メロウサロン 

ここは世界の全ての方に開かれた部屋です
自由なおしゃべりをどうそ

[新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用] [問い合わせ]
[トップページへ] [総合メニューへ] [留意事項] [投稿の手引]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.16081] Re: 韓国ふるさと街道をゆく 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/10(Wed) 17:17
    [関連記事

    > 康熙奉:韓国ふるさと街道をゆく   (2000.4)

    一度読んで図書館に返した本だが
    改めて本日借りてきた。 ちょっと読み直し。

    慶州の仏国寺を見学するとき
    突然、若い美人が現れる。
    釜山の外国語大学で日本語を勉強しているという。
    将来は韓国で日本語の先生になることが希望だ。
    最初は警戒したが、いかにも誠実そうなので、彼女に案内してもらう。
    すっかり仏国寺を見終わってから、駐車場に来た。その先には土産物屋が軒を連ねている。
    彼女は進んでいく。ここで別れようかと著者は迷うが
    結局彼女の後をついていくことにする。
    はたして案内されたのは青磁を扱う店だった。
    ここまで来て著者は思う、はじめからここに来ることを聞いていれば
    仏国寺のガイドの申し出は断っていたはずだ。
    しかたなく入った店で、六十代の二人のアジュマが待ちかまえていた。
    二人は日本語も上手で熱心に商品の売り込みをする。
    結局著者は一輪挿しを買うことにする。最初に1万円と言われたのを、値切って
    とうとう8000円で買う。
    買い物が終わると、アジュマの態度が変わり少し機嫌が悪くなる。
    もっと高いものを買ってくれると期待したのか、値切られたのが気にさわったのか。

    この青磁の土産物屋のアジュマから、昔の釜山の話を聞く。
    著者は昨日は釜山にいたのだった。
    釜山駅の向かいはテキサス街といってベトナム戦争のころは
    アメリカの船員や海軍の軍人が多かった。
    しかし、ベトナム戦争が終わると、アメリカ人はどんどん減って、そのかわりに
    東南アジアの船員たちが増えてきた。東南アジアの船員たちはアメリカ人と違ってお金を持っていないから、店の売り上げも減った。
    そうして店をたたんで、慶州にやってきたという。
    この本の当時は、そのテキサス街はロシアの船員たちで賑わっていた。

    仏国寺で著者の感じたことは
    新羅が朝鮮半島を統一したのはすばらしいことだったが、ひとつ気にいらないのは
    外国の力を借りたこと。その結果は、新羅は高句麗が現在の中国東北地方にまで広く持っていた版図を失う結果となった。
    (随の煬帝は朝鮮に戦争を仕掛けて失敗し、それがもとで随の国は唐に滅ぼされてしまう。
    唐も朝鮮半島支配をねらったのだが、手強いので様子を見ていた。そのうちに新羅から同盟の要請があったから朝鮮半島に乗りだしてきた。唐王朝は新羅という協力者があったから朝鮮半島に手を伸ばすことができた)


    [No.16080] 韓国に関する絵本 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/10(Wed) 13:27
    [関連記事

    来年春の韓国行きのために
    三冊の子供向きの本を読みました。
    これから図書館に返してこなくては。

    「世界の市場 韓国」
      めずらしい水産物ケブル(日本ではユムシ)、内臓をとってぶつ切りにしたものを食べる。こりこりした食感である。昨年食べました。
       コンビニのおにぎりはカルビなどのハンバーグの入ったものが人気。
    「韓国のごはん」
      韓国では一般家庭でも朝からチゲ(鍋物)がある。男女は別のテーブルで食べる。父親が食べはじめるまで誰も食べられない。
    「韓国・北朝鮮の鉄道」
      金大中の功績で、いちおう韓国と北朝鮮の間の鉄道がひとつだけ開通している。


    [No.16079] 古田武彦「盗まれた神話」から 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/10(Wed) 13:18
    [関連記事

    瀬里恵さん、みなさん  こんにちは

    古田武彦・古代史コレクションの3
     盗まれた神話
       記・紀の秘密

    この著者は東北大学法文学部日本思想史科の卒業で
    ユニークな本である。
    難解で私にはむずかしい。

    柿本人麻呂の歌
    「大君は神にしませば天雲の雷 の上に廬(いほ)らせるかも 」
    の雷(いかづち)は、通説では大和の明日香村の雷丘とされているが
    この著者はそうではなく
    九州の福岡県前原市と佐賀県との間にある背振山脈の第二峰、雷山(らいさん)のことであると書いている。九州の雷山は高さが955メートル(明日香村の雷丘は20メートル足らず)
     すなわち、この著者によれば
    「筑紫の君(九州王朝の代々の王者)はすでに死んで神となっておられますから、今は山のほこらを『いほり』として安らかにすごしておられます」となるというのである。

    いわゆる東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)にある
    今(天正5年、1577年)から2500年前に、安日彦(あびひこ)・長髄彦(ながすねひこ)たちが
    稲を筑紫から東日流(つがる)へもってきたという記述は本当である。
    炭素同位元素の測定でも確かめられる。
    と、著者は東日流外三郡誌を高く評価しているが
    この書物は偽ものであるというのが現在の定説である。

    ただこの中で「古事記」と「日本書紀」にともに
    天孫降臨を述べるところで、随伴した三種の神器の一つとして「草薙剣」と書かれてあると述べている。
    日本武尊説話の段階で名づけられたことになっているこの名前が、天孫降臨の段階で「草薙剣」と呼ばれているのは、一見奇妙である。
    おそらく天照大神も瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)も天孫降臨のときには、この剣の「未来の名前」など夢にも知りはしなかっただろうから。
    しかしここでは、後代名称の「草薙剣」でもってそれ以前の名の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と置換して記述しているのである。
    だが、これは一般には史書の上で必ずしも不思議な用法ではない。
    「日本の神武天皇」とか「中国の孔子」とかいって平気なのと同じであるから。
      ここは、ああそうなのかと思って読みました。


    [No.16077] Re: 巨大クルーズ船が火事! 投稿者:   投稿日:2010/11/10(Wed) 10:50
    [関連記事

    みなさん こんにちは

    続報:客室のトイレと水は供給できるようになっているそうです。でも、湯は出ない。
    タグボートに引かれて、Ensenadaに着くことになったとか。もう着いたかな?
    でも、上陸できるのかどうか。

    とにかく、えらいことです。こんな目に会いたくないですね。


    [No.16075] 巨大クルーズ船が火事! 投稿者:   投稿日:2010/11/10(Wed) 09:35
    [関連記事

    みなさん こんにちは

    そんなことにならなくてよかったと思っていますが、現実にはあるのですね。

    メキシコ沖で、カーニバル・スプレンダー(11,3000トン)のエンジン室が火事になり、エンジンが動かず、航海できなくなっているそうです。乗客3,299名は水のボトルと冷えた食事を与えられてはいますが、部屋から出て上の方のデッキにいるとか。トイレはどうしているのでしょう。気温は暑いらしく、エアコンがきかず、大変なことです。

    米海軍の空母が食料を届ける用意をしているそうですが、どうなることやら。
    自力でロングビーチの港に戻ろうとしていますが、エンジンが起動できないときはタグボートで引っ張る用意をしているそうです。

      紫竹の(小澤)


    [No.16074] 「ふろしき」を読む日韓文化 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/10(Wed) 08:14
    [関連記事

    李御寧:「ふろしき」を読む日韓文化  学生社  (2004)

    著者はソウル大学卒、文学博士、梨花女子大学名誉教授で
    日本語の著書
     「縮み」志向の日本人
     蛙はなぜ古池に飛びこんだのか
    があるように、日本語が驚くほど上手である。

    韓国には日本のふろしきのようなポジャギがある。
    角に紐がつけられているポジャギはしばるときに便利で楽である。

    ふろしきやポジャギは畳めば小さくなるのに対して
    西洋の鞄は形が変わらない。だからスペースをとられる(壊れやすい物など入れるのには便利)。

    「ポジャギ」は赤ん坊の「おくるみ」を示す漢字の褓(むつき)からきた。
    「むつき」と「おくるみ」が、ふろしき文化の原風景として浮かび上がってくるだろう。

    日本や韓国の母親は、「ふろしき」のように「おくるみ」を敷いて床をつくり、それを包んで「ねんねこ」にした。
    それとは対照的に西洋の母は、「揺りかご」の中に赤ん坊を入れる。包むのではなく、鞄の中に入れるように入れる。
    運び歩くときにも、背負うよりは乳母車に入れて押す。
     戦後に来日したヨーロッパ人の中には、赤ちゃんをおんぶしている日本の母親の姿に魅了され、イギリスではお馴染みの乳母車がいかに不自然なものに見えたかを本に書いているピーター・ミルワード氏もいる。
     アメリカでは日本の十倍の児童虐待が行われているのは、ひとつには母と子のスキンシップの不足ではないかと、著者は指摘する。母におんぶされ育つ日韓の子どもに対して、西洋では囲いの中で独り離れて天井を見ながら寝る子ども、夜も暗い子ども部屋で寝るのである。母と子は、西洋では、早すぎるくらい早くから分離される。日韓はそうでない。

    床に敷いた「おくるみ」の空間は 壁によってはっきりと分割されている「揺りかご」とは違う。
    その壁は薄く軟らかい。またその境界はあいまいである。
    ここから話は住まいの空間に及ぶ。
    屏風も部屋を間仕切るのに便利で、畳むとすみに置くこともできる。
    西洋人は個室が好きだから、とにかく壁を作って、部屋をつくりたがる。
    硬直性そのものの西洋の住居、柔軟性にとんだ日韓の屏風文化
    こんなところが、この本の内容でしょうか。

    こんど韓国に行ったら、ポジャギを買ってこようか。


    [No.16073] 今日は何の日・11月10日 投稿者:   投稿日:2010/11/10(Wed) 05:37
    [関連記事

    みなさん、今日は
    今日は何の日、11月10日

    エレベーターの日
    日本エレベーター協会が1979(昭和54)年に制定。
    1890(明治23)年、東京・浅草の「凌雲閣」に設置された日本初の電動式エレベーターが一般公開された。

    トイレの日
    日本トイレ協会が1986(昭和61)年に制定。
    「いい(11)ト(10)イレ」の語呂合せ。
    同協会はこの日に「トイレシンポジウム」を開催し、公衆トイレを対象とした「グッドトイレ賞」を発表している。

    ハンドクリームの日
    ユースキン製薬が2000(平成12)年に制定。
    「いい(11)手(ten=10)」の語呂合せと、平年の最低気温が10℃を割ってハンドクリームの需要が高まる頃であることから。

    肢体不自由児愛護の日
    日本肢体不自由児協会の主唱で1953(昭和28)年から実施。
    この日から12月10日までの一箇月間が「手足の不自由な子供を育てる運動」期間となっている。
    毎年、肢体不自由児が描いた絵を載せた「友情絵はがき」「愛の絵はがき」の配布等が行われている。

    技能の日
    労働省(現在の厚生労働省)が1971(昭和46)年に制定。
    1970(昭和45)年、アジア初の技能五輪(国際職業訓練競技会)が日本で開催された

    1940(昭和15)年 各地で皇紀2600年祝賀行事を実施

    1963(昭和38)年 鈴鹿サーキットでオートバイ世界選手権第1回日本グランプリ開催。日本車が上位を独占

    1965(昭和40)年 東海発電所から原子力発電による初の営業用の電力が送電される

    1976(昭和51)年日本武道館で天皇在位50年記念式典


    今日の誕生日の花:ガマ
    花言葉:救護
    今日の一句:返り花ひとりになればまたひとつ    中岡毅雄

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16072] Re: 小塩節:ラインのほとり 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/09(Tue) 17:30
    [関連記事

    > 日本はそうではない。自然に即しながらいつも繊細に、むしろ植物的なありようをする。そこにも人間はいるのだが、世界の中心に立っておのれの意志を貫くというよりは、対象にやさしくつれそっていく。

    ここは
    原文では
    日本はそうではない。自然に即しながらいつも繊細に、むしろ植物的なありようをする。そこにも人間はいるのだが、世界の中心に立っておのれの意志を貫く倨傲はなく、対象にやさしくつれそっていく。
    となっています。

    きょごう【倨傲】: おごり高ぶること。
    この漢字が見つからなかったため、上のように簡単に書いたのでした。


    [No.16071] 小塩節:ラインのほとり 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/09(Tue) 11:25
    [関連記事

    テレビのドイツ語講座を18年間勤めてから
    著者は外務省の委嘱を受けて
    当時西ドイツのケルンにある日本文化会館の館長につく。
    中央大学教授を2年間休職して。

    日本文化会館は日本文化をヨーロッパに伝える活動センターだから、国立近代美術館その他から90点もの明治以降の代表的日本人による西洋画を日本から運んできて展示したり、
    1億円を投じて市川猿之助一座79人による歌舞伎「義経千本桜」を各地で公演したり、日本語講座を開設して数百人の生徒をかかえている。寅さん映画も見せたりしている。

    おもてむきには日本文化紹介の広報活動が目立つし、効果もすぐあらわれる。
    しかし文化紹介は長い時間のかかる仕事だ。魂から魂へ伝えていかねばならぬ。
    ところで音楽のほうは、というと....
    日本現代作曲家のものも紹介の機会を設けている。現代音楽評論家・上浪渡氏を招いてのシンポジウムもよかった。
    若手一流の演奏家も、お礼が少なくて申しわけないが快くやってきてくれる。
    実にうれしくてありがたい。

    大学という世界しか知らない世間知らずの著者にとって何もかもはじめての経験だった。
    どうやら演奏家や画家彫刻家という人たちは、自分が世界で最高唯一の才能だと思わないと生きていけないものらしい。
    たしかにそれぞれの才能はたったひとつ、その人にしかないものだが。
    猛烈な「売りこみ」が毎日のようにあって、そういう世界を知らなかった著者には、とうてい同じ日本人とは思えなかった。

    恵まれぬ若くて苦労している日本人の芸術家たちに何とかチャンスをあげたいと思う。
    いっぱい埋もれているのだから。
    しかし、いわゆるお偉いさんの筋から強力におされてくる人や、自分で売りこんでくる人の多くは、実は才能のない人だ。
    芸事が芸術の域に達するか達しないかは、紙一重の差でしかない。けれどもその紙一重の距離は無限である。

    ほんものの芸術とはいったい何なのだろうか。
    私たちはその周囲をめぐり、その中核をことばで打ち当てたいと苦しむが、むなしい。
    芸術はそれ自身確固とした存在として存り、時代を超え国境を越えて人をうち、人の魂の密度を高めてくれるものだ。芸術に触れて、その出会いのなかで魂の旅をする人にとって。

    筝曲のアンサンブルをしたら、大好評だった。当地の芸大の教授や学生をはじめたくさんの人が押しよせ、みなお琴のひびきにうっとりと耳を傾けている。
    十年ほど前にロンドンとアイルランドの首都ダブリンで、古い日本の三味線や雅楽の会に出会ったが、そのときも同じような光景だった。

    イタリアを母国とし、ドイツで完成したいわゆる西洋音楽は、いわばたて糸とよこ糸を幾何学的に構築しつくし、一分のスキもない。それはクラシックばかりでなく、ポピュラーでも同じことで、余白とか隙間のない石造建築のファサードに似ている。空間を音で埋めつくすのだ。

    ところが日本の筝曲は、空間のなかに音を連続して流すまではなくポロンポロンと音を落としていくようなものである。
    音楽に国境はないというけれど、著者にはやはり国境というか民族性なるものが厳としてあるように思われるのだが、三味線やお琴のようなまったく東洋の微妙な音を、ヨーロッパ人が音楽として楽しんでおり、心が清められ、慰められているのを見ていると一種異様な感動を覚えるという。

    ヨーロッパの音楽は第一に表現しつくす音楽だが、日本の音楽は表現しない部分、余白、間に深い意味があり、何もかも音で表現しつくすことはしない。文学とも共通している特性である。
    第二にヨーロッパの音楽は素材を用いつくして「動的」であるが、日本の音楽は素材よりも無言の美的感性を重んじて「静的」である。禅や神道の遺産かもしれない。

    第三に、ヨーロッパ音楽はいついかなるときにもその中心に「人間」がある。
    人間の自我が、神や世界や自然や他の人間を相手としながらも、限りなく強烈に自己主張を続けてやまない。
    日本はそうではない。自然に即しながらいつも繊細に、むしろ植物的なありようをする。そこにも人間はいるのだが、世界の中心に立っておのれの意志を貫くというよりは、対象にやさしくつれそっていく。
    そのなかで人間の運命のかなしさ、しなやかさが歌われていく。
    つまりヨーロッパは徹底的に人間中心の世界なのだ。だから孤立した人間の孤独も深く、孤独な者同士の相互交流への意欲と必要も大きいのである。


    [No.16070] 山上健康:キムチの味 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/09(Tue) 06:28
    [関連記事

    山上健康:キムチの味 (1995)

    今から15年も前の本なので
    交通機関については古い。
    宿のことなどで変わらないこともあるが。

    慣れないオンドル部屋で寝たおかげで、のぼせて鼻血を出したりした著者
    オンドルの床に、カメラと電気ひげそり機をじかに置いて寝たら
    朝はカメラも電気ひげそり機も、オンドルの温度で熱くなっていた。
    はじめ、電気ひげそり機は熱のため作動しなかったが、熱から冷めると、もとどおり作動するようになった。
     オンドル部屋は暖かすぎる。夏にはさすがにオンドルは入れないだろう。
     オンドル部屋では、そういうわけで床が暖かいから、洗濯物を乾かすには適している。

    慶州の仏国寺は有名な寺である。
    この本によると
    仏国寺は535年に創建され、200年後の最盛期には、現在の10倍のスケールにまで拡大されたが、豊臣秀吉の戦争で焼かれ、いまの建物はそのあと再修復されたものという。
    石造部分だけは、当時のままで、石像技術の精巧さは1500年ちかくたってみなお美しさが際だっている。
    (ここの石階段と階段の裏側にある石アーチが見る価値がある)

    さて
    この仏国寺を訪れた著者たちの前に現れた清楚な感じの女子大生は
    まじめな態度でガイドをしてくれた。
    将来は日本語の通訳ガイドになりたいという。
    謝礼に5000ウォン(750円)渡そうとすると受けとらず、自分がアルバイトしている、お土産店に立ち寄ってほしいと頼まれる。
    その土産店は、高麗青磁と李朝白磁の陶芸品や、数珠と漆器の工芸品が、棚やショーケースに陳列されている。
    なにしろ二月に行ったため時季はずれで客は誰もいない。
    暇をもてあましていた店員らしい二人のアジュモニ(おばさん)と一人のアジョン(おじさん)がいた。
    彼らが店内に入ると、絹織りの派手なネッカチーフを首に巻いたアジュモニが流ちょうな日本語で話しかけてきた。
    「そこのソファーにお座りになって、お茶でも飲んでゆっくり休んでください」
    ネッカチーフのアジュモニが、陳列品のなかからアメジストの指輪と首飾りを取り出してガラス・テーブルの上に並べた。
    「奥様にこの指輪はいかがですか?」とか
    「お嬢さんには、このペンダントがよく似合うと思いますが?」とか
    にこやかな表情巧みな話術で、次から次へと品物を取り出しては、買わせようとする。
    この著者は事情があって家族に内緒で韓国旅行をしているものだから、娘にペンダントを買ってやるのは自ら墓穴を掘るようなもの。
    はじめは何も買わないつもりだったが、親切なアルバイト女子大生へのお返しに、暖かい膨らみの形をした青磁の夫婦湯飲みセットを買うことにする。
    しかし、とことん値切って買ったので、ネッカチーフのアジュモニの表情がだんだん無愛想になり、さきほどまでの愛想笑いがなくなってしまった。
    (この店は仏国寺に行けばあります)


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 |


    - Web Forum -   Modified by isso