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  • [No.15662] 盗まれ癖 投稿者:   投稿日:2010/08/22(Sun) 22:22
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     そんな紋があるかどうはしらない。でも、なんども詐欺に引っかかる人、なんども掏られる人、なんども万引きする人、なんども同じことで怒られる人。

    などがある以上、なんども盗まれる美術館や、なんども盗まれる絵とかが、あっても可笑しくない。と前置きして、

     じつは昨土曜、エジプトの首都カイロの近代美術館(ナイル川左岸にある)でゴッホの、米ドル貨換算で5000万ドルにもなる「ひなげし」という題の絵画が盗難にあった。

     これが何と2度目(最初は1977年とか)である。かならずこういう記事には、当時防犯カメラは長いこと故障したままだった、とかなんとかお決まりの説明が附いてくる。

     それだから盗られるのだろうが、なにかお粗末である。相手はプロである。高額の絵を展示する美術館はもっと真剣に、セキュリティ紋題に対処すべきではないか。

     また現場には、ゴッホと並んでモネやルノアール、ドガなどもあったのに、なぜゴッホだけを、とも思う。

     こんな美術館はあっしも知らなかったが、ここは19西紀、20世紀の絵画のコレクションでは中東随一だそうだ。

     それでかどうか、当初の文化省長官の声明では、盗難にあった作品は無事取り戻したとなっていたが、これはどうやら、早とちりだったようだ。

     最初の報道では、犯人はイタリア人男女の二人組みで盗品を持って高飛び寸前、カイロ空港で逮捕と云う、何か胸のすくようなストーリーだったが、どうやら真犯人は、そんなに簡単に捕まるような玉ではなかったようだ。ほんとうは、犯行後わづか数時間の快挙であったはずだが。

     犯行の模様も、一味はゴッホを壁の額縁から外し、切り取って所持していたとか、講釈師見てきたようなウソをついた紋である。

     しかし、あっしもいい加減だが、地元の警察はもっといい加減だ。盗難が判明した時点で即行動を起こしたのはよしとしても、10人ほどいた観覧者のうち、捕まったイタリア人は、スペイン人やロシア人の団体さんと一緒にいたはずなのに、連中が捕まらない紋だから、たまたま逃げ遅れた?ふたりをしょっぴいて「親分、ひっとらえやした」では、とんま刑事と大差ないではないか。

     前のときも警察が取り戻すのに、10年は掛かったというから、こんだも10年経てば間違いなく出てくるのか、マッタク気の長い話ではある。


    [No.15661] 音楽力 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/22(Sun) 12:44
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    日野原重明と湯川れい子が、それぞれ音楽の効能を述べている。

    もし、言葉を使うことだけで、人と人の心がコミュニケーションできるならば、音楽などはなかったし、音楽が生まれる必要もなかったでしょう。
    (米国でミュージック・セラピーを最初に提唱したガストンの言葉)

    脳卒中になってから二年間失語症になってしまった患者に対して
    日野原先生は主治医に
    「音楽療法のテストだから、難しいと思うけど、患者さんを貸してください」と言った。
    主治医は
    「日野原先生、二年間言葉が出ないんですよ。今さら」と言ったが
    「でもまあ」といって音楽療法をしたのだった。
    どうやらその患者はカラオケが好きだったようで、奥さんに
    「何の曲が好きでしたか? 得意な曲はありましたか?」と尋ねて、その音楽をかけた。
    しばらくすると、曲に乗って
    「アー」と声が出てきた。さらにもうしばらくすると、歌に言葉が乗ってきた。
    日野原先生も驚いて
    「あー、歌は歌えるね」と言ってあげて、部屋に帰ったのだが、なんと部屋に入ってきた看護婦さんに
    「ありがとう」「おはよう」と言うではないか。言葉が二年ぶりに出たのだった。
    まさに奇跡的なできごとだった。

    もう一つの例として
    日野原先生と高校の同級生だった患者がいる。日野原先生の名前も、3+5もわからない痴呆の患者であるが、驚くことには母校である第三高等学校の寮歌を何番もズーッと歌いだしたのだ。
    「時間がないから最後はどうなの?」と言うと、十何節もある歌の最後をしっかりと歌ったという。
    日野原先生は寮生でなかったから、長い寮歌を覚えていなかったが、痴呆の人が、日野原先生の歌えないような歌を曲と一緒に歌うのであった。
    痴呆の人だからといって、何でもかんでも痴呆なわけではないのである。

    子供は生まれてから十日間くらい目は見えない。
    でも生まれてすぐでも手を叩くとビックリする。
    つまり、胎児のときから聴覚は働いているのである。
    お母さんの心臓の音はいちばんにキャッチしているのだ。
    だから生まれた子供がぐずついたときに、お母さんの心臓の音を録音したものを聞かせると静かになるという事実がある。
    それは胎児のときに聞きなれたアットホームな環境だからであろう。こういうふうに音というのは胎児のときからすでに聞こえているのである。

    胎児に聴かせる音楽として、モーツァルトが最適といわれる所以は、モーツァゥルトの音楽が、人間の声の領域を主に使っていることである。
    だから彼の音楽は音楽療法にも好んで適用されるのだろう。
    こういうわけで、人間の声は音楽と同じで、有効なコミュニケーション手段になるのだ。

    湯川れい子はこのあと
    母親が子どもが帰ってきたとき無意識に1オクターブ高い声で「おかえりなさい」と言う例をあげて、夫が帰ってきた時も1オクターブ高い声で「おかえりなさい」と声をかけると家庭が明るくなると推奨している。
    同じように早朝に彼女のところに、子ども時代からの親しい友達が電話をかけてきたとき、寝たままの姿勢で低い声で応対すると、相手は「何か具合でも悪いの?」と言うので、それから誰から何時に電話がかかってきても、起き上がって人と対話する姿勢で1オクターブ高い声で応対するという。
    かけたほうが「こんな時間にすみません」と恐縮すると
    「いえ、まだ起きて原稿書いていたところです」と言うのだそうである。
    そうすると、相手も話しやすくなるからである。
      もっとも、間違い電話とか、セールスの電話などには、そう愛想よくしてられないが。


    [No.15660] Re: ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/22(Sun) 07:07
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    唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんにちは
    >
    > > 著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。

    > 山内氏はただのフランス文学屋ではなく、パリ大学で人類学などもやり経済人類学者、民族学者などの肩書きをもっているようです。

    本の扉には、甲南大学名誉教授、フランス文学、文学理論、社会思想、人類学、比較文化学、文化史を研究すると書いてあります。

    さて
    なぜペットを食べないか
    それはタブーだから。
    タブーとは「敷居を踏むな」「逆さ水をさすな」「二人箸を使うな」のようなもので
    それは無意識につくられた境界を越えないことを意味するということです。
    敷居は空間を内と外に切断してコスモスを作り出すものと説明してあります。
    「逆さ水をさすな」「二人箸を使うな」は、この世とあの世の区別に関わっているわけです。
    集落の境界に置かれた道祖神も同じような意味があるわけです。そこから外は異質の世界を意味します。

    このタブーが性文化や食文化にもあてはめられます。
    簡単に説明すると
     性文化  自分 ー 近親* ー 他人
     食文化  ヒト ー ペット* ー 野鳥獣
    すなわち、性文化における近親は境界に相当してます。
    食文化におけるペットも同様に境界に相当するわけです。
    この本には人類学的観点から、特別な理由で特定の民族は、わざわざタブーとなっているものを食べたりする例を説明してありますが省略します。

    蛇足ですが
    この本の始めのほうに
    日本人留学生がオランダ人のガールフレンドを殺して食べたという事件がパリで起こったことを回想しています。
    そのときヨーロッパ人は、マルコポーロはやはり正しかったと思ったそうです。
    「東方見聞録」にジパングでは、捕虜が身代金を払えないと、殺して(料理して)その肉を会食すると書いてあるのだそうです。


    [No.15659] 今日は何の日・8月22日 投稿者:   投稿日:2010/08/22(Sun) 05:34
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月22日
    チンチン電車の日
    1903(明治36)年、東京電車鉄道の路面電車が新橋〜品川で営業を開始し、東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走った。
    日本で初めて路面電車が走ったのは1890(明治23)年5月4日に上野公園で開催されていた内国勧業博覧会の会場内だった。また、日本で最初の一般の道路を走る路面電車は1895(明治28)年2月1日に開業した小路東洞院〜伏見京橋の京都電気鉄道だった。


    1944(昭和19)年 沖縄からの学童疎開船対馬丸がアメリカの潜水艦により撃沈。死者1500人

    1945(昭和20)年 樺太からの引揚げ船・泰東丸・小笠原丸・第二新興丸がソ連のL12潜水艦の雷撃で沈没。死者行方不明1708人

    1981(昭和56)年 遠東航空の旅客機が台湾で墜落。作家・向田邦子ら110人全員が死亡

    今日の誕生日の花:ナツズイセン
    花言葉:快い楽しさ
    今日の一句:みちのくにさらに奥ありいなびかり   神蔵器(かみくらうつわ)

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15658] Re: ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:   投稿日:2010/08/21(Sat) 22:39
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      男爵 さん、みなさん、

    > 著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。
    > 著者は、ペットを食べることを推奨しているわけではなく、人類の歴史の上で
    > ペットを食べる行為は過去にもあったし、現在も地球上のどこかで行われていることを報告して、そのあとに現代人は一般にはペットを食べない理由を述べている。

    山内氏はただのフランス文学屋ではなく、パリ大学で人類学などもやり経済人類学者、民族学者などの肩書きをもっているようです。そこから思い出すのは画家の岡本太郎です。このひともやはり、パリの大学で人類学を修めています。普通の画家とどこかちがうユニークさの所以でしょう。

      人間の幅が、常人とはすこし、違うのかもしれません。

    > ここでは、世界中で犬猫が食べられたことを少し紹介する。
    > 犬の場合
    >  江戸時代の歌人戸田茂睡が秋田佐竹藩で犬料理を饗応されたことや、大田蜀山人が薩摩には子犬の臓物をぬいて米を詰めた「えのころ飯」のあることを報告している。

     寛永20年、西紀1643年刊行の『料理物語』をひらくと第五 獣の部は鹿で始まり、犬で終っています。そこにはただ、吸い物、貝焼き、とあるだけです。貝焼きと云うのはたぶん貝の上に肉を載せて焼くのでしょう。

     訳著者の平野雅章によると、当時は三代家光のころで、日本のかなり広い地域で飢饉が多発したというから、食えるものは何でも、の時代ではなかったでしょうか。こんな時代に日本初といわれる料理書が出たことには平野氏も首をかしげているのですが…。

    > 猫の場合
    >  スペインのデ・ノラの「料理書」(1529年)には、猫の丸焼きのレシピが載っていた。

     ネコ食の記録を読んで、あっしもチョッとしらべてみると、これはスペインといっても、独立機運のつよい、また独自の言語をもつカタルーニャ人の書いた本のようですね。原著はスペイン語(カステッラーノ)でなくカタルーニア語で書かれていた。

     名前もスペイン語では、たしかにロベルト・デ・ノラですが、じっさいはロベルトゥ・デ・ノイアと自称していたようです。料理の先生だったらしく、名前の前にマエストロをつけて呼ばれていたらしいです。つまりスペイン語ではマエストロ・ロベルトですが、地元ではメストゥレ・ロベルトゥとか呼ばれていたような。

     伝記は不明なところがかなり多いのですが、たぶん当時のナポリ王国で王室の料理長か何かをしていた風があります。

     ネコ食のところは、「うまいから食ってみよ、しかし脳みそだけは食うなよ」とか書いてあるようですね。


    [No.15657] ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/21(Sat) 17:36
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    文春新書439

    著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。
    著者は、ペットを食べることを推奨しているわけではなく、人類の歴史の上で
    ペットを食べる行為は過去にもあったし、現在も地球上のどこかで行われていることを報告して、そのあとに現代人は一般にはペットを食べない理由を述べている。

    まず、犬を食べた歴史について述べている。
    つづいて、猫を食べた歴史も述べている。

    ここでは、世界中で犬猫が食べられたことを少し紹介する。
    犬の場合
     シベリアのエニセイ川流域で発掘された犬骨が約2万年前、スペインのアルペラ洞窟の半野生犬の絵が約1万4千年前と推定される。
     これらの犬は食べられたという証拠はないが、1万2千年前と見られる旧石器時代末のデンマーク海岸部貝塚から発見された犬骨には食用に供された痕跡があり、ドイツのフランクフルト近郊の中石器時代の遺跡で見つかった犬の頭骨はうち砕かれ中の脳髄がとりだされた痕跡が残っていた。
     日本では天武の殺生禁断令(675年)がある。「4月1日から9月30日まで、牛・馬・犬・猿・鶏の肉をたべてはならない、もし犯すことがあれば罪とする」とある。犬を食べる人がいなければこういう犬肉食禁令は出ない。当時犬食いの習慣があったことになる。
     江戸時代の歌人戸田茂睡が秋田佐竹藩で犬料理を饗応されたことや、大田蜀山人が薩摩には子犬の臓物をぬいて米を詰めた「えのころ飯」のあることを報告している。
     張競の「中華料理の文化史」には、「内蒙古、東北、華北、西北、華南などの地域で出土した豚、羊、犬、馬、山羊、鶏などの動物の中で、最も多いのは豚で73カ所から、続いて羊は59カ所から、三位の牛は57カ所から、犬は第四位で50カ所からそれぞれ出土している」と書いてある。
     清朝の李鴻章がロンドンに交渉に行ったとき、英国外相から送られたシェパードを賞味したという話がある。
     周恩来は犬好きで有名だったが、北朝鮮で「全狗席」(犬尽しフルコース)に金日成首席や田中角栄首相と一緒に舌鼓をうったという。
     19世紀末、普仏戦争でプロイセン軍に包囲されたパリでは食べるものがなくなり、
    動物園のゾウ、カンガルー、シマウマや犬まで食べられたことが当時の新聞に載っている。

    猫の場合
     スペインのデ・ノラの「料理書」(1529年)には、猫の丸焼きのレシピが載っていた。
     イギリスのジェームズ・ハートは「新奇譚」(1633年)で、「ごくたまに故意か、あるいはそれと知らずに猫を食べてしまうこともあったが、何ら不快を感じなかった」と書いている。
     中国では、SARSの感染源ではないかと疑われているジャコウネコ科のハクビシンを食べる。ハクビシンは、果子狸と呼ばれている。「貍」(狸の正字)、「貍の左部分+猫の右部分」(JISにこの文字がない)(猫の本字)などから推察されるように、狸肉と書きながら実は猫肉を食べていた可能性がある。狸も猫も人をよく化かすから(?)
     日本も中国の影響を受けて、狸汁の何パーセントは猫汁かもしれない。
     フロイスは「日欧文化比較」で「ヨーロッパ人は雄鶏や鶉、パイ、ブラモンジュ(ブランマンジュ:アーモンドをすりつぶしたミルクのゼリー寄せ)などを好む。日本人は野犬や鶴、犬猿、猫、生の海藻などを喜ぶ」


    [No.15655] Re: 映画の 寅さん のこと 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/21(Sat) 13:14
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    > > > 小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)

    この本を改めて読んでいます。
    最初に読んだ本は公立図書館にあったもので
    いま手元で読んでいるのは大学図書館の本です。

    著者の小林信彦は両国出身で、下町育ちを自認する。
    彼の立場でいえば、柴又は下町では決してない。
    それは山田洋次監督の戦略だったと著者は思う。
    垢抜けない東京近郊の柴又は、ドラマの中では別な世界になる。
    東京のはずれに残る田舎。 しかし、ひょっとしたら、まだ粋といった感覚のかけらが残っているかもしれない世界がある。
     どこにもない寅さんの柴又。しかし、どこかにあってほしい柴又。

    渥美清は自分ことを書いた文章の中で一番ひかるのが、松竹新喜劇「寛美の阿呆まつり」のプログラムに寄せた文章である、とそう著者は指摘する。
    その中で渥美は、自分は欲張りである、ケチである、自分一人だけができるだけいいものに数多く接し、会い、触れたいと思うと書いている。ほかの役者には、なるべくそんないい目にあってほしくないと本音を書いているわけである。藤山寛美という役者の一挙一動に笑い崩れる観客のうねりに、渥美はネタマシサを感じることを隠さない。観客が心から楽しんでいる。自分も寛美の芝居に満足して、帰る途すがら、よかったなー、上手いなー、憎たらしいなー、と一人でその余韻をかみしめる姿を文章にして、藤山寛美の芝居によせているのであった。
     渥美清は観客と一緒に藤山寛美の芝居を楽しんだ。だが、彼も役者だったから、ライバルとしての嫉妬心があった。たんなる観客には嫉妬心はない。純粋に楽しめばよい。

    横溝正史の推薦で「八つ墓村」の金田一耕助をすることになった(テレビで人形佐七をしたとき、松方弘樹の佐七で子分の辰が渥美清だった。この時の渥美の演技を横溝は評価した)。
    興行的には「八つ墓村(1977)」はヒットして会社に利益をもたらしたが、批評家たちの評判はよくなかった。
    「ああ声なき声(1972)」は評判はよかったが興行としては失敗だった。
    著者の小林は、監督の今井正が渥美のよさをひきだすには大物すぎたと分析する。そして、戦後10年くらいの時期の話なのを1972年に作るのは大アナクロニズムであったと分析する。
     私はよいテーマなら時代を超えて訴えるはずと思うのだが、映画そのものが衰退産業になって観客もまじめな映画を歓迎する観客がそういなかったからなのだろうと判断する。
    かくして、寅さんのイメージがあまりにも強すぎるので、「ああ声なき声」のためわざわざ自ら出資して、寅さんと違うイメージの作品で自分の可能性を確かめようとした試みは失敗し、「山田洋次が監督した時だけ、渥美清は成功する」という世間の噂を肯定したような結果になった。
    体のこともあり、寅さんシリーズが会社の営業に貢献するようになってきて、会社の期待もあり、世間の期待にこたえるためにも、渥美はほかの映画や路線の可能性をあきらめたのだろうか。

    寅さんシリーズを総括して
    著者は、このシリーズはやくざ映画のパロディであるという。
    これをもっと明確に論理的に論文にしたのが佐藤忠男であると著者は指摘している。
    それは 1971、キネマ旬報社の「世界の映画作家14 加藤泰・山田洋次」の巻頭の「二人の作家と日本の文化潮流」である。
     果てしなく失恋を繰りかえしながら不死身でいられるというのは一種の恐るべき能力
     「男はつらいよ」シリーズは暴力とファナティックな要素をぬきにしたやくざ映画である
     寅が失恋するたびに、スクリーンの中にも、映画館の中にも祝祭感がみなぎる

    ということで、同じ本を読んでいますが、前回気がつかなかったこと(思わなかったこと)や新しい発見などあり、よい本は何度も読んだほうがいいと思います。


    [No.15654] Re: もっと笑うためのユーモア学入門 投稿者:   投稿日:2010/08/21(Sat) 10:51
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    男爵さん

    > さんらく亭さんは
    > 日本笑い学会会員でしたか。

    阪神大震災でヤラれてマイッてるときに、ある宴席でたまたま
    隣り合ったヘンなオヤジが昇幹夫さんという産婦人科・麻酔科医
    で日本笑い学会副会長という人物でした。意気投合して入会を
    勧められたのがキッカケでした

    日本笑い学会
    http://www.age.ne.jp/x/warai/

    昇幹夫さん
    http://homepage2.nifty.com/smilenobori/

       
             さんらく亭@甲子園


    [No.15653] 今日は何の日・8月21日 投稿者:   投稿日:2010/08/21(Sat) 05:33
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    みなさん、今日は
    今日は何の日、8月21日
    噴水の日
    1877(明治10)年、東京・上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催され、会場中央の美術館前の人工池に日本初の西洋式の噴水が作られた。落成したのは9月8日だった。

    献血記念日
    1964(昭和39)年、それまでの売血制度をやめ、全ての輸血用血液を献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定された。
    売血常習者の血液は血球が少なく血漿部分が目立つため「黄色い血」と呼ばれていた。この血液は、輸血しても効果がなく、また、輸血後に肝炎等の副作用を起こしがちだったため、大きな社会問題となっていた。1974(昭和49)年に民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、全てを献血で確保する体制が確立した。

    1862年 生麦事件。薩摩藩主・島津久光の行列を乱したイギリス商人が斬られ、1人死亡。薩英戦争の原因に

    1911(明治44)年 ルーブル美術館から『モナ・リザ』が盗まれる。2年後に発見

    1959(昭和34)年 ハワイがアメリカ合衆国50番目の州に

    1983(昭和58)年 フィリピン・マニラ空港でアキノ元上院議員が暗殺される

    今日の誕生日の花:ノリウツギ
    花言葉:臨機応変
    今日の一句:花さびた十勝の国に煙たつ    加藤楸邨

    出典は今日は何の日、毎日が記念日
    http://nnh.to/
    及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


    [No.15652] Re: もっと笑うためのユーモア学入門 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/20(Fri) 22:30
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    そうでしたか。

    さんらく亭さんは
    日本笑い学会会員でしたか。


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