の言い分に理があると思います。添加物は現在でもたくさん使われており、
    なくせないからです。コンビニ弁当が美味しくなって、家庭は競争に勝てません。

    > 自分がコンビニ店舗「ホットスパー」を経営していたとき、・・・本部に内緒で商品を専門機関に持ち込み検査してもらった。
    > その結果、たとえば検出された大腸菌類は、食品衛生法で定められた基準を大きく超えていた。 この本にはその新聞記事のコピーが載っている。

    ホットスパーはカスミ系列で現在はココストアだそうですが、大腸菌は人間の手が触れ
    たということでダメです。8年前の出来事といってもココは避けたくなります。

    でもこの著者は検査結果を新聞に知らせたのでしょうか。

    >  出荷した時点が製造日時となり、消費期限もそれが基準になるが、使用される食材の中には、相当以前に購入され冷蔵庫に保管されているものもある。
    >  つくり置きをするケースも少なくなく、出荷時に製造日時の入ったラベルを貼っている。

    出荷時とは包装時のことと思いますが、指摘はその通りです(当然)。

    >  弁当やおにぎりには、スプレーでシャワーのように防腐剤をかけている。

    定義の問題ですが、防腐剤はないでしょう。エチルアルコールの噴霧は聞いたことがあ
    ります。

    > すべての業者がそうだというわけではないが、著者が知る限り、製造現場の従業員の中には、良心の呵責に悩み、辞めていく人が少なくない。あるパートタイマー従業員は「朝四時から働いているので時給がいい。後ろめたい商品をつくっているという気持ちもあるが、なかなか辞められない」と打ち明けてくれた。

    良心の呵責とか後ろめたいというのは偏っている感じです。

    >  セブン・イレブンから弁当を購入して、熱湯をかけてから一時間したものを写真に撮りました。油状のものがうっすらと浮かんでいます。
    >  比較のため、自宅の炊飯器で炊いたご飯に熱湯をかけ、一時間経過したものも調べると、油のようなものは浮かび上がってきません。お湯も濁らず透き通っています。

    この実験は外部の検査機関でやってほしかった。

    > それから、5日たつと、自炊したご飯の方は表面をカビがごっそりと覆ったが、セブン・イレブンのご飯にはカビはほとんど発生しません。

    これも同様です。

    男爵さんが言っていたコンビニと大学の関係は面白かった。

    ダル


    [No.16322] 紫式部と清少納言 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 09:21
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    NHKにんげん日本史
     紫式部と清少納言
    酒寄雅志監修 小西聖一著
        理論社

    子どもの本です。
    しかし、ちゃんと当時のことを調べてあるので
    馬鹿にはできない。

    「いっこく」と「師匠」の会話で成り立っている。そう、あの腹話術。

    たとえば、その当時の日本全体の人口は約600万人で、平安京には15万人の人が住んでいた。
    平安京に住む人たちのなかで、貴族は何人くらいいただろうか。
      なんと150人くらいだという。しかも、そのなかで富と権力をにぎり、政治を動かすことのできたのは、わずか20人ほどだった。

    カタカナの成り立ち
     阿→ア
     伊→イ
     宇→ウ
     江→エ
     於→オ

    ひらかなの成り立ち
     安→あ
     以→い
     宇→う
     衣→え
     於→お

      カタカナとひらかな、同じ漢字からできたのではないんですね(同じ場合もあるが)。
      「衣」から「え」ができたとは、作務衣の「衣(え)」と考えればいいが、衣装の「衣(い)」なら、これから推定して、昔の発音は東北の言葉のように複合母音だったらしい。
        ある音韻学者によると、複合母音や複合子音をもつ東北の言葉は、英語やフランス語に近い。だから、東北の言葉は国際語に近い(発音)となる。

    クイズ
    清少納言が枕草子のなかで、上品な食べ物としてあげているのはどれか。
     ようかん  おだんご  かき氷
    正解はかき氷 冬に自然にできた氷を大切にたくわえておき(おそらく氷室に貯蔵した)、夏に取り出して食べる。高貴な人しか口にできない、珍しい食べ物だった。

    一条天皇の中宮定子には兄伊周(これちか)がいた。一条天皇と定子と伊周は仲も良く、教養ある人たちなので、ここに宮仕えの清少納言が加わると、楽しい会話がはずんだであろう。
    あるとき、定子は兄伊周から、何も書かれていない草紙(メモ帳)をプレゼントされる。
    そこで、定子は「これになにを書こうかしら」と相談する。
    清少納言は「枕がよろしゅうございましょう」と答える。おそらく「いつもそばに置いて、思いついたことをお書きになっては」という意味だと考えられる。
    すると定子は「それではあなたにさしあげます」と、その草紙をゆずってくれたのである。
    清少納言はその草紙に、内裏の暮らしで、自分が見たり聞いたりしたこと、体験したこと、感じたり考えたりしたことなどを、思うままに書いていった。それが枕草子である。

    伊周の父道隆は関白だったが突然亡くなってしまった。
    一条天皇はこのとき十六歳になっていた。
    天皇は道隆のあとつぎに、その弟道兼を関白に任命した。
    ところが、関白になった道兼は、このとき都で猛威をふるっていた病気のため、わずか七日後に急死してしまう。「七日関白」だった。

    伊周は今度こそは自分の番だと張り切るが、強力なライバルが現れる。
    それは道長だった。道長は兄道隆、道兼がいたから自分の出番はないと思っていたかもしれないが
    兄たちが死んでしまったら、自分の番だと思った。
    こうして叔父道長と甥伊周との争いが繰り広げられる。

    当然、中宮定子は自分の兄である伊周を用いるように天皇に頼む。
    道長の方は、一条天皇の母親である姉詮子(せんし)がいる。詮子は道長を大変かわいがっていた。
    天皇にしてみれば、妻の兄の伊周を選ぶか、母親の弟道長を選ぶか迷ってしまう。
    結局、母親に押しきられた形で、道長をトップの座に任命する。

    伊周と道長は大臣公卿のいならぶ前で、つかみあわんばかりのはげしい争いをする。
    やがて、伊周にはよくないうわさが流れる。道長を応援した詮子が病気になったのは、伊周がのろいをかけたためである。その証拠も見つかった。道長にものろいをかけたともいわれる。もしかすると、うわさは伊周を不利な状態に追い込むため道長が流したのかもしれない。

    そこへ、伊周と花山法皇(一条天皇の前の天皇)が、恋人をめぐってあらそいを起し、伊周とその弟の隆家が従者に命じて、法王を弓で射てしまったのだ。これは言い逃れができない。
    この事件によって、伊周は罪人として都から追放されてしまった。伊周は焦らなくてもよかったのに。若いから冷静な行動をとることができなかったのだろうか。

    道長はもうライバルはいない。同時に清少納言のあるじ定子はうしろだてを失ってしまった。
    道長は自分の娘を、一条天皇のきさきとしておくりこむ。
    これが後に紫式部の仕えることになる彰子である。
    そして、中宮定子がいるのに、中宮彰子をつくってしまう。その結果、定子は皇后になった。
    皇后と中宮という、正式のきさきを同時にたてるということは前代未聞であった。

    定子の産んだ皇子がいるのに、彰子もあとから皇子を産むと
    ますます道長のいやがらせが続き、定子は三度目の出産の直後、二十五歳の若さで亡くなってしまう。
     他の本には、こういう父親の強引な行いに対して、彰子は自分の産んだ皇子よりも、定子の産んだ皇子のほうを次期天皇にと言うのだが、道長の野心は彰子の子にそそがれる。その本には、定子も彰子も迷惑していた、一人ハッスルしていた道長という書き方をしている。

    紫式部が源氏物語の作者であることを示す証拠がいくつか、紫式部日記に書かれてある。

    一条天皇が重い病気にかかり、位を三条天皇にゆずったあと、三十二歳の若さで亡くなる。
    紫式部の仕える彰子は(天皇のきさき)中宮から、(前の天皇のきさき)皇太后とよぱれるようになる。
    同じ頃、紫式部は弟の惟規(これのり)にも先立たれてしまう。惟規は越後の国司の任についていた父為時のもとにおもむき、そこで亡くなったのだ。
    この頃から、紫式部の消息を知る手がかりが、記録から消えていってしまう。


    [No.16321] 今日は何の日・12月26日 投稿者:   投稿日:2010/12/26(Sun) 05:36
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、12月26日
    プロ野球誕生の日,ジャイアンツの日
    1934(昭和9)年、アメリカのプロ野球との対戦の為、日本初のプロ野球チーム・大日本東京野球倶楽部(読売巨人軍の前身)が創立された。

    ボクシングデー(Boxing Day)
    イギリスの公休日。元々は、クリスマスプレゼントの箱を開ける日だった。
    クリスマスにカードやプレゼントを届けてくれた郵便配達人や使用人にプレゼントをする。

    1800年 伊能忠敬が蝦夷南東海岸と奥州街道の略測図を幕府に上呈。日本初の実測地図

    1898(明治31)年 マリー・キュリー(キュリー夫人)がフランス科学学士院の研究報告でラジウム発見を公表

    1938(昭和13)年 中谷宇吉郎らが雪の人工結晶に成功

    1956(昭和31)年シベリア抑留からの最後の引き揚げ船「興安丸」が舞鶴港へ入港


    1965(昭和40)年 シンザンが有馬記念で優勝し、初の五冠馬に

    2004(平成16)年 スマトラ島沖地震。津波によりインド洋沿岸に大きな被害

    今日の誕生日の花:フユベゴニア
    花言葉:愛の告白
    今日の一句:一湾の眺めを肴年忘れ    佐藤鬼房

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16320] Re: 高久永道:日本からコンビニがなくなる日 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 19:53
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    ダルさん ありがとうございます。

    > コンビニ弁当の製造室は空気にも気を使い、作業員は例の帽子マスク手袋で、細菌
    > ができるだけ入らないようにして包装され、輸送も気を使っています。

    > 家で作ったお弁当とコンビニ弁当では細菌の多さは勝負になりません。別にコンビ
    > ニの回し者ではなく、コンビニ弁当の製造現場を見たことのある者の常識論です。

    この本は来年の1月12日に返すのですが
    いちおう資料を見直して、詳細を書いておきます。

    174頁
    コンビニ弁当「無添加」の虚実
     コンビニ弁当から検出された基準超す大腸菌
      コンビニ各店が販売する商品の中で、弁当、サンドイッチ、総菜などのFF(ファイトフード)は、まぎれもない主力商品である。FF類の売り上げは、コンビニ全売り上げの3分の1を占める。
      コンビニ各社には、ほぼ共通する店舗運営の原則がある。
        鮮度管理(品質保存)
        品揃え(売れ筋商品の仕入れ)
        クリンネス(衛生、清掃管理)
        フレンドリーサービス(心のこもった対応)
      これからわかるように、コンビニの運営そのものがFF類の品質管理を念頭に置いている。

    ところで、セブン・イレブンは昨年来、販売するFF類について「保存料・合成着色料は一切使用していません」と、テレビCMやポスター、店内放送やホームページで宣伝した(この本は平成14年出版の本である)。
    これに対して、味の素、武田薬品工業など添加物を製造・販売・輸入する企業によって組織される「日本食品添加物協会」は「添加物への誤解を招く」と、無添加キャンペーンの自粛を求める異例の申し立てをセフン・イレブンに対して行った。
     協会がどうしてこういう行動に出たかは、コンビニ商品を調べて、次のようなことをか確認したので、消費者を混乱させるのはやめるべきだと判断したからである。
      合成着色料だけを使っていない商品であるにもかかわらず「無添加」を名乗っている。
      根拠なく添加物の安全性を否定している。
      添加物に対する消費者の不安感を利用する

    この著者は
    自分がコンビニ店舗「ホットスパー」を経営していたとき、弁当や惣菜を買ったお客さんから、さまざまな苦情を受けた。当初は本部の指示にしたがい対処していたが、その一方でこの著者は、本部に内緒で商品を専門機関に持ち込み検査してもらった。
    その結果、たとえば検出された大腸菌類は、食品衛生法で定められた基準を大きく超えていた。 この本にはその新聞記事のコピーが載っている。

    この著者が
    コンビニ向けにFFを製造している業者の従業員に聞いたところ、次のような気になる回答があった。
     出荷した時点が製造日時となり、消費期限もそれが基準になるが、使用される食材の中には、相当以前に購入され冷蔵庫に保管されているものもある。
     つくり置きをするケースも少なくなく、出荷時に製造日時の入ったラベルを貼っている。
     弁当やおにぎりには、スプレーでシャワーのように防腐剤をかけている。
    すべての業者がそうだというわけではないが、著者が知る限り、製造現場の従業員の中には、良心の呵責に悩み、辞めていく人が少なくない。あるパートタイマー従業員は「朝四時から働いているので時給がいい。後ろめたい商品をつくっているという気持ちもあるが、なかなか辞められない」と打ち明けてくれた。
    ちなみに「コンビニ経営・つらくて儲からない店」(エール出版)の中で、自殺した山梨県のファミリーマートのオーナーの奥さんも同様のことを語っている。

    このあとに
    >コンビニ弁当は時間がたっても傷まないのに
    >家庭で炊いたご飯は同じくらいの時間がたったら腐敗したという事実を述べて
    >コンビニ弁当に入っている添加物のコワサを紹介している。
    わけです。

    詳しく紹介すると以下のようになります。

    こうした経過があるので、著者はコンビニのFF類の安全性には懐疑的になります。
    そこでセブン・イレブンの無添加弁当を購入して、実験をしたのでした。
     セブン・イレブンから弁当を購入して、熱湯をかけてから一時間したものを写真に撮りました。油状のものがうっすらと浮かんでいます。
     比較のため、自宅の炊飯器で炊いたご飯に熱湯をかけ、一時間経過したものも調べると、油のようなものは浮かび上がってきません。お湯も濁らず透き通っています。
    これらの写真を本に載せています。

    それから、5日たつと、自炊したご飯の方は表面をカビがごっそりと覆ったが、セブン・イレブンのご飯にはカビはほとんど発生しません。
    無添加を謳ってはいるが、実際には何らかの添加物が使われているのではないかという疑念を、この実験から著者は持ったのでした。

    もちろん、著者はセブン・イレブンの弁当が危険だと言っているわけではありません。
    コンビニに限らず市販の弁当、あるいは加工食品のほぼすべてに添加物は使われていると思うわけです。
    「無添加」を標榜する分、ゼブセン・イレブンのFFは、他のコンビニより使われている添加物の量は少ないはずだと、むしろ評価しているくらいだと著者は断ります。

    しかし、この本で指摘したように、なにせFC加盟店を食いものにする会計システムを編み出した本部であるだけに、無添加表示で消費者を欺くことなど朝飯前だろうと、皮肉も言ってみたくなるのが著者の正直な気持ちのようです。
      セブン・イレブンは日本のコンビニ店の元祖であることは、自他共に認めていることです。だから、著者はコンビニ店を苦しめる本部の元祖のセブン・イレブンには特別の思いがあるようです。


    [No.16319] 板倉聖宣:模倣と創造 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 08:08
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    これは面白い本である。 何度も読んだほうがよい本である。

    まずいくつかの盗作事件が紹介され、何人かの大学教授がそれで退職したことを新聞記事をつかって述べている。
    それに続いて
    なぜ盗作がおこるのかという疑問に対して
    「それは、その人々に創造性が欠けているからだ」という考え方があるが
    この著者は「そうではない。盗作をする人は模倣性に欠けているからだ」と考えたほうがよいと提案する。

    著者によれば
    大部分の盗作事件は、盗作者がその盗作をはっきりと自覚していさえすれば、問題にならなくてすんだものである。
    模倣が創造をよそおうとき、はじめてそれは盗作となる。
    日本では、模倣があまりにもいやしめられ、創造ばかりがもてはやされるものだから、多くの人が、模倣を創作と気どるようになる。そこで盗作か横行するということになるのだというのが著者の考えである。

    もともと科学における創造というものは、模倣を前提になりたつものである。
    創造は他人の研究成果の模倣の上にたって行われるというだけでなく、創造は他の人々が模倣するような新しい知識の提供をめざすものだからである。
    だから、科学が発展するためには、新しいものを発見する人々以上に、そのオリジナリティーを認め、それを積極的に評価、模倣し、広めるような人々がたくさんいなければならない。

    著者によれば
    日本では、そのへんのところが全くかんちがいされている。
    「日本人はこれまで模倣ばかりしてきた。もっと創造を大切にしなければならない」というのはけっこうなようであるが、これがおかしなところに向かうから困るのである。
    創造を大切にするためるには模倣を大切にしなければならないことが忘れられるからである。

    江戸時代の科学史上でもっとも感動的な話といえば、杉田玄白の「蘭学事始」と相場がきまっているようだが、これも西洋医学の正確さに心うたれた人々が、それを模倣するために「解体新書」を訳出するまでの苦心の物語である。「そんなものは本当の科学の創造を物語るものでないから、科学史の話としては感心しない」といっても、日本の科学の歴史は、そういう模倣の重要性の発見とそのための苦心ということからはじまっているのだから仕方がない。
    「解体新書」が訳出されたころから、オランダ語の書物を「批判的に読む」よりもまず、「忠実に読む」ことの重要性が浮かびあがってきて、欧米の科学の摂取も本格的になってきたのである。

    明治維新を迎えた時、日本人は西洋の学問文化を「批判的に受け入れる」のではなく、ほとんど無条件に受け入れることになった。
    それが中国とちがって日本の近代化を成功させた一つの大きな理由となっていることはたしかであろうが、その背後にはこうした幕末の蘭学者たちの西洋文化模倣へのさとりがあったことを忘れてはならない。

         ーーーーーーーーーー

    科学史にはいってみれば
    まずは模倣からはじまったと考えるのはあたりまえのことである。
    世界史は文化も文明もみな模倣からはじまったことはいくらでもある。
    模倣からはじまっても、そのうちに個性とかオリジナリティーを付け加えればよいだけである。

    音楽だって絵画だって、すべてが自分のオリジナルというものはない。
    たいていは先人や他人がずっと前につくっている。それを組み合わせたり何か一つ自分の個性を打ち出しているからオリジナリティーがあるというのだろう。
    私が日頃から言うのだが、漫画家も先生のアシスタントをしていると先生の絵に似る。まあ、似ないと先生のアシスタントがつとまらないのだが、そのうちにアシスタントも出世して自分も漫画家として一人立ちする。そのときにはちゃんと自分の漫画が描けるようになる。先生の絵にソックリでも、先生とは違う人間だから、やはり漫画も別のものになっていくのだ。


    [No.16318] 今日は何の日・12月25日 投稿者:   投稿日:2010/12/25(Sat) 05:46
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、12月25日
    クリスマス(キリスト降誕祭)
    イエス・キリストの降誕記念日。西暦336年にイエス・キリストの降誕の日と決定された。
    キリストがこの日に生まれたという確証はなく、ローマの冬至を祝う「太陽の祝日」と結び附けられたものと言われている。
    日本では1874年に最初のクリスマスパーティーが開かれ、現在では宗教を越えた年末の国民行事となっている。

    昭和の日
    1926(大正15,昭和元)年、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚した。

    スケートの日
    日本スケート場協会が1982(昭和57)年に制定。
    1861(文久元)年、函館に滞在していたイギリスの探検家トーマス・ライト・ブラキストンが、日本で初めてスケートをした。

    1869(明治2)年 東京〜横浜に電信線が開通。電報の取扱いが始る

    1897(明治30)年 志賀潔が赤痢の病原体を発見

    1970(昭和45)年 公害関係14法案が成立・公布

    1971(昭和46)年韓国・ソウルのホテル「大然閣」で火災。死者158人


    1975(昭和50)年 子門真人の『およげ!たいやきくん』発売。442万枚の空前のヒットに

    1991(平成3)年 ソ連のゴルバチョフ大統領が、テレビ演説でソ連邦の終焉と大統領辞任を表明

    今日の誕生日の花:クリスマスローズ
    花言葉:追憶
    今日の一句:聖菓剪るゆっくり底に刃が達し    橋本美代子

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16317] 町澤静夫:コンプレックスという心理 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 18:26
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    この本にはいろんなコンプレックスが紹介されてある。
     母親コンプレックス
     星の王子さまコンプレックス
     自己愛コンプレックス
     家族をめぐるコンプレックス
     劣等コンプレックス
     完璧コンプレックス
     トラウマ・コンプレックス

    そもそもコンプレックスとは何か。
    我々がコンプレックスというと、すぐ劣等感にむすびつく劣等コンプレックスを思い浮かべるが
    この反対の
    優越感コンプレックス(これに近いのは自己愛コンプレックス)というのもある。

    コンプレックスとは文字どおり、感情複合体といいます。
    わかりやすく言えば、心の中の感情のさまざまな集まりです。
    この本ではその点をうまく説明していません(具体的な例はたくさん紹介しているが)。少なくとも私には納得のいく説明がないのです。
    むしろ
    河合隼雄の本に書いてある説明の方がわかりやすかった。
    それは
    人の心の中の状態を船にたとえて
    船長が二人いる状態のようなものだというのです。
    この二人の船長は実は自分自身のことなのですが
    普通は心のまとめ役は一人なので、価値判断、行動判断も一人管理のもとに統一されるのですが
    二人の船長がいると、自分でしたことが、あとからすぐ反論というか迷いが生じて
    それはノイローゼによくみられるのですが
    コンプレックスでは本人も(船長が二人という事態は)自覚できないで
    他人から見れば、おかしなことをしている、異常行動と思われることになるのです。

    例としてあげているのを紹介します。
     太宰治の場合、母親が弱くて
     乳母に育てられたあと、叔母のもとで育てられたのです。
     彼は母の愛情を知らないまま成長していったので
     人間や社会に対する不信感・不安感が募り、心が安定することはありませんでした。
     そのため睡眠薬やアルコールに依存してしまいました。
     女性関係も乱れ、結婚しても愛人をつくったりしていました。
     そこには、母親に似たもの、母性的な安らぎを求めていた形跡を認めることができると、この著者は書いています。
      (この本ではないが、別の本では石川啄木の場合、女ばかり生まれて、男の啄木がやっと生まれため母親は溺愛して、その結果啄木はワガママとなった。本郷時代、夜中に啄木は母親に酒を買ってこいと命じ母親は閉まっている酒屋の戸を叩いて起こして酒を買う苦労を金田一京助にこぼします)

     夏目漱石は生後にすぐ里子に出され、三歳の時養子となり、九歳になってようやく実家に引き取られます。また、籍が戻ったのは二十二歳の時でした。
     そのため、本当の親の愛情とはどんなものかを知らぬまま育ったのです。
     本当の親の愛情を知らないということは、生きていくうえでの基本的な感覚や信頼感というものが欠けてしまったり、不安定なまま生きていくということです。
     このような人たちは、自分の人生を支える価値観、哲学といったものを完成することなしには、安定することはないでしょう。
     漱石の場合は、この境遇がかえって独自の人生観を達成することにつながり、文学者としての成功があったのだと思います。

     マリリン・モンローの場合は、生まれながらにして愛情という確かな感覚はありませんでした。
     彼女はそもそも私生児として生まれました。精神障害のあった母親は間もなくうつ病で精神病院に収容されため、孤児院や里親のもとで育ちました。
     こうした体験によるコンプレックスは、彼女が若くして生涯を閉じるまでつきまとっていたのでした。
     何か確かなものがほしい、絶対的な親密さがほしいというのが、マリリン・モンローの人生のテーマでした。
     いっぽう、彼女は自分で絶対の親密さや愛情を得るためには、自分が女であることを強烈にアピールしなければいけないというジレンマに陥っていたともいえます。
     つまり、そのことで男性を誘惑し、本当の親密さを得ようとするのですが、男性は彼女の本当の心の親密さを要求していることに気づくことはなかったのです。
      (彼女は何度も結婚しているので、夫との間の生活を続ける努力とか意欲とかが不足していたのだと私は考えますが。要するに、夫は妻が普通の女ではなく、特別世話しなければいけない幼い心の女だという自覚があればよかったという私の意見です。もっとも医者と患者の関係を結婚生活に認める男はあまりいないでしょうげと)

    川端康成の場合
     やはり幼児期に両親を失い、祖母夫婦に育てられるが、その祖母夫婦も間もなく亡くなり、完全な孤独の少年になって親戚に引き取られて育つのです。
     川端康成の表情を思い浮かべると、大きく開かれ、じっと見つめるその目は、恐ろしいほどの孤独を表しています。死というもの、人間はひとりでしかないという自覚、それを堪えることが自分の人生であるという観念した表情ともいえます。


    [No.16316] 獅騎一郎:黒澤明と小津安二郎 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 08:34
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    黒澤明と小津安二郎の映画は対照的である。
    あらゆる映画技法を使いこなし、世界に冠たるダイナミックな「黒澤ワールド」を築き上げた黒澤明。
    あらゆる映画技法を打ち捨てて、清澄で静かな日本を終始描き続けた小津安二郎。
    ともに世界の映画の頂点に立つ監督でありながら、その思想から、作風から、技法から天と地ほどに異なる二大監督である。
    それはシナリオからカメラから映像から演出から、さらには俳優から、音楽から、裏方からと、微細なところまでまったく相い異なるのである。

    黒澤明と小津安二郎の二人を並べると、なんとなく二人は相当の年齢差があるような気がするが、実際には七歳しか違わない。
    小津はサイレント時代から活躍していたのに対して、黒澤はトーキーになってから、それも太平洋戦争末期から活躍したということと、また小津はがんのため昭和38年に60歳の若さで他界したため、小津の作品は昭和37年の「秋刀魚の味」が最後の作品だったのに対して、黒澤は平成5年の「まあただよ」まで撮っており、88歳の長寿を全うしたから、二人の世代が大きく異なるように思われるのである。

    黒澤明の有能なことは、照明を担当した石井長四郎も言っている。
    「当時山本嘉次郎監督は、自分よりも黒澤助監督の方が監督みたいだと言っていました。ワン・カット終わって山本さんが「カット!」と言うでしょう。それから後ろを見るんです。後ろに黒澤助監督がいて、黒澤さんが「まだまだ、もう一回」と言うと撮り直しなんです。「OK!」と言えばOKなんです」
    これは黒澤明がそこまで進歩していたという証明にもなるのだが、師匠の山本嘉次郎が後輩を育てる意味もあってやらせていたことなのであった。

    小津安二郎も助監督時代に似たような経験をしている。
    小津の師匠は大久保忠素という監督だった。
    天衣無縫は性格で、急に胃が痛くなったり、「頼むよ」なんていって消えてしまったりした。
    大久保監督が留守の時は皆で相談して、小津が監督に祭り上げられ(すでに人望があったのか)残りの部分を撮ったりした。
    おかげで小津は助監督時代からまねごとだが実際の監督をすることができた。
    また大久保監督はシナリオやコンテ、ギャグにいたるまで小津にまかせ、それだけ小津を信頼していたという。


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