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  • [No.15398] 小菅桂子:にっぽんラーメン物語 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/20(Sun) 09:53
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    図書館から借りてきた
     小菅桂子:にっぽんラーメン物語 駸々堂出版(1987)
      第一話 シナソバは、なぜラーメンとよばれるようになったのか
      第二話 日本で初めてラーメンを食べた人
      第三話 にっぽん中華料理史
      第四話 シナチクはいかにしてラーメンの上にのるようになったか
      第五話 浅草来々軒誕生物語
      第六話 さっぽろラーメンのルーツを求めて

    この本を大幅に加筆し、再構成した本を私は持っている。
     小菅桂子:にっぽんラーメン物語 講談社文庫(1998)
      第一話 日本で最初にラーメンを食べた日本人
      第二話 来々軒物語
      第三話 竹家食堂物語
      第四話 ラーメン命名白書
      第五話 カンスイなくしてラーメンなし
      第六話 シナチクはなぜラーメンの上にのったのか
      第七話 ご当地ラーメン物語
      第八話 長崎ちゃんぽん考とチャルメラ
      第九話 にっぽん中国料理史

    この二つの本を読み比べてみると、当然後者の本は前者の内容を含んで、その後の研究成果が追加されている。

    ラーメンを食べた水戸黄門
     黄門が招聘した儒学者朱舜水は、中国の麺を作ってご馳走した。
     スープは豚の腿肉(ももにく)を塩漬けにした中国式ハムの火腿でとった。
     麺は小麦粉につなぎとして藕粉(レンコンからとった料理用の澱粉)を使った。
     さらに薬味は「川椒(チュアンヂャオ)」「青蒜絲(チンスァンスウ)」
     「黄芽韮(ファンヤアヂウ)」「白芥子(バイヂェヅ)」
     「芫妥(妥は草冠)(イェンスイ)」の5種類であった。
      「川椒」は山椒のことだが、四川省の山椒という意味である。
      「青蒜」は葉ニンニクのこと。「黄芽韮」は黄色いニラの若芽のこと。
      「白芥子」は白カラシのこと。「芫妥(妥は草冠)」は香菜のことであった。

    浅草来々軒は横浜税関の役人を辞めた尾崎貫一がはじめた。
    おそらく横浜時代にえた南京町の人脈がバックアップになったのであろう。
    北大正門前にあった竹屋食堂が札幌ラーメン発祥の地と言われる。
    台湾の大学から転任してきた北大医学部長今裕(こんゆたか)博士にひいきにされ
    本格的支那料理店となる。
    後者の本には、喜多方ラーメンの元祖源来軒の先代の潘欽星のことも書いてある。

    長崎ちゃんぽんについては、前者の本では長崎新地の四海楼の陳平順が名付けた吃飯(シャポン)がチャンポンになったという説を紹介していたが
    後者の本ではその他の説、「まぜこぜ」からきたという説も紹介している。

    横浜中華街は広東省の出身者が多く、長崎は福建省出身者が多い。
    いずれにせよ中国南方の味である。

    ラーメンのカンスイについては、別にまとめたものもあるが
    あとで機会があれば紹介したい。


    [No.15370] マンガをもっと読みなさい 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/16(Wed) 10:49
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    マンガをもっと読みなさい 対談 養老孟司・牧野圭一  晃洋書房

    牧野圭一は近藤日出造に師事した政治漫画家で、京都精華大学名誉教授。
    対談の中で
    養老孟司はマンガの効用を理論的に解説する。

    日本人の脳において
    漢字を読んでいるときと、カナを読んでいるときでは、脳は別々の場所を使っている。
    というのは、脳が故障を起こしたとき、漢字が読めなくなるか、カナが読めなくなるかのどちらかになるという症状から、別の場所がこわれたんだということがわかる。
    カナを読むのは「角回(かくかい)」という場所であるが、ここがこわれた場合、外国人は文字がいっさい読めない状態になる。
    ところが日本人はカナは読めないが、漢字は読めるという状態になる。
    漢字を読む場所が壊れると、日本人は漢字は読めないが、カナは読める状態になる。

    高橋留美子「うる星やつら」に錯乱坊という坊さんが出てくるが、「錯乱坊」には「チェリー」とルビがふってある。
    それが怒鳴っている吹き出しの中に「揚豚」と書いてあって「カツ」とふっている。
    これは、意味を持った図形(漢字)があって、それに音声をふっていることでジョークにしている。高橋留美子は、マンガというのはこれだということを実によくわかって描いている。

    マンガは文字と違ってアイコンである。だから「目でなきゃ、わからない」という性質を含んでいる。同じように「ギャー」とか「ワー」とか、ともかくありとあらゆる擬音語も入っている。「耳ではかわからない」ということも含んでいる。そこが大切である。言葉にはそれが入っていない。
    逆にそういうものが入ってているから、マンガはバカにされる。でもそうした感覚の世界がじつは大切なのである。

    マンガは絵画的要素も音楽的要素も言葉もふくむ総合作品である。

    (鉄腕アトムのことからロボットに話題が変わり)
    ロボット研究を、私は非常に評価している。従来の科学研究とさかさまな面を持っているからである。
    どこがさかさまかというと、今までの科学は動かないものを組み立てて動くものを作ってきた。
    生物学や医学では、論文を書かないと偉くなれない。でも、論文を百万編集めても生き物にはならない。
    論文とは止まったもので、生き物を上手に止める仕事がここ百五十年の間の偉い人のすることだった。
    ロボットを一生懸命作っている学者がいたとする。彼は論文を書いている暇があったらロボットを改良しているだろう。それはある種の創作活動であるのに、その学問は評価されてこなかった。
    それでは、部品を組み立てていけば生き物ができるかといえば、できない。複雑さが根本的に違う。
    人間は12兆の細胞からできた、ものすごいややこしいものである。それを非常に乱暴にまねをしているのがロボットである。
    いってみれば人間のマンガなのである。
    しかし、それですら大変な進歩に見えるぐらいに、人間のまねをして動くものを作るのはむずかしかった。
    ところが、ロボットを作っていくと、ある意味で人間が良くみえてきた。二足歩行を人間がどういうふうにやっているかということは、ロボットを作る過程で細かくわかってきた。
    われわれは、考えなくても二足歩行ができる。理屈がどうかなど考える必要がない。歩く原理がわかってきて、やっと人間らしく歩けるロボットが作れるようになった。

    なぜ人を殺してはいけないか。
    時計をバラしたって組み立てられるが、人間はバラしたらだめなのである。とても作れるようなものではない。
    そのとても作れない人間を殺してしまうのはきわめて簡単である。出刃包丁かナイフ一丁あればいい。
    人間のややこしさに比べたら、原爆なんておもちゃみたいに簡単である。そういう簡単なものに、ややこしいものをこわす権利はないのである。

    解剖の本はマンガである。
    写真で解剖図を作った本もあるが、写真にはよけいな情報がたくさん入っているから、写真で作った解剖の本はあまり役に立たない。
    解剖図を写真で見たら、神経は出ているは、結合組織はバラバラ、血管は色々と、解剖している本人でも、何が何だかわからなくなってしまう。
    ところが、これを絵にしたらよくわかる。解剖は絵がないとどうにもならない学問である。
       -------------

    養老先生の文章は奥が深い。あまりにも物事を知りすぎているから、それを読んでいくと、こちらも情報量の多さについていけなくなる。
    上の例で、解剖の写真を見せられても情報量が多すぎるから、初心者向きではないということを述べているが、養老先生の文章も情報が多すぎる印象がある。

    なぜ、人を殺してはいけないか。養老先生は、人間の体はあまりにも精巧で緻密にできているから、そんな複雑なものをこわすことはいけないのだとロボット研究者の立場になりかわって説明する。これもひとつの論理だろう。

    マンガは絵画的要素も音楽的要素も言葉もふくむ総合作品であるから、言葉の論理からだけでなく、感覚からも情報が入ってくるので、受ける立場としては好都合である。
    このことが、実は若者がマンガを受け入れる反面、活字離れの現象を生み出していることにもなる。どうも人間は楽なほうに流れるらしい。

    医学や生物学の研究者は、生き物を上手に止めて論文を書いている。それは一種の静止画像みたいなもので、静止画像をいくらたくさん組み合わせても、本物の動画像にはならないというようなことを養老先生は述べているが、これは日ごろから解剖は死んだ生き物をあつかっているから、それをいくら資料を集めても生きている生物とは違うというようなことを言われてきた養老先生の思いを、ロボット研究者の応援に使ったみたいである。

    なお、上には紹介しなかったが、この世のできごとについて誰もその真実はわからないということを養老説として述べている。
    この世の現実はたった一つだけ、とみんな思っているが、その状況全部を完全に知っている人はいない。いるとしたら全知全能の神だけである。
    たとえば
    跳ね飛ばされた人は、跳ね飛ばされる瞬間に何を考えていたか。
    車はどのぐらいのスピードで走っていたか。
    いまさら確かめようがないことは山ほどある。
    人間にはすべてのことはわからないのだから、真相はこうだと言われると、信用しない養老先生。


    [No.15181] 回想の太宰治 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/02(Sun) 06:55
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    妻美知子の書いた本  人文書院  昭和53年

    御坂峠
    太宰治の小説の舞台である。
    この文章では、見合い当時のことが書かれている。
    御坂トンネルの大きな暗い口のすぐわきに、街道に面して、天下茶屋が建っていた。
    前に、甲府の美知子の実家で会ったときよりも太宰は若々しく、寛いでみえたが、バスを降りた美知子を迎えた、茶店のしっかり者らしい三十過ぎのおかみさんと、大柄の妹の、ふたりの同性の眼が、二階の座敷に上がってからも美知子には気にかかり、モトヒコという太宰にまつわりついて甘えている子のことも美知子にはじゃまに思われた。

    太宰は美知子に、ひっきりなしに煙草を吸いながら、先日までここに滞在していたI先生ご夫妻のこと、この茶店の主人は応召中などを話した。
    天下茶屋は、かなり広い二階建てで、階下には型通りテーブルや腰掛を配置し、土産物やキャラメル、サイダーなどを並べ、二階は宿泊できるようになっていた。

    御坂トンネルが穿たれて甲府盆地と富士山麓を直結する新道八号線が開通したのが昭和五年で、川口湖畔のТさんがこの茶店を建てたのもその頃であろう。
    甲府盆地では御坂山脈に遮られて富士は頂上に近い一部しか見えない。
    盆地からバスで登ってきてトンネルを抜けると、いきなり富士の全容と、その裾に広がる河口湖とが視野にとびこんで「天下の絶景」ということになる。
    トンネルの口の高いところに「天下第一」と掘り込まれている。

    I先生が太宰を励まして新しい出発を決意させたのである。下宿での毎日がよくない。東京を離れて山中に籠もって、長編にとりくんでみるようにと、この茶店を紹介したくださり、書き上げたら竹村書店から上梓してもらう内諾もとってくださっていた、そう書いて美知子はI先生に感謝している。

    大きな課題を負い、師を頼って御坂にきた太宰は、I先生のご帰京後は一人ぼっちでこの二階に残されたのであった。
    それらはあの小説に書かれたとおりであった。
     ☆ 富嶽百景ですね。  井伏鱒二は良い師匠だった。

    御崎町
    六月に実家の母、妹と四人で東海に遊んだ。三保の燈台下の三保園は、美知子が以前来たとき大変よい印象を受けたので、皆を引っ張ってきたのだが、太宰にも気に入って、後日また訪ねている。
    修善寺で一泊して三島に出たときは小雨が降っていた。太宰は雨の中を先に立って町中歩き回り、美知子は安くてうまい店を探しているものとばかり思っていた。
    なんと三島は太宰の老ハイデルベルヒだったとは美知子は知る由もなかった。
     ☆ 私もこれを読んでびっくり。三島が太宰の老ハイデルベルヒだったとは。

    初めて金木に行ったとき
    昭和17年の秋、美知子は始めて太宰の生まれ故郷の金木に行った。
    母が重態なので生前に修治とその妻子を対面させておきたいと、北、中畑両氏がはからってくれたのだ。これが十月下旬で、十二月十日に母は死んだから、いま思えばまことに時を得た配慮であった。
    美知子としても夫の母なる人に会わず仕舞いでは心残りだったと思うと書いている。なんといっても苦労人の両氏は有難い存在であると感謝している。

    このとき郷里へのお土産とともに、美知子は95円の駒燃りお召しを買ってもらう。まだ駒燃りの出始めで呉服売り場でもそれは高級品の部類であった。それに加えて流行の黒いハンドバッグも買ってもらう。
    美知子が太宰に着物その他身につける品を買ってもらったのは、あとにもさきにもこのとき一度だけだった。
    原稿料が入ると、いつも太宰の着物は買っても、妻にも何か買うかとは言わなかったので、美知子は不満だった。だから、金木行きのときにこのときとばかり高級品を買ってもらい鬱憤をはらしたのだったが、太宰はたまらん、たまらん、破産だと騒いだという。
     ☆ 太宰という人は家族にとても迷惑をかけた。 妻としては言いたいこともいっぱいあったろう。この本はそういうことは書いていない。事実だけたんたんと書いている。それは感心する。


    [No.15171] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:   投稿日:2010/04/29(Thu) 15:46
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

     紫竹のさん、皆さん…

    昔、庶民は信士・信女 武士階級は居士・大姉、
    大名など身分の高い武士は大居士とつけられたようです。
    現在はお金次第と言う事のようですネ(笑)

    神道では戒名は無く○○○○之命で 地位の高い人は
    ○○○○大人(うし と読む) 女性は刀自です。


          宇画武院瀬里恵大居士


    [No.15162] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:   投稿日:2010/04/27(Tue) 22:59
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    とんぼさん、
    素晴らしく 良い話を聞かせて頂き、奥様喜んで身罷られたと思います。
    貴方の優しい温かい気持ちが きっときっと伝わったことでしょう。

    わたし前から今の名前での主義者です。
    もっとしっかり 云っとかなきゃ、聞いておかなきゃです。

                              オアシス

    > 家内が病床について4年経った頃、いよいよだなと思い切って「戒名はどうするか?」と訊きました。
    >
    > 病気による構音障害でものが言いにくいにも関わらず「今の名前でいい」と、思いがけず明るい表情で言いました。
    > 嬉しかったナ。
    >
    > この一言を聞いて誰に遠慮することなくわたしが仕切って花と音楽で弔ってやることにしました。
    >
    > 墓?は高さ20センチほどの五輪塔2基にして生前書を好くしていた手紙から◯夫・◯子の名を写しサンドブラストで彫ってもらいました。死者と対話するきっかけなればいいと思って。


    [No.15160] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:GRUE  投稿日:2010/04/27(Tue) 21:11
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    季寿さん、お久しぶりです。

    > 今年1月亡くなった私の母は生前戒名を貰っていました

    > ちなみに父は11月に亡くなりました

    そうでしたか、大変だったでしょう。お悔やみ申し上げます。

    私の父はお寺さんと懇意にしていたもので、自分がいいのを
    決めてあげるといってやってくださったのでお任せでした。


    [No.15159] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:   投稿日:2010/04/27(Tue) 18:58
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    季寿さん、とんぼさん

    >戒名は菩提寺の住職につけて貰いましたが、風流な方で、父の戒名には「紅葉」の字句>が、母の戒名には「清月」の字句が含まれています

    11月に亡くなった父上は「紅葉」すてきですね。
    先に戒名をいただいた母上は、「紅葉」の上で、いつまでも「清月」となって
    輝いていらっしゃるのですね。秋は月ですものね。
    もちろん1月の澄み切った寒さの中の「清月」もすてきです。

    > 家内が病床について、いよいよだなと思い切って「戒名はどうするか?」と訊きまし
    > た。「今の名前でいい」と、思いがけず明るい表情で言いました。
    > 嬉しかったナ。
    > この一言を聞いて誰に遠慮することなくわたしが仕切って花と音楽で弔ってやることにしました。
    > 墓?は高さ20センチほどの五輪塔2基にして生前書を好くしていた手紙から◯夫・◯子の名を写しサンドブラストで彫ってもらいました。死者と対話するきっかけなればいいと思って。

    「戒名は自分で」と、しかめっ面をしながら考えていたのに、
    こんなにいいお話を聞けて幸いでした。こんなすてきな奥様と、いいご主人
    のとんぼさん、うらやましいわ。

    お2人に感謝です。


    [No.15158] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:   投稿日:2010/04/27(Tue) 18:43
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    男爵さん、

    ありがとう。

    >> 母  33歳 釋妙○信女

    >どうも釈の字があるから、浄土真宗の法名だと思います。

    >>ちなみに
    >> 樋口一葉は
    >> 知相院釈妙葉信女

    そうでしたか。新潟長岡の出身の母でした。
    おじさんと呼んでいた方が、みんなやってくれたのです。
    京都のお寺、西、東どっちかですか。ものすごい熱心な信者でした。

    >葬式は遺族のためにあるので
    >遺族の考え方や都合できまりそうですが
    >その前に遺言で、こうしてほしいと残しておけばいいのではないでしょうか。

    きちんとした遺言状が必要になってきますか。
    私は葬式はいらないと言っているのですが、親戚のてまえ、そうもいかない
    なんて! 言ってます。

    >骨を海山に散骨するとか....
    >石灰ですから畑にまけば肥料になりますが。

    畑にはまけませんね、いくらなんでも「うぅー気持ち悪い」って言われそう。


    > 本日
    > 市立図書館に行って二冊の本を借りてきました。

    熱心な男爵さんに頭が下がります。

    >  信士・信女      五十〜百万円
    >  院号・信士・信女(永代) 二百万円 
    >  院号・居士・大姉(永代) 五百万円
    > ネットで調べると、このお寺は日蓮宗大本山となっていました。

    うわっ、そんなに高いのですか! 

    >
    > また、あやさんの書いていた散骨ですが、文献Aには
    > 和歌山や奈良では申し出れば、遺骨を一定期間保存のうえ処分するシステムを採用しているそうです。

    二県だけなのですか? 増えてほしいです。

    > 関西を中心に遺骨を引き取らないという考えをもった人が出現しており、全国に波及している状況にあるとも書いてあります。

    そうでしょうね。私のように身内がいないものは、なおのことです。

    > 現在、散骨は遺骨埋葬の一つの形態として一定の方法のもとで可能となっているとも書いてあります。

    役所で調べないといけないですね。そんなこと聞きに行ったらおかしいかしら?

    >
    > なにしろインドでは遺体は焼いて川に流すのです。

    これも怖いことですね。

    >
    > 参考文献
    >  A 藤井正雄:戒名のはなし、吉川弘文館
    >  B 松原日治:生前戒名のすすめ、くまざさ社

    よく探されて、感謝に耐えません。


    [No.15157] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:   投稿日:2010/04/27(Tue) 18:27
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    紫竹のさん、

    しばらくです。

    >
    > >日蓮宗
    > > AA院法BCC居士
    > > AA院妙BCC大姉
    >
    > うちは、日蓮宗ですが、次のようになっています。
    > 祖父と父 AB院法C日D信士
    > 祖母と母 EF院妙G日H信女
    >
    > 必ず、日が入っています。
    > そして、院の前に名前からとった一字が入っています。

    具体的でよくわかりました。きちんとしているのですね。

    わが家の場合は、何がなんだかわからないのであります。
    父は仏教ではなかったと思うし、みんな早く亡くなったので、
    その時その時で世話してくれた人たちがやってくれたのでしょう。

    そんなことで、バラバラです。
    私は家族の葬儀を、やったことがないのです。

    >
    > ところが、最近見た戒名には次のようなのがあります。
    >    ○○院法○日○居士
    >    ○○院妙○日○大姉
    > どういうわけなのでしょうか。

    どういうことなんでしょうね? そういえば見かけますね。

    >
    > 自分については、戒名であろうが、今のままであろうが、どうでもいいと思っていますが、やはり、決めておかないと困るでしょうね。
    >
    > 骨については、埋めなければ法に触れないそうです。
    > でも、だからと言って、自分の家の庭など、どこに撒いてもいいというものでもないでしょう。ご近所のこともありますから。

    そうですね。きちんと書いておかないといけないでしょうね。
    自分には庭がありませんが、そんなことはいけませんよね。

    この機会に、そろそろ考えましょう。

    夫には、葬儀はいらないと言ってあるのです。


    [No.15156] Re: 戒名は自分でつけよう 投稿者:男爵  投稿日:2010/04/27(Tue) 17:03
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    あやさん、紫竹の(小澤)さん、季寿(きよし)さん   こんにちは

    本日
    市立図書館に行って二冊の本を借りてきました。

    >うちは、日蓮宗ですが、次のようになっています。
    >祖父と父 AB院法C日D信士
    >祖母と母 EF院妙G日H信女
    この紫竹の(小澤)さんの書かれたような日号の例は日蓮宗のもので
    一般によく用いられているということが、文献Aに載っていました。

    > 両親の戒名は「・・・居士」「・・・大姉」です
    紫竹の(小澤)さんも季寿(きよし)さんも書かれている居士・大姉についてですが
    参考文献Bには、東京池上本門寺の戒名料は次のようだと書いてありました(平成5年)。
     信士・信女      五十〜百万円
     院号・信士・信女(永代) 二百万円 
     院号・居士・大姉(永代) 五百万円
    ネットで調べると、このお寺は日蓮宗大本山となっていました。

    また、あやさんの書いていた散骨ですが、文献Aには
    和歌山や奈良では申し出れば、遺骨を一定期間保存のうえ処分するシステムを採用しているそうです。
    関西を中心に遺骨を引き取らないという考えをもった人が出現しており、全国に波及している状況にあるとも書いてあります。
    現在、散骨は遺骨埋葬の一つの形態として一定の方法のもとで可能となっているとも書いてあります。

    なにしろインドでは遺体は焼いて川に流すのです。
    私の高校時代の友人は仏教大学の教授ですが、葬式仏教を批判して、墓とか遺骨は本来の仏教にはないものであると本に書いていて、お寺から抗議されていると聞きました。

    参考文献
     A 藤井正雄:戒名のはなし、吉川弘文館
     B 松原日治:生前戒名のすすめ、くまざさ社


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