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  • [No.15929] いま花のパリが大騒ぎ 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 20:29
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    アメリカではなく、いまヨーロッパでテロの脅威が高まりつつある。先日来、花のパリでは、爆弾事件が頻発している。で、警察も大忙し。

     あっしはまた、アルカイダ系の者が企んだのかと思っていた。9月から10月にかけエッフェル塔やサンラザール駅。オテルディウ(病院)にギャルリー・ラファイエット(デパート)とつづけば誰だってそう思う。それに、数日前にはスクーター置き場で複数の車輌が放火され、立てかけてある建物の壁まで燃えた。

     火曜のよる、ついに22歳の男が逮捕された。警察では最近の(モンパルナス駅2件、オテルデュー、ラファイエット各一件)4件の事件をこの男の仕業と見ているようだ。

     エッフェル塔のときは、当時観覧者が6、700人いたので、爆発物の捜索がおわるまで約2時間、観覧者の受け入れが中断された模様。しかし、そのいずれもがニセ情報だったよし。

     こういう犯罪もいまフランス社会の底流にある不穏な空気を写し、そうした雰囲気に影響されて起こるのではないか。新聞でも、まいにちまいにちストの話の出ない日はない。


    [No.15928] Re: ガイジンに教わる日本や,日本語 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 19:19
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      男爵さん みなさん、こんばんは。

    > >  さいきん日本語のうまい外人が増え、いささか慌てふためいています。
    > >
    > >  だいたい、東大で日本近世文学などを講じる大先生と自分を比較する方がおこがましいわけですが、露伴は同書中で仕合せになる方法としてこんなことを述べているらしい。つまり、幸福三説と云う。
    >
    > >  ....簡単に言えば、すこし福を授かったら直ちにその福を他人に分かち与える。そうすれば、与えれられたほうもかならず、その福に報いる筈だというもの。

    > 渡部昇一がこれと同じことを本に書いています。

     渡部昇一も露伴を読んだのかな。(^_-)-☆

    > >  ガイジンがますます日本語使いの名人になって、日本人が相対的に日本語使いの落ちこぼれになって行くのは、見ていて何とも情けない思いがします。
    >
    > 特に若い日本人の日本語低下、こまったもんですね。
    > 将来は暗い。
    > 日本語上手の外国人に期待。

     世界中みんなが日本語をすらすら話せるようになれば、何もあっしらがえらい思いをしてねじり鉢巻をしてまで英語をやらなくて済む!

     ま、そらそうですけど、すぐは無理でしょう。この続きは金沢で!う〜ん、目が血走ってきたかも。鏡、鏡!(^_-)-☆
    > 明日はお目にかかりましょう。


    [No.15927] Re: ガイジンに教わる日本や,日本語 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 19:11
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       Toshichan さん、男爵さん。まいど。
    > >
    > > >  さいきん日本語のうまい外人が増え、いささか慌てふためいています。
    >
    >  日本語の発音は世界世界の言語の中でで、2番目に簡単という、説もあるので、
    > 出て来ても、不思議ではないし、日本語が世界に通じる様になる第一歩として
    > ええこっちゃ、と思いまっけどーーー。

     発音だけやおまへんで。日本語の難しいのは助詞とか、敬語とか、漢字平仮名、片仮名などの表記法とか、じつに色々あります。「は」と「が」だけでもタイヘンでっせ。(-_-;)

    > > >  だいたい、東大で日本近世史などを講じる大先生と自分を比較する方がおこがましいわけですが、露伴は同書中で仕合せになる方法としてこんなことを述べているらしい。つまり、幸福三説と云う。

     専攻は『日本近世史』やのうて、『日本近世文学』でした。すんまへん。

    > > >  ....簡単に言えば、すこし福を授かったら直ちにその福を他人に分かち与える。そうすれば、与えれられたほうもかならず、その福に報いる筈だというもの。
    > >
    > > 渡部昇一がこれと同じことを本に書いています。
    > >
    > > >  ガイジンがますます日本語使いの名人になって、日本人が相対的に日本語使いの落ちこぼれになって行くのは、見ていて何とも情けない思いがします。
    > >
    > > 特に若い日本人の日本語低下、こまったもんですね。
    > > 将来は暗い。
    > > 日本語上手の外国人に期待。
    >
    >  日本語の授業で、作文の時間が減ってまへんやろか?
    >  同じ事で、ええ作文の時間も増やすべきや思いまんねんけどーー。

     作文はたしかに大事ですね。むかしの小学生の「朝起きました。顔を洗い歯を磨き、それから朝ごはんを食べました。」式の作文でもマッタクやらないよりはずっとましだと思いますよ。

      ではまた。


    [No.15926] Re: ガイジンに教わる日本や,日本語 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 18:32
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    唐辛子紋次郎さん、男爵さん。まいど。
    >
    > >  さいきん日本語のうまい外人が増え、いささか慌てふためいています。

     日本語の発音は世界世界の言語の中でで、2番目に簡単という、説もあるので、
    出て来ても、不思議ではないし、日本語が世界に通じる様になる第一歩として
    ええこっちゃ、と思いまっけどーーー。

    > >
    > >  だいたい、東大で日本近世史などを講じる大先生と自分を比較する方がおこがましいわけですが、露伴は同書中で仕合せになる方法としてこんなことを述べているらしい。つまり、幸福三説と云う。
    >
    > >  ....簡単に言えば、すこし福を授かったら直ちにその福を他人に分かち与える。そうすれば、与えれられたほうもかならず、その福に報いる筈だというもの。
    >
    > 渡部昇一がこれと同じことを本に書いています。
    >
    > >  ガイジンがますます日本語使いの名人になって、日本人が相対的に日本語使いの落ちこぼれになって行くのは、見ていて何とも情けない思いがします。
    >
    > 特に若い日本人の日本語低下、こまったもんですね。
    > 将来は暗い。
    > 日本語上手の外国人に期待。

     日本語の授業で、作文の時間が減ってまへんやろか?
     同じ事で、ええ作文の時間も増やすべきや思いまんねんけどーー。

    >
    > 明日はお目にかかりましょう。

     ごゆっくり、お楽しみ下さい。

                         Ttoshichan in Kyouto-fu


    [No.15925] Re: ガイジンに教わる日本や,日本語 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/14(Thu) 16:38
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    唐辛子紋次郎さん  こんにちは

    >  さいきん日本語のうまい外人が増え、いささか慌てふためいています。
    >
    >  だいたい、東大で日本近世史などを講じる大先生と自分を比較する方がおこがましいわけですが、露伴は同書中で仕合せになる方法としてこんなことを述べているらしい。つまり、幸福三説と云う。

    >  ....簡単に言えば、すこし福を授かったら直ちにその福を他人に分かち与える。そうすれば、与えれられたほうもかならず、その福に報いる筈だというもの。

    渡部昇一がこれと同じことを本に書いています。

    >  ガイジンがますます日本語使いの名人になって、日本人が相対的に日本語使いの落ちこぼれになって行くのは、見ていて何とも情けない思いがします。

    特に若い日本人の日本語低下、こまったもんですね。
    将来は暗い。
    日本語上手の外国人に期待。

    明日はお目にかかりましょう。


    [No.15924] ガイジンに教わる日本や,日本語 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 13:30
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     さいきん日本語のうまい外人が増え、いささか慌てふためいています。

     テレビなどでもよくお目にかかるロバート・キャンベルさんもそのひとりで、あるところで書いたエッセーのなかで幸田露伴の『努力論』を紹介しています。大体あっしは露伴などは敬して遠ざけているのに、この仁はわざわざ自分から近づいています。ま、それだけでもオドロキですが。

     だいたい、東大で日本近世史などを講じる大先生と自分を比較する方がおこがましいわけですが、露伴は同書中で仕合せになる方法としてこんなことを述べているらしい。つまり、幸福三説と云う。

     まず惜福、分福、植福の三つを考え、そのうちの分福を最上とする。簡単に言えば、すこし福を授かったら直ちにその福を他人に分かち与える。そうすれば、与えれられたほうもかならず、その福に報いる筈だというもの。

     使用人と雇い主で考えても、かならず、分かち与えた福が雇い主のところに戻って来るのだ、と。読後キャンベル氏はこれをいかにも日本人らしい発想だと思ったそうです。

     ところで、きょうもテレビである日本人のゲストが立派な大木を前にこんなことを云っていました。「なんか神々しい感じ。立ち寄りがたいですね。」それをいうなら、近づきがたいのほうがモアベターなような気がしますが…。(^_-)-☆

     もっと適切な表現があると思います。そこで、脇に折角日本語で飯を食ってるアナウンサーが附いているんだから「それは失礼ですが、こういったほうがいいんじゃありませんか。」などとアドバイスをしたらどうでしょうか。

     ガイジンがますます日本語使いの名人になって、日本人が相対的に日本語使いの落ちこぼれになって行くのは、見ていて何とも情けない思いがします。

     あっしなど、もう遠慮してる場合ではないと思うのですが。


    [No.15923] Re: 井上信興:野口雨情そして啄木 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/14(Thu) 09:29
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    > この著者も医師である。
    > 広島県出身で、戦前函館に住み、盛岡で学生生活を送ったから
    > 石川啄木研究に入るきっかけとなった等を、本の後ろの履歴書の項目に書いている。
    >
    > すでに紹介した啄木研究家西脇巽とはライバル関係らしく
    > 互いに相手の本を批評しあい、自説が正しく、相手の説は根拠がないと酷評しあっているのがおもしろい。

    雨情の三訓
    その一 殺傷をしないこと 釣りも猟もしなかった。
    その二 他人の作品について批評をしないこと 初心者には頼まれれば添削をしたが、既成詩人の作品には批評はさしひかえた。
    その三 訪問者には快く会うこと
         学生の頃、文武の道に長けた人格者の乃木希典閣下に会いたくなり、突然訪問した。書生にどんな用件かと聞かれて、用件はないがただ会いたいから来たのだと言った。書生には閣下は忙しいのだから、用件がなければとりつぐことはできないと言われ、それではここで待つと上がりかまちに腰を下ろしてしまった。そのうちに軍服姿の乃木将軍が現れ応接室に招かれた。用もないのに来たのは君かと笑いながら、故郷はどこか、学籍は何かと聞かれ、和歌の勉強していますと答えると、閣下はひどく満足され格別勉強するようにと言ったという。

    啄木の印象にもあるように
    野口雨情という人は一見温和で、やさしく、気弱で内向的な印象を受けるが
    実は芯は強い、こうと思ったことは最後までやりとげずにはおかない人である。

    高松に旅行したら、たまたま旅館の前に「文芸講演会」のポスターが目についた。
    よく見ると、その日の夜六時から高松公会堂で公開されることがわかった。
    しかも講師の中に野口雨情が加わっていたので、思いがけないところで雨情にあえるのはまさに奇遇だと思って夕食もそこそこに会場の公会堂へ出かけた。
    ところが会場の入口に行ったところ電気も消されて森閑としている。所と時間を間違えたかと思って町のポスターを見直してみても間違いではない。
    不思議なことに主催者らしい人もいない。しばらくして公会堂の係員のような男が出てきたので聞いてみると「講演会は取りやめになった」と教えてくれた。
    そのうちに主催者側らしい人が現れて、真相をただすと、当局の弾圧によって開催が不可能になったことが判明した。
    さらに執拗に質問したところ「講師の中に赤の人がいるからだ」とのことだった。
    そこで講師は今どこにいるのかと聞いたら「高松警察署にいます」というから、明日会見するはずの香川県知事に電話して、野口雨情という男は赤でもなんでもない。いま高松警察署にいるからすぐ釈放するように電話してくれと頼んだ。知事も野口さんを知っているからすぐ電話してくれた。待つほどもなく野口さんを先頭に秋田雨雀らその夜の講師たちがぞろぞろ刑事室から出てきた(斉藤仁)

    雑誌「金の星」大正十一年一月号には次の記事がある。
    子どもの情操を養う上からも童謡はもっと意義のあることという信念のもと、東京市内の貧民窟と称された場所を巡って、自ら路頭に立ち、その作品「人買船」に象徴されるような悲劇の存在する時代を生きねばならなかった子どもたちに、童謡を通して豊かな感性を育もうとしたのである。
    路頭講演としては、貧民窟で有名な東京小石川西丸町の路傍に立って、童謡のお話をしたり、童謡を歌ったりして大勢の子どもたちに聞かせた。
    子どもたちは野口先生の羽織や袖や袴につかまって、涙をうかべて聞いていた。野口先生も涙を浮かべて幾度も幾度も歌った。往来の人々もまた立ち止まって聞いていた。
    かつては、第四皇子澄宮殿下に「千代田のお城のはとぽっぽ」を献上し、宮廷詩人とまでいわれた野口先生が、引き続きこうして東京市内の貧民窟を回り歩いて、童謡会に行くことのできない貧しい家の子どもたちに歌って聞かせるということは、野口先生でなければとうていできないことである。

    この他、有段者の菊池寛と将棋をしたことが紹介されている。
    菊池寛と将棋を指したところ、「まいりました。まいりました」と腰が低く、へりくだったように言いながら、雨情は菊池に攻めるだけ攻めさせて、攻守にばかりまわっている。
    そのうちに攻勢に出た雨情はとうとう菊池を追い詰めて、菊池は負けてしまった。
    試合は三番試合であったが、雨情二勝で菊池が一勝であった。
    さりげなく一勝は菊池に譲った雨情であった。

    > ・小説「漂白」の原風景はどこか
    >   西脇巽の「住吉海岸説」は根拠がわからず説得力はない。これに対して、著者の「新川河口説」は明確な理由を示しているから読者にも了解されるだろう。

    井上は砂丘のあったころの昔の大森浜を知っているから
    砂丘などないという西脇の論考を頭から否定している。
    さて、私としては
    この井上自身が書いているように
     >   赤い靴のモデルについてはいろいろな説があるが....著者としては、歌のモデル探しは必要がないと思う。
    歌のモデルはあってもなくてもかまわないと思う。
    作者自身に聞いたとしても正確に、あれは○○のことですとは言い切れないだろう。
    それまでの作者の経験や心に浮かんだことからの、その時の集大成として作品が生まれたわけで、同じ作者にしても別の機会には別の違った作品をつくるかもしれない。

    この著者が述べているように
    雨情の七つの子の七つの意味を問うことのむなしさや「波浮の港」は東南を向いているから夕焼けになるはずがないとか「夜霧に消えたチャコ」の一節「青いネオンが泣いている」のナンセンスなど、歌とはそういうものであり
    あまり詮索してもしようがないものなのだ。(自然科学や医学の論文なら一語一語誤りがあってはいけないだろうが)
    だから
    啄木の「東海の」の歌も、どこで作られた歌だとか、どういう思いがあった歌なのかということは断定できないので、それを詮索しても議論してもどれが正しいということは結論が出ないのではないか。

    もっとも、そういうふうに言ってしまえば、啄木の歌の研究や他の文学作品の論評などは、絶対的な価値がないということになる。
    それらは詩歌や文学を考える上で手がかりになったり、作品を味わう上での助けになるかもしれないが、つまるところそれだけのことではないだろうか。
    違う人が、他の解説者の意見に従わず、その人独自の解釈や感動があってもいいと思う。
    人それぞれ生まれ育ちも違うし、それまでの環境条件が違うのだから、同じ作品を読んでも感想が異なるのはあたりまえであろう。

    私がここにいたったのは最近読んだ奥本大三郎の本に
    夏目漱石が外国文学を読む二つの方法を紹介していたからである。
    その一
    「言語の障害という事に頓着せず、明瞭も不明瞭も容赦なく、西洋人の意見に合うが合うまいが、顧慮する所なく、何でも自分がある作品に対して感じた通りを遠慮なく分析してかかる」方法
    その二
    「西洋人がその自国の作品に対しての感じ及び分析を諸書からかり集めてこれを諸君の前に陳列して参考に供する」方法


    [No.15922] 井上信興:野口雨情そして啄木 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/14(Thu) 06:53
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    この著者も医師である。
    広島県出身で、戦前函館に住み、盛岡で学生生活を送ったから
    石川啄木研究に入るきっかけとなった等を、本の後ろの履歴書の項目に書いている。

    すでに紹介した啄木研究家西脇巽とはライバル関係らしく
    互いに相手の本を批評しあい、自説が正しく、相手の説は根拠がないと酷評しあっているのがおもしろい。

    啄木に関する研究所を多く出してきたので、啄木研究はひとまず終えて
    あらたに野口雨情の研究をはじめたいと、冒頭に書いてある。
    例によってメモ書きで内容を紹介する。
    ・啄木と雨情 
      この本では、啄木と雨情を、札幌、小樽時代に限ってとりあげている。
    ・童謡「青い目の人形」と「赤い靴」
      赤い靴のモデルはアメリカ人宣教師に預けられ麻布十番の孤児院で亡くなった「きみちゃん」ということになっているが、それを否定する本も出ている。著者としては、歌のモデル探しは必要がないと思う。
    ・啄木と函館
      啄木にとって函館は重要である。「一握の砂」から函館に関する歌を無くしたら魅力は半減する。函館の友人たちは啄木が有名になる以前から支援したのである。
    ・小説「漂白」の原風景はどこか
      西脇巽の「住吉海岸説」は根拠がわからず説得力はない。これに対して、著者の「新川河口説」は明確な理由を示しているから読者にも了解されるだろう。
    ・「東海歌」に関する「三枝説」と「李説」
      三枝は「東海歌」がズームインして次第に小さくなっていき最後は蟹や涙になるという解説をしているが、この思考は李御寧「『縮み』志向の日本人」にヒントを得たのか本人独自の説なのか、いずれにしても著者は受け入れがたい。
        (あたりの情景を述べてから、ズームインして個人の形姿や花などに焦点を絞る方法は文学作品ではよく使われるのではないだろうか。たとえば手塚治虫の初期の漫画などにもあつかわれている)
    ・西脇巽「石若啄木東海歌二重歌格論」
      この本の中で西脇は井上の悪口が多い。西脇は、井上がすべて同感できて反論など書かせないような論考に力を入れるべきである。井上は個人攻撃をしているのではない、啄木の研究のためにしているのだ。


    [No.15921] 今日は何の日・10月14日 投稿者:   投稿日:2010/10/14(Thu) 05:34
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、10月14日
    鉄道の日
    1922(大正11)年に「鉄道記念日」として制定。
    1872(明治5)年9月12日(新暦10月14日)、新橋駅(後の汐留貨物駅・現在廃止)〜横浜駅(現在の根岸線桜木町駅)を結んだ日本初の鉄道が開業した。
    「鉄道記念日」のままでは国鉄色が強いということで、1994(平成6)年に運輸省(現在の国土交通省)の提案により「鉄道の日」と改称し、JR以外の民間鉄道も巻き込んだ記念日となった。

    "世界標準の日(World Standards Day)"
    国際標準化機構(ISO)と国際電気標準会議(IEC)が制定。
    世界標準を策定した人たちに感謝し、労をねぎらう日。

    PTA結成の日
    1952(昭和26)年、PTAの全国組織、日本父母と先生全国協議会(現在の日本PTA全国協議会)が結成された。

    1905(明治38)年 登山家・小鳥烏水らが日本初の山岳会を結成。現在の日本山岳会

    1958(昭和33)年 東京タワーの頂上にアンテナを設置し東京タワーが完工

    1964(昭和39)年 キング牧師のノーベル平和賞受賞が決定

    1968(昭和43)年 メキシコオリンピックの陸上男子100m決勝でジム・ハインズが9.9秒を記録。人類初の9秒台

    1974(昭和49)年 巨人の長嶋茂雄選手が現役を引退。「わが巨人軍は永久に不滅です」と述べる

    1983(昭和55)年 東北大学附属病院で日本初の体外受精児が誕生

    今日の誕生日の花:ユウゼンギク
    花言葉:恋の思い出
    今日の一句:渡り鳥わが名つぶやく人欲しや    原裕

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15920] 生物の進化 最近の話題 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/13(Wed) 09:58
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    大学の図書館にあった本であるが、難解な本であった。
    訳者のあとがきを読んでみると
    この本は専門雑誌「ニュー・サイエンティスト」に掲載された論文を編集したもので
    内容は七部に分けられていて、各部はそれぞれ
    創造論、生命の起源、断続平衡論、分岐法、社会生物学、獲得形質の遺伝、ダーウィン論
    を扱っている。

    「ニュー・サイエンティスト」はイギリスの週刊科学雑誌であるが
    「ネイチャー」や「サイエンス」よりもはるかに啓蒙色が強く、一般読者にもわかりやすいものになっている。
    そういう説明であるが、やはりある程度の専門知識がないと読みにくいと思う。

    私の理解したことはごくわずかである。
    そのなかの少しを紹介する。
    進化論を批判する立場からすれば、いつまでも進化しないで昔からのままの生物もいるではないかという指摘があるのだろうである。
    たとえばゴキブリは古生代に昆虫が出現してからほとんど変わっていない。
    それをいうなら生きた化石としてのシーラカンスやカブトガニやオウムガイなども、その例であろう。
    花粉をつかわないで雄の精子と雌の卵子で生殖するイチョウや生きている化石メタセコイアという植物もある。
    いっぽう
    アメリカ大陸で発見されたウマの進化した種類の数々、あるいは世界に見つかる象の初期の種類から進化していった現代までの種類までなど
    ある種の生き物には進化のスピードが早い場合もあるし、もう進化しないというものもあるようである。
    その現象を学者がいろいろな説を述べて説明しようとしている。
    決定打というものはなく、だから、こういう議論が続いて、新しい論文が発表される余地があるのだが。

    この本にはしきりに、創造論が取り上げられているが
    イギリスやアメリカにおいては今もなお、聖書に書いてあるように
    神が生物をつくったのだということを信念をもっと信じている人が少なくないらしい。
    明治のときにアメリカから日本に来たモースは、大森貝塚を発見したが
    当時のアメリカ人としては珍しい進化論者で決して創造論者ではなかった。
    彼はそういう意味でアメリカでは迫害まがいのことを受けたようであるが
    日本に来て東大で進化論を教えて、誰も反対しないで受け入れたのを見て驚いたらしい。
    日本にはキリスト教も聖書もなく、仏教の輪廻思想から、人間を含めて生き物は変わるという考え方を一つの説として知っていたからと説明する人もいる。

    もちろん科学者の立場からして、創造論は間違いである。聖書に書いてあることがすべて正しいわけではない。
    聖書のめざすものは自然科学ではなく、人間としての生き方に指針を与えるものであろう。

    獲得形質が遺伝するかどうか、このテーマは昔から研究者が関心をもってきたらしい。
    ダーウィンの進化論では、何かの原因で遺伝子が変化して、自然淘汰の中で、生きるに都合のよいものが生き残ってきたという説明だが
    鳥インフルエンザウィルスが豚にうつり、豚のインフルエンザウィルスがヒトにうつるという現象がある。(ホンコン風邪とかスペイン風邪というのがその例である)
    この例では、インフルエンザウィルスは短期間に進化しているわけだが、偶然というにはあまりに毎年起こるので、そこにウィルスの意志のようなものがあるのではないかと私は思うのだが.....


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