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  • [No.16058] Re: 韓国は日本人がつくった 投稿者:   投稿日:2010/11/07(Sun) 12:55
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     男爵さん。まいど。
    >
    > >  むしろ、北朝鮮が、金天皇家を作って、戦前の、軍国日本を
    > > 完全継承して居る感じでんなあ!。
    >
    > そうです。
    > 日本の天皇制度を実現しているわけです。
    > やはり潜在願望があったのでしょうか。
    > その点、毛沢東は偉大だったと思います。自分の子孫にあとを継がせなかった。
    >
    > >  日本人は、「沈黙は金」という、諺が未だ、多少は生きてまっけどね、
    > > そんな、国は、世界には、あれへん???。
    >
    > いまの世界では
    > 言わないとダメです。
    > 「男は黙って」というの閉じられた世界ではカッコウいいが
    > いろんな民族がいる世界では黙っていると誤解されるだけです。
    > ドイツの諺には「沈黙は馬鹿」というのがあります。馬鹿だから何も言えないという意味です。

     日本は、「科学技術の振興」と、かけ声はよいけど、科学的な思考法とか、それを、論理的に発言する
    いうのは、軽んじられてるのと、ちゃいますか?
     昔は「理屈を言うな」いうて、良く怒られましたで。
     先人の文献の丸暗記説明は,感心されたり、もするけどーーー。
                                  Toshichan in Kyouto-fu


    [No.16057] 樋口恵子:盛年 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/07(Sun) 08:48
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    副タイトルは
     老いてますます....

    「老人と海」の主人公サンチャゴ老人には、自立とゆとりの精神を両立させた
    理想的な姿が見られる。
    その自立とゆとりを両立させた鍵は、彼が漁師という職業を終始持ち続けたこ
    とだと思う。

    さて、高齢者向けの仕事を開発することは、高齢社会にとって最大と言ってよ
    いほどの急務だと思う。たとえば、区役所出張所の窓口などに座って、その人
    に聞けば区域内のことが何でもピタリとわかる老職員、という人だっていても
    よいと思う。昔から各職場に「生き字引」と呼ばれるベテランがいたものだ
    が、こういう人たちを大切に活かし、後続部隊を育てるべきではないか。
    誰かが「老人は地域社会のコーディネイター」と言っていたが、とくに地域に
    密着した仕事には活用の場が多いと思う。現代はいやおうなく移動社会であ
    る。新しい住人たちが、その地域になじみ、その地域に早く根を下ろせるよう
    に、人と人とのつなぎ目の役割を果たす仕事は、これからの老人の適職の一つ
    ではないだろうか。とにかくいろんな工夫で、老人の職場を確保拡大すること
    だ。
    それは老人にとっての経済的、精神的自立を保障するだけではない。仕事を持
    つということは必然的に、若い世代との結びつきができる。どこかの役割を分
    担し合いながら一つの仕事が流れている。老人と若い世代は、ともかく一つの
    土俵の上に乗っている仕事仲間である。
    現代の老人たちが求めているのも、単なるいたわりではなく、老若の差はあっ
    ても、共にこの世を生きる仲間としての扱いではないか。

    長谷川町子「いじわるばあさん」
    この漫画の主人公の女性は決して「楢山節考」のおりんにみられるような、自
    然そのもののごとき無私の存在ではない。
    娑婆っ気たっぷり、そうご注文通り枯れ果ててたまるかよ、とばかり、ことご
    とに「意地悪」という名の自己主張を続ける。
    といっても、意地悪ばあさんは、決して強気一方の老人ではない。おそらく、
    老いを自覚することもっともたしかなリアリストであり、また、老いのさびし
    にも人一倍敏感な人だ。ただ、彼女は、意地悪で固めた強気の姿勢をとり続
    け、周囲の人には憎まれっぱなしだが、その憎しみを堂々とわが身に受けて耐
    えている。意地悪の責任をとっている。このあたり、著者が意地悪ばあさんを
    高く評価するところである。
    老いにも甘えず、自らの行為の対価は自ら支払って、決して人のせいにしな
    い。ないものねだりをしない。まことにかっきりした姿である。

    中・高年の婦人の集まりなどで「どんな老人になりたいか」と質問すると、最
    も多く返ってくる答えが「かわいいおばあちゃんになりたい」だ。「みんなに
    愛されるおばあちゃん」だ。
    愛されたい思いは熱烈だが、一人一人は結構自己主張が強く、意地悪ばあさん
    の要素を十分にもっている。扱いにくいのは、むしろこうして老女になった人
    たちだろう。実態はかなり小憎らしく、どうみても扱いやすいという意味での
    「かわいいおばあちゃん」という代物ではないくせに、自分はその資格条件を
    満たしたつもりで、ないものねだりをする老女たち。


    [No.16055] Re: 形あるものは必ず滅す、とは云うものの 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/07(Sun) 07:40
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    唐辛子紋次郎さん  こんにちは

    >  ポンペイの遺跡で、古代ローマの貴重な建物がひとつ崩壊したそうである。今朝早くガードマンが巡回すると「剣闘士の家」と呼ばれる建物が完全に崩壊していたという。ここはいわば、ポンペイ遺跡の中心部で、アッボンディオ通りと呼ばれている所。

    写真見ました。
    後ろが小山になっているので
    中国の黄土高原につくられた窰洞(ヤオトン)みたいな印象でした。

    地震の多いイタリアでよく持ちこたえてきたと思います。
    いずれ時間がたてばみんな廃墟になりそうですが......


    [No.16054] 今日は何の日・11月7日 投稿者:   投稿日:2010/11/07(Sun) 05:33
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、11月7日
    今日は立冬です。

    知恵の日
    "朝日新聞社が1988(昭和63)年、『朝日現代用語 知恵蔵』発刊の時に制定。"

    鍋の日
    食品メーカー・ヤマキが制定。
    この日が立冬になることが多いことから。

    ロシア革命記念日 (ソビエト連邦)
    1917(大正6)年、ロシア10月革命でソビエト政権が樹立された。
    2月革命でロマノフ王朝が倒され、ケレンスキーらの臨時政府が支配していたが、レーニン、トロツキーらのボルシェビキ(ロシア共産党)が勢力を拡大し、この日(ロシア暦10月25日)、首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で武装蜂起し、労働者らで結成された赤衛軍が政府のある冬宮に突撃した。同じ日に開かれた全ロシア・ソビエト大会で人民委員会が設立され、レーニンが議長に就任した。

    1893(明治26)年 日本郵船が開設した神戸〜ボンベイの初の遠洋航路の第一便が出港

    1936(昭和11)年 東京・永田町に帝国議会議事堂(現在の国会議事堂)が落成

    1983(昭和58)年 奈良県明日香村のキトラ古墳で石室の彩色玄武壁画を発見

    1995(平成7)年 国際司法裁判所で広島・長崎の市長が「核兵器使用は国際法違反」と訴える

    今日の誕生日の花:シラタマホシクサ
    花言葉:純粋な心
    今日の一句:立冬や窓に始まる雨の音    岩田由美

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.16053] 形あるものは必ず滅す、とは云うものの 投稿者:   投稿日:2010/11/07(Sun) 01:25
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     ポンペイの遺跡で、古代ローマの貴重な建物がひとつ崩壊したそうである。今朝早くガードマンが巡回すると「剣闘士の家」と呼ばれる建物が完全に崩壊していたという。ここはいわば、ポンペイ遺跡の中心部で、アッボンディオ通りと呼ばれている所。

     国内外の観光客が一番大勢やってくるところですが、原因究明のため暫く交通止めとなり、観光客は別のルートを通ることになったよし。原因や被害総額などは現在調査中。

     下記で。現場の写真が20枚ほど見られます。

    http://www.repubblica.it/cronaca/2010/11/06/foto/pompei_crolla_l_armeria_dei_gladiatori-8816837/1/?ref=HRER3-1


    [No.16052] 苧環 おだまき 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/06(Sat) 20:44
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    しずやしず
    しずの苧環
    繰り返し
    昔を今に
    なすよしもがな

     伊勢物語 第32段
     古の
     しずの苧環
     繰り返し
     昔を今に
     なすよしもがな

    しずとは
    昔の布の種類
    苧環は、その布を織る
    麻糸を巻いたもの。

    麻糸は
    縒りを入れたり
    糊をつけたりする
    工程ごとに
    巻きなおした。

    しずの苧環とは
    最初に戻って
    同じことを繰り返す
    意味を表す言葉となった。
    (前に戻って工程を繰り返したらしい)

    伊勢物語の歌は
    苧環を繰り返すように
    昔に戻れたら
    という意味になる。

    静御前は
    自分の名前の静を
    布のしずとかけて
    義経と自分がいっしょだった昔に
    もどりたいと歌ったのである。
      
    美味しんぼ 91巻 第9話 茶碗蒸しの記憶 〔小田巻き蒸し〕

    ------------------

    カラムシという日本語を知っていますか。
    カラムシとはイラクサの仲間の草で、その繊維で織った布を上布(じようふ)と呼び、
    越後上布、小千谷縮(ちぢみ)、宮古上布などが有名です。
    ブラジルではコーヒー豆を入れる袋をつくるそうです。
    アンデルセン童話にお姫様がイラクサの繊維で服を作る話があったと思います。
    世界中でこの繊維が使われていたようです。
    カラムシは唐ムシのことではないかと推定されます。
    韓国語のモシ 苧  韓国の伝統的衣服(韓服)の原料の一つ 日本ではカラムシと呼ばれるもの。
       韓国で伝統的な儀式の時には、いまもカラムシ織りの衣装を身につけるそうです。
    だから、これは朝鮮から伝わったものではないかというのです。
    苧 日本語でチョと読みます。
    あの上杉謙信は、越後上布を都の貴族に売ったお金で軍資直江兼嗣金をつくったと言われています。
    このカラムシもいまでは新潟県には栽培されていません。
    福島県で栽培されたカラムシを使って越後の伝統的布は織られているのです。
      もしかしたら、直江兼嗣が会津の城に移ったとき伝えたのかもしれません。


    [No.16051] Re: 韓国は日本人がつくった 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/06(Sat) 20:15
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    Toshichan

    >  むしろ、北朝鮮が、金天皇家を作って、戦前の、軍国日本を
    > 完全継承して居る感じでんなあ!。

    そうです。
    日本の天皇制度を実現しているわけです。
    やはり潜在願望があったのでしょうか。
    その点、毛沢東は偉大だったと思います。自分の子孫にあとを継がせなかった。

    >  日本人は、「沈黙は金」という、諺が未だ、多少は生きてまっけどね、
    > そんな、国は、世界には、あれへん???。

    いまの世界では
    言わないとダメです。
    「男は黙って」というの閉じられた世界ではカッコウいいが
    いろんな民族がいる世界では黙っていると誤解されるだけです。
    ドイツの諺には「沈黙は馬鹿」というのがあります。馬鹿だから何も言えないという意味です。


    [No.16050] Re: 韓国は日本人がつくった 投稿者:   投稿日:2010/11/06(Sat) 14:43
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     男爵さん、まいど。

    > 韓国は日本人がつくった
    >     黄文雄の本 徳間書店
    >
    > この著者の書く本だから
    > 一定の傾向の本かと思って読んだら
    > なかなかよく調べて書いてある本。
    >
    > 以前に読んだ
    > (1897年の)イザベラ・ビショップ
    > 朝鮮紀行
    > の印象があるからだろうか。
    >   イザベラ・ビショップ(イザベラ・バード)の朝鮮紀行にも、当時の遅れた朝鮮の様子が書かれてあり、この国は日本に支配されたほうがよくなる等、朝鮮の人が読んだら怒りそうなことが書かれてある。
    >
    > 貧しい親は息子は官ガンとして、娘は妓生として献上した
    > という話がイザベラの本でも紹介されているように
    > かつての朝鮮は貧しかった。身売りも多かった。
    > それが今のように国民生活レベルが先進国並になったのは
    > 日韓併合で、農業や産業や鉄道、他のインフラ設備を
    > 日本がしてくれて
    > 一種のカースト制度のあった朝鮮を平等社会に変えた
    > 日本の政策があったからということを
    > 具体的に指摘している本である。

     大局的に見て、取り敢えず、当時の日本のシステムを
    そのまま、朝鮮に移そうと、考えたのは、間違いおまへんで。
     韓国人は、今、現在の基準で、ゴチャゴチャ、云いまっけどね。
     日本人にも、偏見がゼロやったとまでは、言いまへんけどね。

     むしろ、北朝鮮が、金天皇家を作って、戦前の、軍国日本を
    完全継承して居る感じでんなあ!。

    > これを読むと、日本の歴史学者がよく勉強していないのか
    > ある種の価値観で歴史をまとめようとする「こだわり」なのか
    > 理解に苦しむ。
    > もっとも、この本に書いてあることは日本人が喜びそうな
    > ことぱかりで
    > 具体的なそれぞれの指摘項目については
    > 歴史的に科学的に検討を加えていけばよいことである。
    >
    > 朝鮮が日本だけでなく、漢民族、モンゴル人、満州人に
    > 支配され続けた歴史があるのに、なぜ日本人だけを支配者として
    > 攻撃するのか
    > それは片手落ちではないかとかねがね思っていた。
    > 言いやすい相手にしか言わない。足元を見られている日本。
    > そうではないだろうか。

     日本人は、「沈黙は金」という、諺が未だ、多少は生きてまっけどね、
    そんな、国は、世界には、あれへん???。

                         Toshichan in Kyouto-fu


    [No.16049] 森繁久弥:帰れよや我が家へ 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/06(Sat) 06:14
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    森繁久弥、帰れよや我が家へ、文芸春秋

    われに来よ と主は今
    やさしく呼びたもう
    などて 愛の光を
    避けて さまよう
    帰れよや 我が家へ
    帰れよや と主は今呼びたもう
      (賛美歌517)

    人は感情で結ばれ、理性によって離婚する。

    「佐渡島他吉の生涯」貧しい男が明治36年頃
    マニラのバギオ高原に通じるベンゲット道路を敷く
    労働者として彼の地に渡る話(織田作之助作)
    からゆきさんだけでなく、多くの男たちが、ニューカレドニア、
    ボルネオ、ニューギニア、南洋の島々にその生涯を埋めている。

    人は、その半生をひたすらモノを得るために生き、あとの半生は
    小出しに費い果たして零になって終わる

    奥野前国土庁長官の靖国神社参拝 隣国がイチャモンつけるのは致し方ないが、
    日本の野党まで夜郎自大になるほどのこともなかろう、と常識的に思うのである。
    同時に中国の識者もどうかと思われる。

    満州にいたとき、誕生日を我が家で祝ってもらう習慣ができた。
    日満蒙露それにアメリカ二世、アナウンサー・プールが集まって
    飲み放題、いいたい放題をする。
    せっかく客が来るのに、四歳の子どもが白い壁に鉛筆で落書きを
    したので怒った。泣いている子どもを見て満人アナウンサー張さんが尋ねる。
    わけを聞いた張さん「あの壁を見なさい。大体白いじゃないか。大体白きゃ
    いいじゃないか。怒ることはありません」
    中国人の大きさをいやというほど知らされた思いがした。

    あの心の広い中国人がこんなイチャモンつけるのか。大体白きゃいいじゃないか
    というのが私の真意だ。そうそうコマいことに言いがかりをつけられては、
    言論の自由がチヂム思いがするばかりだ。

    満州のアナウンサーになるとき
    三つのテーゼ(指針)をもとうと心にいいきかせた。
    ・何でもいいから文句を言わず、人の三倍働いてやろう
    ・今からでも遅くない。できるだけ勉強して無為に流れた青春の日々を取り返そう。
    ・一切の過去を、良かれ悪しかれひっくるめて忘却の淵に捨て去ろう。

    戸田の漁師がマリアナ沖で魚を捕っていた。気象予報では、台風はマリアナ沖を
    通過しないということだった。しかし、予報は間違っていた。台風はまともに
    漁船団を襲った。十六歳だった青年は海に投げ出され板きれにつかまって次の日
    の昼、もう限界だと思ってあきらめかけたとき通りがかりの船に助け上げられた。
    気がついてから船長に、つかまっていた木ぎれはどうなったか聞いたが
    知らないという。どうしても木ぎれが気になった青年は、船長の足にしがみ
    ついて、助けてくれた場所にもどってほしいと頼む。とうとう船長もそんなに
    言うならと、四時間きたところをひきかえす。八時間かかって太平洋の真ん中に
    もどったというわけだ。なんとそこには木ぎれはなく、筏があった。その筏
    に載っていた瀕死の六人の漁師たちが救われた。


    [No.16048] 韓国は日本人がつくった 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/06(Sat) 06:03
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    韓国は日本人がつくった
        黄文雄の本 徳間書店

    この著者の書く本だから
    一定の傾向の本かと思って読んだら
    なかなかよく調べて書いてある本。

    以前に読んだ
    (1897年の)イザベラ・ビショップ
    朝鮮紀行
    の印象があるからだろうか。
      イザベラ・ビショップ(イザベラ・バード)の朝鮮紀行にも、当時の遅れた朝鮮の様子が書かれてあり、この国は日本に支配されたほうがよくなる等、朝鮮の人が読んだら怒りそうなことが書かれてある。

    貧しい親は息子は官ガンとして、娘は妓生として献上した
    という話がイザベラの本でも紹介されているように
    かつての朝鮮は貧しかった。身売りも多かった。
    それが今のように国民生活レベルが先進国並になったのは
    日韓併合で、農業や産業や鉄道、他のインフラ設備を
    日本がしてくれて
    一種のカースト制度のあった朝鮮を平等社会に変えた
    日本の政策があったからということを
    具体的に指摘している本である。

    これを読むと、日本の歴史学者がよく勉強していないのか
    ある種の価値観で歴史をまとめようとする「こだわり」なのか
    理解に苦しむ。
    もっとも、この本に書いてあることは日本人が喜びそうな
    ことぱかりで
    具体的なそれぞれの指摘項目については
    歴史的に科学的に検討を加えていけばよいことである。

    朝鮮が日本だけでなく、漢民族、モンゴル人、満州人に
    支配され続けた歴史があるのに、なぜ日本人だけを支配者として
    攻撃するのか
    それは片手落ちではないかとかねがね思っていた。
    言いやすい相手にしか言わない。足元を見られている日本。
    そうではないだろうか。


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