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[No.15862]
Re: つのだじろう「悪魔の手毬唄」
投稿者:
投稿日:2010/10/04(Mon) 11:11
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男爵さん、こんにちは。毎日「読書案内」をご苦労様です。
> この掲示板はあとから訂正がきかないのです。
> 議論をしたとき、都合の悪い自分の過去の書き込みを訂正する人がいるので
> その防止のために。
この掲示板の記事の訂正は、一旦削除して再度投稿することでお願いしています。
すでにコメントが付いた場合は、「訂正」のコメント投稿か、システム担当者に
削除を依頼することでよろしくお願いします。
[No.15861]
Re: 今日は何の日・10月4日
投稿者:
投稿日:2010/10/04(Mon) 10:39
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KAME(亀井)さん、毎日「今日は何の日」をご苦労様です。
> 今日の一句:吾亦紅信濃の夕日透きとほる 藤田翔子
は、
今日の一句:吾亦紅信濃の夕日透きとほる 藤田湘子
の誤記であると思われますので、訂正願います。
(当室世話人)
[No.15860]
誰も語らなかった津軽キリシタン
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/04(Mon) 10:09
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著者の坂元正哉は東大理学部卒
東京理科大、名古屋工大、東海大の教授を歴任する。
津軽藩の初代藩主為信の長男は秀吉の覚えがよく
次男は夭逝し
三男は家康にかわいがられた。
為信は外国の文物文化がほしいからキリシタンになろうとしたが
自分には妾がいたからキリシタンにはなれず
長男信建(のぶたけ)と三男信牧(のぶひら)をキリシタンにさせた。
長男はキリスト教信仰の道を進んだ。 三男は秀吉や家康がキリシタン弾圧の方針をとったのをみてキリスト教からはなれたようだ。
もしかしたら
津軽為信は真田一族のように、豊臣と徳川の両方に保険をかけたのかもしれないが
世の中が徳川の時代になっていくのを感じるようになって
直情激情型な長男の性格に嫌気がさしたのか、為信は跡継ぎには三男信牧(のぶひら)を考えた。
それは徳川にとっても望ましいことで、長男は幼い千姫の護衛役として京都におもむいたとき
京都で病死したことになっている。 本当に病死したのかは疑わしいと、この本に書いてある。
三男に家督を譲り、心配の種の長男が京都で死んだ二ヵ月後に、藩主為信も亡くなった。
三男信牧は家康の覚えもよく、正室は家康の養女天満姫である。上野寛永寺を開いた天海僧上に縁組させたのだという。
天満姫は福島正則の子正之と幼いときに結婚していたのだが福島家没落のため離縁された。つまり、津軽信牧は出戻り娘を押し付けられたのであるが、津軽藩の将来からみれば一種の保障となったのである。
信牧には実は正室がいたが、正室は自殺した。
そのとき大館の御前とよばれる側室がいたからであろうと著者は推察する。大館の御前というのは、上州新田郡大館郷の出身だからである。大館の御前は実は京都の信建の看護と身の回りの世話をしていた。
信建の死後に、信牧は大館の御前を側室としたらしい。この大館の御前が三代藩主信義を生むのである。
[No.15859]
今日は何の日・10月4日
投稿者:
投稿日:2010/10/04(Mon) 05:38
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みなさん、今日は
今日は何の日、10月4日
世界動物の日
動物の守護聖人であるアッシジのフランチェスコの聖名祝日。1931年にイタリアのフィレンツェで開かれた環境保護家の会議で提唱された。
古書の日
全国古書籍商組合連合会(全古書連)が2003(平成15)年に制定。
天使の日
婦人下着メーカーのトリンプインターナショナルジャパンが2000(平成12)年に、同社の製品「天使のブラ」の1000万枚販売達成を記念して制定。
「てん(10)し(4)」の語呂合せ。
いわしの日
いわし食用化協会が1985(昭和60)年に制定。
「い(1)わ(0)し(4)」の語呂合せ。
陶器の日
愛知県瀬戸市の提唱により日本陶磁器卸商業協同組合連合会が1984(昭和59)年に制定。古代日本で、陶器を「陶瓷」と言っていたことから、「とう(10)し(4)」の語呂合せ。
都市景観の日
建設省(現在の国土交通省)等が1990(平成2)年に制定。
「と(10)しび(4日)」(都市美)の語呂合せ。都市景観に対する意識を高める日。
里親デー
厚生省(現在の厚生労働省)が1950(昭和25)年に制定。
1948(昭和23)年、里親制度の運営についての厚生事務次官通告が施行された。
宇宙開発記念日
1957(昭和32)年、ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した。アメリカとの間で熾烈な宇宙開発競争が始った。
探し物の日
NTTの電話番号案内が104番であることから。
失くした物をもう一度本気で探してみる日。
1945(昭和20)年 GHQが「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」(民権自由に関する指令)を発表。政治犯の即時釈放・治安維持法廃止などを指示
1957(昭和32)年 インドのネール首相が初来日
1988(昭和63)年ベトナム・ホーチミン市産婦人科病院で二重体児・ベトちゃんドクちゃんの分離手術に成功
今日の誕生日の花:ワレモコウ
花言葉:愛慕、変化
今日の一句:吾亦紅信濃の夕日透きとほる 藤田翔子
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15858]
Re: つのだじろう「悪魔の手毬唄」
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/03(Sun) 20:20
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> 何より驚いたのは
> 金田一耕助が和服ではなく洋服姿なのだ。
やはり
金田一探偵は和服でなくては。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/wforum.cgi?no=15787&reno=no&oya=15787&mode=msgview
金田一探偵のモデルは、和服姿の城昌幸だったのです。
> 城昌幸はいつも着物姿だった。
> 城昌幸主宰の「宝石」に「本陣殺人事件」を書いているうちに
> いよいよ探偵を登場させなければならなくなったとき
> ふいと作者の頭にきたのは、若き日の菊田一夫であった。
> しかしたった一度しか会ったことのない菊田氏はそのとき洋服姿であった。
> それを和服にしたのは、城編集長をからかってやろうという作者の気まぐれだったからだが、城編集長はいつも和服の着流しで角帯だった。
> それでは探偵になりにくいので袴をはかせたのは、博文館時代の作者自身の経験からきている。
> 昭和二十一年に城昌幸は疎開先の横溝正史を訪ねてきたことがある。
> 当時の乗物事情のため、洋服姿であった。あまりにも珍妙であったため
> 横溝は言った。「洋服はよしたほうがいいよ。だった金田一耕助が洋服を着るとおかしいもの」
最後の言葉は間違っていました。
「洋服はよしたほうがいいよ。だった金田一耕助が洋服を着るとおかしいもの」
↓
「洋服はよしたほうがいいよ。だって金田一耕助が洋服を着るとおかしいもの」
この掲示板はあとから訂正がきかないのです。
議論をしたとき、都合の悪い自分の過去の書き込みを訂正する人がいるので
その防止のために。
[No.15857]
品のいい人と言われる技術
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/03(Sun) 18:48
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まあ マナーに本ですね。
人を不快にさせる七癖
動作のたびに音を立てない
下品な貧乏ゆすりには注意する
身振り手振りは控えめに
腕組み・頬づえは品格を下げる
人の前を横切るときに手刀は禁物
人前で髪をいじるのはみっともない
服装の乱れは隠れて直す
気品ある振舞いのコツ
一度に二つのことはしない
視線の置き場所で品位がわかる
エレガントな手のしぐさポイント
人や方向を示すとき手のひらは上向きに
物の受け渡しは両手が美しい
物を拾うときの上品な身のこなし
バッグは目立たない場所に置く
ドアの開閉一つにも品位が問われる
人に気安く触れるのは避ける
自分の会社の悪口をいうのは品がない
などは常識でも
最近の若い人の
電車の中で、イアホンから漏れてくるシャカシャカ音や
人まで化粧する女性の姿は
この本にある品よく見られたいとか、エレガントなふるまいを
全然考えないからでしょうか。
人からよく思われたいという気がなくなったら強い(?)
[No.15856]
司馬遼太郎:街道をゆく37本郷界隈
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/03(Sun) 18:03
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本郷、このあたりは何度も歩いているので、この本に書かれている場所はたいていは、ほとんど頭に思い浮かべることができる。
石黒忠悳(いしぐろ ただのり)は軍医鴎外の上司として知られるが
福島県生まれで幕末に幕府の医学所に入学して、幕府瓦解時には句読師(くとうし)並になっていた。
司馬遼太郎によると、句読師とは漢文や欧州語の「読み方を教える人」で大学助手に相当するという。動乱時に江戸をのがれ米沢や越後を転々とし明治二年に東京に戻る。
それから新政府のもとで、日本の陸軍軍医制度の基礎を築いたのをはじめ、近代医学教育、看護婦養成など各方面に功績を残した。
実務を期待通りになしとげていった堅実派の人物なので、鴎外が医学にとどまらないで文学にも手を出したことが気に入らなかったのであろう。
無縁坂は鴎外の「雁」の舞台
主人公の岡田は医学生で鴎外かその友人がモデルであろう。
岡田に好意をいだくお玉は金貸し末造の妾である。末造の描写はなかなかうまいと司馬遼太郎はほめている。
この本には書いていないが、実は鴎外はお玉のような女性がいた。結婚前に母親が息子のためにそういう女性を用意したらしい。
鴎外としたら、医学生岡田のことも書けるが、お玉のような女性も観察する機会があったから、作品を書く上では資料不足はなかったのだろう。
家族にも気を使い、役人としての勤めも無事はたし、文学界に功績を残した鴎外は、よく努力したと思うが、その実際の生活を知る人は、鴎外の二重人格的な生き方に違和感をおぼえるかもしれない。
将軍家から降嫁した奥方のために加賀前田藩が建造した赤門
その赤門の向かいに幼い一葉が住んだ家があるという。
一葉の井戸というのが菊坂下にあるが、これを探すのに四、五回行ったことがある。
なかなかわかりにくく、階段の所に地図と案内板があったのでとうとう見つけることができたが、ある人に話したら「よく見つけましたね」とほめられた。
思うに近所の人は、観光客がうろうろするのは騒がしくて嬉しくないから、あまり案内板など置きたがらないのだろう。
竹久夢二の宵待草の歌碑も千葉県銚子のあしか(海鹿)島で探した時も苦労しました。
東大農学部構内にある朱舜水の終焉の碑については再度確認に行ってこなくては。
真砂町丁の炭団(たどん)坂に坪内逍遙家があって若い学生を世話していたが、松山藩主だった久松家が旧藩士の師弟たちの育英のため常磐会をつくり、坪内逍遙宅を買い取り建物をこわして常磐会の寄宿舎をつくった。正岡子規はここに寄宿したのである。
炭団坂には宮沢賢治の下宿があったというのでここは歩いたことがある。
かねやすの近くの喜之床(きのとこ)には啄木一家が部屋を借りていたのだが、この本には啄木も賢治も出てこない。竹久夢二もない。そこまで広げると拡張しすぎだと考えたのだろうか。
徳川家康は徳川家の繁栄を願って種々の配慮をした。
たとえば加賀藩前田家であるが、前田利常のときは全国的にも大名は困難な時期であったが安泰をはかって努力した。
広島城主福島正則の家も、肥後の国主加藤清正の家も、会津若松の加藤嘉明の家もつぶされた。
前田利常は金沢城の補修をとがめられ、家老に何度も幕府要人たちを歴訪させ弁明につとめ、四十半ばで子の光高に家督を譲った。すでに光高には水戸徳川家の娘を娶せ、世継の綱紀もうまれた。
光高が夭逝したので、利常は幼少の孫綱紀のために後見し、綱紀の夫人として、将軍家光の弟である会津藩主保科正之の娘を娶り、徳川家との縁をつよくした。
このようにして前田家は江戸時代に家を守ることができたのだが、その江戸屋敷が東大の敷地となったわけである。
しかし、これほど各大名の力をそぎ、徳川家安泰作をとったにもかかわらず
幕末になって、外国船が日本にたびたび訪れるようになり
近藤重三や最上徳内や林子平などの蘭学者が幕府を批判したり知的活動をしたのを正当に評価できなかったため、滅んでいったのはやむをえなかった。
「三四郎」で漱石が予言したように
「いくら日露戦争に勝っても、一等国になっても駄目ですね」
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」
「亡びるね」
という車中の会話は
三十八年後の昭和二十(一九四五)年に実現する。
と司馬遼太郎は書いている。
[No.15855]
今日は何の日・10月3日
投稿者:
投稿日:2010/10/03(Sun) 05:34
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みなさん、今日は
今日は何の日、10月3日
登山の日,山の日
日本アルパイン・ガイド協会の重野太肚二氏が発案し、同協会が1992(平成4)年に制定。「と(10)ざん(3)」の語呂合せ。
ドイツ統一の日
1990(平成2)年、東西ドイツが45年ぶりに統一され、ドイツ連邦共和国が誕生した。
ベルリンの壁が崩壊してからわずか11箇月後だった。
交通戦争一日休戦の日
1971(昭和46)年、東京都八王子市で毎月水曜日に自家用車の利用自粛・公共交通機関の利用を呼びかける「ノーカー運動」が実施された。日本初の「ノーカーデー」であった。
その時のスローガンが「交通戦争一日休戦の日」だった。
開天節 (韓国)
韓国の4つの国慶日(国家の慶事を記念する日)の一つ。韓国の建国記念日。
紀元前2333年、檀君王倹が平壌城に都を定め、古朝鮮王国を建国した。
1964(昭和39)年 東京五輪の柔道会場として東京・北の丸公園に日本武道館が完成
1964(昭和39)年 大分県別府市〜熊本県阿蘇郡一の宮町50kmの九州横断道路(やまなみハイウェイ)が完成
1983(昭和58)年 三宅島の雄山が21年ぶりに大噴火。熔岩流により約400戸が焼失
1986(昭和61)年 アメリカ東海岸寄りの大西洋を航行していたソ連の原子力潜水艦で火災。核ミサイルを搭載したまま沈没
今日の誕生日の花:アシタバ
花言葉:旺盛な活動力
今日の一句:山よりの日は金色に今年米 成田千空
出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
[No.15854]
Re: 赤瀬川原平:老人力2
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/02(Sat) 22:41
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> 老人力という言葉の提案者なので
> インタビューを受けたり
> あちこちの講演会に行って話したりする。
講演をして思うのだが
講演会場というのは最新設備が多いのだけど、最新設備というのは映りがよくない。
げやけているのが多い。とくにデジタルというか、電子変換して映す装置ほどダメである。
うちはマルチ映像です、とか、ズームでアップできます、とか誇らしげにいうんだけど、映りがぼやけてはどうしようもない。
そういう場合は、スライドを持ち込んだこちらとしてはがっかりだ。
従来のスライド装置で映した方がはるかに綺麗である。
でもそのことをいっても、会場の係の人はきょとんとしているので、二度がっかりである。
装置は最新で、高額なので、そんなはずはないと頭で思っていて、実際の映像のよしあしには無頓着な様子である。
この間はもっと驚いたことがある。やはり路上観察のスライドを持って行って、控え室でケースにセットして会場に行ってみたら
最近建てたらしい公共建築の、入口ホールが吹き抜けになっている。
そこに映写機があってスクリーンがある。天井を仰ぐとずっと上がガラス張りになっていて、さんさんと日が差し込んでいる。
横にもたくさん窓があって、しかし遮光幕の装置がどこにもないのだ。要するに暗くできない。
えっ、これでどうやって映すの?
いや、大丈夫です。ライトのパワーを上げれば映ります、という。
パワーなんて上げたって、コントラストの強い一部がかすかに映るだけで、もともと明るいスクリーンに映像がちゃんと映るわけがない。スライドが痛むだけだ。
もちろん映写はやめたが、係員がそれを不服そうに受けとめているので二重にショックだった。事態を何もわかっていないのだ。自分でわかろうとする頭がないのだ。
しかもそのスクリーンというのは、壁際に一部低く設置された天井に格納式のもので、ボタン一つで自動的に下りてくる。つまりそういうものとして、堂々とつくられているのだ。
まあいろんな税金の使い方があり、いろんな人生がある。
ーーーーーーーー
建物や装置が立派なものでも、機能性を考えてつくられていなかった。
あるいは最新設備の扱い方が十分理解していなかった。
もっと装置が上手な人の手にかかれば、うまく映ったかもしれない。
ただ、最近の学会などではスライドはほとんど使われない。だから、講演会場もスライドに対応していないかもしれない。
コンピュータと液晶プロジェクターの組み合わせが現在の学会講演の標準になっている。
私の場合でも、スライドそのものを講演会場に持ち込むことはなく、事前にそのスライド画像からデジタル画像に変換した画像ファイルを会場で映すようにしている。
[No.15851]
赤瀬川原平:老人力2
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/02(Sat) 21:56
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老人力という言葉の提案者なので
インタビューを受けたり
あちこちの講演会に行って話したりする。
日本語の乱れが問題になっているこの頃
老人力という新語そのものが、乱れではないかという指摘はさておいて
定義した本人が首をかしげるような、老人力という言葉の乱れがあるという。
老人力というのを、いわゆる老人パワーというべきか、老人の持っている物理的なエネルギー量と考えて使っている例がある。
「まだまだ若いものにには負けませんよ」
「まだまだこのくらいの荷物は持てますよ」
「まだまだ徹夜は平気です」、
「まだまだ酒一升は飲めますよ」
こういう、まだまだではじまるいわゆる老人の単純な頑張り力に、老人力という言葉をあてている例である。
もちろん、年をとってもなお元気、筋骨リュウリュウ、欲望ギラギラというのは結構なことである。
しかし、そういう第一次産業的な力はいずれ衰えてくるもので
「いや衰えない」といって抵抗するかわりに
「これは衰えじゃなくて、力の変化なんだ」と考えるのが老人力で、それは第二次産業的な力というか、もしかしたら第三次産業かもしれないが、そんなようなニュアンスのことなのである。
みんな内心では、自分も体力気力が落ちた、物忘れもするようになった。こりゃ老人力がついたかもしれないと思っているが
いざ公式の場で口を開けると、老人力があるから階段もまだまだ昇れるし、このとおり元気ですと言いたくなるらしい。
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